松本智津夫被告第82回公判
1998/6/5
(毎日新聞より)



 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第82回公判は5日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれた。松本サリン事件に絡み教団元顧問弁護士の青山吉伸被告(38)と治療に当たった医師、サリン噴霧車を製作した元教団幹部への検察側主尋問と、林泰男被告(40)に対する弁護側反対尋問が行われた。傍聴希望者は151人だった。


裁判長:阿部 文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検 察 官:西村 逸夫(47)=東京地検公判部副部長ら4人
弁 護 人:渡辺  脩(64)=弁護団長
      大崎 康博(64)=副弁護団長ら12人
被   告:松本智津夫(43)
検察側証人:青山 吉伸(38)=元教団顧問弁護士
      鈴木  順(31)=松本協立病院医師
      藤永 孝三(37)=元「科学技術省」次官
      林  泰男(40)=元「科学技術省」次官
      (敬称・呼称略)


 松本被告は紺色のポロシャツ姿で午前9時57分に入廷し、「裁判官が……」と独り言を始める。10時、紺のスーツに白いシャツを着た青山被告も入り、やや硬い表情で席につく。
 教団の松本支部開設について、検察側主尋問が始まる。]
青山吉伸被告
 検察官「市民からの反対運動は」
 証人「最初に認識したのは、内容証明郵便で反対の趣旨の手紙が送られてきたので、知りました」
 教団は、地元住民から起こされた建築禁止の仮処分申し立てに負け、本裁判でも敗訴する可能性があるとして松本サリン事件を起こした。そんな構図を、顧問弁護士の青山被告の証言で裏付けようとして、検察官は尋問を続ける。
 検察官「(松本被告への)判決見通しの報告は」
 証人「報告をしているとしたら、特に問題はないとか勝つでしょうとか。しかし、そもそも言っているかどうか分からない」
 検察官「(仮処分で敗れた)賃貸借部分の報告はしたのか」
 証人「その部分はあり得ません。勝とうと思っていないので、勝つことはあり得ないので」
 検察官「証人の理解では、松本被告はその部分をどう理解していたと思うか」
 証人「聞いたことはないが、意識していたとは思えません」
 検察官「どうして」
 証人「とっくにその問題は終わっていた。売買部分に限って教団施設を建てていたわけですから」
 検察官「しかし、あなたは主張全部の棄却を求めていたじゃないですか」
 証人「形式的にはそうです。しかし、争点にしていなかった」
 青山被告は、検察側の意図に沿った証言をしない。
 検察官「調書には『訴訟の経過を報告していた』『裁判が結審して報告した』と記しているが」
 証人「先ほどから申しているように、あいまいな記憶によるものです」
 青山被告はのらりくらりと「あいまいな記憶」という言葉を繰り返す。いらだった検察官は調書末尾の署名部分を証人に示した。
 検察官「その署名はあなたのものですね。読み聞かせも受けているでしょうし、弁護士だったんだから、署名した調書が証拠になるのは分かっていたでしょ」
 証人「全部を読めば、はっきりした記憶がないことは分かってもらえる」
 青山被告も譲らない。検察官は青山被告が「敵性証人」になったことを強調する狙いからか、教団脱会の経緯について再度質問を始めた。
 検察官「脱会は、松本被告の教義に疑問を感じたということではないのか」
 証人「法廷で教義の論争をするのは憲法上適切でない」
 検察官「まだ帰依しているということか」
 証人「その論争は憲法上、適切ではない」
 “姿勢”を変えない青山被告に対して、検察官は尋問終了を告げた。


 11時6分、松本サリン事件で被害に遭った河野義行さんらの治療に当たった松本協立病院の鈴木順医師が入廷する。
 検察官「河野義行さんの病状はどうでしたか」
 証人「全身の筋肉の攣縮(れんしゅく)、縮瞳(しゅくどう)、顕著な発汗、発熱が認められました」
 検察官「攣縮というのは」
 証人「全身の筋肉の生理組織がばらばらに縮むことです」
 難解な医学用語の解説が、悲惨な被害実態を突き付ける。
 検察官「河野さんの症状について、最終的にはどういう診断でしたか」
 証人「サリン中毒としました。現場からサリンの副生成物が検出されたとの警察発表があり、少量の被ばくでも反応が強かったことから、サリン中毒と矛盾しないと考えました」
 松本被告は居眠りし舟をこぎ始めた。裁判長から「被告人はちゃんと起きて。背筋を伸ばして」と注意が飛ぶ。
 検察官「河野さんが仕事を再開されたのは」
 証人「翌年3月31日まで自宅療養され、4月1日から会社の仕事を始められました」

 松本被告が伸びをするように顔を天井にあおむけたため、裁判長はさらに「被告人はちゃんとしていなさい」と注意する。

 河野さんの妻澄子さんの症状について、検察官が尋ねる。
 証人「しばらく(呼吸が)微弱でしたが、7月中旬には人工呼吸器を外した」
 検察官「意識は」
 証人「戻りません」
 検察官「どんな症状でしたか」
 証人「脳の断層写真では、著しい委縮が見られました。全身状態はいわゆる植物状態です」
 検察官「現在はどのような状態ですか」
 証人「現在も植物状態です」
 検察官「回復の望みは」
 証人「見込めないと判断しています」
 検察官は別の被害者の症状を尋ね、主尋問を終えた。11時40分、休廷。


藤永孝三被告
 午後1時、再開。懲役10年の判決を受けて上告中の元信者、藤永孝三被告が証人として入廷する。白のワイシャツに黒のスーツ姿。教団科学技術省の「次官」の一人で、教団の「溶接チーム」の班長だった。
 検察官は、村井秀夫元幹部(故人)の指示を受けて、サリン噴霧車の製造に林泰男被告らとともにかかわった経緯を尋ねていく。藤永被告は落ち着いた声で答える。
 藤永被告が事前に作成していた噴霧車の3枚の図をもとにして、検察官は構造の説明を求める。
 検察官「最初はどこから液体を入れるのか」
 証人「このタンクです」
 検察官「どんな形」
 証人「円柱です」
 検察官は、タンクの液体をヒーターで加熱する構造を一つ一つ確認していく。
 運転席側の開口部からコンテナ内部に外気を取り入れる。ファンを回して合板製の「風洞」内に風を起こす。そこに、気化したサリンが銅容器から入り込む。助手席側の開口部から車外へと放出される……。教団が開発した「兵器」のベールが、はがれていく。

 途中、やり取りが分かりにくくなり、「聞いてて分からない」「検察官が分からないと我々が聞いても分からない」などと、阿部裁判長が検察官に注意する。
 検察官が「どこにあるか図に書いて下さい」と言い、藤永被告が「既に書き込んであります」と返事をする場面もあった。
 2時57分、休廷。


 3時17分、再開。証人席に着いた藤永被告は、右側の被告席に座る松本被告に10秒ほど目を向ける。教団を脱会して2年近くになる。88年の出家から7年間も「教祖」として仰いだ。松本被告は「弟子」のその視線を感じているのか。目を閉じたまま何かをつぶやいている。尋問が始まり、藤永被告は細々とした説明に戻った。
 3時半過ぎ、検察官は車両完成当時の様子に質問を変える。
 検察官「車両の完成する前、だれかが実際に動かしたことありますか」
 証人「あったと思います」
 検察官「その時について覚えていることは」
 証人「はっきりしたことでないが、村井さんが計算通り、あるいは時間通りと言ったと思う」
 事件後、藤永被告は事情を知らされないまま、中川智正被告を手伝って車の洗浄作業をしている。
 検察官「車を見て気付いたことは」
 証人「助手席側の開口部の下側に白く液体のようなものが付いていた。私たちの作った容器の作動実験をやったと思った」
 検察官「ほかに気付いたことは」
 証人は10秒ほど沈黙して「運転席、いや助手席側に松本市の地図があった」と語った。
 検察官「中川に指示されてどうした」
 証人「使用されている状況だったので、中川さんに『大丈夫ですか』と確認した。中川さんは『もう一度洗っておこう』と言ったと思う。それで洗うことになった」
 実行現場である松本市内の地図、「大丈夫ですか」という疑念……。検察官は狙い通りの証言を引き出しているようにみえる。
 検察官「車はどうなった」
 証人「取り付けた機器類は94年11月ぐらいに、すべて取り外した」
 検察官「いきさつは」
 証人「村井さんの指示です。『強制捜査が入るかも知れない』と言ったと思う」
 検察官は、事件後に容器が発見された様子や、廃車になった状況などを確認した後、質問を変えた。
 検察官「この車を製作している時、この車がまくのは何であると思っていたのか」
 証人「危険性のあるもの」
 検察官「サリンとは」
 証人「思っていません」
 検察官「危険性のある物質とどうして思った」
 証人「作業がシークレットだった。また、車に積まれている酸素ボンベから」
 検察官「シークレットとは」
 証人「村井さんの方から指示があり、公にできない作業だった」
 検察官「そのための何か工夫は」
 証人「12サティアンの作業が見えるので、窓に張り紙をした。出入りするためのかぎを各自が持っていた」
 検察官「車製作の命令は村井個人の判断だとは」
 証人「いいえ、麻原こと松本の指示と思った」
 検察官「どうしてか」
 証人「教団の教義からいって、村井さんが勝手に判断することはないと思った」
 藤永被告は、よどみなく答えていった。


林泰男被告
 4時18分、藤永被告への尋問が終わる。続いて林泰男被告が証人席に着いた。濃いグレーのスーツに、白いワイシャツ姿。弁護人はまず、95年に強制捜査が入った当時の様子を尋ねる。 弁護人「教団はどうなると思った」
 証人「強制捜査は長くは続かないと思った。証拠の隠滅はかなり長くやっていたし、すぐにいろんなことが発覚したり、活動停止になることはないと思っていました」
 弁護人は教団の強制捜査後、林被告がかかわった事件について質問を続ける。林被告は淡々と質問に答える。
考えこんだのは弁護人が「村井さんが刺されて死んだニュースを聞いて、どう思いましたか」と尋ねた時だ。10秒ほど沈黙した後、絞り出すように「村井さんがそうなったことは自業自得と割合辛辣(しんらつ)な思いがありました」と答えた。
 弁護人「科技省長官で地下鉄サリンで指示した人で怒りもあったでしょう」
 証人「それは辛辣な思いと言った。村井が死んでも麻原を信じている者がいる限り、(自分にとっての)危険はなくならない」
 弁護人「その危険とは懲罰を受けることか」
 証人「はい」
 弁護人は、相次いで教団幹部が逮捕された際の心境を尋ねる。
 弁護人「(95年)5月12日に井上嘉浩被告が逮捕されてどう思ったか」
 証人「逮捕以前から彼らには内証で部屋を借りる準備をしていたから、これで別れられると思った。できれば円満に別れたいと思っていた」
 弁護人「5月16日に麻原被告逮捕のニュースを見た時、どう思った」
 証人「新しい住居に移って、別れられるという思いがより強くあった。同じぐらい自分も逮捕されるだろうと強く感じた。安ど感もあったが、自分の逮捕を身近に感じた」。淡々とした表情を崩さずに語った。
 弁護人が「時間もちょうどいいので」と質問を打ち切り、5時に閉廷。