岡崎一明被告に対する証人尋問
1999/4/14 実施
坂本事件民事裁判
東京地方裁判所709号法廷での出張尋問



原告ら代理人(瀧澤)
まず最初に確認しておきますが、あなたは、坂本弁護士一家3人の殺害に関与したことは間違いありませんか?
  はい。間違いありません。
一緒に実行に加わった実行犯の名前を挙げて下さい。
  早川紀代秀、村井秀夫、新實智光、中川智正、端本悟です。
殺害の決断をしたのは、誰ですか?
  当時オウム真理教の主催者であった麻原彰晃です。
松本智津夫が本名ですね。
  そうです。 
あなたの刑事事件の公判では、昨年10/23に、死刑の判決が出ていますね。
  はい。
現在控訴して争っていますが、控訴したのは、どういった心境からでしょうか。
  弁護人の方が控訴するということで、そのように決まりました。
あなたの心情は、どういうことからですか。
  心情と申されても…。
控訴したいという気持ちがあったんですか。
  私はなかったです。
それでは、今日、この民事裁判に証人として出るに際してのあなたの気持ち、どういうつもりで供述しようと思って来られましたか。
  以前から、この民事裁判には出席したいと、3年ぐらい前から弁護人にも申しておりました。また、判決のあと、控訴せずに民事出廷したいと申したんですけれども、いや、控訴はしなきゃいけないと言われて、否定されましたけれども、民事裁判には出るつもりでおりました。
この法廷は、あなたの刑事事件、刑事責任を追及する場ではありませんので、是非真実を語ってほしいと我々は願っております。
  はい。
まず、あなたの教団内での地位について確認しますが、昭和62年の7月あなたは成就して、大師になりましたね。
  はい、そうです。
実行犯6名の中で、成就した順番を言ってください。あなたの次は誰ですか。
  新實智光です。その次が村井秀夫、その次が早川紀代秀です。
この坂本事件の当時、その4人は、大師の地位にあったわけですか。
  そうです。
そうしますと、当時、その大師の4人と残りの2人とは、大分、ステージ、格が違うということが言えるんでしょうか。
  ええ、宗教上の格が違います。
命令服従関係があったということは、言えませんか。
  講においてあったと思います。
あなたの刑事事件の論告の中で、こういうくだりがあります。「麻原、石井に次いで解脱したのに、麻原が、村井、早川や年下の新實を重用し、自分の意見は取り上げてくれないことが多いと感じていた」とありますが、そういう気持ちはありましたか。
  ええ、グルには理解してもらえないという意味で、そういうことはありました。
あなたは、教団の中では最古参なのに、教祖から疎んじられていたという意識があったんでしょうか。
  そういう意識も、ときどき出たり出なかったり、ありました。
中川被告の調書の中には、麻原の信頼の順序としては、村井、早川、新實、岡崎の順番であるというふうに、中川被告は言っているんですが、あなたの意識としてはどうですか。
  新實さんと村井さんのほうが、近いんじゃないかなと思いますけれども。
近いというのは。
  新實さんと村井さんは、あまり変わらないと思うんです。そのあとの順番は、そのとおりだと思います。
そうすると、一番信頼が厚いのが村井、新實の二人ということですか。
  そうですね、信頼度においてはですね。
あなたは、坂本事件に際して、そういった疎んじられている状況を何とか打開したい、信頼を得たいという気持ちで加担したということはありませんか。
  それは、ありません。
新實被告について伺いますが、あなたより出家は何年あとになるんでしょうか。
  出家は、本当に2〜3日の違いだと思います。
あなたは、新實被告について、性格とか、彼の活動について、どういう印象を持っていましたか。
  世間無知というか、社会経験が少ないですし、意外と思い込みが強い、あまり考えないで、何ていうんですか、軽挙無能なところがあるなというふうに考えてました。
突飛な行動、非常識な行動をするということでしょうか。
  ええ、そういう、少し子供的なイメージがありました。
宗教法人の認証手続きを、責任者として担当していたのは新實被告ではありませんか。
  当初はそうだったみたいですね。
坂本弁護士の反オウムの活動が宗教法人の認証を取り消しする恐れがあるということで、新實被告は、坂本弁護士殺害に積極的だったということはありませんか。
  それは、ちょっと私は分からないんです。彼は、グルの指示であれば何でもしますから、理由は関係ないんですよ。理由はあとからついて回るし、それを彼は知っているか知らないかは、ちょっと分からないんですけれども、とにかくグルの言われたことしかやらないですから。
盲目的に服従、行動するということですか。
  そうです。
平成元年10月の初めごろから、サンデー毎日が、「オウム真理教の狂気」と題して連載を始めていましたね。
  はい。
それを見て、あなたは教団への悪影響、ダメージというものを感じましたか。
  感じました。
具体的にどういうことで感じましたか。
  信者の帰依と信がなくなるんじゃないか、またオウムの出版物が減る、取引の書店などが引取を避けるんではないかと、そういう不安がありました。
あなた自身、当時の担当として、そういった出版物の販売に携わっていたんじゃありませんか。
  そうです。
そうすると、サンデー毎日のダメージは何とか打破しなきゃいけないという気持ちが強かったんじゃありませんか。
  打破というか、回避できればいいなとは思っていました。
尊師の麻原は、サンデー毎日に対する攻撃を真剣に考えていたんでしょうか。
  それは考えておりました。
毎日新聞社であるとか、それから編集部などを下見に行っていますね。
  はい。
あなたも行きましたか。
  私はあとから行きました。
編集長の自宅なども調べていますね。
  はい。調べたんじゃなくて、直接行ったんです。
それは、周辺の調査ということではないんですか。
  いえ、それは直接行って、謝罪文を書かせるように、どうにか談判しようと言われたから行ったんです。
それもすべて麻原の指示ですか。 
  そうです。
結局毎日新聞社を爆破する、あるいは編集長個人を襲撃するという計画も中止になりましたね。
  襲撃というのは、私は聞いてないです。
毎日新聞社爆破については、どうですか。
  それは、爆破できないんですけれども、ただそういうトラックが入れるかどうか見て来いと、下見をして来いというふうには言われました。
それは、爆破のための下見ではないんですか。
  そうなんですけれども、ないんですよ、ダイナマイトとか、そういうふうなものが、当時は。
爆薬が、そもそもなかったということですか。
  なかったです。
ただ先ほどの話だと、麻原自身は真剣に、爆破も含めて攻撃を考えていたんじゃないですか。
  それは、村井さんがそういうふうに言うから。すぐに作れるとか、トラックいっぱい作れるとか、そんなの見たことないんですけれども。それをすぐ、そうか、なら下見をして来いと言われたから行ったんです。
連載されている当時のあなたの意識として、サンデー毎日の連載と坂本弁護士の存在、どちらが教団にとって、より邪魔な存在という認識がありましたか。
  坂本先生の意識というのは私も薄かったんですよね、当時は。要するに、自分はオウム出版の責任者でもありましたから、やはりサンデー毎日はどうにか連載を止めなきゃいけないなとは思っていました。
平成元年の10月31日、青山、上祐、早川の3人が、横浜法律事務所に坂本弁護士を訪ねて行ったときのことを記憶していますか。そういう事実があったことは知っていますね。
  はい。
その日の晩、場所は、グリーンクロフトガーデンだと思うんですが、幹部会議が開かれましたね。
  はい。
そこで、青山被告から、その坂本の弁護士との面談について、どういう報告があったんでしょうか。
  詳しく報告されてました。
坂本弁護士が、教団にとって、どういう存在であるという報告があったんでしょうか。
  抽象的に、気質や人格云々という言い方はなかったと思うんですけれども、とにかく法律的に、徹底的にやり合うということを言っておりました。手帳に書いてあった項目は7項目ぐらいありましたけれども、それは詳しく述べておりました。
それは、青山弁護士の評価として、坂本弁護士が教団にとって、最大の障害になっているんだという評価があったわけではないんですか。
  そういう意味じゃなかったと思うんですね。要するに、どんな対談をしたのかと、その内容を一つ一つ逐一報告されていたと。だから最終的には上祐が、坂本弁護士は宗教的な話を言っても、全く話にならないと、そういうちょっと感情的なことは言っていました。そこで初めて、理解してもらえないんだなということが分かったということで。
そのときの会議の結論としては、法的手段で戦うということだったんですね。
  そうです。
法的手段とは、具体的にどういうことを、あなたはイメージしていましたか。
  当時問題になったのは、子供の出家問題ですから、その子供が親に告訴するとか、被害者の会に対して告訴するとか、そういう告訴合戦をするんじゃないかなと、そういうふうに思っていました。
例えば、ビラを撒くとか、中傷合戦をするとか、そういうこともあるんですか。  
  いや、それはもう、しておりましたからね。
そうすると、この裁判に訴えるということを、その場では共通認識として持ったと、そういうことですか。
  そういうことです。
そうすると、10月31日の夜の会議で、標的といいますか、攻撃対象がサンデー毎日から坂本弁護士に切り替わったと、そういうことなんでしょうか。
  それよりも、もっと前の会議で、10月28日ですかね、たぶんその日の晩だと思うんですけれども、そのとき、二宮からの報告でということで、サンデー毎日の記事のおおもとというのは、被害者の会からなんだということを麻原は言ってましたからね。そのころからやっぱり、ちょっと被害者の会、またその弁護士は危ないなというような意識はあったと思います。
その辺から、サンデー毎日よりも被害者の会ないし坂本という意識に移ってきたということですか。
  それまでにも、夏ごろには早川さんが話したということも聞いておりましたから。
それから11月の2日深夜から3日にかけて、第1サティアンでの会議がありましたね。
  はい。
ここで麻原から、ポアという言葉が出てくるわけですが。
  はい、そうです。
そのときの麻原の言葉、今記憶している限りで、どういう言い方をしていたか言っていただけますか。
  あのときは、坂本弁護士の件だけれども、ティロパ大師と話し合って、もう決めたんだけれども、ポアするんだよと言って、ポアだポアだと言われていたんですけれども。どうしてかという理由は、これ以上坂本弁護士に悪業を積ましてはいけないんだと、そう言われて、それで坂本弁護士も法的手段で徹底的にオウムをたたくようだし、被害者の会も大きくなると、これ以上ほおっておけないというようなことを言っておりました。
そのポアという言葉は、イコール殺害、命を奪うことだということはすぐに理解できたんですか。
  いや、そのときは分かりましたから。
つい二日前までは、坂本弁護士の活動に対しては法的手段で対処すると言ってきたものが、その二日後の会議では、殺害に変わるわけですけれども、その理由は何だか分かりましたか。
  私としては、グルが、これ以上悪業を積ましてはいけないと言われておりましたので、それでもうそうなのかなと。
そのころ被害者の会からの要望書、公開質問状みたいなものが来ていましたよね。
  はい。
それが、その殺害に変わる動機と言うことはありませんか。
  ええ、それも、いろいろ地検の方とも話し合って、たぶんそれじゃないかという話もしたんですけれども、私の感覚からしては、取調べのときにずっと言っていたのは、上祐さんが怒ったからじゃないかなと。今、その青山さんと上祐、早川と一緒に会いに行かれて、それで帰ってこられるでしょう。そのときに、坂本さんが自分に対してでも、親が帰れと言ったらあなたも帰らなきゃいけないんだと、そういうふうに言われたということで、私に対してもそういうことを言うんですよということで、相当怒ってましたから。それが、ちょっと麻原にも引っ掛かってたんじゃないかと思ったんですよね。
それは、10月31日の報告のときですよね。
  そうです、夜ですね。
だけども、その日の会議の結論は、法的手段で対抗しようということだったんでしょう。
  ええ。
その話が、わずか二日で殺害に変わるわけですよね。
  はい。
その間に一体何が起きたのか、麻原は何をきっかけで、法的手段から殺害に変わるのか、それは大きな違いだと思うんですね。
  そうですね。
心当たりはありませんか。
  私も謀議がその間にあれば、正直に言いますけれども、ないんですよね。
あなたを除いた幹部で、そういった謀議が行われたという可能性はないんですか。
  いや、それがつい一昨日なんですけれども、地検の中山検事から聞いたんですけれども、早川さんが被告人質問で、牧太郎を錐で突くという話、それがあったということが、当時は否定していたのが、今ごろになって言い出したと。だから、その牧太郎を殺そうじゃないかという謀議が実際にあったんだということが出てきたということで、だからそういう謀議があったと思うんですよね。
坂本殺害に関する謀議。
  はい。
あなたのいないところであったということですか。
  はい。
それは、何か推測できる根拠がありますか、それとも単純な想像ですか。
  いや、でもグルは本当にテロぐらい決めたことなんだけれどもということを、私は覚えているわけですよ。私が嘘を言っているわけじゃないですから。記憶は断片的なものがたくさんありますけれども、本当に話し合ったのかなと。
そうすると、第1サティアン深夜の会議で、ティロパ大師、早川と話し合って決めたと言ったんですか。
  そうです。そのときに村井さんもいたかもしれないけれども、要するに私と早川さんというのは、非常に仲のいい大師ですし、何でも、言っちゃいけないことでも、いろいろと言い合ってたりしましたから。
きっかけは何だか分からないけれども、そういう謀議が行われたことはあり得るということですか。
  そういう話し合いがなければ、急に決まる話ではないと思います、麻原の性格上。
早川被告は、あなたがいないところで、そういう会議が行われたことはないというふうに証言しているんですよね。
  だから、それは牧太郎をポアするかどうか知らないけれども、錐で突くという話は初めはないと言っていて、つい今月の上旬の被告人質問か何かで、実際ありましたと、麻原と村井がそういうふうに話していたと、その場に自分もいたんだということを言っているでしょ。今ごろになってだんだんころころと言い出す、なぜだか分かりませんけれども、やっぱり、まだあるんじゃないかなと私は思います。
そうすると、あなたの認識としては、もう既に殺害は決まっているところにあなたが呼ばれて行ったと、そういうことですか。
  はい、それは間違いないです。
麻原被告の捜査段階の調書の中に、あなたと早川が、このまま弁護士を放置するわけにいかないと、是非やらせてください先生、というふうに言って行ったというんですが、それはないですか。
  それはないです。
先ほど、感情的になって坂本に対する避難を言っていた上祐であるとか、それから坂本弁護士と最後に面談している青山、それがその深夜の会議に加わっていないのはどうしてか分かりますか。
  それは、青山さんはちょっと、麻原は入れないでしょうね、やっぱり。どうしてかと言われても、出家しているからしていないからという理由は関係ないんですけれども、信徒であれば、まだ早いというか、住所を聞くときにでも、まだ青山には聞けないと言ってましたからね。それで上祐の場合は、以前麻原が、自分の信徒が死にかけたことがあったわけですよ。そのとき、入院していて、集中治療室で意識が途切れたり、また蘇ったりするのを、200キロぐらい離れたところから麻原がポアしたというわけですよ。それを上祐は信じていましたら、とにかくポアしなければ、たぶん生きていたのにと。それを涙ながらに語っていましたから。ただ上祐としては、グルがポアするということに関しては信じているし、そういうことに対しては、非常に反対というか、大乗思想が強いですからね。だからそれをもう分かっていたから、そういう話の中に入れさせられないというふうに、思っていたんじゃないかなと思います。
上祐を加えると、上祐が反対するんじゃないかということですか。
  ええ、それはあると思います。要するに、麻原の意見に対して、強く反対できるのは、妻の知子と上祐の二人ぐらいですからね、当時は。
弁護士を殺害する、弁護士というのは、代理人ですね。
  はい。
被害者の会がもし本人だとすれば、代理人である弁護士を殺害するということに対する疑問は、わかなかったんですか。
  そのときは突然言われましたから、それも部外者というか、外の一般の人に向けてですからね。だから、びっくりいたしましたけれども。
疑問を差し挟むことはなかった。
  いや、何か話していたかもしれませんけれども。
早川被告が、弁護士をですかというふうに聞き返したというふうに証言しているんですが、そういう事実はありますか。
  いや、私はそういうのは、覚えてないんですよ。
殺害の動機ですけれども、教団に邪魔になるから、教団のために殺害するのか、あるいは悪業をこれ以上積ませないという本人のためなのか、どちらが強いんでしょうか。
  いや、それは本人です。麻原がそのときに、これ以上悪業を積しちゃいけないんだよと言われて、私はここまで先生はしなきゃいけないということを強く言われるのかなと、私はそう思いましたから。それこそ本当に大乗思想を全うするというかですね。
そうすると、殺害することが本人のためになるんだと、そういう理解ですか。
  そうです。
それは、本当にそれを信じていたんですか。
  そのとき、、信じていました。
そうすると、そのあと遺体を山に遺棄するという行動になりますね。
  はい。
それも含めてポアなんですか。
  ポアは、意識、魂を、他の次元に移し替えるということだけです。
例えば、地獄に坂本は落ちたということを犯行後に言っていますね。
  はい。
それでもポアだと信じるんですか。
  それもポアです。
魂を高めることがポアではないんですか。
  いや、それは、真理の流れに入った修行者は、あくまでも高い次元に持っていかなきゃいけないと、でもそれ以上の悪業を積ますともっと下の地獄に行ってしまうという意味でポアをするというのもありますし、また逆縁で、グルがポアすることによって来世でまた結ばれると、そういう意味合いがありますから。
犯行後に六法全書を読んで全員死刑だという話が出ていましたね。
  はい。
それでもポアなんですか。
  それでもという意味が、ちょっと分からないんですけれども。
要するに死刑ということは、それは世の中で犯罪であるということを、麻原も意識しているということですよね。
  だから、私はそれを聞いたとき、何でそういうことを言うのかなと思いました。
疑問に思ったということですか。
  ええ、そのとき。
本当にこれがポアなのかということ。
  いや、そういうポアじゃなくて、なぜこの場でみんなに、3人殺したら死刑だなと、わしも同罪だとか、そういうことを、なぜ言われるのかなと。別に必要ないのになとは思いました。
その意味が理解できなかったと。
  ええ。
そうすると、あなたは脱会するまで、この坂本一家殺害がいわゆる悪業といいますか、世の中で許されない犯罪であるという意識はなかったということですか。
  いや、それはありました、殺人ですから。それは、当時はゴキブリ一匹も殺さない、殺生は殺生ということで、それはしなかったですから。でもポアができるグルの指示、命令であれば、それはもうポアになるんだと。悪業を積ませない、またポアさせるためにも、やることは殺生ですけれども、本当の意味での悪業ではないと。これは功徳に変わるんだということを信じてました。
そうすると、坂本をポアし、魂を高めるなり、救済するためであれば、自分が罪に問われてもしょうがないと、そういう意識があったんですか。
  いえ、それはもうしょうがないです。
正直なところ、毎日新聞社のように、計画はしても結局犯行できないと、この坂本事件についても、できればどこかで中止にならないかなと、そういうような気持ちはなかったんですか。
  いや、それはありますよ。
何が何でも、グルの意思だから殺害しなければならないという積極的な意思ではなかったんですか。
  そういう積極性とは違います。
坂本事件の9ヶ月ほど前に、田口さんを殺害した事件がありますね。
  はい。
一人をもう殺しているんだから二人も同じだと、そういう感覚ではなかったんですか。  
  いや、それとは全く別なんですよ。
確かに信徒の施設内で、誰にも見られず、殺害するのと一般社会の住宅街で一般人を殺害するのとでは、もう全然違うわけですよね。
  はい。
非常に荒唐無稽な感じがするんですけれども、その会議の話を聞いてますとね。
  そのとおりです。
そういう荒唐無稽で、本当にできるのかなという疑問とか浮かばなかったんですか、本気なのかなというような。
  それは、みんなそう思っていたんじゃないかなと思うんですよね。まあ村井さんと新實さんは、どうか分かりませんけれども。
当時、教団と対立してマスコミにも取り上げられるようになっていた坂本弁護士が襲撃されて、あるいはいなくなったりすれば、オウムが真先に疑われるということは誰にでも分かりますよね。
  はい。
そういうオウムは疑われますよという話は出なかったんですか。
  いや、そういう…もう注射を用意していると言われてましたから。
そういう疑問を差し挟む余地がないということ。
  そうですね、もう注射を用意しているし、どういうふうにやるかという話を話していましたから。
例えば、遺体が発見されなければ、どうにでも言い逃れができるという意識がその場でなかったですか。
  いや、そういう具体的に遺体に関して云々という話はなかったです。というか、少なくとも私は聞いてないんですよ、そういう話は。
この事件がもし、実行されて発覚すれば、もう教団そのものがなくなってしまうほどの重大事件ですよね。
  はい。
麻原初め実行犯は逮捕されるわけですから、そういう切迫感というのはありましたか。教団の命運が掛かっているような重大な実行なんだと、そういう意識はありましたか。
  いや、現場に行くまで、果たしてそういう意識があったのかなと。
あまり考えなかった。
  要するに、みんな誰も文句を言わずに、また批判するような言葉もなしに黙々と動いているから、だから言えないというような状態ですね。
あなた自身も、そういう意識を持ってなかった。
  私も、はっきり言って、あのメンバーでまともなことができるとは思っていませんでしたから。
実現できないと思っていた。
  ええ、実際は。
その犯行を決める数日前に、TBSがビデオを放映するしないという話しがあって、早川被告らがTBSに乗り込んで、放映を中止させたという件がありましたね。
  はい。
当時はそのことは知っていましたか。
  ええ、行く前に、TBSに行かせるという話がありましたし、メモにもありましたから。
放映が中止になったことは知っていましたか。
  中止ですか。
坂本弁護士がインタビューに受け答えしているビデオが、放映中止になったということは知っていましたか。
  いや、それは記憶にないですね。
TBSが放送を中止したことによって、オウム対坂本という構図が世の中に出るのが止められたわけですけれども、それによって犯行しやすくなったと、そういう意識はなかったですか。
  いや、当時の私は、そういうことは知らなかったと思います。
結局あなたのほうで、坂本弁護士の自宅住所を確認して、教団を出発するということになりますね。
  はい。
犯行の方法として、麻原の指示としては、帰宅途中を端本が倒して、中川が注射をすると、つまり薬で殺すという計画だったわけですね。
  はい。
自宅ではなくて、帰宅の途中を襲うということについての理由は、あるんでしょうか。
  それは、麻原が初めから行っておりましたよ。家への帰宅途中と。
そうすると、端本、中川は、それで役割分担がありますけれども、ほかの四人については、麻原が役割分担をしたんですか。 
  そうです。
早川は。
  顔を見ているから、駅で見張りをしろと。
村井は。
  村井さんは、無線機です。
無線係ですか。
  はい。車の用意も、村井さんが車両班のトップでしたから。
新實被告は。
  も、同じように顔を知っているので、一緒にやりました。
あなたの役目は。
  私は運転手です。
一人を帰宅途中で襲撃するのに、六人は多いような気がするんですが、そうではないですか。
  いや、それは分かりません。
最初から六人必要な自宅襲撃ということも念頭にあったんじゃないですか。
  いや、それは話してないですね、麻原が。
麻原の指示には、そういうことはなかった。
  なかったです。
例えば、あなたの知らない、さっき謀議があったと言ってますけれども、そういう中で自宅襲撃も当初から計画に含まれていたということはないですか。
  ないですね。
それは、断定できますか。
  はい。
先ほどあなたの知らないところで、早川と麻原が謀議していた可能性があるというお話ですね。
  だから、それは牧太郎さんろ錐で突くとか、そういう話が実際あったんだと言われているから、今ごろになってそういうことを言い出すということは、あったんじゃないですかと、推測として言っているだけです。
先ほどもちょっと出ましたが、遺体をその場で捨ててくるのか、あるいは運んでくるのかということは、全く事前には話がなかったんですか。
  だからそのときは、注射で打って、それが終わったらすぐに戻って来いと言ってましたから。
遺体を置いてくるということですか。
  そこはちょっと、私も分からないんですよね。
分からないと言っても、あなたが現場に行って実行するわけですよね。
  ええ。
遺体がそこに放置されるのか、持ってくるかによって、その後の発覚とか、経過は全然変わってきますよね。
  ええ、それはそうです。
そういう、あなた自分自身でやることについての疑問とか意識はなかったんですか。どうすればいいのかという不安はないんですか。
  だから、すぐに戻って来いということであれば、注射を打つというのはやっぱり中に連れ込んでですから、それで死に至ったらそのままどこかに放り投げてこいとは言ってないですから。すぐに戻って来いということだから、なら積んで戻って来るのかなと思いますけれども。
それは、最初から意識の中にあったということですか。
  断定はできませんけれども。
移動中に実行班の間で、遺体をどうするという話は出てないんですか。
  はっきりこうしよう、ああするということは、ちょっと覚えてないんですよ。
覚えてないというのは、全然出た記憶もない、出たことがないということではないんですか。
  いや、記憶にないんです。出たことはないということは言いませんけれども。
話したかもしれないけれども、記憶にないと。
  話してるはずだと思うんです、いろんなことは。絶対話しているはずですよ。そんな新實さんみたいな人が、四人揃っているんじゃないんですから、中川もいれば、村井も、端本も、みんな頭がいいんですから。だからそれは、何か話してますよ。ただはっきりこうだという記憶は出てこないんです。
そうすると、何か犯行の段取りについて話をしたという記憶はあるんですか。
  段取りというと。
つまり誰がどういうふうにやって、遺体をどうするというような、具体的な犯行の段取りについて、中身を覚えていなくてもそういう話し合いを実行班の中でしたことはあるんですか、漠然と。
  いや、記憶が出てこないですからね。
薬で殺すということですけれども、塩化カリウムという薬であるということは、あなた認識はありましたか。
  いや、覚えてないんです、名前を。
言われたかもしれない。
  それは、何とかという薬品名ですか、そういうのはありました。
それはもう、注射をすれば即死するような猛毒であるという、そういう意識ですか。
  そういう意識です、私としては。
中川被告の供述ですと、静脈注射が必要だから、そう簡単に殺せるものじゃないんだというようなこともいってるんですけれども、そういう意識は全然なかった。
  私は、なかったです。
端本被告は、薬が用意されていることすら知らなかったと言っているんですが、それは事実ですか。  
  そんなことはありません。
あり得ない。
  あり得ない。
端本被告を含めて、その薬で殺すということは協議していたということですか。
  それは、知っていて当然です。麻原は言っているんですから、まず第1に。
だけど、最初麻原が言っているところには、端本被告はいないんでしょう。
  そのあと呼んでますから。
呼んだときに、薬で殺してというところまで。
  そう言っているんです。だからその件についても、早川さんみたいに今ごろになってぽろぽろ言い出してますが、端本さんも言うようになってくれればいいなと私は思いますけれども、端本くんを連れに行ったとき、私もいたんですから。4年前の取調べのときに、私も端本くんを呼んだと、行ったんだということを言っているんですよ。そうしたら、そのときの古賀検事は、いや、三階で中川は端本を見たんだと、ほかのメンバーも三階にいたのを、それをそのまま上に連れて行ったとかなんか言ってるぞということで、実際私が端本くんを一階で見て、早川が指示を出していて、端本くんが豆鉄砲くらったような顔をしていたのを私は見ているんですよ、ちゃんと。そのあとに、グルが呼んでいたから早く上に連れて行かなきゃいけないんじゃないですかと言ったのは私なんですよ。それは、取調べのときにちゃんと言っているんですよ。
じゃ、端本も全部計画は知っているということですね。
  そうです。でも、それはオウム法廷でも言っていいですか、言わなくていいんですか、どうなんですかと言ったら、なら言ってくれと言ったり、オウム法廷でそういう詳しいあれがなかったら、もう言わないでくれとか言われたり、いろいろ言われているんです、私は。
誰から言われたんですか。
  それは、地検の検事からです。言ってもいい言っちゃいけないと、何回も言われています。
それはその都度変わるんですか。
  それはそうですよ。
端本が知っているか知らないかについて。
  それについても、嘘ではありませんから。だから、私はオウム法廷というのは、ああいう状態で進んでますから、それはやっぱり検事さんの思うように行くのが一番いいと思ってます。私は、正義だと思ってますから、だからそのとおりしてますけれども。
そうすると、証言内容が検事の指導によって変わるということですか。
  それはあります、はっきり言いますけれども。
端本被告が一撃で倒して、薬を打つんだという計画ですけれども、本当に一撃で倒せると、あなたは思っていましたか。
  本人はできるって言ってましたよ。私が思っていたかというのは、それはいろいろ空手の話とか実際にしてますから、そういうこともあるというのは分かりますけれども。
できると言ったのは早川さんじゃないんですか。端本被告が言ってましたか。 
  車の中で言ってました。不意をついたらいいとか、あごを殴ったらいいとかいうことも言ってました、実際は。
端本被告は、坂本さん本人の写真を見ていますか。
  それは見ています。
それは、あなたが見せたんですか。
  いや、村井さんが。
端本被告は、写真なんか見ていないと言っているんですけれどもね、法廷では。
  それはないでしょう。
それは間違いない。
  私は、車の中で初めて写真を見ましたと。
現場に行ってからですね。
  はい。それ一回しか見ていませんけれども、4年前の取調べのときに、どういう内容だったのかと、そしてもし写真があるんだったら、その写真はどの部署にあったとか、そういうのは覚えているのかと言ったときに、私はちゃんと絵を描いて言いました。中の内容とか、プロフィールの内容も言いました。覚えている限りは。それは、ほとんど当たっていました。忘れることはないと思うんですけれども。
同じ認識を、端本も持っていただろうということ。
  そうです。彼は、馬鹿じゃないですから、賢いですから。
もちろん彼が最初に攻撃するわけだから、顔を知らなきゃできるわけないと思うんですけれども。
  だから、そういう話はあったんですから。間違うんじゃないかと。
彼が法廷で、写真なんか見たことないと言っているのが、それは嘘だということですか。
  いや、それは嘘かどうか分かりませんよ。本人がもう本当に忘れているのか。
検事に言わされているのか。
  いや、それはちょっと分かりませんけれども。
その三日未明深夜の会議で、麻原のほうから、電車通勤だから帰宅途中を襲撃すればいいという指示があったということですけれども、事前に何か坂本弁護士の行動を調査していたんですか。
  それは知りません。
なぜ電車通勤であるということが断定できたのか、それが分からないんですけれどもね。
  それは、私も分かりません。
例えば行ってみたら、電車ではなくて、自家用車で通っているということだってあり得るわけですよね。
  でも、プロフィールには、乳母車だけだとか書いてなかったですか。
それは、あとになって見たわけでしょう。  
  それは、私がそうです。
じゃあ、麻原はもっと前から知っていただろうと。
  いや、それは早川さんが知っていたはずでしょう。それを持ち帰ったのは早川さんですから。
そうすると車はないと、電車じゃないかと、そういうことですか。
  だから、それを断定できるというのは、またそれ以外の情報はあるかもしれません。
バスとかタクシーではなくて、電車、駅から歩く、そういうことまで何か情報を得ていたという可能性はあるんですか。
  いや、私は知りません。
教団を出発したのが朝9時ぐらいということでしたね。
  そうです。
出発のゴーサインは誰が出したんですか。
  ゴーサインといっても、麻原が出発だと言ってますからね。
住所の確認ができて、麻原に伝えた。  
  それは私です。
そのあと、すぐもう行けという話ですか。
  そうです。
自宅の住所が分かったというだけで、出発できるだけの準備が整ったと、そういうことなんですか。
  …。
何かあまりにも唐突という感じがするんだけれどもね。さあ、行こうということになったわけですか。
  とにかく、すぐ行けというような状態でしたから。
その行けというサインが出るまで、ほかの実行犯たちは寝ているわけですよね。
  さあ、それはどうなんですかね。
あなたに朝起こされたという証言もあるんだけれども。さあ、行くぞと言って岡崎さんから起こされましたという証言が出ているんだけれども、違いますか。
  私がグルに住所を報告して、そのあとに自分の部屋に戻って、もう今から出ますよということは言ったと思います。それまでに寝ているということは、私もちょっと分からないですね。同じ大師が起きて、グルの命令どおりに従っているときに、まだ平気で寝ている大師というのは普通いないと思いますけれどもね。
その深夜の会議が終わったのは、何時ごろですか? 
  それは未明ですけれども、何時とは言えません。
3時とか4時とか。
  いた、そんなことはないと思います。
もっと早い、1時とか2時とかそんな感じ。
  2時前後じゃないかなと思いますけれども。
そうすると、住所を確認する8時ぐらいまでの間、5,6時間あるということですか。
  そうですね、十分ですね。
その間に実行犯の中で、犯行の打ち合わせをしたということはないんですか。
  私はありません。ただ一つ、私も不思議に思うのは、車を二台選びました。あれは誰が選んだんだろうなと、これははっきり分かりません。
出発するときには、もう車は用意してあったんですか。
  はい。
なぜビッグホーンという車なのか、説明はないんですか。
  それが分からないんです。
遺体を3つ運んでくるという前提ではないんですか。
  いや、そういうあれはないんですね。
機動性を考えれば乗用車で十分だと思うんですけれども、なぜビックホーンなのかというのが、よく分からないんだけれども。
  ただ、ビックホーンとブルーバードというのは、私が選んだんではないですし、私が意見を出したこともないんです。
現場に到着してからのことですが、まず坂本さんの自宅付近には、何時ごろ到着しましたか。
  4時過ぎです。
まだ明るいですね。
  はい。 
隣接する神社の境内からのぞいたと、アパートの様子と見たということでしたね。
  はい。
そのときに人の気配は、部屋の中にありましたか。
  いや、それは全然分からないですね。
道路側から部屋の様子は見ましたか。
  それはもうベランダを見るだけでわかりません。
ベランダを見て、カーテンが開いているとか閉まっているとか、人がいそうだとかというのは。
  いや、そういう記憶はもうないです。
駅からの帰宅の途中を襲撃するという当初の計画のようですが、駅から自宅までのルートというのは、あそこは住宅街で、いろいろとルートとしてあるわけですけれども、そのどこを通ってくるということは、いろいろ調べたんですか。
  あれは、村井さんも地図はもっておりまして、どの辺から歩いてくるだろうかということを、端本くんと、みんなでですけれども、たぶんこう来るんじゃないかというのは、ちゃんと指でなぞって考えたりしていました。
その段階で、襲撃のポイントというのは決めたんですか? 
  ポイントは、ちょうどコーナー、角、入口の。
あの広い通りから細い道に入る。
  そうです。一方通行の通りですか、あそこだと。
あの角で襲撃するという計画。
  はい。
あそこだったら必ず通るであろうということですか。
  はい。
結局顔を知っているのは、直接顔を見ているのは、早川、新實の二人だけですね。
  はい。
その二人は駅の前で見張っているわけですね。
  はい。
現場、つまり襲撃ポイントの近くにいる四人は直接顔を知らない、写真を見ただけだと、そういうことですね。
  はい。
それで、夜歩いてくる坂本弁護士を、その四人が襲撃できるという確信があったんですか。人違いという恐れは考えなかったんですか。
  それは、私も端本くんに言いましたよ。間違ったらいけないから、大変なことになるからということで、声をかけた方がいいんじゃないかとか
声をかける。
  はい。
坂本さんと。
  はい。
そういう打ち合わせを、ビックホーンの中でしていたんですか。
  それはしておりました。
駅前にいる車が坂本さんを確認して、どういう連絡をしてくるというような打ち合わせをしたんですか、あるいは尾行するとか。

坂本さんの確認、特定のために、どういう打ち合わせをしたんですか、あるいは尾行するとか。
  それは、その都度細かく、どこを通って、どの辺の道を歩いているということは報告するという意味合いで理解しておりました。
報告するというのは、ブルーバードがあとをつけてくるということ。
  いや、そういう意味ではなくて、お互い地図は持っておりましたから、だから何丁目のどの辺の角を今歩いておるとか、そういうことを言うんじゃないかと思いましたけれども。
だって、ブルーバードが駅前で待っていて、改札から出てくる坂本さんを確認するということでしょう。
  ええ、そうです。
そのあとどうやって、どこを歩いているということを指示するわけ。
  それは早川さんの考え方で、分かりやすく指示されるんじゃないかと思いますけど。
早川被告は、あとをつけてくる、途中報告をするということですか。
  そうです。
あなた自身は、洋光台の駅前に行ってみましたか。
  いや、知りません。
駅の構造が分からない。
  見たことがないです。
そのブルーバードが、坂本弁護士を見つけたら尾行していくという話はあったんですか。
  そこは、こうだという言い方での記憶はないんですよ。
つまり、顔を知らない四人と、顔を知っている二人、実際に襲撃するのは顔を知らないほうなんですよね。
  そうです。
どうやってその坂本本人を特定するのかというのが、よく分からないんですけれども、どういう打ち合わせをしていたんですか、あまり記憶はないですか。
  連絡は頻繁にしておりましたけれども、実際にどういうふうにするのはと言われても、具体的にこうだという記憶は出てこないんですよ。
非常に無理な計画のような記がするんですけれども。
  ええ、それは初めから無理だと思いますけれども。
本当にそういう計画でいたんですか。自宅を襲撃するという計画もあったんじゃないですか。
  いや、そういう意味ではないです。
自宅襲撃であれば、そこにいるということが分かりさえすれば、そこにいれば襲撃できるわけですけれども、顔を見たことがない人が歩いてくるところを襲撃するなんていうのは、かなり無理があるような気がするんだけれども。
  だいたい自宅といっても、どんな自宅なのかも知らなかったですから。
あなたの検察官調書の中に、坂本弁護士が家にいない場合もあり得るので、そのときは家に入るという発想があったというくだりがあるんですけれども、そういう供述はしましたか。
  それはちょっと、何かおかしいですけれどもね、実際は。
おかしいというのは。
  だから、それはグルからの連絡とか、取って、実際に言ってから坂本さんをおびきだすとか、そういう意味になるかもしれないと、結果的にはあのような事件になってしまいましたから、だから調書の中にも無理があるようなことを言ってますけれども。
坂本さんをおびきだすという話しもでていたんですか。
  いや、出てないです。
それは、あなたが考えたこと。
  取調の時に、そういうこともあるかもしれませんねという話をしただけです。
それは、今考えればそういう可能性があるということですか。
  そうです。
当時、坂本さんを家からおびき出すという発想はなかったんですか。
  なかったです。
家に入るという発想は、当時全くなかったんですか。
  なかったです。 
ほかの実行犯にもなかったですか。
  なかったです。
あなたが手記を書かれて、週刊現代に掲載されているものがあるんですが、そこには検察のストーリーどおりに進めてきたら、その結果は死刑ですというようなくだりがあって、何か検察のストーリーが作られたものであるかのように読めるんですけれども、実際のところはどういう意味なんですか、その検察のストーリーという、あなたが言っているのは。
  そういう内容で出てますかね。
そういうふうに書いた覚えはないですか。あなたの認識として、検察側が冒陳であるとか、論告であるとか、組み立てていったストーリーはまずあると、あなたはそれに乗っかって証言をしたと、そういう趣旨ではないんですか。実際、本当はそうじゃないんだけれども、検察の作ったストーリーに乗っかって供述していったら死刑になってしまったという検察を恨んでの供述であるように読めるんだけれども、そうじゃないんですか。
  いや、恨んでいるとか、そういう意味じゃないです。別に、私は死刑になってもそれはいいですということを述べてますから。だからそういう意味じゃなくて。
その検察のストーリーというのは、どういうことを言っているんですか。
  要するに、ありのままというか、自分の意見もある程度供述の中に入れてもらえるとか、そういうものがはぶかれたりとか、そういうことが意外とあったなと。それと、先ほども言ったほうがいいとか、言わなくてもいいよとかいろいろありますけれども、本当は私はもっと小さなことも覚えておりますし、そういう部分についてももっと言いたかったんですよ。
例えばどういうこと。検察に押さえられているあなたの記憶している事実というのは、どんなことがあるんですか。
  押さえられているというのか、どうなのか、ちょっと分からないんですけれども、私が家に2回行きましたというのがありますよね。車から2回離れて2回行ったことは確かなんですよ。1回目は、9:30ごろか9:00すぎだと思うんですけれども、早川さんたちが電話を掛けていまして、なぜ電話を掛けたのか私は分からないんですけれども、いないと言われたから、ああ本当にいないんだったら、もうこのままで終わって帰るのかどうかということで、それで神社まで私一人で行ったんですよ。神社まで行って、神社の境内からずっと見ていたんですけれども、周りは暗かったし、あまり人通りもないと。周りの人たちは、あまり動きがないんだなというのを確認して、それから帰ったんですよ。それで、そのあとなんですよ。10時過ぎごろ見に行ったと、それが一回だけなんです、本当は。
鍵を見に行ったのは、1回だけなんですか。
  一回だけなんです、本当は。
あなたの供述や裁判所の認定だと、9時から10時ぐらいに1回鍵を見に行って開けて、開いているのを確認して、更に12時ぐらいにもう1ぺん行って鍵を開けたとなってますが。
  12時ごろというのはないです。それは、絶対ないです。私は本当は1回なんです。それは、四年前の取調べのときには、そういうふうに言っているんです、ずっと、それで、古賀検事と大分討論したんですよ。古賀検事としては、要するに一回、10時前後に見に行って、鍵が開いていたと、分かったと。それで私たちがグルに報告したら、もう中に入れと言うと。それ以降は、またもう一回見たんじゃないかと言われましたけれども、本当は見てないんです、私。そしたら、そんなことがあるわけじゃないか、夜12時とか1時ごろ行って、開いているから、だから3時に入れるんじゃないのかと、そういうふうに言われていたんですよ。そうしなければ、おまえたちが入るわけないじゃないかというけれども、そうじゃないんですよ。
そうすると、あなたは実際にないことを認めて、調書になったということ。
  そうなんですよ。だから、その二回目のときに行ったときには、麻原法廷では、また開けて真っ暗だったとか言ってますけれども、それは本当に3時に行ったときの真っ暗な状態がありますよね、電気も消えていたと。その状態を言うしかないなということで、それを言っただけですよ。私は、その麻原法廷の検事調書なんかも何回もありますけれども、毎日。そのときに、あれどうしましょうかと言っても、しょうがないというような形で。
しょうがないというのは、誰が言うんですか。検事が言うんですか。
  そうですよ。まず、調書にしてしまったもの。それと、調書にしてしまったものにしても、私は一番最初、初めての反対尋問で、早川法廷に出ましたよね。そのときでも、違うところはたくさんあるんですよ。記憶のとおりに言ってくださいと初め言われたんですよ。で、記憶の通りとなると、大分違うところがありますと言ったんですよ。そしたら、なら検事の書いた調書だから、やっぱり検事の書いた調書だから、検事の書いた著書のとおりじゃないと困りますねというのは、あったわけですよ。
検事からですか。
  言われました。だから、なおもう調書を丸覚えするしかないのかなと、そういう気持ちになるわけですよ。
そうすると、あなたの記憶にないことを法廷でも言ったと。
  記憶にないことというよりも、調書に出たことを、それを私は正しいと思っていましたから。
正しいというのは。
  私は、検事の言われることは正しいとずっと思っていましたから。正義だと。また、こんな小さなことまで、あれこれ言うのが法廷とは思ってませんでした、当時は。要するに罪を認めて、これは私がやった事件なんですということであれば、もうそれで十分なのかなと、そういうふうに思っていたんです、初めは。
真実を明らかにするという意識ではなかったということ。
  いや、真実は真実でちゃんと自分の犯罪で、これはこうなんだと、誰に言われてこうなった、何人でやったということを言えば、それでいいと、そういうふうに思っていましたから。そうすることが正しいことだと思ってましたから。
そうすると、我々が聞いている事実とは大分違うんだけれども、その鍵の問題ですね、あなたが10時前後に一度行ってみたことは間違いない。
  間違いない。
玄関先まで行って、ドアノブを開けていること、これも間違いないですか。
  はい。
鍵は開いていたんですか。
  開いています。開いているというより、ずれたんです。1p〜1.5pくらい。
ドアが引けたということですか。
  そうです。 
中が見えるぐらいまで開いたんですか。
  いや、開けてないです。
隙間が開くほどは引いてないということですか。
  引いてないです、私は。
1pかそこら。
  1pか1.5pぐらいです。
それで完全にドアの鍵が開いているということは確認できたんですか。
  そういうふうに思ったんです、私は。
思った。
  ええ、まだ鍵は開いているんだなって。
ドアノブはちゃんと最後まで回りましたか。
  回りましたね。
特に抵抗はなかったですか。
  はい。
そうすると、中でチェーンをされているかどうかということは分からないですね。
  分かりません。
中の隙間は全然見てないわけですか、そうすると。
  見てないです。
中に明かりがついているかどうかということも、ドアの隙間から確認できないんですか。
  それは、ポストを開いたときに、明かりがあったなというのは覚えています。
ポストから中の明かりが見えましたか。
  見えたというより、明るかったですから。
あとにも先にも、ドアの鍵を確認したのは、その1回だけということですか。
  そうです。
早川被告の供述ですと、電話を坂本さんの自宅に掛けて、もし坂本さんがその電話に出たら、その日の犯行は中止だというふうに、法廷では言っているんですが、そういう坂本さんの所在を確認するため、犯行するかどうかということの決断をするために早川被告は電話を掛けたと、そういうことじゃありませんか。
  そうだと思います。
それは、あなたは事前には知らなかった、電話を掛ける際は知らなかった。
  そういう電話を掛ける前に、端本くんを連れ出したというのは覚えているんですよ。だから、なぜ電話を掛けないといけないかという、そういう説得力ある理由とか、そういうのは私は、あまり聞いてないんですよね。
直接電話を掛けるというのも、あなたがたにとってはかなり危険な行動ですよね。発覚するわけですから。
  はい。
それについて、特に打ち合わせなしですか。
  いや、私はそういう記憶はないんですよ。ただ、端本が出ていった、また帰ってきた、電話を掛けに行ったんだなというのが分かった、あと誰も出ませんでしたよと、そういう報告ぐらいです。
それを受けて、あなたがまず神社に行き、それから鍵を見に行くという行動に出るわけね。
  はい。
その電話で、坂本さんは出ないと、本人がいないかもしれないと、今日の犯行、実行はこれで中止ということには、どうしてならなかったんですか。あなたが積極的に鍵を見に行かなければ、その場で終わりだったんじゃないですか。
  それは、鍵はそのとおりです。
あなたの意識としては、どうしてもいるかどうか確認したい、いるならば襲撃したい、グルの指示なんだから襲撃しないで帰るわけにはいかないと、そういう意思があったということ。
  家に対してですか。
家にです。
  家にではないです。
そうすると、何のために家の鍵まで見に、ドアのところまであなたは行っているんだろうと。
  だからその間に、早川さんも言っていたと思うんですけれども、いるのかいないのかどっちなのかなという不安というのが、当時の実行犯のメンバーというのが、曖昧模糊の状態だったんですよ。
不安というのは、何の不安ですか。
  いないんじゃないかとか、いるんじゃないかなという。
だって、いなければ中止でしょ。
  ええ。
帰っていても、中止なんじゃないですか。
  そうですよ。
そうすると、いるかいないか確認する意味って、何ですか。
  …。
不安でいたというんでしょ。
  それは、そうですよ。帰っていればもう終わりですから。
自宅は誰もいなくて不在であれば、それでも終わりですよね。
  ええ、それはそうですよ。
そうすると、いるかいないか不安で確認するという意味がよく分からないんだけれども。
  いや、それは今までに、早川さんとの、何でかわらないけれども、実際に見落としているんじゃないかなとか、そういう話とかがありましたからね。
帰宅途中を見逃したんじゃないかと。
  はい。
見逃してしまえば犯行はおしまいじゃないんですか。
  それはおしまいです。
何でわざわざ家まで行って確認したんですか。
  だから、そういうミスをしたんじゃないかという意味です。
ミスをしても、見逃してしまえばそれで犯行は中止じゃないの。
  だから、それは中止ですよ。でも、それは報告しなきゃいけないんです、また、もう帰りますという。
そうすると、ミスしたままでは帰れないから、家の様子まで確認しなきゃならないと、そういうことですか。
  まあ、もう本当に帰ってますということを、報告しなきゃいけない。
あなたが、自宅を見に行くという判断は、自分でしたわけですね。誰かから指示されてたわけではないですね。
  いや、そういう指示じゃなくて、話し合いは少しはしています、村井さんとも。
どういう話し合い。
  だから、その中で本当に帰ってるんだろうかどうか、いるんじゃないだろうかとか、そういう話し合いをして、それをその中から私が、じゃあちょっと見に行きましょうかということで、私が出たんです。
結局あなたの行動が自宅に入るという、いわば引き金というか、方向がぐっと変わるきっかけになったわけですね。
  それは認めます。
本当にそういう展開なんですか。最初から自宅ということを念頭に、みんなの中にあったんじゃないですか。
  それはないですね。
そうすると、ドアを見に行くこと自体は、あなたの判断ですね。
  はい。
その行動によって、最初の計画ががらっと方向が変わったということは事実なんですか。
  本当にそうなんです。
あなたのドアを見に行った目的というのは、様子の確認なんですか、それとも鍵の確認なんですか。
  様子です。
いるかどうか、鍵が開いているかどうかではないんですか。
  それは、全然関係ないです。
様子を見るんだったら、道路のほうから見れば分かるんじゃないの。
  それじゃちょっと分からなかったと思うんですけれどもね。確認がとれなかったというか。
道路からベランダの窓のほうは見ましたか、そのとき。
  いや、歩いている途中から、ベランタは見えましたから。
ベランダで窓の明かりは見えましたか。
  記憶がないです。
カーテンが掛かっていたか、雨戸が閉まっていたか、その辺の記憶はないですか。
  ないです。
窓のほうから、人の気配が感じられるということはなかったですか。
  そういうのは、ないです。
記憶にない。
  はい。
あのアパートは、階段が敷地の内側にあって、道路のほうからぐっと回り込んで中に入らないと、階段は上がれないですね。
  はい。
あなたがたにとっては、かなり危険な、発覚の恐れのある行動だと思うんですけれども、なぜそこまで危険を押して、あなたは玄関まで確認に行ったのか、そのあなたの認識がよく分からないんだけれども。
  …。
様子を確認するという目的のために、なぜそこまで危険をおかしてあなたは行ったんですか。
  …。 
住民しか通らないところですからね。見ず知らずの男がのそのそ入っていって、ドアをのぞいているなんていう行動を、人が見たら一発で怪しまれますよね。
  そういう気配は感じられませんでした。その周り、雰囲気というか。
周りに人の気配がなかった。
  なかったです。
10時ごろ。
  そうです。
周りを、あなたは人がいるかどうか意識しながら入っていったということですか。
  それは、その前から分かりましたけれども。
あなたは、逮捕前の供述の中で、知らないところで別動隊が動いているんじゃないかというようなことを言ったことがありますね。
  あります。
それは、何か根拠があってそう言ったことですか、それとも自分の責任を少しでも軽くしようという発想でもあったんですか。
  いや、そういう発想はありません。
そうすると、何か可能性としてはあるんじゃないかということですか。
  だから、3時になってもあいていたということ、それでやっぱり何かあるのかなと、不思議だと自分も思っていましたから。
オウムの教団には、かなりの高度の化学技術であるとか、様々な職歴の人がいるけれども、鍵の職人とか、鍵開け技術のある人なんていうのは、一人や二人いたんじゃないんですか。
  それは、知らないです、私は。
聞いたことないですか。
  ええ。
あなた自身、健康食品の訪問販売なんかとやっていたということのようですけれども。
  訪問販売はやってないです。教材の訪問販売だけです。
そういうセールストークのようなものを使って、坂本さんをだまして、鍵を開けさせるとか、そういうことがあったんじゃないんですか。
  それはないです。
鍵が開いているという報告を、直接あなた自身が麻原にしなかったのは、どうしてですか。
  それは、平成元年ぐらいからS63.11からもそうなんですけれども、麻原対して電話で報告する、または電話で報告してもすぐかわれと言われてましたから、あのメンバーの中で、やっぱり早川さんぐらいですね。
あなたは立場上というか、その当時の状態として麻原と直接話ができる状態じゃなかったということ。
  いや、直接話はできますけれども、あのメンバーの中で、早川さんと村井さんを出し抜いて報告するとか、普通はできないです。そういう例は幾らでもありますけれども、要するに私は、早川さんのをどうのこうのというんじゃないですよ。もう63年の11月ごろからそうだったんですけれどもね。まあ、新實さんに聞いたら一番よく分かると思うんですけれども。要するに早川さんの報告の仕方というのは、できるだけ主観を入れずにありのままを報告するというのが、彼のモットーだと思うんですけれども、私の場合には、ありのままを報告したあとに自分の意見を言うわけです、麻原に。それは、くせみたいなものでね。それが大体グルがこう思うだろうということを先に言ってしまいますから。
そうすると、あなたがもし直接麻原に、この鍵のことを伝えているとすれば、鍵が開いているから入れますよというようなことを言ったかもしれないということ。
  いや、そういう意味じゃない。そこまで飛躍したらおかしいですけれども。要するに、商談とかそういうので、私はたくさんお金の取引なんかをしてますよね、教団の。そういう面でも、それは私しかできないから、麻原によく報告するんですけれども、そういうところで、それ意外のことについては報告をするにしても、また途中していても、すぐ替われと言われていましたから。
まだ、そのかぎが開いているということを早川を通じて報告する訳ですが、その鍵が開いているという報告をするというのは、それによって次の行動をどうしますかという伺いを立てるというか、そういう意味ですか。それとも、ただ単に情報として流すだけなんですか。
  私としては、もしかしたら帰っているかもしれませんという情報を流しましたけれども。
そのときに、あなたの心の中に、入るんだったら入れますよと、そういう判断を待つという意識はあったんですか。
  いや、そういう言い方はしてないです。
言ってなくても、あなたの意識としてはあったんですか。
  それはないです。ありませんよ。
帰っているかもしれませんねと、そういうことは言ったんですか。
  それは言ってます。
帰っているかもしれないということは、もう今日の犯行はおしまいですねと、そういう意味ですか。
  そういう意味で、すぐに帰ったほうがいいんじゃないかなというふうに思いましたから。
帰ったほうがいいと、あなたは思っていたんですか。
  思いました。もしも、帰っているんだったら。
そうすると、早川被告を通じて、麻原のほうから、家に入れという指示がきますね。
  はい。
その指示があったときに、あなたはそれをどういうふうに感じましたか。
  それは驚きました。
あなたは予想していた答えじゃないんですか。
  そうじゃないんです。
その家に入って、一家もろとも殺害するという指示が出てから、まず3時に実行しようということは、誰と誰で決めたんですか。
  私と早川さんです。
1時2時では早過ぎる、4時5時では遅すぎると、3時という発案はあなたが言ったんですか。
  3時は私が言いました。その理由は、話してないと思うんですけれども。
唐突に3時ではどうかと。
  3時ぐらいがいいんじゃないんですかと。
そうすると、調書に出てくるような、一時だと早過ぎるとか。
  ああいう詳しい理由というのは述べてません。
それは、あとから出てきた話、考えた。
  取調べのときに、こういう理由であればという内容です。
3時に一家全員を殺害するという話が出てきたときに、実行犯全員が、家族構成などは知っていたんですか。
  知っていて当然です。
新實被告は、子供のことは知らなかったというようなことを言っているんですが、そういうことはないですか。
  それは、逆に本人に聞きたいですね。
子供を殺害するということは、この麻原の指示のその瞬間に分かったわけですね。
  家族全員と言ってましたから。
それに対して、あなたはどういうふうに思いましたか。
  どうしてそこまでするんだろうかとは思いました。なぜそんな話しになったのかなと。
それでも異議を差し挟む余地はないんですか。
  もう決定ですから。
例えば鍵は閉まってましたという余地があったんじゃないですか。
  えっ。
あなたの判断で、鍵が閉まってましたと言って、帰る余地はなかったですか。
  そういうあれはないですけれども。
家の中に入ってからのことですけれども、坂本弁護士が声を発した記憶はありますか。
  あります。
どんな声でしたか。
  殴られたときの、うとか、あとかいう声が。
金ならやるというような発声はなかったですか。
  それは聞いてません。
奥さんの都子さんが、声を発していた記憶はありますか。
  あります。
どんな言葉を言ってましたか。
  隣のほうで、子供だけはお願いと言っておりました。
どんな声の様子でしたか。大きな声でしたか。
  いや、大きな声というよりも、女性の声が聞こえたというのは、はっきり覚えております。
苦しそうに、絞り出すような声ですか、それとも叫ぶような声ですか。
  とにかく、少し早い声でした、早口というか。
そんなに大声ではなかった。
  ええ、大きな声ではなかったです。
龍彦ちゃんの泣き声は聞きましたか?
  聞いてません。
その部屋の中で、新實被告が、誰に対して、何をしていたかという記憶はありますか。
  いや、それは…入ったときには、ご夫婦のどちらかを攻撃していたのは分かりますけれども。
それは見た記憶がありますか。
  それはあります。
どういう攻撃をしていましたか。
  とにかく腕を使って何かやっていたと。
殴るということですか。
  ええ。
     釈明処分としての検証調書添付第二図を示す
これは、裁判所が現場に行ったときの図面なんですけれども、外廊下から玄関が、DEというところから入ってますね。台所なり、ぐっと右に回り込んだところに寝室、居間があると。この部屋の間取りの状況に記憶がありますか。
  はい。
この寝室の図面でいうと、右下隅のところに鏡台とありますが、この鏡台があったことは記憶にありますか。
  あります。
     釈明処分としての検証調書添付の写真19及び20を示す
これは、その鏡台の縁が写っていますけれども、鏡台の後ろ、ふすまに、鏡台と同じ形のへこみが写されている状況ですが、これはどういう状況からできたかという記憶がありますか。
  これは、取調べのときから、私は写真を見る前から言ってましたけれども、ふすまに鏡台のあとが残っているはずですと、それを確認して出て行きましたからと言ってますので。
あなたは出るときに、もうふすまの傷まで確認していたんですか。
  そうです。それを取調べのときに、写真なんか見る前に言っていました。
釈明処分としての検証調書添付の写真18を示す
これは今の鏡台の裏側、居間の隅の部分ですけれども、敷物がぐちゃぐちゃにしわになっていますけれども、この敷物のしわは、どうやってできたか分かりますか。
それは、推測でということですか。それはたぶん、鏡台に押されて、ふすまがここまできたんじゃないかなと思います。
あなたは、犯行後、部屋に戻って、ふすまを直していますね。
  はい。
そのときふすまは、どのくらいの幅でずれていましたか。居間のほうに押されていたわけですね。
  ええ、それはもう20pくらいは、ずれていたと思います。
誰が、そういうふうに押し込んだりぶつかったりしたのかという記憶はありますか。
  これは推測なんですけれども、早川さんじゃないかなと思います。
     甲第14号証を示す
この「真相」というパンフレットの表紙も入れて三枚目の裏、アパートの写真が写っているんです。この右下の写真を示します。今と同じテレビの下の敷物がずれているところですが、事件発覚直後に部屋を見たときに、テレビの後ろにジャージの上下が放り込まれていたんですが、これに記憶はありませんか。
  こちらの居間の記憶というのはないんです。
あなたが部屋に戻って見たときには、こちらのほうは見ていないんですか。
  居間のほうの記憶がないんですね。見ているかもしれませんけれども、はっきりとした記憶は残っていないんです。
     釈明処分としての検証調書添付の写真21及び22を示す
これが寝室のベランダ側の窓の下の壁の部分に、ちょっと薄いですけれども、血痕が指でなぞったようにして、壁についているんですが、Sというような文字を書いているようにも見えるんですが、うっすらと指でなぞったような血痕なんですが、これが、どうしてついてかという記憶なり推測なりはありませんか。
  いや、それはちょっとわかりません。
坂本さんが襲撃から逃れようと、窓のほうにずれて行ったというか、移動したということはありませんか。そのときに捕まったということはありませんか。
  いや、私は坂本さんは、頭のほうはタンス側のほうに向けていましたから。
あなたが右手で首を絞めていたわけですね。
  はい。
その位置関係はどこになりますか。
     釈明処分としての検証調書添付第二図を示す
この寝室でいうと、どこになりますか。
  このタンスのほうでうすね。
タンスが上下に二つ並んでいますが、下のタンスですか。
  どちらかというと、この南側のほうの。
窓側の。
  タンスに近いほうに頭があったと。
あなたがタンスに背を向けていたんですか。
  そうです。
その前に坂本さんの頭があったということですか。
  はい。
そうすると、それ以上、窓側に坂本さんが寄ったということはないということですか。
  それは分かりません。ただ、私は、右手でずっと締めて押さえていましたから。
坂本さんんは力がなくなるまであなたは締めて、その場にいたわけですよね。
  はい。
坂本さんが右手をのばして、窓のほうに手を掛けたと、そういうことはありませんか。
  いや、左手は私がつかんでいましたけれども、右手はどうなっていたかというのは分からないですね。頭をかかえたりとか、いろいろされてましたけれども。
その血痕については分からない。
  はい。
それから、中川被告が現場にプルシャをに落としているということは間違いありませんか。
  それは、本人がそのように申しておりましたから。
現場に行く前に、中川被告がプルシャを身につけていたということは、あなたは知っていましたか。
  それは、分かりません。
殺人に行くのに、教団のプルシャを付けていくということ自体がちょっと信じがたいんだけれども、それはあなたとしては理解できることですか。
  私は、つけているのが当然だと思いますけれどもね。
それは、どういう意味ですか。
  グルのエネルギーによって、自分たちの意思というのがつながってますから。私は付けてましたよ。
それは、どこに付けてたんですか。
  袋があって、首に掛ける、その中に大きなプルシャと小さなプルシャを二個、私は持ってますけれど、落ちることはないですね。
それは、全員が同じように、首から下げていたんですか。
  ほとんどが首から下げているのが普通なんですけれどもね。
中川被告が落としたというのは、どういうことからでしょうか。その首から下げていたのが切れたということですか。
  安全ピンの付いたプルシャをどこかに付けていたんでしょうね。
プルシャには、安全ピンのタイプとそうでないものがあるんですか。
  そうです。
首から下げる場合には、安全ピンじゃないやつ。
  じゃないやつを大体付けます。
あなたが持っていたのは、安全ピンじゃないほうですか。
  は、付けてないですね。
安全ピンのものが落ちているということは、どこか衣類に付けていたと、そういうことですよね。
  下着のどこか、この線から、はずれていないと思います。
この線というのは。
  この中心の線から。チャクラに合わして付けますから。
あごから胸の中心。
  はい。
この線の上に付けるわけですか。
  ええ、大体。要するにアナガタチャクラだったらアナガタチャクラの位置に付けるとか、マンクーラチャクラだったらマンクーラチャクラの前に付けるとか、これからは、はずれないと思います、当時の教団の信者であれば。
そうすると、ピンのものを、衣類のどこかに付けていたということになるわけですか。
  ピンタイプであればですね。
遺体を運び出すというのは、その場で決まったんですか?
  その場ということですか、犯行があった直後ということですか。
ええ。
  いや、そのときは、車、車といわれましたので、ハッと思って車をとりに行かなきゃいけないと。
もう三人とも、事切れてぐったりしている状態ですか。
  と思うんですけれども。
その部屋の中で車、車って、言われたんですか。
  ええ、それは言われました。
誰の声ですか。
  私は早川さんの声だと思いました。
それから取りに行ったんですね。
  そうです。
車、車ということは、遺体を搬出するためだということは、すぐわかったんですか。
  分かりました。
あなたは、直接は遺体を運んでないですね。
  はい。
誰が誰を運んだんですか。
  そういう記憶はありませんけれども。
運び出しているとき、あなたは車の中にいたんですか。
  車の中か外です。
階段の下あたりで見ていたということはないんですか。
  ええ、見ていました。
そうすると、誰が誰を運んでくるかというのを、あなたは見ていたんじゃないですか。
  いや、そういう記憶はないんですよ。
最初に玄関のドアから入って、中で犯行が行われ、遺体を搬出し終わるまで大体何分ぐらい掛かっていますか。
  30分強ぐらいじゃないかなと思いますね。
あなたがそのあと戻って、中で後始末をするわけですね。
  はい、それはありますね。
全部で30分ぐらい。
  そのぐらいじゃないかと思いますね。
現場を車で出発するのは、そうすると3時半ぐらいということですか。
  半過ぎぐらいじゃないかなと。
3人とも運び出されたあと、あなたは部屋に戻って後始末をするわけですが、戻らなければならないということは、それはその場で考えたんですか。それとも、前から予定していたんですか。
  いや、予定というのはないですけれども。
まず、何をしようと思って戻ったんですか。
  私は車、車と言われる前に、村井さんが、確か指をかまれたとか行って、血が流れましたとか、痛いなとか言ってましたので、それをふかなきゃいけないと思ってました。車を取りに行く間にそう考えたと。
血が出たと言っていたんですか。
  言ってました。
血は見ていますか。
  はっきりこういう血だというのは覚えていないんですけれども。
じゃ、それはふかなければならないと、要するに痕跡を残してはいけないという発想ですか。  
  そうです。
つまり、実行犯の痕跡が残らないようにと、そういう意味ですか。
  はい。
戻って、タオルか何かでふいたわけですね。
  はい。
実際にふくときに、血痕は見えましたか。
  ちょっと記憶がないんですよね、こんな大きさだっていうのは。ただ、とにかく一心に畳をふいたことは確かです。
ふいたのは、畳だけですか。
  畳だけです。
先ほどおっしゃったように、ドレッサーやふすまを直してますね。
  はい。
物音を聞かれて、110番通報されているんじゃないかというような心配はなかったですか。
  いや、そういう心配はなかったですね。
そうすると、割と冷静に落ち着いて、そういう後始末をしていたと、そういうことですか。
  いや、そうではないですけれども。
普通、それだけ深夜にドタバタやっていると、早くその現場を去らなければと思うんじゃないかと思うんだけれども。

  それは、そういう気持ちはあります。
そういう後始末をするのは、自分の役目だという意識があったんですか。
  役目というんじゃないですけれども、鏡台がずれていたというのは、ふいていてあまりにもずれているから直さなきゃいけないと思ったから直したんです。
直すという発想は、何のために直すんでしょうか。要するに、犯行が行われたことを隠そうを思ったんですか。何か乱闘のあとみたいなものが、そこに残ってはいけないという意識があったんですか。
  そうですね、それはあります。
あなたはそのときに、押入れを見ていますね。
  それは、出るときにです。
それは、何のために押入れを見たんですか。
  それは、彼らが布団も使って、遺体を運び出していましたから、大分布団がなくなっていましたから。
なくなっているのは当然ですね、運び出しているわけだから。
  はい。
押入れを見たのはどうしてですか。
  まだ布団があるのかないのか、たくさんあるのかなとか。
何のために見るんですか。
  いや、全くないとなったら、これこそ布団ごと家族三人がいなくなったと、これは家出じゃないですからね、そうなると。
拉致だということになるんですね。
  もう100パーセント拉致です。でも、あまりなかったというのは記憶あるんですけれども。
なければ拉致ということでしょう。
  はい。分かっていても、もう慌ててましたので、そのまま出ていきました。
こういうことは、あなたとしては、現場にそういう乱暴の痕跡が残らないようにして、拉致にも見られないように、夜逃げか家出のように見せかけたいと、そういう意識があったということ。 
  そういう意識が働いていたと思います。
咄嗟にそういう意識で行動したの。
  咄嗟だと思います。
前々から、家出に見せかけようという。
  いや、それはないと思います。
犯行が終わったあと、11月の10日過ぎぐらいに、遺体を遺棄して戻ってきたところにサティアンで、麻原と実行犯が犯行のミスのチェックをした会議がありましたね。
  はい。
そのときに、麻原の言葉として、一家三人が突然いなくなっても、家出したか蒸発したかと普通思われるだろうと、そんなに問題にはならないだろうというふうに麻原は言ったと、それは間違いないですか。
  間違いないです。
そうすると、当初からそういう家出に見せかけようという発想はあったんじゃないですか。
  いや、それはないですね。
そういう事前の話があったからこそ、あなたはそこまで後始末をしたり、確認をしたんじゃないですか。
  そうじゃないです。
咄嗟の判断。
  それは咄嗟です。
もう一度確認しますけれども、あなたは検察官の資料で、事実を言ったり言わなかったり、あるいは違うことでも調書にできてしまったことをそのまま言ったりということがあったということですけれども、検察のストーリーとは違う、当初から自宅襲撃、一家全員襲撃ということを、別の計画を立てていたということはありませんか。
  それはないです。
断じてないですか。
  はい。
事件のあと、ほかにこの事件を知っている信者としては、誰がいますか。青山被告は知っていますか。
  この事件のあとすぐにということですか。
すぐ知ったかどうか。
  いや、それは知らなかったと思います。
犯行のあと、六法全書の条文を読み聞かせたという経緯がありますけれども、そのときは、青山弁護士が指導したか何か、ないですか。
  それはないですね。
上祐被告が、公開捜査になったときに、プルシャがこんなにデカデカと出ているというふうに言ったということですが、その段階では上祐被告はもう全部知っているということですか。
  それは、薄々は感じているんじゃないかなと思いました。
公開捜査になるのが、11月の15日、中旬ぐらいですけれども、それより前に教団の中で、そういった幹部の中で、知っていた人はいないんですか。上祐被告は、そういう情報を持ってないんですか。
  だから、麻原が言わなきゃ知りませんし、知っていれば私たちの前でああいう態度をとらないと思います。
知っているからこそ言うんじゃないですか。
  いや、それは自分でそういうふうに推測しているからいうんじゃないですか。それは、分かりませんよ。麻原にそういうふうに言ってみろと言っているのかもしれませんし、言われてからそういうふう態度をとっているのかもしれません。
犯行後、公開捜査になったあと、教団内で坂本事件のことが、信者間で話題になるようなことはありましたか。
  信者間というのは、どの辺の。
事実関係を詳しく知ってる幹部以外の信者の間で、坂本事件が取り沙汰されることななかったですか。そういう記憶はないですか。
  それはあると思いますけれども、あれだけマスコミが騒いでますし、みんな選対事務所にいますから、いろんな情報が入ってきますから。
当時マスコミは、オウムとの関係を取り沙汰しているわけですけれども、信者の間では、教団がやったのではないかということで、不安がったりすることはなかったですか。
  いや、そういうのはないですね。
あるいは、いわば宗教弾圧であるという、そういう発想だったわけですか。
  まあ、麻原が言えば、みんな信じますから。
それから、あなたが教団を脱会したことについて、若干伺いますけれども、事件の翌年、平成2年の2月10日に教団を出ていますね。
  はい。
結局どういう理由で脱会、脱退を決めたんでしょうか。何がそうさせたんですか。あなたは、最古参でずっと麻原の下で修行してきたわけですよね。しかも坂本事件まで、殺人まで犯して、そのわずか三ヶ月後に脱会してしまう、何がそうさせたんですか。
  複雑な理由はありますけれども、本当に帰依がなくなったのか、逃げたとか、そういう意味とはちょっと違うんですけれども。
どういう意味ですか。
  徒労のような救済活動をしていると、麻原が。それと、あと無駄なお金を使っているということで、早川とか上祐の言うことは、麻原はまあまあ聞いてまして、当時地元の同和会の会長とか、いろんな実力者と早川は個人で会っていたんですよ。その夜の話で麻原が、選挙の票を金で買う事はできないかという話しが出ました。それで、当時皆さんは分からないと思いますけれども、教団はそんなにお金を持ってないです。そのときに、票を買うという話しもあるし、私が、選挙の仕方にしてもこうしたらいいああしたらいいということは、麻原にもときどき進言していたんですけれども、無視されていたんですよ、ずっと。それで、このままじゃオウムはつぶれると真剣に思いまして…それに気づいて欲しいというか、もし本当に、というか落選するというふうに私は思っていましたけれども、落選したら100パーセント信徒はみんな離れると思いました、そのとき。
だから出たということですか。
  だからというんじゃなくて、それを回避するにはどうしたらいいだろうかといろいろ考えて、当時2月10日、電話班というのがありまして、テレアポの班ですけれども、それのやり方を変えようということで、今日の夜11時に、世田谷の赤堤に集まって、アングリマーラが中心になって、新しい電話トークをみんなに教えると。それから一種間は、電話トークに賭けるというようなことを言われていたわけですよ。もしそれで失敗すれば落選ということになりますよね。その責任はと言ったら、私にくるんじゃないかなと思いましてね。また、それで教団がつぶれたら自分のせいになるというか、そこまでするかもしれませんしね。そういうもどかしさというか、そんなことをやっても意味がないということを言いたいんだけれども何も聞いてくれないし、早川さんと上祐のストーリーというか、麻原は、その意見ばかりでずっと突っ走ってましたから。それで、このまま無駄金を使わせるのはいやだなと思いまして。
それで、あなたはお金を持ち逃げしたわけ。
  お金は途中から、もうこれじゃいけないと思いまして、もしいなかったら、お金を持ち出そうと思ったんです。
その無駄金を使わしてはいけないということと、あなたがお金を持ち出すということはどういう関係があるの。
  これは、突発的に思ったんですよね。
持ち出すということは。
  はい。ほかの法廷では違うことを言ってますけれども、出るときは、私、自分のクルタ服とか、プルシャとか、教団の大師マニュアルとか、いろんな重要書類とか、そういうふうなものも全部持ち出してたんですよ。逮捕されるまで待っていたんです。オウムかから縁を切ろうという考えはなかったんです。
そうすると、どんな考え。
  本当にあのときはおかしいかもしれませんけれども、要するにアングリマーラの考えていたことが本当だったなと、あとからグルにほめて貰いというか、そういうのもあったんです。
そうすると、あなたとしては、自分の意見を聞いてくれない麻原に、自分の意見を聞いてもらいたいと、気づいてもらいたいと、そういう意識でああいう行動をしたということですか。
  そうです。
本当に脱会しようとしたわけじゃないの。
  はい、脱会とは違うんですよ。
それと、その預金を入れてですけれども、三億円も持ち出したというのは、それも気づいてほしいということの一端なの。
  そうです。
いずれ返そうと思っていたわけ。
  ええ、それはありました。
そうすると、そのあとあなたは、お金を要求したのは、どういう理由からですか。
  あれは、要求というふうになってますけれども、ちょっと違うんですよね。
生活費と要求したということになってますけれども、そうじゃないんですか。
  私が要求したのは、2月20日の夜、麻原に電話を掛けました。そのときに、おまえはもうポアしないと言われたときに、ならば生活費、退職金として何か、どうにかしてもらえませんかと言ったのが、それが本当は初めてなんです。
それは、龍彦ちゃんの地図を送ったあとですか。
  それはあとですけれども、まだ捜査が始まってないです。
地図を送った目的は、お金を要求するためじゃないんですか。
  いや、本当はそうじゃないんです。それは、被告人質問の最後のほうではそういうふうに私もいいましたけれども、マスコミとか、いろいろありまして。
地図を送った本当の目的はなんですか
  あれは、私たち夫婦の命を助けてもらうというか、もうポアしないという約束を得たいから。それとあの当時では、本当はこれは殺人事件なんだということも言いたかったわけですよ。
誰に対してですか。
  世間に対して。そうしないと、分からないですから。
そうすると、これが殺人事件として遺体が発見されることを考えていた、狙っていたわけ。
  そうです。だから三カ所、初めから言ってました、私は。
でも地図を送ったのは、龍彦ちゃんの大町の地図ですね。
  ええ。あの日は、二カ所初め行きましたけれども。
行って地図を書いたのはいいんだけれども、地図を送って捜索が行われましたね。
  はい。
捜索が結局失敗に終わって、遺体は発見されなかった。
  ええ。
そのあと何もしなかったわけですね、あなたは。本当に発見してもらいたければ、もう一回送ればいいわけですよね。
  だから、それはもう、グルがポアしないと言いましたから。
そうすると発見してほしい、殺人事件だと分かってほしいということよりも、やはり身の安全が第一なわけですか。
  その当時、そのように考えました。
坂本弁護士と奥さんの地図も、一度は発信したということですね。
  はい。
これは間違いないですか。
  間違いないです。それは、郵便局の人にも、見せておりましたし、印鑑も私がついた記憶もありますから、だから証拠が残っていると思って言ったんですけれども。
これは、どこの郵便狂句で取り戻したんですか。
  横浜の関内の近く。
駅の近く。
  私は歩いたんですけれども、中華街に行くまでの間に古い警察署があったですよ。その手前あたりかどこかに、大きな郵便局がありました、そこです。そこの階段を昇って2階だったですから。
その坂本夫妻の地図を送った目的は何ですか。もうその段階では、あなたの身の安全は一応約束されているわけですね。
  いや、その前に送ったんです。初めから三通送る目的だったんです、私は。それで、東京駅に着いてからすぐ中央郵便局で、速達で投函したんです。そのあと何時間か経って、麻原にまた電話を掛けて、やっぱりポアするんでしょうとかいうような話をしたときに、いやしないという話しになって。
で、取り戻したわけ。
  ええ、それでそのときに、実は二通はもう送ってますよと言ったら、おまえ取り戻すことができないかといわれたので。
じゃ、お金の話はどの段階で出てくるんですか。
  いやいや、ポアしないといわれたから、それで私が、なら生活のほう、このままじゃできないから、どうにか先生が、前もいったん下向した人間を面倒見るとか言われてましたけれどもという話をして、そしたら、おまえあくまでも退職金だからなという話で、おまえの功徳の情からすれば1000万だと言われたんです。
退職金。
  はい。
口止め料ということではないんですか。
  そういう言い方は、一切しなかったです。
結局1000万円から170万円を引いて、830万円払うという約束になったわけですね。
  はい。
その約束を得たから、手紙を取り戻しに行ったということじゃないんですか。  
  いや、そうじゃないですよ。ポアをしないと言われたからです。
そうすると坂本夫妻の地図を送ったのも、身の安全を図るためということですか。
  そうです。本当にお金が欲しいんだったら、オウムに送りますけれどもね、写真は。
警察と横浜法律事務所に送ったわけですね。
  はい。
横浜法律事務所に送ったのは、どうしてですか。
  警察が動かないと思いましたから。
どうしてですか。
  どうしてと言っても。
大町は捜索しましたよね。
  あまり私はそういう機関を信用しませんし、横浜法律事務所に送れば、横浜法律事務所の弁護士の先生方が警察に言って、それから動くんじゃないかなとおもってました。
横浜法律事務所という発想は、当時テレビか何かで見たということですか。
  それはもう、青山たちが行ってるじゃないですか。横浜法律事務所の坂本弁護士先生というのは、みんな知ってましたから。
じゃ、この事件に関する情報は、横浜法律事務所に送ればいいんだという頭はずっとあったわけですか。
  はい。
実際に、正しい情報がその地図には書いてあったわけですね。
  はい。
埋められた場所に関して。
  はい。
そうすると、それが送られて、横浜法律事務所なり警察が動いて、遺体が発見されれば事件は発覚しますよね。
  はい。
そこまで考えていたんですか。  
  考えていました。
発覚すれば、あなたも含めて実行犯が逮捕されると、そこまで考えていましたか。
  いや、そういう考えはなかったです。
自分のところには来ないだろうと思っていたんですか。
  そういう考えはなかったですね。
じゃ、誰がやったか分からないけれども、遺体だけは発見されると、そういうつもりだったんですか。
  そうです。それだけで充分と思っていました。
あなたが充分でも、実際にあれだけオウムがやったんじゃないかというふうに取り沙汰されて、あなたも警察からマークされていた状況ではないんですか。その時点では、まだ分からないんですか。
  ええ。
平成2年の脱会後から、警察はあなたのほうに連絡をつけていたかと思うんですけれども、平成2年の9月ぐらいに事情聴取されてますね。
  はい。
そのときは、さほど容疑者的な厳しい追及はなかったんですか。
  いや、厳しかったです。
ポリグラフも掛けられていますね。
  はい。
結局、あなたは本当のことを言わなかった。
  はい。
事件が発覚して遺体が発見されて欲しいということは、そのときは考えなかった。
  そのときは、自分からは言いませんでしたから。
それは、自分が実行犯として、逮捕され、処罰されるのを恐れたんですか。
  本当の意味では、死刑とか処罰というよりも、当時私を助けてくれた知人とか、教えている子供たちとか、裏切りというか、失望感とか、そういうのを与えたくないとか、そういう複雑な思いもありまして、自分一人だけの罪で終わらないというか。
だってあなたは現に、人を3人も4人も、命を奪っているわけでしょう。
  それは分かりますけれども。
そのときは、今捕まるわけにはいかないという、そういう意識なんですか。
  はい。
神奈川県警は、H2年9月以降、あなたに対して、どのくらいのペースでアプローチをしてきましたか?
  当初は1ヶ月に1回以上は電話がかかってきたり、私もかけたりはしました。
それは、そういう時期は、どういう内容で話をするんですか。
  要するに、オウムから何かコンタクトがなかったかどうか、またはお前を狙っているヤツがいるかもしれないけれども、それを機動隊を使って確かめているけれども、車が何台新しいのが来たか来ないとかでね。まあ、嘘か本当か分かりませんけれども、そういうことをしていると言ってましたから。
あなたを守っているということですか。
  守っているのかどうかは分かりませんけれども、とにかく変な車が塾の前に止まっているとか、止まっていないとか、そういうのを調べると言ってました。
そういうのがいれば調べてやると。
  ええ。いや、調べていると言ってました。
じゃ、変な車が周囲に止まっているということはあったんですか。
  いや、それはなかったです。そういう言い方はされませんでした。
四六時中監視されているという意識はありましたか、警察から?
  それはありました。もう5月からしていると言ってましたから。
5月というのは、平成2年の。
  そうです。
あなたの目に入るところで、そういう警察の姿というのはあったんですか。
  ないです。ないというか、気付きませんでしたから。
当初は月一のペースだっておっしゃってましたけれども、いつごろまでそういうペースでいったんですか。
  平成四年ぐらいまでかな。
その後はどうなりましたか。
  その後はちょっと切れました。
全然コンタクトなし。
  いや、私からはコンタクトしましたけれどもね。
あなたから連絡するときには、どういうことを話すんですか。
  個人的に、お元気ですかとか、どうされてますかとか、当時の桜木小隊長なんかは、お元気ですかとか、そういうことをちょっと聞きたいなと思って電話を掛けたり。
あなたが電話をするのは、何かオウムに関する情報が得られるんじゃないかと、そういうことですか。
  それは、初めはそう思いましたけれども、途中からそういうのはなくなりましたね。
単なる挨拶。
  そんなものです。
あなたは、週刊誌の手記の中にも書いてありますけれども、自分はオウムを脱会して離れている人間であると。
  はい。
殺人そのものも、自分の締めたことによる窒息死ではなくて、薬で死んだものというふうに信じていたということを言ってますね。
  ええ。
しかも、可能な範囲で警察に協力してやっているという意識で、この殺人事件そのものが非常に自分自身軽い扱いを受ける、あるいは許してもらえると、そういう意識があったというようなことが手記に書いてあるんだけれども、そういう意識は本当にあったんですか。
  書いているんじゃないですかね。
あるいは遺族の方に、許してもらえるというような意識があったと、手記に書いてありますね。
  …。
そういう気持ちは、本当にあったんですか。
  許してもらえるというんじゃないんですけれども。
そんなに重大には受け止められていないんじゃないかと、そういうこと。
  いや、重大は重大です。もう麻原も死刑だって言ってましたから。
あなた自身、世間から極悪非道に思われているのがちょっと意外だったというようなことも書いてありますけれども、自分ではどういう意識で山口のほうで暮らしていたんですが。
  わたしの意識というのは、当時は、麻原に対する憎しみというのが強かったです。
何に対する憎しみですか。
  このような事件に加わった、してはいけない殺生をしてしまったと。
自分の立場については。
  自分の立場については、実際に起こしてしまったことです、犯人ですから。それに対する償いというのを、どういうふうにしたらいいのか分からなかったです。
警察のほうから、協力すれば罪は軽くなるというような話をされたことがありませんか。
  罪は軽くなるという話はないです。
捜査に協力すれば、死刑は免れるという話はなかったんですか。あるいは自首をすれば死刑は免れるという話はなかったんですか。
  ・・・・そういう考えられないような話はされていたことはありますけれども、私は最初に、知っていると、話しますよということは言ってましたから。逃れようというつもりはなかったです。そういう話があったから言ったんじゃないんです。
ただ、最初から全部言ったわけじゃないですね。最初は、関係があるという程度の話し、途中から自分も関与しているけれども、見張りをしていた程度の話、段階的に話をしていっていませんか。
  でも私は、4月6日の昼には、これはオウムの犯罪ですというのは、実際は言っているんです。
何年の。
   平成7年ですか。夜になって、塾がありますから、それが終わってからは詳しく話してます。午後に入ってからは、田口さんの事件とか、真島さんの事件もちゃんと話しています。
そのあと、5月に中国に行って結婚をしていますね。
  はい。
その女性というのは、中国人の方ですね。
  はい。
どこで、どういうふうに知り合った方ですか。
  これは2月ごろから、私の元中国語の先生だった人に紹介されて、それで3月の24日に行って、婚約という形で。
3月24日に中国に行っているわけ。
  ええ。
3月24日ということは、地下鉄サリンが起きてすぐあとですね。
  そうです。
そのときにも中国に行ってるわけですか。
  ええ。
警察は、あなたが中国に行くことは知っているわけですか。
  知らないです。
全然ノーチェックであなたは自由に中国に行けてるわけ。
  そうです。
婚約で中国に行ったときというのは、まだ坂本事件のことは話してなかったんですか。
  話してないです。
5月に結婚をしに行ったときは、もう話をしたあとですね。
  はい。
そのときも、警察は知らなかったんですか、あなたが中国に行ったこと。
  いや、それは知ってます。もうそれは4月5日の夜に話してますから、中国に行ってきたんだっていうのは。
5月に結婚に行くことについては、警察は事前に知って許可したわけですか。
  そうです。
許可するについて、何か言ってませんでしたか。何日間であるとか、どこに行っているのかちゃんと言えとか、そういうことは条件つけたり、話しとか、そういうことはないんですか。
  ないです。初めは一緒に付いて行こうかと言ってましたけれども。
あなたはもう供述を始めているわけだから、いずれ自分は逮捕され、処罰される身だということは、認識していたんじゃないですか。
  はい。
その段階で結婚するというのは、どういう意識なんですか
  結婚してきなさいと言われました。
誰から。
  警察。
それはどうして。
  どうしてって、そういうふうに言われました。
警察は、もうあなたは中国に行って帰って来なくてもいいと、そういうことですか。
  いや、そういうことではないです。帰って来る日にちも言っているし、私も帰って来ますと言ってますから。
警察が結婚を勧めたんですか。
  いや、私はもう決めていたから、途中から破棄するのはちょっと難しいということは言ってますから。
あなたが言ったわけ。
  ええ。それは向こうも待っているし、準備もしているし。
女性のほうは、あなたがそういう事件に関与して、調べを受けている状況だというのは、知っているんですか。
  そのときは、まだ知りません。
警察は、あなたが中国に行くのを不安に思ったりしなかったんですかね。そういう素振りはなかったですか。
  ないです。
あなた自身、このまま中国に行ってしまおう、戻って来るのをやめようという発想はなかったですか。
  一切なかったです。
結婚した女性と一緒に、日本に戻って来ようと思っていたんですか。
  いえいえ、それはまだできませんから、入国は。半年以上掛かりますから。
結婚だけしに行ったわけですか。
  そうです。
別にその時期にしなくてもいいですよね。
  いや、もうそれは決まってましたから。
決まってたって、あなたは、これから捜査があり、逮捕され、裁判になるという、そういう身だってことは、あなた分かっていたわけですよね。
  ええ。
それでも結婚しようというのは、どういう心情からなんでしょうか。ちょっと理解しがたいんだけれども。
  …。
そんなに長年付き合ってきた女性じゃないでしょう。
  そういう意味じゃないんですけれども。
結婚することによって、裁判で何か情状面で有利になるということがあったんですか。
  いや、そういうのは聞いてないです。
あなた自身の発想としては、なかったですか。
  なかったですね。それはもう、麻原でも死刑だと自分で言ってましたから。結婚しているから有利とは思いません。
坂本事件が起きたあと、一時期マスコミが非常にオウムバッシングといいますか、マスコミに取り沙汰された時期がありましたけれども、結局確証がないということもあって、麻原、あるいは上祐がテレビに出て、これは宗教弾圧だということで、結局けむに巻いたような状態になって終わったわけですが、そういうマスコミの対応を見て、教団内部で、マスコミというのはこういうふうに自分から打って出れば、割と簡単にけむに巻けるというか、自分たちの有利なものになるという発想は持たなかったですか。
  いや、そういう発想じゃなかったです。もう初めから、10月のサンデー毎日が出たときから、もう守る側、攻める側というのをちゃんと決めて、徹底的に戦うという姿勢は麻原は持っていました。
マスコミ戦略として、ただ単に守るんじゃなくて、自分から積極的にマスコミに登場していって、自分たちの言いたいことをどんどん言うという発想は最初から持っていたんですか。
  それは、初めからありましたね。それは、61年とか62年のころから、麻原はそういう考えを持っていましたから。
そういうふうに積極的に打って出れば、マスコミも世論も大して怖くないというか、自分の思いどおりにできるという発想があったんでしょうか。
  いや、怖くないんじゃなくて、彼の発想というのは、自分がやることは真理だと、本当に信じていましたから、何をやっても真理だからいいじゃないかという、そういう強い姿勢を持ってましたから。
事件のあと、家族や同僚弁護士らと中心として、全国的に救出運動を展開して6年近くやってきたわけですけれども、そいういうのはあなたは、どこかで目にしたり耳にしたりしたことはありますか。
  はい。
どういう、例えば何か具体的に覚えているシーンなどはありますか?
  それは、塾から20メートルも離れてないところに、坂本さんの看板がかかっていましたから。
それを毎日見ていたわけ。
  そうです。
テレビなどで、ご両親が訴えている姿を見たことはありませんか。
  それはあります。
そういうときに、正直に言わなくちゃという気持ちにはなりませんでしたか。
  そういう気持ちはたくさんありましたけれども、自分一人だけじゃないという気持ちがありましたから、やっぱり地域の方たちにご迷惑を掛けたらいけないとか、いろいろそういう思いが出てきまして。
今考えたとき、あなたがこの事件を含めて、教団での生活を振り返って、4人もの尊い命をその手で奪って、死刑判決まで受けている、この状況において、あなたにとって麻原とは、あるいはオウム真理教とは、どんな存在ですか。
  麻原は、本当に… 初めは詐欺師みたいな人間だったかもしれません。けれども、途中いろいろな修行をして何かをつかんだと思うんです。それはウソじゃなかったかなとは思うんですけれども、そういう神秘体験を起こさせるエネルギーはあったと思います。ただ、それに愚かにも盲従してしまった私たちが悪いと。麻原だけが悪いとは思っておりません。
麻原を恨んでいるということではないのですか。
  麻原を恨みますけれども、麻原だけが悪いとは思いません。それは、騙されたからといっても騙される自分も悪いんです。
麻原本人は目が見えるのではありませんか。
  本の表紙の色構成をするとき、表紙のデザインは、麻原はその都度見ておりましたので、絵は見えています。左目悪いということは知っておりますけれども。
左目だけが視力が弱いということ。
  弱いか見えないかでしょう。
じゃ、右目は普通に見えるということ。
  右目は見えます。
日常生活は、一人で支障がないわけですか。
…いや、それは支障が少しはあったかもしれません。
今でも黙秘を続けている新實被告に対して、何かあなたから言うことはありませんか。
 あります。
どんなことですか。
 新實さんにはとにかく、本当に麻原を信じて宗教だと思っているんだったら、宗教人らしく始めから最後まで記憶にあることをすべて述べてもらいたい、そしてこの裁判についても、何か異議を申し立てているんですけれども、麻原のあとを付いていくという人間が、なぜ麻原と同じようにしないのか、その辺がちょっと私は納得いきません。
傍聴席である信者が、麻原公判の不規則発言と聞いているのを、あなたはこれは説法なんだというふうに書いていますが、それは間違いないですか。
  私はそう信じております。
いまだ罪を認めない教団、あるいは今でも教団を運営している幹部たちに対して、何かあなたから言うことはないですか。
  私が言ってどのように変わるのか分かりませんけれども、とにかく様々な事件に関与した、少なくともその当時に信徒であった人が罪を認めて、贖罪を果たしてほしいです、最後まで。
今も信者獲得を積極的にやっていて、新たに入信しようという人が大勢いるわけですが、そういうた人ちに対して、あなたから言うことはないですか?
  間違いだということは思います。ただ、それは自分も、入ったのが間違いだというよりも、自分がそれに気づかなかったのが間違いだと、愚かだと思います。
オウム真理教という教団を壊滅しなければならないと、あなたは考えていますか。
  ええ、それはもう破壊しなければなりませんし、一番怖いのは、麻原が最終解脱者は誰々だと、自分の息子たちに誰か一人でも言った瞬間が一番怖いですから。そうならないことを願っているだけです。
破壊するためには、具体的に何をしたらいいと思いますか?
  それはもう、新しくそういう教団を強制的に壊滅させるような法律を作る以外にないんじゃないかなと。そうしなければ、国民の手や住民の手、または弁護士さんが幾ら本気でがんばっても何も変わらないんではないかと思います。
坂本弁護士、それから都子さんのご両親に対して、あなたから言うことはないですか?
  私のような愚か者がどのような謝罪を述べても、ご両親、ご遺族の心を癒すことはまずできないと思います。しかし、この場をお借りしてお聞きいただけるんであれば、言わしていただきます。大変申し訳ないことをいたしました。
坂本事件が起きた直後、坂本弁護士と一緒にラジオ出演していた木村普介弁護士の自宅の鍵が、深夜壊されるという事件があったんですが、それは心当たりはないんですか。
  それは、脱会してニュースで聞きました。ただ、サンデー毎日で騒いでいたとき、木村先生と坂本先生、そして小田すすむ先生も出られてましたよね。私の鑑定士だったんですけれども、小田すすむ先生からも話を聞いたんですけれども、小田すすむ先生も上祐たちから4回にわたって、脅迫的な電話が掛かったそうなんです。それを聞いて、誰に対してもオウムは徹底的にやっているというのが初めて分かりました。
そうすると、木村先生の自宅をやったものオウムであるということですか。
  いや、それは分かりませんけれども。要するに、ラジオでオウムのことを批判したりとか、オウムのことを述べた人間は、すべて当たってますよね。
オウムである可能性は十分あるということですか。
  じゃないかなと。これはあくまでも推測です。
原告代理人(武井)
あなたは、滝本太郎という弁護士を知っていますね。
  はい。
あなたが山口県の宇部市にいるときに、滝本弁護士の報告によれば1991年の11月17日だということですが、そのころに滝本弁護士があなたのところに会いに来ましたね。
  はい。
あなたは、滝本弁護士が来たときに、まずどう思いましたか。
  …いや、もう来るというか、来て当然と思ってました。
いつか来るだろうと思っていたんですか。
  はい。
警察が来ても尻尾を出さなかったんだから、弁護士が来ても大丈夫だと、そういうような感じで受け止めましたか。
  とにかくお話を聞いてみないと分かりませんから、別に逃げるつもりはなかったんですけれども。
滝本弁護士が来たとき、すぐに応じましたか、それとも抵抗しようとしたけれども、やむを得ず話に応じたということですか。
  いえ、私はすぐそのとき、国際ホテルのロビーで待ち合わせましょうと、何時に行きますから待っていてくださいと、すぐ私はそのように言ったはずです。
その時の話しとしては、オウム真理教のいろんなことや、あるいは坂本事件についてそのものについて、いろいろ聞かれましたね。
  はい。
坂本事件について、あなたがそのときどう答えたか御記憶はありますか。
  いや、はっきりした記憶は残っておりませんけれども、とにかく関連性がないというか、否定していたと思います。
自分は、当時独房修行を命ぜられていたんで、独房にいて周囲のことを含めて分からないというようなことをしゃべった記憶はありませんか。
  それは、警察で述べたことと同じですから、たぶん同じことを言っていると思います。
滝本弁護士がどういう立場で来たかというのは、当然あなたも察しはついたんですね。
  はい。
どういう立場だったというふうに理解しましたか。
  そういう事件に関連しているのか、またもし何か知っていることがあれば教えてほしいという意味で来られたということが分かりました。
それに対して協力しようという気持ちは、そのときなかったということですか。
  そのときは残念ながら、そういう気持ちはまだ起こりませんでした。
その後も、滝本弁護士と連絡するときは当然知ってましたね。
  はい。
それから横浜法律事務所も、前に手紙を出したから連絡先は分かりますよね。
  はい。
そのどちらにも、あるいはそのほかの、救う会というふうなところにも、あなたは連絡しようと思ったことはないんですか。
  逮捕される前には、滝本先生に連絡しようと思いましたけれども、連絡できなかったというのが真実です。
連絡できなかったというのは、気持ちの上でですか、それとも物理的に連絡できない理由があったんですか。
  それは気持ちの上で。
今さらできないと、そういうことですか。
  …滝本先生、優しい先生でしたので。
裏切るのが辛かったと、そういうことですか。
  いや、…私もいろいろ苦しんだことがありまして、その都度連絡しようかなと思ったことはあるんです。
でもできなかったと。
  はい。
原告本人(大山友之)
中国人女性との結婚のことについて、一点だけ聞きたいのですが、これはあなたの裁判で、裁判官から質問されたので答えたことですが、裁判官は、どうして結婚の相手が中国人女性なんだという質問をしたときがありました。それに対して、言葉そのものが若干違うかと思いますが、その意味は、私は全く正しく受け取っていると思います。それにあなたが答えたのは、平和な結婚生活を早くから願望しておりますと。日本人女性と結婚した場合には、私が元オウム信者であったことがばれると、そうなったらば平和な結婚生活が破綻する、だから中国人女性を選んだと答えております。本当にそう思ったのかもしれない、でも私はそれではどうしても納得できないものを。都子は小さいころから、普通のひとならば当然見過ごす、気が付かなかったような小さな幸せを、大事に大事に育てて大きくしていった子供です。のちに堤との出会いもあり、結婚もし、5年目にやっと授けられた龍彦という子宝を中心に、平和な、本当に幸せな結婚生活を送っていた、その三名をあなたのその手で抹殺しているんですよ。そして平和な結婚生活を早くから願望してきた、その落差、私にはどうしても理解できない、どういう心境からそういう言葉がでるのか、説明して欲しい。
  …私は、天涯孤独の人間ですので、好きになるとか、生きるかどうか分かりませんでしたけれども、最後の遺骨を拾ってもらう、そういう人を望んでいた、それだけです。
最後骨を拾ってもらいたい、娘たちは骨を拾う人はいないんですよ。やはり中国人女性と結婚するために、中国に渡る前、これが平成7年の4月28日に出発していたと思います。そのときに、あとでの話ですけれども、警察には殺人事件に関係していることを言っているので、黙って行っては悪いと思って連絡しました。そのときに、捜査本部の刑事さんから、気を付けていって来いよ一声がありました。これもやはり法廷でもって、あなたの口から言っていることです。私は、そのとき信じられなかった、日本の警察がそんなことを言うはずがないと思っていた、ただあとで磯子の捜査本部の志賀刑事が証言台に立って、その問題について、私は帰ってくると信じてました。上司もそう思ってましたという証言をしています。まさしくあなたが言ったとおり、気を付けて行って来いよの一言があって不思議じゃないと考えました。それを聞いたとき、志賀刑事の証言を聞いて、私は神奈川県警の本心は、けっしてそうじゃないと思った。岡崎は、殺人事件に関係していると言うことを警察に話をして、しかしその調書を作られたのは、5月20日付けです。4月28日には、まだ調書も作ってない、岡崎が外国に行って帰って来なかったならば、オウムと坂本事件が関係あるということは全く表に出なくて済む、永久に迷宮入りになるはず、神奈川県警としては、岡崎さえ帰って来なかったらば恥をかかなくて済む、二度と帰って来るなよという、それが本心じゃないかと私は受け取った。下司の勘繰りと言われても仕方がない、私はそう受け取って、今もそう思っている。岡崎はそれを言われたとき、そのような感じ方をしたかどうか、はっきり答えていただきたい。私は、今まで岡崎の証言をいろいろ聞いてきた。しかしなかなか信じることができない人の叫び、人の心というのが現れてこない、情けなかった、今日はせめて本当の岡崎の姿、人間としての岡崎の言葉を聞いて娘達の墓前にそれを報告したい、それだからこそ来たんです。是非、性根を据えて、真実を、自分の本当の気持ちを言ってもらいたい。お願いします。
  それは、本当に今まで言ったことと間違いありませんし、私は逃げようとかそういう考えはありませんでした。ただ警察官の中には志賀さんのような立派な方もいらっしゃいます。またその上には、違うことを指示される方もいらっしゃると思います。ただ、私は逃げようという気持ちはありませんでしたから、それだけは間違いありません。
それ以上は要求はしませんが、ただ今の話を聞いて感じることは、殺人犯が外国へ行くのを、気を付けて行って来いよ、そういう刑事が立派な刑事、何かしゃべることが違っているんじゃないですか。まあ、十分そういったことも考えながら、今までの自分のやった行動、人間としてどういうことをすべきか、まだ時間はある、十分考えて、その考えが何がしか考えて、まとまったとき、もう一度確かめたいなと思ってます。
裁判官(田中)
11月3日の犯行の日の話を伺いたいのですが、坂本さんの家に向かってから、戻ってくるまでの間、新實さんが席をはずしたということはありますか。どこかに行っちゃったとか。
  どの時点ですか。
3日の坂本弁護士の家に行きますよね。
  はい。
行ってからまた戻って来るまでの間、その間新實さんがいなくなったということはありませんか。
  当時の実行犯がみんなで、新實さんがどこに行ったんだろうとかいう会話があったかどうか。
  それはありません。
裁判長 
あなたは、刑事の法廷のほかに、今回の民事の法廷で証言したいということを、先ほど証言したけど、その理由は何ですか。
  …刑事の法廷では直接御遺族の方に話すこともできませんし、また民事があるんであれば必ず呼ばれるだろうと、前々から思っておりましたので、弁護士の先生とも、そういう話は何度もしたこともありましたので、それで呼ばれたら出ますと、そういう心づもりがありました。
それから、坂本弁護士一家の殺害に関し、新實智光、これはあなたの口から言うとかいつまんで言えば、どういうことをしたんですか。
  それは、実行行為の現場ですか。
かいつまんで言うと、こういうことをしたと。
  それは、麻原の指示によって、実行犯6名と一緒に、坂本さん一家3名の命を奪ったと、そういう実行犯に加わりましたということです。
具体的にどういう行動をしたかというのは、かいつまんで言うとどういうことになりますか。
  直接家に入り、坂本さん及び奥さんに、また龍彦ちゃんにもだと思うんですけれども、暴力行為を行ったということです。
これは、先ほど原告代理人から確認的に聞いた質問と同じことなんだけれども、坂本さん、大山さんたちの遺族に対して、現在あなたどう思っているのかおっしゃってください。
  大変申し訳ないことをいたしました。謝罪しても謝罪しつくされませんし、どんな言葉でもっても御遺族の方たちに謝罪ができないだろうと思いますが、しかし私は、最後の日まで御遺族3名の戒名を書いたお札を房内に配置し、毎日献花しながら手を合わしております。これは最後まで続ける、そのように考えておりますし、今も続けておりますから。