松本智津夫被告第115回公判
1999/4/9
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(44)の第115回公判は9日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、元信者リンチ殺人事件に関し、元信者の保田英明・元被告(31)=執行猶予刑が確定=に対する4回目の弁護側反対尋問と、目黒公証役場事務長監禁致死事件で捜査に当たった警視庁警察官2人に対する反対尋問が行われた。傍聴希望者は101人だった。
裁判長・阿部文洋(53)▽陪席裁判官(49)▽同(41)▽補充裁判官(36)▽検察官・西村逸夫(48)=東京地検公判部副部長ら6人▽弁護人・渡辺脩(65)=弁護団長、大崎康博(65)=副弁護団長ら10人▽被告・松本智津夫(44)▽検察側証人・保田英明(31)=元教団信者、籏野誠(60)=警視庁警察官、横尾克実(50)=同
(呼称・敬称略)
白いトレーナー姿の松本被告が入廷し、午前10時に開廷。前日に続き、元信者の落田耕太郎さん(当時29歳)殺人事件について、保田元被告への弁護側反対尋問が始まる。
保田英明証人
弁護人「麻原さんは平成7(95)年6月の調書で、左目は物心ついたときから見えず、右目も緑内障を患い、平成元(89)年ごろから視力が低下し、平成2(90)年ごろから全く見えないと話している。そうなると、落田さん事件の時はほとんど見えなかったことになるけど、このような話は聞いたことない?」
証人「視力が弱いとは聞いたが、失明したという話は聞いたことはない」
弁護人「平成7(95)年6月30日の調書で麻原さんは『全く予期せぬ出来事で落田は死んでしまった。私の目が見えていたら死ななかった』と言ってるけど、何か思い当たることは?」
証人「あれだけ悲鳴が上がり、私に向かって幹部が『絞め上げろ』とか指示を出していたので、そういう考えは理解できない」
弁護人「落田さんの首を絞めれば帰してやると言われたことは?」
証人「ないです」
弁護人「(山梨県)上九(一色村)の麻原さんの部屋で2〜3時間かかったことになるが、即座に殺すとそんなに時間はかからないんじゃないですか」
証人「午前3時ごろ忍び込んで捕まるまでの時間、捕まって待機している時間、(殺害)行為時間がありますから。ずっと2時間殺害行為ではないですから」
松本被告は自分の名前が出ると、不満そうにぶつぶつと話しながら弁護人の方を見る。 弁護人「証人は、前の公判で『ワゴン車で運ばれるうち、自分はどうなるかと考えた』と言ってるが、落田さんが母親を連れ出そうとして失敗した時を思い出し、殺されるかもしれないとは考えなかったか」
証人「特にない」
検察官の異議を受け、裁判長が「同じような質問はやめてほしい」と注意を重ねる。
弁護人「両親にお布施を勧めたことはない?」
証人「ないです」
弁護人「あなたのお母さんは信者としては熱心なほうだったの?」
証人「病気を治したいという一心だったと思いますが、感化されていった部分もあると思う」
弁護人「あなたは平成4(92)年春に教団を脱会した。しかし、お母さんを教団に入信、入院させたまま2年間もほうっておいたのはなぜか」
証人「母親と断絶していたのではなく、教団との関係を断ち切るために母との縁を切った。助けに行ったのは純粋に落田さんの話を信じたからです」
弁護人「お母さんの現状はどうですか」
証人「母親は去年亡くなりました……」
弁護人「証人は、お母さんを第6サティアンのベッドで発見した時、『電極をかけられ、目を開いているが話さず、死んでしまいそうだった』と言っているが、薬物治療をされていると思わなかったか」
証人「思わなかった。だが下半身は下着一つで上は薄い服1枚。ひどい扱いだと思った」
弁護人「落田さんはどう言ったか」
証人「『なんでこんなになっちゃったんだ。あんなに元気だったのに。こんなにしやがって』と言っていた」
11時59分、休廷。
午後1時16分、再開。
弁護人「お母さんをどこに連れ出すつもりだったか」
証人「私の両親の住んでいた自宅に」
弁護人「教団は住所を把握していたが」
証人「先のことは考えなかった。連れ戻さぬと危険な状態だった」
弁護人「オウムが怖かったら、病院などへ入れるなどの計画はなかったか」
証人「前提が違う。オウムが怖くなったのは事件があったからだ」
弁護人「あなたが落田さんを積極的に誘い出したのではないか」
証人「違います。計画自体を立てたのも落田さんで、僕らの方から彼にアプローチをしたことはない」
弁護人「救出に行こうという時は恐怖心がなかったのか」
証人「見つかってひともんちゃく起きるとか、警察ざたになるとか、予測していた危険はその程度だった」
弁護人「つかまった時点で恐怖心が出たのか」
証人「予測を超えていた。手錠を掛けられたりまでは思ってませんでしたから。恐怖で支配され、最悪のシナリオもよぎった」
弁護人「『落田さんを殺すことができなければお前を殺す』と言われて、本気なのかと疑問に思う余地はなかったのか」
証人「余地はなかった。ストレートに伝わってきた」
弁護人「首を絞めている間、殺そうという認識はあったのか」
証人「殺したくないという思いと、止められないという思いが心の中でかっとうしていた。すべてかゼロかで、単純に割り切れるものではない」
証人は「自分も殺されるのではないか」という恐怖心がつのり、心理的に追い詰められていく中で「(殺害は)やむを得なかった」と重ねて強調した。
弁護人「あなたの話だと、本気で殺すしかないと思ったのは、ロープで絞め始める時だと思うが」
証人「明確にいつの時点か分からない。もう殺さなきゃ終わりだなと突き付けられたが、絞め切れなかった。松本被告に『カルマだからあきらめろ』と言われ、やらなければ殺される、終わったなと思った」
さらに保田元被告は「明確に『殺してしまえ』と思ったことはないんですよ。『絞めろ、絞めろ』と言われ、終わったら動かない落田さんがいて、ぼう然とする。そんな感じなんですよ。信用してもらえないとは思いますが」と続けた。
保田元被告は裁判官からも質問を受け、殺害の模様を繰り返し証言する。
証人「私が絞められないので『何やってんだ』『絞められないのか』とば声を浴びせられ、いろんな音がしていた。落田さんがだめかなと思った瞬間、僕が涙声みたいになり、『できないですよ』と言ったら、村井(秀夫元幹部=故人)に『ちゃんと絞めろ』と怒鳴られた」
裁判官「その後、松本被告は『終わったか』とだれに声をかけた?」
証人「全体に」
裁判官「状況は?」
証人「落田さんはぐったりして、のどの奥から『ごぼごぼごぼ』という音が聞こえ、私はもう亡くなったと思った。そのころもう落田さんは動かなくなったので、体を押さえていた中川(智正被告)などは落田さんを離れ、近くで見ていた。僕は首を絞め続けた」
2時23分、保田元被告への反対尋問が終わった。警視庁大崎署警部補、籏野誠氏が入り、仮谷清志さん(当時68歳)の監禁致死事件の審理に移る。
弁護人は拉致に使われたワゴン車の検証について尋ねる。
弁護人「採取したのは運転席側から指紋15個、掌紋4個と記入しているが、いつ書いたのか」
証人「報告を受けてから書いたと思います」
弁護人「指紋取扱書だと20個ある」
証人「その時聞いた数は19だったと思う」
弁護人「採取された指紋から、だれの指紋が出てきたのか」
証人「井上嘉浩(被告)の指紋が出た、と報告を受けた」
3時6分、籏野氏が退廷。同10分、検証調書を作成した警視庁第2機動捜査隊の横尾克実警部補が入廷した。
弁護人は現場見取り図や写真を示して、尋問する。横尾氏が図面を見つめて沈黙すると、ブツブツと繰り返す松本被告の声が静まり返った法廷に響く。空席が目立つ傍聴席。子供2人が肩を寄せ合ってぐっすりと眠っている。
4時17分、閉廷。