松本智津夫被告84回公判
1998/6/19
(毎日新聞より)



 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第84回公判は19日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、元教団幹部の林泰男被告(40)に対する弁護側反対尋問が行われた。今年3月から始まった弁護側の尋問は10回目。地下鉄サリン事件について林被告は「計画が失敗すればいいと思っていた」と繰り返した。傍聴希望者は126人だった。



裁 判 長:阿部 文洋(53)陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検 察 官:西村 逸夫(47)=東京地裁公判部副部長ら4人
弁 護 人:渡辺 脩(64) =弁護団長
      大崎 康博(64)=副弁護団ら12人
被   告:松本智津夫(43)
検察側証人:林  泰男(40)=元教団「科学技術省」次官
 (敬称・呼称略)



林 泰男被告
午前9時58分、紺のポロシャツ姿の松本被告が入廷する。グレーの背広姿の林被告が陳述席に座り、阿部裁判長が「それでは始めます」と告げた。
 最初の弁護人がいくつかの確認を行った後、渡辺弁護団長に交代する。渡辺団長は米国映画のように、法廷内を歩き回りながら尋ねる。
 弁護人「地下鉄サリン事件では村井(秀夫元幹部=故人)と井上(嘉浩被告)の2通り(の指示が)あったと思うが」
 証人「どちらからでも言われたら、それが指示だと思っていましたから。どっちの系統とかは思っていませんでした」
 弁護人「完成したサリンは」
 証人「(途中の生成物を)吸った人によると、頭痛と吐き気が1週間ぐらい続いて治ると聞きました」
 弁護人「人が死ぬほどの毒ではないと」
 証人「人が死んでしまうのではないかとの感情は持っていたと思います」
 弁護人「当時、『そんなに早くサリンを作れるわけがない』という認識だといわれるが、地下鉄事件に関与した人たちも『どうせできるわけない』と思いながら動いていたのか」
 林被告は顔を松本被告のほうには向けず、うなずきながら聞いている。
 証人「私がそのような心持ちだったのは事実です。しかし、麻原がそうかというと分かりません。(散布現場までの車の運転役だった)杉本(繁郎被告)君もそう思っていたと思います」
 弁護人「村井さんや井上さんが準備している姿をどう見ていたのか」
 証人「偉いものという見方はしていない。ばかげたものと一言ではいいにくいが、10年近く多くのばかげたことをしていたから、行為自体は意味がないと……
 弁護人「あなたは何の目的で参加したの」
 証人「目的? うーん、自分に目的はありませんでした」
 弁護人「言われるままにやったの」
 証人「完全にそうかと言うと、自分でも分からないところがあります」
 弁護人「教義に基づいて、という風潮が潜在的、直観的にあるということだが、サリンをまくということがどの教義に基づいているのか」
 証人「それを説明するとかなり長くなると思います。それに、その話は何度もしたと思います」
 いい加減うんざりしたような口調の林被告はさらに続ける。「このようなことが教義に基づいてされたとは言いました。私はそれで十分だと思っています。今は教義について話せないし、それをすると長くなってしまうので」
 弁護人「サリンをまいたことの原動力は何だったのか」
 証人「数々の指示に対して、あらがうことが出来なかった。懲罰が怖かったという思いがなかったかについては100%否定する気はありません
 弁護人「サリンをまくことは、どんな意味が」
 証人「目先の強制捜査などを前提としていたということで、それ以上ではありませんでした」
 弁護人「80回公判で、あなたは『騒ぎが起きて、達成した』と言っているが、何を達成したの」
 証人「騒ぎ自体が達成です。騒ぎを起こして強制捜査を延ばすということです。しかし、私は1日、2日、せいぜい1週間という単位で、1カ月も延びるとは思いませんでした。ほかの人は、強制捜査が延びるかなくなるというのを信じていたのではないかと思います」

 つぶやき続けていた松本被告の発言が大きくなる。「1回暴行されているんですよ。やっちゃあいけないことをやっているんですよ。私の妻が……」。裁判長や弁護人がたしなめても止まらない。「私の学力ですから、ラサール、開成……」。後ろの弁護人2人が苦笑いをした。

 弁護人「全体的に計画性が欠けていて、実行計画の一貫性がないように思うんだがね」
 証人「僕は言われた通りに動いていただけで、上の人がどうだったかは知りません。自分に(計画性が)なかったことは確かですが」
 弁護人「計画に一貫性がないのは村井のせい?」
 証人「私は計画性があったかどうか知らないのに、なかったとの前提で質問されてもしかたがありません」
 弁護人「村井さんと井上君の謀議を見たことありますか」
 証人「はい。2回目(の謀議)。村井さんの部屋です。3月18日の夕方。第6サティアンの」
 弁護人「その時の村井さんと井上君の関係は」
 証人「相談自体は対等だが、決定は村井さん」
 弁護人「どういうことを決定していたの」
 証人「路線や犯行時間、車両の場所、担当者……」
 弁護人「かなり細かいことまで村井さんが指示したと」
 証人「はい」
 11時53分、休廷。


 午後1時15分、再開。

 地下鉄事件の直前、村井元幹部に林被告ら実行役が呼び出され、サティアン内でサリンをまく練習をした場面に移る。
 弁護人「その時は村井の指示と、サリン散布の練習だけか?」
 証人「遠藤(誠一被告)君から錠剤をもらいました。それを飲む時間の指示もありました」
 弁護人「村井がサリンと言っているものがサリンというのは、どうやって確認したのか。あなたは村井をあまり信用していなかったというが……」
 証人「あまり信用してはいなかったが、村井の話でしか(サリンの真偽は)分かりませんでした」
 弁護人「いつ、どこで、だれが作ったか分からないの?」
 証人「村井さんがなんらかのかかわりをもっていたということしか分からない。あと、サリンを届ける際に姿を見せた遠藤君、それと新宿の青酸事件の起きる前に、中川(智正被告)君からサリンを袋詰めにする話を聞かされ、彼もなんらかの形でかかわっているのかと思った」
 弁護人「検察の冒頭陳述によると、松本サリン事件もあなた方の犯行ということになっている。知っていたか」
 証人「わたしも………村井も知っていたと思います。他の人は分かりません」
 弁護人「松本の時はこうだったから、こうしよう、という話は出なかったの?」
 証人「いいえ」
 弁護人「林郁夫の証言通りだと、あなたも盛んにサリンについて話していたようだが」
 証人「そういう状況はない。当時は周りの人に適当に話を合わせるようにしていた」
 弁護人「林郁夫が、サリンのまき方について、ポケット中のものを握れば、ズボンの下のチューブを通って、足元にサリンが流れるというアイデアを出したそうですね」
 証人「それに近い記憶はあります」
 弁護人「この林提案については、それなりにいいとあなたは答えたんでしょ」
 林被告は「そうではないんですか」と他人事のように肯定する。
 弁護人「あなたは林郁夫の提案を村井に話しに行ったのですね」
 証人「半分正しくて、半分間違っています。井上君に行くように言われたからという点が抜けている」
 弁護人「村井には提案を話した?」
 証人「してません。したくなかったからです」
 弁護人「説明するのは井上が適任だと思うんだけど、なぜあなたが行ったの」
 証人「できれば行きたくなかった。井上に行けと言われたから行った」
 弁護人「証人としては、村井の言う通り、井上の言う通りに動いたと」
 証人「だいたいの部分はそうです」
 弁護人「でも一つだけ、3月18日、林郁夫のところに、『サリンのまき方を検討しませんか』とはあなたから言ったのでは」
 証人「はい」
 弁護人「あなたは自分の意思で動いていたのでは」
 林被告は「そんなことは一度も申し上げていません」と話し、きっぱりとした口調で「井上君に一緒に話をしようといわれて、自分としては行きたくありませんでした」と続けた。
 弁護人「でも、林郁夫さんから見るとあなたは熱心だと思われるような行動をしていたのでは」
 証人「客観的にはそのようにいえるかも。計画は実際的でないから、20日という時期がずるずると延びて、やっぱりやーめたとなりうるという思いがあった」
 弁護人は、なお追及する。「この計画は、あなたにとって嫌なものだったのか、それとも、どうせ失敗するという思いの方が強かったのか
 証人「比べられません。両方の思いがあったが、自分の思いは、外れた」
 弁護人「外れた、とは」
 証人「死者が出た。ある程度は予想したが……
 弁護人「無意味というなら、計画をやめさせることが教団幹部の責任ではないのか」
 証人「いま思えば、そうだと思う」
 続けて弁護人は、語調を強めてこう問いただした。「あなたのこれまでの証言には、実行を指示した者への怒りばかりが繰り返されている。亡くなった被害者のことをどう思っているのか。被害者の怒りや苦しみをどう思うかについて、あなたの口から一度も出ないのはなぜか
 証人「申し訳ありません。至らないのだと思います」「できれば計画だけで終わってほしかった。もし計画が実行されるなら、それは失敗に終わってほしいとも思った。だからといって、殺意を否認するつもりはありません」
 2時57分、休廷。


 3時17分、再開。
 弁護人は、実行行為後の証拠隠滅作業であるごみ焼却に加わった経緯を尋ね、改めて林被告の「意思」を確認する。
 弁護人「あなたがごみ捨てに加わった理由は、場所を提案したからか」
 証人「はい」
 弁護人「実行行為の後、渋谷に戻り、井上(嘉浩被告)君の指示を待っていて、ごみ捨ては井上君の指示で加わったのか」
 証人「はい」
 弁護人「自分の意思では」
 証人「案内をするようにいわれた。自分としては別行動したいという思いだった。早く解散して自由になりたかった」
 証人「本音は述べられませんでした」
 「あなたの答えは、地下鉄サリン事件の目的を否定する言葉ではないか」。弁護人は語気を強め、林被告も「もともと私は否定的だった」と反論する。弁護人の質問の途中で林被告が証言を始め、弁護人が「最後まで聞いて下さい」と注意するなどやりとりは激しくなる。
 弁護人「あなたにとって、新実さんは怖い存在だったのか」
 証人「時と場合によります。怖くない時もあります」
 弁護人「新実さんは教団に害を及ぼす人を取り締まる役でもあり、あなたが逃げたら追いかけてくる役でもある。あなたは、警察に駆け込んでも教団は爆弾を投げ込んでくる、それくらいのことはやりかねないと証言しているが、いったいだれがそんなことをすると思っていたのか」
 証人「だれが投げ込むかは分かりません」
 弁護人「別の部隊があるということ?」
 証人「当時の教団の雰囲気を考えると、だれでもそういう(実行役になる)可能性があるということです」
 弁護人「あなたが逃げた場合は、あなたを殺害しようとする人は具体的にだれなのか」
 証人「新実君も、井上君も、村井も、中川(智正被告)君もそうだし、だれでもそうなる可能性はあると思います」
 「ぜんぜん、説得力がない!」と声を上げる弁護人。「みんなが逃げ回っている中で、警察に駆け込んだ人間を殺すことをするんですか? 荒唐無稽(むけい)ですよ
 「オウム自体も荒唐無稽でしたので」と林被告もやや興奮して答える。「現実的には、今思うと、そういう可能性は薄かったと思いますが……そう考えていたのは事実だし、過去の思いを変えることはできません」
 弁護人「新実さんは『強制捜査は1カ月延びるだろうか』という言い方だったのか?」
 証人「そうです」
 弁護人「あなたは『よくても1週間』と答えたのか?」
 証人「はい」
 弁護人「新実さんは返事をしなかったの?」
 証人「記憶がないだけです」
 弁護人「検察官の主尋問に出てきたが、渋谷のアジトを出たころ、新実(智光被告)さんと話をしたということですね」
 証人「はい」
 弁護人「そのとき新実さんは、『これで強制捜査が1カ月延びますかね』と、あなたにそう言ったということでしたね」
 証人「そうです」
 弁護人「この新実発言は、麻原に結びつくわけですか」
 証人「18日に、井上君から全く同じことを聞いていました。言葉の出所は同じなのだろうと思いました」
 さらに林被告は、検察官の主尋問に対する過去の自分の証言を修正し、新実被告から言われた言葉は、正確には「尊師の言う通りに、これで強制捜査が1カ月延びますかね」だったと証言した。
 証言に松本被告を指す「尊師」が加わり、弁護人は色めき立つ。「主尋問での証言と、どちらが正しいのか」
 証人「後者です」
 弁護人「尊師の言葉ということを証言するのは、あなただけですよ」
 証人「そうですか。調書にすべて書かれているわけではないでしょうから」

 松本被告は、不平そうに顔をしかめながら、後ろに座る弁護士にブツブツと何かを訴えている。
 弁護人「それで、あなたは新実さんに何と答えたのか」
 証人「延びても1週間ではないですか、と」
 弁護人「まるで新実さんの言葉を全面否定したかのようだ。つまりあなた、信者を監視する役目にあった新実さんに、本音を言えたんじゃないか」
 証人「本音ではありません。私の本音は1週間でなく、2、3日でした」。林被告は淡々と語った。
 弁護人は、事件後の行動について確認していく。
 弁護人「新実被告がサウナに行こうと言ったが、よくあること?」
 証人「私はあった。新実とは一緒に行ったことはない」
 弁護人はサウナ行きの話について、いぶかしげに質問を重ねた。
 弁護人「サウナに行くことがねぎらい?」
 証人「そう感じた」
 弁護人「ふろに入らない方がいいという戒律があったのでは?」
 証人「ふろに入ると徳を減らすので、少ない方がいいという教えはあった。サウナが温熱修行の効果があるとされる面もあった」
 松本被告への報告などの後、弁護人は「区切りはここで。今日は終りにしたい」と申し出る。阿部裁判長は「次回で終われるようなら。終われないようなら続行していただきたいが……」と念を押す。

 午後4時58分、閉廷。