松本智津夫被告第116回公判
1999/4/22
(毎日新聞より)


 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(44)の第116回公判は22日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、目黒公証役場事務長拉致(らち)事件、松本サリン事件に関し、遠藤誠一被告らに対する弁護側反対尋問が行われた。傍聴希望者は100人だった。

 ▽裁判長・阿部文洋(53) ▽陪席裁判官(49) ▽同(41) ▽補充裁判官(36) ▽検察官・西村逸夫(48)=東京地検公判部副部長ら6人 ▽弁護人・渡辺脩(65)=弁護団長、大崎康博(65)=副弁護団長ら11人 ▽被告・松本智津夫(44) ▽検察側証人・千葉清雄(50)、嶋田拓(48)=警視庁警察官、遠藤誠一(38)=元教団「厚生省」大臣 (呼称・敬称略)


 午前9時58分、紺のトレーナーにジャージー姿の松本被告が入廷。両手をだらりと下げてうなだれたまま、刑務官に両肩を上から押さえられ着席した。事件当時、捜査本部にいた警視庁警察官、千葉清雄氏が入廷し、仮谷さん事件の実況見分をめぐる尋問が始まった。
 弁護人「(見分の)立会人が『たばこ屋の角に変なレンタカーが止まっていた』となってるが。変な、というのはどういう意味か」
 証人「立会人が話したことなので」


 証人が交代。警視庁警察官の嶋田拓氏が入廷した。
 弁護人「検分調書で、使用したワゴン車と乗用車は実際に事件に使われたものだったのか」
 証人「事件で使われたものではなく、車種が同じものだったと思います」
 松本被告の頭は90度垂れて、じっと動かない。


 続いて遠藤誠一被告が陳述席に着いた。弁護人が証人の略歴を確認する。松本被告は証人が話し始めると、右手で2度、3度と顔をぬぐった。
 弁護人「出家したのはいつ?」
 証人「1988年11月です」
 尋問はサリン製造に移る。
 弁護人「教団のサリン製造については土谷(正実被告)の検面調書で、村井(秀夫元幹部=故人)から『将来日本が無秩序状態になった時に備え、教団が外部から攻撃を受けた際、防御するため必要』と指示されたとなっているが」
 証人「私は聞いてない」
 弁護人「サリンの殺傷力を当時知っていたか」
 証人「土谷さんに三角フラスコを見せられた時、サリンという言葉は知っていた。フーン、そう、と感じていた」
 弁護人「教団が製造することに軽く反応したというのは理解しがたい」
 証人「深く考えてないんで、そんな反応しかしなかった」
 弁護人「あなたはジーバカ棟でワークしていましたね」
 証人「そうです。名称は『C・M・I』と呼ばれていた」
 弁護人「『C・M・I』とは」
 証人「コスミック・メディカル・インスティテュートです」
 弁護人「直訳すると、宇宙医学研究所か?」
 証人「直訳は『宇宙』なんですが、本当にそうなのかなと」
 奇想天外な命名に、傍聴席から笑い声が漏れた。
 弁護人「作業は?」
 証人「麻原さんのDNA(デオキシリボ核酸)を研究することだった」

 傍聴していた若い男性がいびきをかき始め、裁判長が「法廷は寝るところではありません」と退廷を命じる。その直後、うつむいて居眠りをしていた松本被告が突然立ち上がり、両わきの刑務官に止められる。
午後0時1分、休廷。


 1時15分、再開。
 弁護人は教団側が「毒ガス攻撃を受けた」と主張していた94年当時の様子を質問する。
 弁護人「毒ガス攻撃はどういう形で知らされた?」
 証人「一番最初のきっかけは……記憶があるのは、(毒ガスの)イペリットが施設内の空気から検出されたと聞かされました」
 弁護人「だれから攻撃を受けたかは?」
 証人「いろいろな話は聞いた。米軍とかJCIAとか」
 弁護人「あなたは本当に攻撃を受けていると信じていたのか」
 証人「思ってました」
 弁護人「麻原さんは94年1月ごろ、目が見えていたか」
 証人「宣教中に見えなくなったと言っていた。見えるのではと少し考えたが、失礼なので言えなかった

 弁護人が新実智光被告の検面調書のうち、創価学会を対立団体と考えた理由を述べた部分を朗読した。
 弁護人「幹部に危害を加えるのは当然か」
 証人「それはグルである麻原さんの考えること。言われたことはやらなければいけない」
 弁護人「噴霧の後、一堂に会したことは」
 証人「キャンピングカーみたいな車が来て、乗った記憶ある」
 弁護人「麻原さんは」
 証人「いた。村井さんらと話していた」
 弁護人が交替する。
 弁護人「『霧どんどん』という機械でサリンをまいたでしょ。見ただけで分かったの」 証人「いいえ。中川さんたちが『サリンを噴霧した』と言ったので」

 創価学会幹部への襲撃を、遠藤被告がいつ聞かされたか弁護人は確かめる。
 証人「最初は土谷さんから。その後、麻原さん、村井さんから話があり、次の日に八王子に連れて行かれたということです」
 弁護人が交代し、2回目の襲撃について質問を続ける。遠藤被告が「三角屋根」と呼ばれる教団内の建物に行った際、中川被告や新実被告が、サリンをまきに行くための準備をしていたという。
 弁護人「村井さんはいなかったか」
 証人「いませんでした。自分は関係ないと思って(建物を)出たら、村井さんに会って(医療班として一緒に来てくれと)言われた」
 弁護人「(噴霧時に誤ってサリンを吸った)新実さんは歩けたか」
 証人「歩けたが、目がちょっと不自由みたいで肩を貸して、ワゴン車に連れて行った」 弁護人「そこで治療を」
 証人「(酸素ボンベのマスクを)つけようとしたが、気が付いたら村井さんが(人工呼吸の)マウス・ツー・マウスをしていた」
 3時2分、休廷。


 3時22分、再開。松本被告が急に立ち上がり、裁判長から注意される。
 弁護人「新実さんは人工呼吸時の気分について、『本当にいい気持ちで、快感といってもいい』と述べているが」
 証人「村井さんが人工呼吸をしている途中、新実さんが『気持ちいい』といっていたのは覚えています。息を吹き込む時間が長いと気持ちがいいそうです」
 弁護人「証人が受けたサリンの影響について、前々回の証言で『目の前が暗くなった』『露出不足の写真のよう』と言っているが」
 証人「そういう感じです」
 弁護人が交代。
 弁護人「どのような方法でサリンをまいたか検察官に聞かれましたね。何通りかタイプがあったの」
 証人「『霧どんどん』じゃないということです」
 弁護人「これまでガンダムを作れとか潜水艦がどうのとか実現できそうもないことを言われたんだけれども、ここで言う細菌もそれに入るの」
 証人「申し上げられない」
 
 弁護人が交代。
 遠藤被告が中川被告から聞かされたサリンの大量製造について質問が始まる。
 弁護人「中川さんは『サリンを50キロ作らなければならない』と言っていたというが、どこで聞いたのか」
 証人「その言葉しか覚えていません」
 証人が『94年春に第7サティアンで見た』というサリンの入った容器について尋ねた。
 弁護人「松本サリン事件に関係するので聞きます。白いポリ容器の個数は」
 証人「2個か3個と思う」
 弁護人「液体の色は」
 証人「薄いブルーか、緑っぽいような気もする」
 弁護人が交代。
 弁護人「94年2月に土谷さんから見せられたサリンに色がついていたのは不純物が混じっていたからか」
 証人「コバルトの不純物が混じって色が付いたと思う」
 証人は尋問が終わると、立ったままコップの水をぐっと飲み干した。一礼し、後ろの時計を顔をしかめて見上げ、退廷した。
 5時1分、閉廷。