松本智津夫公判傍聴記
横浜法律事務所 小島周一
1997/2/17
2月13日、14日と、松本被告の刑事公判は、坂本弁護士一家事件の審理に入りました。
13日は、元オウム真理教幹部の岡崎一明、14日は早川紀代秀の証人尋問が行われ、私は、都子さんの父大山友之さんとともに、2日とも傍聴しました。
松本は、この2日とも、裁判長や証人に対して自分勝手な、あるいは証人を脅迫するような発言を繰り返し、それぞれ開廷後15分、40分で退廷させられました。
しかし、この松本の態度に対して、二人の証人が取った態度は、対照的でした。
岡崎は、松本がいるときも、退廷させられたときも、それほど大きな動揺は見せず、1問1答のお手本のような証言を淡々と行いました。しかし、その中で、「自分は中川が注射をして坂本弁護士を殺すと思っており、坂本弁護士の首を絞めたのも、単に坂本弁護士の抵抗を押さえようとしただけで、坂本弁護士を自分が殺すという意識はなかった」などと、自分の役割をできるだけ小さく見せようという計算が見え透いた証言をしていました。
その証言の骨格に嘘はないと思いますが、しかし、岡崎の証言を聞いていると、これだけの事件を起こしたことに対して、岡崎が本当に向き合おうとしているとはとても思えませんでした。
一方、早川は、検察官の質問の中で、松本被告を確認するように言われても、なかなか答えられなかったり、松本被告が早川への脅しの言葉を述べるとそちらに気を取られて何度も検察官に質問を聞き直したり、松本被告が退廷させられると机に突っ伏して声を上げて泣いたり、非常に動揺していました。
しかしその一方で、証言の中で記憶にないところは記憶にないとはっきり述べるなど、早川なりに一生懸命思い出して答えようとしている姿勢が感じられました。
この2日の審理が終わった後に、大山さんが出席して記者会見が開かれました。
この中で、大山さんは、まず松本が退廷させられたことについて、「同じ部屋にいるだけで冷静でいられなくなるくらいなので、退廷させられていなくなったのは、正直言ってほっとした気持ちもある」と、松本に対する表現しようのないほどの怒りの気持ちを述べました。
また、2日にわたる証言に関しては、「1989年11月3日夜に坂本宅の玄関の鍵を確認したところ、鍵がかかっていなかった、そして11月午前3時頃に押し入る際にも鍵がかかっていなかった」と岡崎が証言したことについて、「几帳面な坂本夫婦の性格、そして当時オウム真理教と対峙しているという緊張感の中で生活していた坂本一家が、鍵をかけ忘れるなどおよそ考えられない」ということを指摘し、「どうしても鍵が開いていたとは考えられない。鍵が開いていたということを前提に裁判が進むのは、娘たちの名誉が汚されているような気持ちがする」と、感想を述べられました。
また、それと関連して、犯行の時間についても、「11月4日午前3時というのは、鍵が開いていたと考えられない以上疑問がある。11月3日の夜遅くという可能性が高いのではないか。親として、せめて娘たちの命日の日くらいははっきり知りたい。」と、率直な思いを語っていました。
松本被告の裁判は、この後も続きますが、坂本弁護士事件に限らず、暴言を吐いて退廷させられることによって自分の聞きたくない証言から逃げ出すという卑怯な行為には本当に腹が立ちます。
これからの裁判では、松本被告が法廷で暴言を吐き出したら、証人尋問の邪魔にならないように、その汚らしい口に口輪をはめて黙らせ、しかし退廷はさせずに、自分のかつての部下がなにを言うかをその耳の穴に叩き込んでやりたいと思うのは私だけではないでしょう。