松本智津夫被告第104回公判
1999/1/28
(毎日新聞より)



 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第104回公判は28日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、地下鉄、松本両サリン事件や元信者リンチ殺人事件に関し、医師や警察官、教団元幹部らに対する尋問が行われた。松本事件で実行犯の1人とされる遠藤誠一被告は、事件報道を見た松本被告が「まだ原因が分からないみたいだな。うまくいったみたいだな」と話した様子を証言した。傍聴希望者は150人だった。

裁 判 官:阿部 文洋(53)
陪席裁判官:(49)
陪席裁判官:(41)
補充裁判官:(36)
検 察 官:西村 逸夫(47)=東京地検公判部副部長ら8人
弁 護 人:渡辺  脩(65)=弁護団長
 大崎 康博(65)=副弁護団長ら11人
被   告:松本智津夫(43)
検察側証人:中西 暁朗(67)=日本通運健康保険組合東京病院院長
 遠藤 誠一(38) =元教団「厚生省」大臣
 田沢 秀夫(49)
 森本  貢(51)
 森   健(48)
 =以上、警視庁警察官
 杉本 繁郎(39)=元教団「自治省」幹部



 午前10時開廷。藍(あい)色のカッターシャツの松本被告は傍聴席を向き、「オールソー、ソーリー、セツルメント……」「ユーエスエー……」とつぶやきつづける。「静かにしなさい」と裁判長が2度注意したが、やめない。灰色のスーツの中西暁朗・日通健康保険組合東京病院院長が入廷した。

 検察官「1995年3月20日午前8時ごろ起きた地下鉄サリン事件で、被害者の診療にあたりましたか」
 証人「はい」
 検察官「入院者数は」
 証人「4人です」
 検察官「(男性患者1人の)入院までの経過は」
 証人「20日朝、丸ノ内線東京駅から乗って新大塚駅で降り、会社に行ったが、気分が悪くなったと来院した。目がかすんで視野が狭くなる、頭痛、吐き気がするなどの症状があった」
 検察官「最初の時点の所見は」
 証人「アセチルコリン作動薬による縮瞳(どう)、目が真っ赤になる、吐き気などの神経症状があった」
 検察官が証人に眼科や内科のカルテなどを示した。
 検察官「コリンエステラーゼ値を測定した時の値は」
 証人「20日に眼科でとった時は41。ちょっと時間をおいて内科で測った時は35」 検察官「正常値の範囲は」
 証人「100から240です」
 検察官「原因物質についてはどう思ったか」
 証人「農薬、有機リン系中毒と考えたが、サリンというのは全然知らないし」
 検察官「有機リン中毒と考えた根拠は何ですか」
 証人「通常4ミリが1ミリになる縮瞳、結膜充血に全身症状を加味してです。専門ではないので困惑して、北里大の石川哲教授に電話しました」
 検察官「石川教授は何と?」
 証人「『テレビでやってる。有機リン中毒ではなく、サリン中毒と思われる。パム(硫酸アトロピン)を使うといい』と言われた」
 松本被告は、法廷のやり取りにまるで関心がない様子だ。隣の警務官にぶつぶつと話しかける。


 午前10時45分、遠藤誠一被告が入廷。紺のスーツの上下にサンダル。そわそわした様子で陳述席に座る。

 検察官が松本サリン事件について聞く。松本被告は両手をこめかみに当てて考え込むようなポーズ。時折ぶつぶつとつぶやく。
 検察官「(現場付近を歩く人を見て)証人たちがまこうとしているサリンによって、死のうとしているとは思わなかったか」
 証人「それは思いませんでした」
 検察官「以前、検察官の調書には『いくら尊師の指示とはいえ、大勢の付近住民が呼吸困難に陥るのは分かりすぎるくらい分かっている』とあるが」
 証人「調書にそうあるのは知ってるが、当時はそう考えてませんでした」
 検察官「まく時間は何分くらいだったか」
 証人「10分から15分」
 検察官「その後、どうした」
 証人「(山梨県上九一色村の教団施設のある)第3上九に戻り、報告しようと第6サティアン1階の尊師の部屋に行った」
 検察官「報告したのか」
 証人「今、戻りましたと言うと、麻原さんが『ご苦労』と言った。現場から出る際に車を塀か門柱にぶつけたことを報告すると、『ガンポパ(杉本繁郎被告の宗教名)に直させろ』と指示された。杉本さんに聞くと、『手に負えない』と言われた。麻原さんに伝えると、『2人で東京でも行って、同じ所をぶつけて事故証明をもらって返せ』と言われた」 検察官は松本サリン事件を伝える新聞報道について尋ねた。
 検察官「松本被告は(新聞報道を見て)何か言ったか」
 証人「『まだ原因が分からないみたいだな。うまくいったみたいだな』と」
 検察官「それは、どういうことを意味しているのか」
 証人「記事では(事件が)何者かによる行為ではなく、単なる事故のように伝えていることを指して言ったのだと思います」

 松本被告はやりとりにはまったく興味を示さず、うつむいたり、周りを見回したりしている。
 検察官「松本被告に対して、今、どういう気持ちを持ってるのか」
 遠藤被告はチラリと松本被告を見やって少し考え、「他の人と同様に、私なりに麻原さんに聞きたい点がある。そのうち、麻原さんが話してくれると思う」
 裁判官が口をはさんだ。「検察官は、あなたの気持ちを聞いているのでは」
 証人「今はこういう気持ちということです」
 正午。遠藤被告が退廷し、休廷。


 午後1時16分開廷。
 「シャルマ……」。松本被告は傍聴席に向かって、さかんに何かつぶやく。検察側証人の警視庁巣鴨署警官、田沢秀夫氏が証人席に着席した。
 弁護人が第2サティアンの検分調書に基づいて、元信者リンチ殺人事件について反対尋問を始める。
 弁護人「現場検証の目的について犯行の時間の特定を挙げているが、検証で時間まで分かるのか」
 証人「今回は分からなかった」
 弁護人「犯行の手段・方法の解明も目的だが、検証によって分かるのか」
 証人「分かりませんでした」
 「ディス・イズ……」「バック・トゥ……」。松本被告はつぶやき続ける。
 弁護人「敷地東側とあるのは西側ではないのか」
 証人「はい……」
 証人が誤記を認める。松本被告が傍聴席に向かって何かをしかける。最前列の傍聴人が熱心にメモを取っている。
 さらに教団施設について聞くが、要領を得ない。裁判長が「証人ね、記憶ないのに答えるのはだめですよ」と口をはさむ。
 弁護人「『尊師』の部屋と示されている見取り図を見てください。調書には(窓は)3カ所と書いてあるが、図面には2カ所しかない。どういうことですか」
 証人「誤記だと思います」
 弁護人「あなたは実際に現場を見ているのですか」
 証人「実際に私が行って、確認しています」
 弁護人「それにしちゃあ、間違いが多すぎますね」
 追及する弁護人に、裁判長が「もういいんじゃないですか」と声をかけた。


 田沢証人の尋問が終了し、警視庁捜査1課の森本貢氏が陳述席についた。
 弁護人「第6サティアンへは現場検証で初めて行ったのか」
 証人「そうです」
 証人は現場検証の指示を検証の「2日前くらいに言われた」と証言する。弁護人は検証で作成された第6サティアン周辺の見取り図を比較しながら、尋問を続ける。
 弁護人「教祖の部屋とあるが、どうやって知ったのか」
 証人「立会人から聞いて書きました」
 松本被告が両手を広げてぶつぶつつぶやく。裁判長が「静かに」と注意した。
 白いワイシャツを腕まくりした弁護人は、図を見せて詰め寄る。
 弁護人「(複数の)見取り図でだいぶ違いがあるが、どうなのか。出入り口があるものとないものがある。きちんと確認したか」
 証人「現場は見た」
 弁護人「私も現場に行ったが出入り口はあった。本当に現場を回ったのか」
 証人「回った」
 弁護人「ならば気づくはずでしょう。教祖の部屋にはどうやって行ったか」
 証人「思い出せない」
 2時53分、休廷。


 3時14分開廷。
 警視庁捜査1課の森健氏が陳述席につく。
 弁護人「起訴の日付から言うと元信者リンチ殺人事件の方が、公証役場事務長ら致事件より捜査が進んでいたような感じを受ける」
 証人「現場で捜査をしている人間は全く分からなかった」
 証人は公証役場事務長ら致事件の捜索が平成7(1995)年6月7日と9日の2回に分けて行われた、と証言した。弁護人は分けて行われた現場検証の適法性について聞く。 弁護人「刑事訴訟法は次の次の日まで捜索を続けていい、とは規定していないはずだが」
 証人「いったん中断し、再開した、という考え方だったと思う」
 弁護人「2度の検証なら、令状も2通必要という考え方もある」
 証人は黙り込んだ。
 松本被告が突然、右脇に座る刑務官の顔を見つめ、話しかけ始めた。どう反応していいか分からず、刑務官は困ったようなあいまいな笑みを浮かべる。
 押収物の内容と押収した時の様子などについて詳細な質問が続く。傍聴席ではうたた寝の若者が目立つ。
 弁護士「見取り図4の凡例73の金属箱。中身は、イヤリング、コイン……と93点もある。宝箱みたいだけど、これは何ですか」
 証人「分かりません。(公証役場事務長の)所持品を焼いた可能性もある」
 裁判長が苦笑交じりに「細かいことを聞いていますが、まだやりますか」
 弁護人は構わず続ける。
 弁護人が第2サティアン地下の様子を尋ねる。「検証の際、地下室ににおいはなかったか」
 証人「特になかった」
 弁護人「密閉空間で死体を焼けば、においも強烈だと思うが」
 証人「換気扇があった。ダクトで地表へ下水管のように通じていた」
 裁判長が「もういいんじゃないですか」と弁護人を制して、反対尋問が終了した。


森証人が退廷し、杉本繁郎被告が入廷する。
 杉本被告の着席と同時に松本被告がぶつぶつつぶやき始める。弁護人が尋問を始めようとするが、杉本被告が「横でしゃべっているので聞こえない」と訴える。裁判長が「静かに」とたしなめる。弁護人が背中をさすって、松本被告を落ち着かせようとする。
 弁護人「以前『もうオウムの教義は信じていない』と証言したが、その気持ちは変わらないか」
 証人「はい」
 弁護人「教団に残っている人たちに『救済ごっこや真理ごっこはやめて、目を覚ましてほしい』と証言した気持ちは」
 証人「変わりません。というより、いろいろ医学的なこととか自分で調べてみて、証言当時よりも教団の教義を否定する気持ちが深くなっています」

 「ベリーインポータント、ビコーズ、ジャパニーズ……」。英語でつぶやき続ける松本被告に「静かにしなさい」と裁判長が一喝した。それでもやまらず、再度注意してようやく静かになった。
 弁護士「杉本さんの神秘体験は、医学的科学的に説明できるので、神秘ではないと気づいたのですね」
 証人「はい」
 弁護人「元信者リンチ殺人事件は、あなたから供述したのか」
 証人「はい」
 弁護人「供述の動機は」
 証人「直接手を下したので、別の信者殺害事件が頭から離れなかった。ざんげというわけではないが、地下鉄サリン事件もしゃべって楽になった」
 弁護人「調書を読むと麻原さんへの不信感が芽生えたとある。何かエピソードは」
 証人「ブータンに行った時に使った日本車の後輪タイヤがすり減っていて、麻原にひどく怒られた。ジープ用のタイヤはもともと堅くて乗り心地が悪いのに。私の話も聞かない。ひどく根にもった」
 弁護人「ブータンから教団脱会まで3年ある。やめようと思わなかったか」
 証人「何回もあるが、麻原への信の部分もあった」 弁護人「リンチ殺人事件の時に、あなたは麻原さんの運転手でしたね。いつから?」
 証人「90年の9月か10月ごろから運転しましたが、91年9月に専属の運転手になりました。94年3月末か4月初めまで務めました」
 弁護人「あなた以外に運転したのは」
 証人「林泰男(被告)さんなんかがたまに運転することがありました」
 弁護人「あなたに指示していたのはだれか」
 証人「麻原の世話係か奥さん、あと、女性幹部信者なんかも連絡してきました」
 この後、松本被告の車の種類やその変遷について証人が説明した。
 弁護士「奥さんはどこに住んでいたか」
 証人「第6サティアンの1階ですね。部屋は別々で、子供たちも個別に部屋がありました」
 弁護士「麻原さんの部屋に入ったことはあるか」
 証人「あります」
 弁護士「部屋に電話はあったか」
 証人「ありました」
 弁護士「奥さんの部屋は?」
 証人「奥さんの部屋には入ったことがありません」

 午後5時、閉廷。