松本智津夫被告第87回公判
98/7/17
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第87回公判は16日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、松本サリン事件で噴霧車の製造にかかわったとされる藤永孝三被告(37)に対する弁護側の2回目の反対尋問が行われた。藤永被告は「(教団の作業である)ワークは(松本被告の)指示と意思だと考えていた」と述べ、噴霧車製造も松本被告の命令という受け止め方をしていたと証言した。傍聴希望者は131人だった。
◆出廷者◆
裁判長:阿部文洋(53)陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検察官:西村逸夫(47)=東京地検公判部副部長ら3人
弁護人:渡辺脩(64)=弁護団長
大崎康博(64)=副弁護団長ら11人
被告:松本智津夫(43)
検察側証人:藤永孝三(37)=元教団「科学技術省」次官
(敬称・呼称略)
午前9時58分、紺色ジャージー姿の松本被告が法廷に入ってくる。続いて弁護団も入廷し、黒いスーツ姿、短髪の藤永被告が陳述台に向かう。「前回に続いてお聞きしますが……」と弁護人の尋問が始まる。
弁護人「あなたは1988(昭和63)年4月に入信し、5月に出家したが、その時は教団にシークレット、公にできない仕事があるとは考えていなかったと証言している。90年にはこれらの仕事をグル(松本被告)に対する帰依の一つと考えるようになったと。シークレットも修行と考えていた?」
証人「それも作業の中に含まれている。修行の一つでした」
弁護人「教義について最初に疑いをもったきっかけは」
証人「シークレットが結果的に何かはよく分からない。方向性が分からず、自分に与えられるワーク、指示がはっきりしてこない。なんだかよく分からなくなってしまった」
弁護人「教義への疑問は強まっていった」
証人「いろいろなワーク、仕事に関する疑問と、松本、麻原の……生活、ワークに対する松本、麻原の答弁が……教義をひっつけたような、道具と言うか、行為に教義をひっつけているような感じを受けた」
弁護人「あなたは道具、という言葉を使っているが、具体的には」
証人「道具というのは、ある目的の達成のために用いる器具。目的に必要な行為に教義をあてはめていた」
弁護人「疑問が強まった理由を端的に」
証人「94年の初めごろ、第2サティアンで食事会兼説法会があった。その時に、松本が質問に答えるというので、私が疑問に思っていたことを質問したが、松本は答えなかった。疑問は当時教団が信徒を無理に出家させていたことです」
弁護人「教義を信じなくなったのか」
証人「すべてを否定していたわけではない」
弁護人は94年7月に教団内の階級の一つ「愛長」に昇進したことを指摘して、その理由を聞いた。
証人「与えられるものを拒む理由はない」
弁護人「疑問を抱きつつも、信じている状態だったのか」
証人「信じられる部分もあるし、明らかに信じられない部分もあった」
脱会の意思はあったという藤永被告が、逮捕されるまで脱会しなかったことについて、弁護士は細かく尋ねていく。
弁護人「95年になって地下鉄サリン事件があって、教団への強制捜査があった段階で脱会しようという気にはならなかったんですか」
証人「地下鉄サリン事件は教団がやったものとは思わなかったから。今から思うと恥ずかしいですが、外的な力がオウムをおとしめてやっていると思っていましたから」
弁護人が交代する。
弁護人「噴霧車製造にかかわっていたほかの信者は『一般紙も有害だと思い読まなかった。テレビを見たのは尊師が出演した朝まで生テレビだけ』と供述している。外部からの情報をどうやって得ていたのか」
証人「宅地の造成時の、近所の人へのあいさつ、それと役所の人とも話をします。
上九(一色村)の人たちは、教団に対して悪感情を……当然かもしれませんが」「松本市の場合は、生コンを搬入する場合に住民の人たちが非常に反対していました。そうかと思えば、業者の人は……利益関係だからそうなのかもしれないが、『がんばれ』
と言われたこともあった」
松本被告は左手を頭の上に置く姿勢を続けている。
弁護人「噴霧車製造にかかわった時、ちゅうちょする気持ちは」
証人「ちゅうちょは逆になかったと思います」
弁護人「社会の人のいろいろな話を聞いていれば、製造に関与することはなかったのでは」
証人「より掘り下げていれば、(関与し)なかったと思います」
弁護人「ワークを拒んだ場合、不利益、制裁があると考えたか」
証人「あった。潜在的にありました」
弁護人「過去に、制裁を見た?」
証人「ワークを拒むというよりも、気を使い過ぎて不必要なことをやり過ぎて、という場合はありました」
弁護人「いろいろワークをしているが、被告人への帰依が根底にあったと理解していいのか」
証人「全くなかったというわけではない」
弁護士は93年12月中旬に中央自動車道のパーキングに噴霧車を回収しに行った経過を詳細に尋ねる。
弁護人「回収は杉本(繁郎被告)さんから直接言われた?」
証人「はい」
弁護人「何に使われたかは言われなかった?」
証人「そういう危険性については何も」
弁護人「杉本さんから言われなくても、少なくとも噴霧車だということは分かった?」
証人「何かな、とは思いました」
つぶやき続ける松本被告の声と、弁護人、証人の声が入り交じって奇妙な男性三重唱が展開していく。傍聴席の最前列では、両手で印を結んだ若い女性が松本被告の方に身を乗り出した。
午後0時8分、休廷。
1時20分、再開。
弁護人は、噴霧車製造の経緯を確認していく。
弁護人「噴霧車を何に使うか、説明はあったか」
証人「聞いていない」
弁護人「その数年前に噴霧車を作ったときは、目的を聞かされていたか」
証人「はっきりしたものはなかった」
飽きてきたのか、松本被告は弁護人を見上げながら不満げな表情でぶつぶつとつぶやき、手で顔を覆ったりしている。
弁護人「最初に村井(秀夫元幹部=故人)さんに指示された時、製造グループの名前を聞きましたか。それはだれですか」
藤永被告は、林泰男被告ら教団科学技術省にいたメンバーの名前をあげた。
弁護人「指示を受けた時は省庁制の前ですが、メンバーのだれが一番上か」
証人「村井さん」
弁護人は松本被告の「指示」について尋ねる。
弁護人「村井さんはこのワークは尊師の指示と言ったか」
証人「それは聞いていない」
弁護人「麻原さんの指示があると思ったのか」
証人「ワーク自体は(尊師の)指示と意思だと考えていた」
弁護人「どんなワークでもか」
証人「細かい作業は別だが、方向性はそう」
弁護人「それはどうして」
証人「教義だから」
弁護人「94年6月初旬に噴霧車を作るよう指示されてから、作業を開始するまでどれくらいの期間があったか」
証人「2、3日か、数日あった」
弁護人「作業で村井さんが指示を出すことがあったか」
証人「はい」
弁護人は、役割分担を確認しながら、「ほかの人の調書を見ると、あなたが現場責任者だと言っている人がいる」と尋ねた。
証人「そうですか」
弁護人「そういうつもりはなかった?」
証人「そうですけど……」。声が消え入りそうだ。
聞き取れない発言を続ける松本被告を、裁判長が注意する。弁護人が「6月初旬に噴霧車製造の指示があって……」と言った時、藤永被告は「(松本被告が)うるさいの分かりますよね」と弁護人にクレームをつける。苦笑しながら「分かります」と弁護人。
弁護人「……指示があって、どのくらい後に一時停止の指示が出たのか」
証人「2、3日、フレームができた時点で」
弁護人「調書では、3台の製造を一時ストップしているが、これは中止?」
証人「言葉通り、中断ということ。最終的には作業した」
弁護人「(作業)再開後、作業に関与した?」
証人「多くは関与していない。取り付け作業に助言したり、ボルトの取り付けを手伝うとか」
弁護人「噴霧車は完成した?」
証人「したと思う。(噴霧器を)載せたトラックを見たことはある」
弁護人「噴霧器は結局どうなった」
証人「アルミコンテナ内の機器解体と同じ時期に解体した」
3時3分、休廷。
3時20分、再開。
弁護人「あなたが松本サリン事件を知ったのはいつか」
証人「取り調べの段階、ですか」。人ごとのような言い回しで答える。「教団がそういう状況にあったとは、それまで分からなかった」
弁護人「教団とのかかわりに関係なく、松本で事件があったということを知ったのは」 証人「その以前。何かの掲示物か、あるいはスタンドに行った時に報道されていた」
弁護人「どう思った?」
証人「教団と関係あるのかな、と怖くなった」
弁護人は、噴霧車製造の指示が6月初旬にあったという証言に戻り、疑問を呈したあと、作業手順を確認する。
弁護人「作業の流れは」
証人「まず、銅容器の溶接を始め、途中で車が入ってきた。その車のフレームの製作が先だったと思うが、それと同時に私の溶接が進んだ。そのうち電気屋さんの作業ができるようになって、1週間ほどで完成した」
弁護人「村井さんが見に来ることはありましたか」
証人「はい」
弁護人「頻繁に?」
証人「1日に1回ぐらい」
弁護人「せかしたりすることは」
証人「なかった」
弁護人「麻原さんが来ることは」
証人「ないです」
検察側によると、噴霧車は、普通貨物自動車の荷台に送風扇、ヒーター内蔵の銅製容器、バッテリーなどを設置し、電気配線をして、サリンを加熱して発散させる構造だった。弁護人は、こうした構造について細かく尋ね、図を描くよう求めた。藤永被告に紙とペンが手渡される。
藤永被告は「図は、新聞に載るのですか。前回、私の描いたフレームの図が新聞に載りましたが……」と問い掛けた。
弁護人「えっ。そんなことはありませんよ」。弁護人席がざわつく。
裁判長「裁判所は出しませんよ」
「前回描いたのはこれでしょう」。弁護人は1枚の紙を示して聞いた。「まるっきり同じ物でしたか」。藤永被告は「同じでした」と淡々と答える。
4時20分。閉廷時間に近付いた審理が、また停滞しそうな様相だったが、阿部裁判長が「そういうことは、あり得ませんからね」と述べて、その場を収めた。
6分ほどで描き上げた図は、弁護人の手から裁判長に渡り、弁護人の手元に戻った。しばらく構造についての質問が続き、時間がきた。
裁判長「証人に対しての尋問はこれで終わるということでいいですね」
弁護人「いや、そんなことはない」
裁判長「私が聞いた時にうなずいていましたよ。それと、もっと分かりやすい質問をしてください。関係する質問、証人が分かる質問を」
弁護人「努力します」
裁判長「努力だけでなく結果を示してください」
5時9分、閉廷。