松本智津夫被告第118回公判
1999/5/13
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(44)の第118回公判は13日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、松本サリン事件で実行役の一人とされる遠藤誠一被告(38)に対する3回目の弁護側反対尋問と、目黒公証役場事務長、仮谷清志さん(当時68歳)監禁致死事件で仮谷さんの妹(66)に対する初の弁護側反対尋問が行われた。和歌山毒カレー事件の初公判に5220人の傍聴希望者が並んだこの日、松本被告公判の傍聴希望者数は105人だった。
遠藤被告が定刻よりやや遅れて入廷し、午前10時3分、開廷。松本被告は紺のトレーナー姿だ。
弁護人「サリン噴霧の現場近くの駐車場に到着したのは何時ごろか」
証人「10時から11時の間では。夜のですね」
弁護人「あなたは医療班として行ったということだが、(サリンを噴霧した)トラックにいた村井(秀夫元幹部=故人)さんらを守れると思いましたか」
証人「そういう発想はなかったです」
弁護人「サリンの急激な被害の発生について、どう考えたか」
証人「それほど詳しくは知りませんでした」
弁護人「裁判官官舎が駐車場のどちらの方向にあるのか知っていたか」
証人「知らなかった」
松本被告が右手指で宙に何かを描くようにして隣の刑務官に話しかけるが、刑務官は無視する。
傍聴席にはこの日も、松本被告だけを見つめ続ける若い信者らしき人の姿が目立つ。開廷から40分余り。口を開けてすでに居眠りしているトレーナー姿の若い女性もいる。
弁護人「あなたと中川(智正被告)は医療班でしょ。仲間がサリンの被害を受けたときに救護する意識はなかったの?」
証人「現場ではなかった。治療が必要なら現場を離れてからだと思っていた」
弁護人「医療班の任務を回避したいというのが本心ではなかったか」
証人「麻原さんから言われた医療班はやらねばならないという気持ちだった」
弁護人「車内ではどんな言葉が交わされましたか」
証人「マスクをかぶっていると、酸素の音がシューッとしてまして、相手の言葉が聞きにくい。(酸素が出なくなった時)富田(隆被告)さんが『酸素、酸素』と言っていたことは記憶してます」
弁護人「あなたのマスクにも酸素が流れなくなりましたね。あわてましたか」
証人「別にあわてませんでした。目が暗くなる程度だろうと」
弁護人「周囲は住宅街と認識してましたか」
証人「住宅街だろうとは分かりましたが、住宅街にしては駐車場は広かったという認識だった」
遠藤被告が「裁判長、すみませんが、トイレに行かせてもらえませんか」と中座し、審理が3分ほど中断する。
弁護人「サリンの効果として、目の前が暗くなると……」
証人「そういう可能性はあると思う」
弁護人「当時の皆さんの認識として、サリンから自分たちの身を守るには酸素マスクをつけるということで……」
証人「マスクをつけることを考えたのは私ではないです。目の粘膜から吸収するというのは当時は全く認識されていなかった」
弁護人「駐車場を出る時、ワゴン車が塀かどこかに衝突した?」
証人「衝突というのでなく、こすった。私にとってはショックでした。レンタカーでしたから」
弁護人「ワゴン車にいたほかの人も気づいたか」
証人「少なくとも中川さんと私は気づいた。車が半分ぐらい門を出たとき、ガリッという音がした。中川さんは『ああ、ストップ』と言いました」
この日の遠藤被告に対する反対尋問が終了し、午後0時2分、休廷。
1時15分、仮谷さんの妹が入廷し、再開。
弁護人「この前(2月26日)の検察官の尋問では、1995年2月28日にお兄さんの仮谷さんがいなくなったことについて、オウムに電話して『脱退する』と告げた後、公証役場に電話してお兄さんがいなくなったことを知った?」
証人「はい、そうです」
弁護人「大崎警察署に午後5時半ごろ、事情説明に行った?」
証人「そうです」
弁護人「直感でオウムだと思いました?」
証人「はい」
居眠りしていた松本被告が突然、顔を上げるが、またうなだれる。
弁護人「前の公判で『警察でオウムに不利なことを言うと、兄に危害が及ぶと思ってごまかした』と言っていますが、むしろお兄さんを救出するためには、警察にできるだけ細かく言うの当然では?」
証人「この段階では兄の生死だけが心配でした」
弁護人「オウムに不利なことを言っても、オウムに伝わるはずがないのでは?」
証人「私はオウムから、警察とかいろんなところにオウムがいると聞いていた。大崎署の警察官も信用していませんでした」
弁護人「供述の中身が捜査段階と公判で違うのは、捜査段階の供述で『オウムなんかインチキだ』と言ってしまうと兄に不利益が及ぶと判断したんですか」
証人「そうです」
弁護士「92年11月ごろ、SSAというヨガの会からオウムとの関係が始まったのでいいか」
証人「はい」
無料体験の折り込み広告でSSAを知ったのがきっかけだった。腰痛と肩こりに悩んでいたという。
弁護人「(SSAの)指導者がオウムの信者だと後で分かったのか」
証人「そうです」
弁護人「93年7月末まで通って、効果は?」
証人は首をかしげてしばらく考え込むと「顕著にどうというものではなかったですね」と答える。
弁護人「SSAそれ自体がオウムと関係する団体だとは、93年7月当時は分からなかったのか」
証人「はい」
弁護人「ヨガ同好会を宗教団体が主催していることは知っていましたか」
証人「まったく思っていませんでした」
3時2分、休廷。
3時22分、再開。
弁護人「94年3月4日に100万円払って1週間イニシエーションを受けないかと、誘われたのか」
証人「3月4日は100万円を払った日です」
弁護人「3月4日より前には、イニシエーションがオウム真理教のものだと知っていたのか」
証人「はい」
弁護人「イニシエーションの意味は知っていたか」
証人「聞いたことはないと思います」
弁護人「理解していないのに参加した?」
証人「私は単純だから、主人とコンタクトが取れればいいと思ってました」
弁護人「亡くなった主人とコンタクトをとる、そんな効果があるという説明ですね」
証人「はい」
弁護人「1000万円払って専用の部屋を使用する。3月29日、専用の部屋のある第6サティアンに行く。その前、オウムの関係施設に立ち寄ったことは?」
証人「ありません」
弁護人「29日に着いて、何をしましたか」
証人「何とかという電極帽を富士総本部にもらいに行くように言われたと思う」
証人は第6サティアンに5〜6日滞在。いったん帰宅し、約1週間後に再び行くという形を繰り返した。
弁護人「あなたは、自分の自由な意思で出入りしていたわけですね」
証人「はい」
弁護人「最初の1週間で100万円。次に900万円出して、1000万円払った。ほかの人は、電極帽をつけると頭がチクチクするとか言っていますが」
証人「痛くなるほどではなかったです」
弁護人「ご主人とのコンタクトについては?」
証人「全然、何も感じませんでした」
弁護人「平成6(94)年の3月か4月に、お兄さん(仮谷さん)の妻のところへ行って富士に自分だけ一生使える部屋をもらったという話をしたことは?」
証人「覚えていない」
弁護人「目黒の建物いらないから処分してお金を分けてあげてと言っている」
証人「それは記憶ある」
弁護人「目黒の家とはもちろん公証人役場の土地、建物ですね」
証人「はい」
「切りがいいので」と弁護人が尋問の中断を申し出る。証人は疲れた様子で、足取りもふらついていた。
4時58分、閉廷。