松本智津夫被告第85回公判
1998/7/2
(毎日新聞より)



 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第85回公判は2日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、サリンを分析した警察庁科学警察研究所員と、地下鉄サリン事件の実行役の一人とされる林泰男被告(40)に対する弁護側反対尋問が行われた。傍聴希望者はこれまでで最も少ない107人だった。
 ◆出廷者◆
裁判長:阿部文洋(53)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検察官:西村逸夫(47)=東京地検公判部副部長ら5人
弁護人:渡辺脩(64)=弁護団長
    大崎康博(64)=副弁護団長ら12人
被告:松本智津夫(43)
検察側証人:角田紀子(54)=警察庁科学警察研究所



 午前9時57分。松本被告は6人の刑務官に先導され、法廷に姿を見せた。紺色のポロシャツに、ズボン。ブツブツと何かつぶやく。
科学警察研究所員反対尋問
 「開廷します」。阿部裁判長の声で、黒のスーツに身を包んだ女性が陳述席に座った。科学警察研究所員、角田紀子さんだ。
 検察官がすかさず手を挙げた。「前回主尋問の速記録に間違いがあります。訂正したい」。裁判長がうなずいた。
 検察官「科学物質とあるのは、化学ですか」
 証人「化ける化学です」
 検察官「行動情報は」
 証人「構造情報です」
 数分後、検察官が座った。代わって弁護人が立った。
 弁護人「当時、あなたの所属は化学第2研究室だが、何を担当したのか」
 証人「農薬、有害物質、シンナー溶剤、青酸などいわゆる毒劇物の鑑定、研究です。それに環境汚染物質も」
 弁護人「サリンなど化学兵器は」
 証人「当時は我が国に存在するとは思っていなかったので対象ではなかった。しかし、文献を読むなど調査はしてました」
 サリン生成に使ったとされる銅製加熱器からサリン分解物質を検出した経緯を、弁護人は聞いていく。
 弁護人「(分析に使った)核磁器共鳴機ではどのようなことが分かりますか」
 証人「化学構造の結合様式が分かります」
 弁護人「どういう方法で」
 証人「結合の種類や数。どういう順番で結合するかが分かります」
 弁護人「今、サリンの合成方法を言えるか」
 証人「何種類もある」
 証人は化学薬品名を挙げてサリンの合成方法を説明する。弁護人も物質名を並べ、鑑定書の真偽をただす。
 松本被告はじっと目を閉じたまま。専門的な話には全く関心を示さない。だらしなく投げ出したサンダルばきの足を時折組み替え、首筋、耳元、目元をポリポリかき、薄笑いを浮かべる。
 弁護人「松本サリン事件から1年たち、本件鑑定の物質が検出された。(サリン分解物質の)メチルホスホン酸、メチルホスホン酸ジイソプロピル、メチルホスホン酸モノイソプロピルは放置されていても変質しないのか」
 証人「安定と考えていい化合物です」
 弁護人が変わる。
 弁護人「(分析時に、資料用として)サリンを合成していませんね」
 証人「していません」
 弁護人「なぜされなかったのですか」
 証人「施設が十分ではない。施設が都心にありますし、毒性が非常に高い物質ですので、合成しない方がいいと判断しました。あえて危険なことはしない方がいいという判断です」
 弁護人「松本サリン、地下鉄サリン事件以外でも、サリンの鑑定をしたことがあるか」
 証人「横浜駅構内での異臭事件などでやった。山梨県上九一色村のプラントや土の鑑定もやっている」
 弁護人「土はどのあたりのものか」
 証人「私が採取したものではないから分からない」
 弁護人「いつごろか」
 弁護人のしつこい尋問に、証人は嫌悪の表情をみせる。
 松本被告は両手を頭に当て、もぞもぞと口を動かし、関心を示さない。
 弁護人「(サリン分解物質を検出した)鑑定結果から、だからサリンがあったとまでは言えない」
 証人「メチルホスホン酸モノイソプロピルが何かの役にたつことはない。わざわざ使う理由がない。サリンが分離したと考えるのが妥当だ」
 午前11時54分、休廷。


地下鉄サリン事件林泰男被告の反対尋問
 午後1時15分再開。陳述席についた林被告に対して、弁護人は教義のひとつ、タントラ・ヴァジラヤーナ(秘密金剛乗)についてただした。
 弁護人「麻原さん(松本被告)もタントラ・ヴァジラヤーナの修行をしているのでは」
 証人「麻原は『最終解脱者、宇宙は管轄下にある』といっているので、完成されているという認識だった」
 弁護人「地下鉄事件の後、麻原さんから『グルとシヴァ大神と真理勝者にポアされてよかったね』とマントラ(呪文(じゅもん))を言われたといいますが、これはどういう意味か」
 証人「麻原の指示によりこの犯罪が行われ、亡くなられた方のことを言われていると思いました」
 弁護人「どうしてそう思ったのか」
 「うーん……」と黙り込む林被告。顔を上げ「マントラの意味がずばりだったからです」と答えた。
 弁護人は林被告らが松本被告の部屋を訪ねた際、事前に事件の結果などを報告する予定があったのかどうかに質問を移す。
 裁判長が松本被告に「被告人、起きていなさい」と注意すると、松本被告は英語を交えながら何ごとか言い返した。
 弁護人「報告は、実行行為をした林さんの役割では」
 証人「そこにいる中で最もステージが高い者が行うのが通例だった。報告に行こうといったのは杉本(繁郎被告)君ですけど、承認は新実(智光被告)です」
 弁護人「杉本さんはマントラを唱えたの?」
 証人「知りません。私自身は唱えました」
 弁護人「どういう理由で」
 証人「亡くなった方々がよい昇天をしてほしいという気持ちで
 弁護人「1万回唱えたのか?」
 証人「はい」
 弁護人は月刊誌「文藝春秋」に載った林郁夫服役囚の手記から地下鉄サリン事件のころの心理として、「真の愛、真の哀れみを心に抱いていればポアと称した殺人すら肯定しうるのだという心理が実際に存在した」などと読み上げ、どう思うかを尋ねる。
 証人「本心と思う」
 弁護人「あなたの本心は」
 林被告は「えんまさんが罪を清算しない衆生に苦しみを与えて清算する(という)あの世の話は否定できない」。ここで言葉を区切って「出家したある程度の時期はそう思ったが、(地下鉄事件のころは)そう思っていなかった」と答えた。
 質問は教団内の破戒についてに移った。
 弁護人「井上(嘉浩被告)さんが福岡支部長の時、破戒をしたんではないんですか」
 証人「破戒があったと通達はありました」
 弁護人「富田(隆被告)、端本(悟被告)さんが女性と付き合っていることで、殺されたり、それに近いことは?」
 証人「LSDを飲まされて死にそうになったと、富田さんが言っていました」
 弁護人は質問を地下鉄サリン事件の実行時の心境に移す。
 弁護人「客観的にテロ行為だというのは理解していましたか」
 証人「政治的な意味というのであれば、そうではなかったと思っていましたが……」
 弁護人「何人も人が死ぬ。必ず死刑になるとは考えなかったのか」
 林被告はしばらく沈黙し「思っていたと思います」。
 弁護人「破戒を犯して下向しても、必ず殺されるわけではないでしょう。本当に死刑になると理解していたのか」
 証人「村井(秀夫元幹部=故人)がサリンとして作っていたのが、それほどのものとは思ってなかった」

 松本被告は傍聴席の信者の方を向き、右手の人さし指で宙にゆっくりと「無」「罪」と書いてみせる。
3時数分前、裁判長が休廷を告げた。


 3時19分、再開。
 弁護人は営団地下鉄日比谷線仲御徒町駅周辺の地図を取り出した。林被告に(事件直前に)歩いた場所を図示させる。
 弁護人「歩く際にはどのようなことを考えていたか」
 証人「やらなければいけないと……。考えていたというか、堂々巡りが続いていました」
 弁護人「逃げようとは思いませんでしたか」
 証人「あったともなかったとも言えると思いました」
 弁護人「なぜ逃げようと思わなかったか」
 証人「逃げられないという思いがありました」
 松本被告が、何か英語らしき言葉を弁護人に向かって話すが、弁護人は無視して尋問を続ける。
 弁護人「(ホームの)反対の方向に行こうと思ったのは?」
 証人「じっとしていられなくて」
 弁護人「なぜ、じっとしていられなかったんですか」
 証人「いたたまれなくなってしまって」
 弁護人が交代した。
 弁護人「一面では断ることは出来ないというが、麻原さん、村井さんの期待した行動をとったのでは」
 証人「自分の中でそのような思いはなかった」
 弁護人「信頼を得ようという意識はなかったのか」
 証人「ええ」
 弁護人「麻原さんが指示したかは最大の問題だが、あなたが、麻原さんの指示があったと考えるなら、それを前提に聞きますが、麻原さん、村井さんはあなたが期待通りの行動をとってくれるだろうと、あなたを指名したのか」
 林被告は「麻原に聞いて下さい」ときっぱり言う。松本被告は目をつぶったままで、聞いているかどうかも分からない。林被告は「私は不満分子だった」と補足する。
 弁護人は「(不満分子に)これほど重要な行為を頼むのか」と聞き返す。林被告は「他の事件でも、そのような形で犯行に加えられた人は非常に多いと思う。麻原は普通の考えはしない」と述べた。
 弁護人「麻原さんの判断だと思ったのは?」
 証人「記憶にはあるけど、具体的な情景や言葉は浮かびません」
 尋問は教団の意思決定に松本被告がどこまで関与していたのかに移っていく。
 弁護人「麻原さんがトップにあることは間違いないが、麻原さんの指示ですべてが決まっていくというのは考えられない。幹部と話しながら意思決定することもあるのでは」
 証人「そういう面もあります。側近と言われた人たちが意見を出していた」
 弁護人「村井さんはイエスマンと証言する人がいるが、村井さんが何かを提案して、麻原さんが決める、ということがあったのでは」
 証人「そういうパターンもあると思う。ただ、何もないところから村井さんがプランを立てるというのは考えにくい
 弁護人「麻原さんは絶対的に見えるかもしれないが、側近からの情報に基づいて何かを決めるという体制になっていたのでは」
 証人「枝葉の部分についてはそうです」
 「地下鉄サリンも、側近から出た話ということもあるでしょう」。弁護人の質問は核心に入る。
 林被告はしばらく考え込み「当時はそのように思わなかった」と答える。
 弁護人「井上さんが計画を立てた、と中川(智正被告)さんが証言している」
 証人「そうなら、井上君の一連の行動は一貫性はあるが……だからといって、麻原の意思がこの件に反映していない、という見方はできません」
 弁護人が交代する。
 弁護人「(事件後)第6サティアンで麻原さんに会った時間は」
 証人「10分ぐらいと思います」
 弁護人「ねぎらいの言葉はなかったのか」
 証人「よくやったね、ご苦労さん、という程度はあったと思います」
 弁護人「1995年1月1日の新聞報道で、サリンでやればオウムだと思われることは分かっていたんでしょ」
 証人「他の者は違うかもしれませんが、私はそう思っていました」
 弁護人「教団の尊師がそんなことに気づかないはずはない」
 検察官が異議を唱えると、弁護人は「意見を聞いただけです」と応じた。
 弁護人「あなたは納得できますか」
 証人「一生、納得できないと思います。多くの人を苦しませ、死に至らしめた現実は変わりません」
 弁護人「いいや、強制捜査が1カ月延びることに納得できますかと聞いてるんです」
 検察官「異議あり」
 5時を回り、裁判長が「もう終わったらいい」と口をはさむ。
 証人「納得するもしないもそれ以前の話です」
 林被告への尋問は終わった。続いて尋問が予定されていた藤永孝三被告が入廷し、「明日のトップバッター(の尋問)でいいですね」と裁判長から告げられる。藤永被告は「わかりました」と答えた。
 5時15分、閉廷。