松本智津夫被告第114回公判
1999/4/8
(毎日新聞より)


 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(44)の第114回公判は8日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、元信者の落田耕太郎さん(当時29歳)リンチ殺害事件に関し、丸山美智麿服役囚らに対し、弁護側反対尋問が行われた。傍聴希望者は147人だった。

 裁判長・阿部文洋(53)▽陪席裁判官(49)▽同(41)▽補充裁判官(36)▽検察官・西村逸夫(48)=東京地検公判部副部長ら7人▽弁護人・渡辺脩(65)=弁護団長、大崎康博(65)=副弁護団長ら11人▽被告・松本智津夫(44)▽検察側証人・丸山美智麿(31)=元教団「自治省」所属、保田英明(31)=元信者 
(呼称・敬称略)



 丸山美智麿証人
 松本被告は薄手の白いトレーナー姿で入廷し、午前10時1分、開廷。
 弁護人は丸山美智麿服役囚に、主尋問との証言の食い違いを尋ねる。
 弁護人「落田(耕太郎)さんが死亡したことが分かった時、あなたは何を考えたか」
 証人「特に考えていなかった」
 弁護人「主尋問では、大変かわいそうと言っていた」
 証人「あれこれ考えても仕方なかったということ」
 弁護人「落田さんを焼却処理した当時、これからどうなると」
 証人「教団全体のことを考えはした」
 弁護人「逮捕された後、自分の考えはどのように変わった?」
 丸山服役囚は、うんざりしたというような声で「私は事件の証人として(法廷に)来ているのであって、私がどう思っているかや、気持ちなんていうのは関係ないように思うのですが」
 「まさに私が言いたかったのもそのこと」。裁判長が口をはさんだ。弁護人は意に介さない。
 弁護人「どういうやり方で、(事件後に逃走した)保田(英明元被告)さんを連れ戻そうとした?」
 証人「直前に指示があって、力ずくでもと」
 弁護人「好ましいやり方だと思いますか」
 証人「個人的には嫌だったが、上からの指示だったので仕方なく」
 弁護人「宗教家になりたかったわけでしょ。そんな指示に従うんですか」
 証人「従わないと後が怖かった」
 弁護人「なぜ、警察に助けを求めなかった」
 証人「松本被告とか、上の人が逮捕されてない状態で、警察に保護を求めても無理だと思った」
 松本被告は机の上に左手を乗せ、証人に向かって独り言をつぶやく。
 弁護人「(拉致(らち)に失敗し)サティアンに戻った後に麻原さんに会いましたよね。どれくらいの時間か」
 証人「ほんの数分」
 弁護人「麻原さんはどんな様子だった?」
 証人「『無事に帰ってきて良かった』みたいなことを言われました」
 弁護人「証人にとって、落田さん事件は初めから殺そうと思ったのではなく、事故だった。止めようと思っても止められなかったということ?」
 証人「はい」
 弁護人が交代。
 弁護人「あなたはこの公判で殺す意思はなかったと主張しているのに、あなた自身の(落田事件の)裁判では刑が確定した。なぜ控訴しなかったの。誤判じゃないのか」
 証人「私がする必要がないと思ったからです」
 午後0時2分、休廷。


 午後1時17分、再開。
 弁護人「事件の前と後、気持ちに変化はあったか」
 証人「前と後では違います。(人が殺されるという)決して有り得ないことが起きた」 弁護人「あなたはどう感じたか」
 証人「間違っていると思うようになった」
 さらに弁護人が松本被告に対する心境の変化を尋ねると、証人は「当然、変わりました。今までは信じていたが、それは間違っていたということです」。松本被告が証人に向かってブツブツつぶやき始めた。


保田英明証人
 1時43分、丸山服役囚が退廷。変わってスーツ姿の保田元被告が入廷。弁護人は、公判で保田元被告が記した図面を手に、松本被告ら教団信者の位置関係を確認。その後、落田さん殺害現場について尋問した。

 弁護人「落田さんに対して、麻原さんは『催涙スプレーを使わなければまずいな』と言ったというが、あなたは催涙スプレーが殺人の手段と思ったか」
 証人「思わなかった。それで死ぬとは思わなかった」
 弁護人「主尋問の証言では『ビニール袋をかぶせたのは越川(真一被告)だった』と言っているが、その根拠は」
 証人「越川は自分の近くにいたし、体が大きく頭がツルツルだったので目立っていたから印象に残ってる」
 弁護人「ロープを首に巻く時、落田さんは抵抗しましたか」
 証人「抵抗しました」
 弁護人「あなたがうまく首にロープを巻けなかった理由は」
 証人「3、4人くらいで落田さんを押さえ込んでいた状態だったので、人が多くてやりづらい雰囲気がありました」
 弁護人「証人は落田さんの首をどのくらい絞めていた?」
 証人「10分以上絞めていた記憶がある」
 弁護人「証人は本当に絞め殺せると思ったのか」
 証人「できそうになかった。ただ落田さんを押さえている連中から『もっと絞めろ』『やらなきゃ大変なことになるぞ』などと罵(ば)倒(とう)され続けた。やらなきゃ殺されると感じた」
 弁護人「10分の間に中止の声が出るという期待は」
 証人「あった。しかし松本被告人が『できなければ、お前のカルマ(業)だからあきらめろ』と言った。これでダメだなと思った」
 2時59分、休廷。

 弁護人「『カルマだからあきらめろ』を、なぜ『殺さないとお前も死ぬ』と解釈したのか」
 証人「カルマというのは因果応報の運命論。前世になした結果によって『この時点で死ぬのはお前の運命だから、あきらめろ』と受け止めた」
 弁護人「殺害後、麻原さんが『どうだ、終わったか』と言ったそうだが、どこにいたか」
 証人「最初から最後までソファの上から動いていなかったと思う」
 弁護人「首はどう絞めていた」
 証人「強く絞めたり緩めたりの繰り返し。手を抜くと、後ろにいた人間に『ちゃんと絞めろ』と怒鳴られる」
 弁護人「それは指示があったからと思うか」
 証人「新実(智光被告)が松本被告に『保田をどうしますか』と言った時、『蘇生(そせい)するかもしれないから、絞め続けさせろ』と言っていた」
 弁護人が代わる。脱会を繰り返した理由などを尋ねた。

 弁護人「3回目の出家は」
 証人「オウムの教義を100%否定できず、(入信していた)彼女が出家したいと言うので引っ張られた」
 弁護人「あなたのお母さんを教団の病院に入院を勧めたのは、どうして」
 証人「越川の話を信じた。半年で治ると言われて」
 弁護人「具体的にどういう治療と説明された?」
 証人「東洋医学の治療で、石原裕次郎を手術した優秀な医者がいると言われた」
 弁護人「お母さんがパーキンソン病と知ったのはいつ」
 証人「覚えてない」
 弁護人「難病ですよね。半年で治ると思った」
 証人「漢方とかで徐々に治るのではないかと考えた」
 弁護人「石原裕次郎の手術をしたのは林郁夫(服役囚)さんでしょ、西洋医学じゃないですか」
 証人「そうは聞いていますが……」
 閉廷前、裁判長が「実質的に同じ質問の繰り返しではないですか」と問うと、弁護人が「そんなことはない」と気色ばんだ。
 5時、閉廷。