松本智津夫被告第86回公判
1998/7/3
(毎日新聞より)



オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第86回公判は3日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、松本サリン事件に絡みサリン噴霧車を作製したとされる藤永孝三被告(37)に対する弁護側の初めての反対尋問が行われた。藤永被告は「多くの信者が事件にかかわったのに、(松本被告は)ちゃんと説明をしていない」と、かつての“教祖”を批判した。傍聴希望者はとうとう3ケタを割り込み、これまでで最少の94人になった。
 ◆出廷者◆
裁判長:阿部文洋(53)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検察官:西村逸夫(47)=東京地検公判部副部長ら3人
弁護人:渡辺脩(64)=弁護団長
    大崎康博(64)=副弁護団長ら12人
被告:松本智津夫(43)
検察側証人:藤永孝三(37)=元教団「科学技術省」次官


◇藤永被告弁護側反対尋問
 午前9時57分。松本被告は6人の刑務官とともに、法廷に姿を見せた。紺色のポロシャツにズボン。肩にふけが落ちている。
 裁判長の「開廷します」の声で、藤永被告が陳述席に。松本被告はだるそうに左手を頭にやり、右手を左胸に当てている。
 弁護人が「松本サリンでは殺人ほう助と殺人未遂ほう助……」と起訴罪名を確認しても、藤永被告は返事をしない。
 裁判長が「質問はいいんですね」、弁護人も「緊張してますか」と“助け舟”を出すと、証人は「上がってました」と答えた。
 弁護人は証人が逮捕された時の状況を聞いていく。検察官が「主尋問の範囲外ですので」と異議をとなえた。「簡単に」と裁判長。
 弁護人「教団から派遣された弁護士に依頼はしなかったか」
 証人「しなかった」
 弁護人「理由は」
 証人「教団から離れたところで、自分を見つめたいと思って」
 弁護人「いつ脱会しようと思ったんですか」
 証人「1993年暮れごろから」
 弁護人「軽犯罪法違反で逮捕された時に、脱会できると考えたか」
 証人「ええ。ようやくこれで脱会できると」
 弁護人「理由は」
 証人「多くの事件にかかわっている人たち、麻原彰晃こと松本智津夫、その人たちを見て、自分として脱会したうえで考え直さないといけない」
 分かりにくい証言に、弁護人は首をかしげる。
 弁護人「犯罪にかかわったことを見てということか」
 証人「ええ。多くのサマナ(出家信者)が事件にかかわった。教団のトップは船長。
針路、方向を決めるが、破壊活動防止法の手続きのときの答弁もちゃんとあるべきだったのに、それが見えてこない」
 弁護人「犯罪に対するきちんとした答弁がないということか」
 証人「そうです」
 弁護人が次の質問に移ろうとした時、藤永被告は「ちょっとすいません。心が乱れているので時間をください」と告げた。
 松本被告は証人をとがめるかのように何事かブツブツしゃべり出し、弁護人が背中をこづいて注意する。
 弁護人「教義が事件につながったと思うか」
 証人「私は逆ではないかと思います」
 弁護人「どういうことですか」
 証人「道具として教義を使ったと思います」
 弁護人「どうして入信したのか」
 証人「関心を抱く前に、自分に対して現象が起きて、体験していることがあって、数々の疑問があった。それを突き詰めていく気持ちと、超能力に興味があった」
 弁護人「出家の時の担当者はだれですか」
 「異議。関連がない」と検察官。弁護人は質問を変え、松本被告と会った時の印象を尋ねた。 証人「今とは全く違う」
 弁護人「印象が変わったということですね」
 証人「言うまでもない」
 松本被告がつぶやきはじめた。黙り込む藤永被告。
 弁護人「平成7(95)年7月にスワミ(教団の階級の一つ)になりましたね」
 検察官がまた異議をとなえた。弁護人は突然「経歴を聞くのは当たり前じゃないですか」と怒鳴った。
 弁護団長をはじめ3人の弁護人が次々と立ち上がり、「検察官だって主尋問で経歴を聞いたじゃないか」「検察官は尋問を妨害している」「答えろ、検察官」と口々に叫んだ。法廷はしばし怒号に包まれた。
 裁判長が「もっとうまく聞いてくださいね」と引き取る。
 弁護人「平成6(94)年7月に愛長(教団の階級の一つ)になりましたね」
 証人「ええ」
 弁護人「これは松本サリン事件の後ですか」
 証人「ええ……いや、前かな、はっきりしない」
 弁護人「サリン噴霧車を製造して階級が上がったのか」
 証人「わかりません」
 松本被告は退屈げに、横に座った刑務官に何事か話しかける。
 弁護人「コスモクリーナー(空気清浄器)は、毒ガス攻撃に対するものか」
 証人「毒ガスを受けているという話は、うわさと説法で聞いたが、その目的で作ったという記憶はない」
 弁護人「説法をどう思ったか」
 証人「疑問に思う部分と信じる部分で、複雑な気分だった」
 松本被告は宙に何か文字を書いた後、眠り始めた。
 午後0時2分、休廷。


 1時15分、再開。藤永被告は陳述席に座るまでの間、松本被告を見つめた。
 弁護人「麻原さんと一緒にガス攻撃を避けるために避難したことは」
 証人「ないと思う」
 弁護人「毒ガス攻撃を受けているという説法を聞いたことがあると言ったが、だれから受けたのか」
 証人「フリーメーソン」
 弁護人「だれから聞いたのか」
 証人「ロシアからのラジオ放送で」
 弁護人「麻原さん自身がラジオに出ていたのですか」
 証人「テープでないかと思います」
 弁護人「94年10月ごろ、『尊師の命が狙われている』と杉本(繁郎被告)さんに言われて警備班に入ったのですね」
 証人「はい」
 弁護人「命が狙われていることについて、どう思ったか」
 証人「半信半疑。選挙の時に、狙われているというのを初めて聞いた」
 弁護人「選挙というのは平成2(90)年の衆院選ですか」
 証人「はい」
 松本被告のつぶやきが始まり、裁判長が「被告人ねえ、起きればすぐしゃべるのやめてください」と強い口調で注意した。
 弁護人「(噴霧車の毒ガスは)どの程度危険なものだと認識していたのか」
 証人「危険かもしれないと思っていた」
 弁護人「松本事件で使われた噴霧車以外に造ったことがあるか」
 証人「はい」
 弁護人「松本事件での噴霧車は加熱式だったが、90年6月に造った噴霧車はどんな方式だったのか」
 証人「記憶にありません」
 弁護人「何のために造ると言われていたのか」
 藤永被告は「覚えていない」を繰り返した。
 弁護人「松本事件に使われたものではないが、93年5月20日、清流精舎で噴霧車の製造にかかわったことは」
 証人「4トン車に噴霧器を載せました」
 弁護人「だれからの指示か」
 証人「マイトレーヤ師です」
 弁護人「上祐(史浩被告)さんですか」
 証人「そうです」
 弁護人の質問は教団内における、松本被告の人事権限に移った。
 弁護人はある男性信者の名前を挙げた。
 証人「マットチーム(教団のアニメーション製作部署)から建築班に来た」
 弁護人「だれの指示か」
 証人「最終的に松本が指示を出したと思う」
 弁護人「麻原さん以外に独自に人事を決定することはないのか」
 証人「ないと思う」
 午後3時過ぎ、休廷。


 3時23分、再開。
 弁護人「教団に省庁制度ができた時、あなたは科学技術省の次官でしたね」
 証人「はい」
 弁護人は、科技省の他の次官の名前を証人に尋ねた。林泰男被告ら7人の名が挙げられた。次官同士の役割分担や、序列についての質問が続く。
 弁護人「次官に決めたのはだれか」
 証人「村井(秀夫・元幹部=故人)さんだと思う」
 弁護人「麻原さんではないか」
 証人「村井さんが上げて、OKが出たのではないか」
 この後、弁護人は新実智光被告の調書などを引き、松本被告ではなく、大臣である村井元幹部が決定したのではないか、との質問を繰り返す。証人は「大臣が選んで松本被告が決めた」と証言。裁判長は「もういいじゃないですか」とうんざりした様子だ。
 弁護人は「村井さんは、いろんなものを作るよう指示し失敗した、ということをいろんな人が言っている。知っているか」と述べ、飛行船、潜水艦、レーザー、地震兵器、空中浮揚ざぶとんなどの例を挙げた。
 証人「部分的には聞いたことがある」
 弁護人「村井さんから期限を切られて仕事を指示されたことはないか」
 証人「あります。松本サリン事件の前に作った最初の噴霧車では、1週間で作るようにと」
 弁護人は教団内で使われていた「村井時間」という言葉の意味をただした。
 証人「マンジュシュリー(村井元幹部の宗教名)タイムと呼ばれていた。大幅に計画時間がずれてしまうことだ。例えば、松本から村井さんに『1週間、2週間でやれ』と言われて、村井さんは『やります』と言うが、できないことが多い。松本自身がマンジュシュリータイムと呼んでいた」
 弁護人「(サリン)ガスの名前をサッチャンとつけ、マスタードはおでんと呼ばれていたが聞いたことは」
 証人「おでんはない」
 弁護人が交代。
 弁護人「藤永さんは昭和63(88)年4月に入信し、5月には出家している。その時の目標は」
 証人「改めて精神的なことを向上させると認識していた。自分も求めているものが分からないし、それを改めて見つめたかった」
 弁護人「出家した当時はそのように考えていたというなら、『公にできないワーク』も修行のひとつと思うようになったのはなぜか」
 証人「グルに対する、敬意の表れです」
 弁護人「それは、どういう教義に基づくものか」
 証人「そうですねえ……」。藤永被告はしばらく考えたあと、長い証言を始めた。「帰依には段階があって、心における帰依、言葉としての帰依などがあります。最終段階の帰依は身において……すべてのことにおいての帰依であり……そこは秘密金剛乗と重なるところだと思います」
 弁護人「(秘密の労働奉仕の)シャンバラの作業、今の時点ではどういう中身だか分かっているのか」
 証人は「はっきりとは分からない」と述べ、自分がかかわった作業内容を、溶接とスポンジの切り出し、配管など、と証言。全体として簡単なプラントのようなものだった、と述べた。
 弁護人「シークレット(の労働奉仕)と言われて、それが犯罪にかかわることという認識はあったか」
 証人はやや詰まって「えー、それ、分かりません」
 弁護人「最初のシークレットワーク(労働奉仕)は平成2(90)年のシャンバラ、場所はどこだったか」
 証人「阿蘇です」
 弁護人「何を作るプラントかはわからないか。細菌を培養する設備か」
 証人「分からないから、そういうものかなと思った」
 弁護人が交代。弁護人の質問はシークレットワークに集中する。
 弁護人「90年8月26日から京都に行き、9月24日に富士に戻っている。これが最初のシークレットワークだが、これ以降にも指示はあったのか」
 証人「あったと思う。あったから、今がある」
 この言葉に、藤永被告の悔悟の念を感じ取った弁護人は「悔やんでいる、という意味か」とたたみかけたが、証人は「まあ」と言ったまましばらく押し黙った。
 弁護人「村井さん以外にシークレットワークの指示をされたことはないか」
 証人「シークレットという言葉を使ったかどうか分からないが、上祐さん」
 弁護人「何を指示されたのか」
 証人「車の製作」
 弁護人「噴霧器のことか」
 証人「はい」
 法廷の時計が5時近くになったことを確認した弁護人は「ここで一区切りしたい」。
裁判長は「よく準備して分かりやすい質問を頼みます」と弁護団に注文した。
弁護人は「毎回、努力してますよ」。
 4時58分、閉廷。