松本智津夫被告第92回公判
98/10/1
(毎日新聞より)

 ◇証言に関心示さぬ被告…地下鉄サリン・松本サリン両事件−−医師4人に尋問
 ◇「普通の住居じゃ起こり得ない」
 ◇眼痛、のど痛など…看護婦10人に症状



 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第92回公判は1日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、地下鉄サリン事件と松本サリン事件で犠牲者の死因の鑑定や被害者の治療に当たった医師らに対する尋問が行われた。傍聴希望者は114人だった。

 ◆出廷者◆
裁判長:阿部文洋(53)
陪席裁判官:(49)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(36)
検察官:西村逸夫(47)=東京地検公判部副部長ら4人
弁護人:渡辺脩(65)=弁護団長
    大崎康博(64)=副弁護団長ら11人
被告:松本智津夫(43)
検察側証人:高取健彦(59)=東京大法医学教室教授
      鈴木順(32)=松本協立病院医師
      福島弘文(51)=信州大法医学教室教授
      薄井 尚介(57)=城西病院医師
      (敬称・呼称略)


 朝からの雨による交通渋滞で松本被告の到着が遅れ、前回に続き公判の開始が予定より大きく遅れた。午前10時35分、松本被告が入廷した。紺色のトレーナー姿。着席するなり、きょろきょろと廷内を見回す。
 高取健彦・東大医学部法医学教室教授に裁判長が「どうもお持たせしました。それでは宣誓に従って証言を」と声をかけ、10時38分開廷した。高取氏は昨年10月17日の第54回公判に続く約1年ぶりの出廷だ。
 検察官の質問に対し、高取氏が鑑定書の誤記部分を訂正していく。その後、地下鉄サリン事件で重体となり、意識不明のまま事件から1年3カ月後の1996年6月に亡くなった岡田三夫さんに関する尋問が始まった。
 検察官「岡田さんは敗血症が直接の死因とされていますが、以前の資料は何かありましたか」
 証人「臨床医が書いたカルテがありました」
 検察官「それによると、平成7(95)年3月20日の時点で有機リン系の毒物中毒だったんですね」
 証人「そうです」
 検察官「どういう症状ですか」
 証人「縮瞳(しゅくどう)、血液中のコリンエステラーゼ値の極端な低下などです」。高取氏が、岡田さんのカルテに書かれていた病院搬入時の症状を説明する。
 検察官「岡田さんの中毒の程度は?」
 証人「心肺停止、意識消失で極めて重篤な状況。意識レベルは、刺激を与えてもまったく反応しない『3―300』と、刺激を与えると顔をちょっとしかめる『3―200』との間で推移した、とカルテに書いてありました」
 松本被告は目を閉じたまま顔をやや上に向け、尋問には関心なさそうにただじっとしている。
 検察官は有機リン系中毒と直接の死因となった敗血症との関係について、質問を続けた。
 検察官「敗血症になっていたと思わせることがカルテに書いてあったか」
 証人「患者は96年6月11日に死亡したが、数日前からMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)プラスと書いてあった」
 検察官「プラスというのはどういうことか」
 証人「この感染症が敗血症のベースを作ったということだ」
 検察官「有機リン系中毒による意識障害が原死因だったのではないか」
 証人「人工呼吸器から脱出できない状態だった。搬入された際、心拍機能停止だったためだ。意識障害を引き起こしたことが、敗血症を誘発した」
 検察官「有機リン系の毒物を特定できるか」
 証人「患者は1年数カ月入院しており、解剖から検出はできなかった」
 検察官「サリンとすれば、矛盾はあるのか」
 証人「ありません」
 裁判長が高取氏に弁護側反対尋問が行われる期日を11月20日と告げ、11時14分に主尋問が終了した。
 証人が松本協立病院医師の鈴木順氏に交代し、松本サリン事件に関する審理に移った。6月5日の第82回公判で行われた鈴木氏への検察側主尋問を受けて、弁護側の反対尋問が始まった。
 弁護人はまず、松本サリン事件翌日の94年6月28日に松本協立病院にいた医師の数を尋ねた。
 証人「23人か24人だったと思います」
 弁護人「18名の入院患者に対し、担当した医師は?」
 証人「カルテを記載した医師は3名ですが、内科の医師全体で治療方針を決定したので全部で5名です」
 弁護人「だれを最初に診ましたか」
 証人「最初は河野義行さんでした」
 弁護人「診断書は事件のほぼ1年後に作成されていますが、なぜこの時期に?」
 証人「警察に依頼されたからだと思います」
 弁護人「依頼の内容は?」
 証人「当時の被害状況を記載してほしいと」
 弁護人「裁判上の証拠として提出されることを聞いていましたか」
 証人「聞いていました」
 弁護人「『生命の危険がある』というのは義行さんの初診時の印象ですか」
 証人「そうです」
 弁護人「生命の危険があったのはいつごろですか」
 証人「2日間くらいだと思います」
 弁護人が看護記録を取り出し、証人に歩み寄る。開廷から1時間を経て、傍聴席には居眠りする人の姿も目につく。「起きてください」。裁判所職員の小声が法廷に響いた。

 弁護人「看護記録の2枚目に『警察は何度も同じことを聴く』という記述がありますが、これは生命の危険があったにもかかわらず、義行さんに警察の人間が話を聴いていたということですか」
 証人「そうです。6月28日の午前中から、話ができる状態の人は事情を聴くということが行われました。ただ、病院は義行さんを重篤として管理していました」
 弁護人「主尋問で言ってた『生命の危険』が真実かどうか疑問だな」
 証人「ベッドで横になったまま、話を聴かれました。症状の原因が明らかになることが大事だったということです」
 11時55分、休廷。弁護人2人が松本被告に何かを話しかけると、松本被告は一瞬にやりと笑った。


 午後1時16分、再開。松本被告はうつむきかげんで、伸びた前髪が顔にかかり表情はうかがえない。
 鈴木氏への反対尋問はいったん中断され、松本サリン事件の犠牲者の遺体を解剖した福島弘文・信州大医学部法医学教室教授に対する検察側主尋問が始まった。
 検察官「心臓血からメチルホスホン酸、メチルホスホン酸ジイソプロピル、メチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されましたね」
 証人「その通りです」
 検察官「サリンによる中毒死とした根拠は?」
 証人「コリンエステラーゼが正常値の下限よりかなり低い。それから、血中からメチルホスホン酸などが検出されました」
 検察官「解剖での所見はどうだったのですか?」
 証人「縮瞳がある。こういう症状は毒物による急死ということがあります」
 「ゴホ、ゴホ、ゴホ」。のどに何か詰まったのか、裁判記録をとる女性が急にせき込み始め、止まらなくなった。苦しそうに口を押さえながら「続けてください」と言うが、裁判長は「と言っても……」と困惑した表情を見せる。交代することになり、代わりの職員が着席するまで約2分間、審理が止まる。法廷内は時が止まったように静まり返った。1時40分、審理が再開された。
 検察官「メチルホスホン酸などが検出されたことからどう考えられたか」
 証人「サリンによる中毒死と判断していい」
 裁判長が弁護側反対尋問を11月5日に指定し、福島氏は退廷した。1時57分、城西病院医師の薄井尚介氏が証言に立った。
 検察官「松本サリン事件で城西病院には何人入院したか」
 証人「11人です」
 検察官は、事件の被害に遭った城西病院の元職員について尋ねる。
 証人「協立病院からかなりの重症で転院してきた」
 検察官「症状は?」
 証人「瞳孔が縮小し、かなり汗をかいていました。精神的にも不安、不眠、頭が痛い、脱力感がありました。瞳孔は左右とも2ミリ、コリンエステラーゼ値は入院当時49で、協立病院にいるときは12でした」
 検察官「12という数値はどんなものですか」
 証人「非常に極端な異常値です。20でも死に至った人がいました」
 検察官「症状をどう判断しましたか」
 証人「急性サリン中毒と考えました。家の近くでサリンが見つかったと警察の発表があったからです。有機リンだと簡単に手に入るのは農薬ですが、農薬の場合飲まないとこんな症状にはなりません。多くの人が同じ症状を訴えていました。こんなことは化学工場でもない限り、普通の住居じゃ起こり得ません」
 検察官「平成7(95)年1月12日まで10回にわたり通院して治癒したことになっている。その後も通院したことはなかったのか」
 証人「しています。今までなかった貧血の治療をしています。サリンとは無関係かもしれません」
 検察側主尋問が終わり、薄井氏は2時25分、退廷した。2時28分、午前中に続き鈴木氏が入廷し、弁護側が反対尋問を再開、河野義行さんの初診時について質問した。
 弁護人「義行さんの最初の所見では、縮瞳、発汗、発熱があったと(主尋問で)言われましたが、発汗は間違いないですか?」
 弁護人は事件直後の医師記録、看護記録に「発汗」の記載がないことを指摘し、鈴木氏に再三確認した。鈴木氏は「まず事実として発汗はありました。記載がないことについては記載漏れだと思います」と語気を強めた。そしてカルテを示して「合わせて2500CCを点滴しています。発汗があったので、脱水症状があるとみて点滴し
たのです」と反論した。弁護人はようやく発汗についての追及をやめた。
 弁護人「河野義行さんについて、最終的にサリン中毒で診断書を作成した理由は? 症状は他の有機リン系中毒と違う点があるのか」
 証人「症状としてはない」
 弁護人「縮瞳、コリンエステラーゼ活性値の低下、発汗などは有機リン中毒と言えても、サリンかどうかは症状だけで判断できないのでは?」
 証人「その通りです」
 2時53分、休廷。


 3時15分、再開。
 弁護人「河野澄子さんは義行さんと一緒に搬送されてきたのですね」
 証人「はい」
 弁護人「澄子さんを診察したのは、当直の医師を引き継いだ(28日)午前8時5分ごろですか」
 証人「9時ごろ診察しました」
 弁護人「澄子さんが搬送されてきたのは27日午後11時半ごろ。証人が診察するまで9時間ぐらいあるわけですね。その間の検査、治療は?」
 証人「当直の医師と、緊急ということで計5人の医師があたりました」
 弁護人はサリンの解毒剤PAMを最初に使用した時間について尋ねた。
 証人「28日午前10時です」
 弁護人「あなたを責めているのではありませんが、澄子さんに対するPAMの使用は10時間経過しています。どうしてですか?」
 証人「中毒原因がわからなかった。それが一つです。それから……」
 弁護人「まず一つでいいです。あなたが出勤する前の当直の医師たちは、どう考えていたのですか?」
 証人「有機リン中毒が疑わしいとは考えました」
 弁護人「PAMなどの使用については、あなたが病院に着いた28日午前8時以降になって、投与しようとなったのですね」
 証人「そうです」
 弁護人「二つ目は?」
 証人「二つ目にPAMに副作用があるからです」
 弁護人「どんな?」
 証人「呼吸停止することがあります」
 弁護人「有機リン中毒のどんな原因のときに呼吸が停止するのですか?」
 証人「あ、河野澄子さんのケースですか?」
 弁護人「そうです」
 証人「呼吸停止というのは一般的なことです。血液中のバランスが崩れると言われます。有機リン系らしいとは判断しましたが、経験したことがない中毒で、PAMを使うことで悪化する可能性もあると思っていました」
 弁護人「PAMが投与されたのは河野澄子さんだけのようだが、200人以上患者が出たのになぜ他の人に使われなかったのか」
 証人「PAMを使うのは常識だが、未知のものを使うことをちゅうちょした」
 弁護人「看護婦10人に2次汚染の症状が出たというが、具体的には?」
 証人「眼痛、のど痛、周囲が暗く見えるなどです」
 弁護人「医師には症状は出なかったのか」
 証人「1人も現れなかった。10人の看護婦の共通点は、患者さんの衣服等を実際に触って処理している」
 弁護人の質問は再び河野澄子さんの治療に戻る。
 弁護人「一般的な治療方法を試みた方がよかったのでは?」
 証人「河野さんの場合はPAMを投与することによって改善するとは考えられませんでした」
 弁護人「6時間以内に投与しなければ遅いのでは?」
 「有機リン中毒の場合に問題になるのは呼吸がマヒして死亡することですが、河野さんは既に呼吸が止まっていました。わかりますか?」。延々と続く反対尋問の意図をはかりかねたのか、鈴木氏がややいらだった口調になった。

 弁護側反対尋問が終わり、4時44分、閉廷。