松本智津夫被告第27回公判(坂本事件第2回)傍聴記
神奈川県警捜査員らの証言
傍聴担当 中村裕二弁護士
松本智津夫被告の第27回公判が、2月27日東京地裁で開かれたまし。
坂本事件の初動捜査と遺体発掘に当たった神奈川県警捜査員4人、地下鉄サリン事件に関連して営団地下鉄職員1人の計5人が、検察側証人として出廷した。
坂本事件では、「見落とし」があったために現場写真の撮影が2回行われるなど、初動捜査の混乱も明らかになった。
松本被告の不規則発言(ブツブツ)は続いたものの、「師弟対決」でなかったため退廷を命じられるまでには至らなかった。松本被告が閉廷まで在廷していたのは1か月ぶり。
傍聴希望者は506人だった。
午前10時、松本被告は紺の上着に白いズボンで出廷した。
神奈川県警捜査1課巡査部長で、当時磯子署にいた佐山忠彦氏が証人席についた。
検察官「あなたは坂本事件の捜査に携わりましたか」
証人「平成元年11月8日と9日、現場となった横浜市磯子区洋光台の坂本弁護士の自宅の実況見分調書を作成しました」
検察官「時間は」
証人「8日は午前9時から午後8時50分まで、9日は午前10時から午後5時まで」
検察官「2日にわたったのはどうしてですか」
証人「一日では終わらなかったからです」
証人「8日午前7時50分ごろ出勤すると、前夜の当直者から『坂本さんの家族がいなくなって母親から届けを受けた』と聞きました」 「現場に向かったのは磯子署の刑事課長以下5人。自宅には坂本弁護士の母さちよさんと、坂本弁護士の妻都子さんの母、大山やいさん、それと人数はわかりませんが、同僚の弁護士がいました」
証人「さちよさんから話を聴き、実況見分を始めました。現金十数万円が残っており、物色の跡はないので、泥棒や居直り強盗ではない。衣類なども残っているので、自ら進んで家出したことも考えられない。誘拐もしくは監禁されるなどなんらかの事件に巻き込まれているのでは、と思いました」
証人「8日の検分は玄関、台所、書斎、洗面台など室内が中心。9日は自宅の周辺やマンホール内、近くの金山神社の検索など範囲を広げました。」
「現場から状況を逐一報告したので、事件は重大と認識され、8日午後には神奈川県警本部や科学捜査研究所からも応援に駆け付け、13人で見分を行った」。
**検察側がこのような実況検分の詳細な状況を証言させるのは、弁護側が実況検分調書を証拠とすることに同意していないため、その内容を法廷での証言によって全て立証しなければならないからである。
検察官が証言台のわきに立ち、当時の捜査報告書を証人に示す。
弁護団席から、弁護人が入れ代わり立ち代わり証言台に歩み寄り、その報告書をのぞき込んで行く。
他方松本被告は、検察官と証人のやり取りをまったく意に介さない様子で、ぶつぶつと語り続ける。「弟子」の証人を威圧するようないつもの言動はない。
検察官「捜査報告書のこの『ソクメン(測面)』とう字ですが」
証人「これはサンズイではなく、ニンベンです。訂正します」
「側面」を「測面」と誤記があったらしい。
検察官「この実況見分調書は、いつ書いたのですか」
証人「平成元年11月12日に、罪名欄を除いて記載しました」
検察官「なぜ、罪名欄は空欄なのですか」
証人「最初の状況から監禁されてるかなと感じたのですが、このような事件で私一人の考えで決めてしまってはと躊躇していたのです」
検察官「逮捕監禁の罪名はいつからですか」
証人「11月中旬ごろ、上司の警部補が発生報告書に、そう記載したので、その後は、逮捕監禁と書くようになりました」
検察官「逮捕監禁と報告書に記載したのはいつですか」
証人「平成元年11月20日ごろです」
実況見分調書の写真151と160を示しながら、
検察官「布団の状況が異なっていますが、どうしてですか」
証人「はい。160が検分前で、151は詳細に調べた後収納したものです」
検察官「平成元年11月8日と9日の検分で、鏡台が動いていたことに気がつかなかった?」
証人「知りませんでした」
検察側の尋問が終了。
弁護士側反対尋問
弁護人「この見分調書以前に見分調書を取ったことはありますか」
証人「あります。30、40件は」
弁護人「ベテランですね。なぜこういうことを聞くかと言うと、見分調書に随分訂正があるからね」
証人「ご質問の趣旨が・・・・」
弁護人「ベテランがこんなことをするのかなと思ったので」
証人「それについては何とも・・・・」
弁護人「現場に行くまでの間、何を考えましたか」
証人「弁護士の家族がいなくなるというのはおかしいなと」
弁護人「立ち会いの坂本さちよさんの印象はどうでしたか」
証人「やはり心配している様子がありありとしていました」
弁護人「しっかり捜査をしなくてはいけないと思いましたか」
証人「はい」
弁護人「写真15、16を示します。これは階段の写真ですが、階段部分が汚れていますね。これは気にされなかった?」
証人「自然なもので、特に汚したという状況ではない」
弁護人「血痕とか異常な状況を調べなかった?」
証人「鑑識が調べたと思います」
弁護人「写真25を示します。この常夜灯についてさちよさん何か言っていませんでしたか?」
証人「ちょっと時間が経過していますので、記憶が……」
弁護人「写真27および28を示します。かぎの穴の状況とかは見ましたか。傷があるかどうか」
証人「その場で見ました。傷がなくて、正常に作動しました」
弁護人「内部も見たんですか」
証人「外形的な部分だけです。かぎ穴をがたがたやった時に外に傷がつくのですが、傷がない。本体は正常に作動しました」
*松本被告のブツブツは止まらない。「こんなのはやめて下さい」などと高い声を上げることもある。
弁護人「写真176を示します。ごみ箱の中身を外に出して、ティッシュペーパー19個のうち、血痕がついていたのが8個ある」
証人「血痕は科捜研が採取しました。結果については分かりません」
弁護人「これを見て、坂本弁護士宅で何か傷をつけるようなことがあったのかと思わなかったのですか」
証人「量が微量だったので。花粉症とかでもこのくらいの血が出るので。血をぬぐったような量ではありませんでした」
*11月に花粉症があるかっ!!
弁護人「鼻をかんで血が出たようなものですか」
証人「量的にはそんなものです」
弁護人「写真184、187を示します。6畳間の寝室の南側の状況ですが、窓の南側に血痕ようのものが2つある。実況検分の時に発見しなかったのか」
証人「発見しました」
弁護人「どんなものだったんですか」
証人「こすったような跡だったと記憶しています」
弁護人「相当の血ですね。傷付けられた犯罪だと思わなかったのですか」
証人「この量で多いか少ないかは解らないが、付着していたのは間違いない。血痕も一つの材料とは思い、実況検分調書に記載しました。」
部屋に残されていた教団のバッジ「プルシャ」の写真を見せながら、弁護人が問う。
弁護人「足元に写っている白い物は」
証人「これはバッジです」
弁護人「あなたが現場に行ったときに既にあったのですか」
証人「ありました」
弁護人「さちよさんがその場で置いたのですか」
証人「いや、最初から置いてありました」
弁護人「見たときは何のバッジと思いましたか」
証人「何のバッジか見当もつきませんでした」
弁護人「犯人の遺留品と思いましたか」
証人「実況見分なので、そこにあったものを撮影するだけで、それ以上のことは考えない。検分と言うのはそういうものです」
弁護人「さちよさんはバッジを発見した時の説明を何かしましたか」
証人「『ここに落ちていました。私たちのものではない。』といっただけです」
弁護人「それはいつのことですか」
証人「8日です」
弁護人「さちよさんはそのバッジをいつ見つけたと言っていたのですか」
証人「それは聞いていない。その後の捜査の話ではないですか」
弁護人「前の日の夜も捜査員が行っているわけでしょう。その時には現場でこのバッジを見つけられなかった」
証人「それはそういうことになっていますが、私は聞いていません」
弁護人「乾血痕は14個見つかっていると思うが、血液型の検査は」
証人「科捜研でやっています」
弁護人「13人という陣容は実況見分としては多いのですか」
証人「そうです」
弁護人「弁護士だから慎重になったと言うことですか」
証人「それは分からない」
弁護人「検分の書類には罪名が書いていなかった。なんだと思いましたか」
証人「着衣なども残っているし、自らの意思で出て行ったことはない。誘拐か監禁されているのではないかと思いました」
弁護人「残された血痕から、傷つけられたとは思わなかったか」
証人「そういう判断材料にもなるとは思いました」
松本被告はこの間もずっとつぶやいている「オウムにおいて・・・」「なぜ認否をさせないのか・・・」。
弁護人「あなたが坂本弁護士宅に入った時、自分でドアを開けたのですか」
証人「定かではありません」
弁護人「何かに当たったとか、引っ掛かったとか記憶はありますか」
証人「覚えていません」
弁護人「写真64を示します。このノレンに当たった記憶は?」
証人「なにぶん7年以上前のことですので・・」
弁護人はもどかしそうな表情を浮かべた。
11時40分、反対尋問終了。
新田忠彦証人
神奈川県警磯子署の元鑑識課員。坂本弁護士宅で写真撮影した人物。
弁護人「写真撮影をしたのはいつ」
証人「平成元年12月4日です」
弁護人「同僚弁護士からの届けで、現場にかけつけた宿直の警察官2人は、詳細な検分はしていないということか」
証人「その当時は」
弁護人「その2人からバッジの話は」
証人「聞いてません」
弁護人「バッジがあったのに見落としたのか、後で置いたのかどちらかしかない。宿直の警察官はなんと言っていましたか」
証人「見ていないということで、私は理解しています」
弁護人「見ていないというのは、あったけれども見落としたというのも含むのか」
証人「そうです。その時は、実況見分しているわけでないので」
検察官「報告書を書いたのはいつですか」
証人「平成元年12月8日です」
検察官「その後、撮影報告書を加削しましたか」
証人「罪名欄の『失跡』を削り逮捕・監禁等としました」
検察官「なぜですか」
証人「平成7年の8月中旬ごろ、捜査本部員が鑑識課に来まして、罪名の訂正の依頼がありました」
そのほか、写真撮影報告書の作成経緯の尋問。
11時50分、新田氏の証言途中で、午前中の審理を終えた。
午後1時16分、再開。
弁護人「あなたは平成元年11月8日と9日、現場へ行きましたか」
証人「行きました」
弁護人「1カ月後の12月4日にも写真撮影していますが、何のために再度やったのですか」
証人「見落としがあったので、捜査幹部から指示を受けて。そういう痕跡があったということです」
弁護人「その幹部はだれですか」
証人「記憶にありません」
弁護人「何を写してこいと指示されたのですか」
証人「寝室と居間のふすまの痕跡です」
弁護人「これを見てあなたは何が起こったと思いました?」
証人「何か事件があったように思いました。連れ去られたとか誘拐されたとかいう事件です。鏡台に強い力が加わって跡がついた。したがって何か事件があったとは思いました」
弁護人「血痕はどのくらいとれた?」
証人「20数個と記憶しています。科捜研に送りました」
鈴木富士夫証人
神奈川県警鑑識課警部補の鈴木富士夫氏。95年9月6日から7日にかけて新潟県で行われた、坂本弁護士本人の遺体発掘の現場責任者だった。
検察官「遺体はいつ発見されたんですか」
証人「平成7年9月6日午後4時すぎ、遺体の一部が発見されました。全体が出たのは6時半ごろでした」
検察官「どんな場所から発見されましたか」
証人「岡崎の指示した場所で。正確に言うと『このあたり、もっと奥かもしれない』と言った場所から出ました」
検察官「岡崎から場所について、直接聞いたのはだれですか」
証人「私です」
松本被告は「違うんだよ」「そういうことについては」などとつぶやいている。
弁護側の反対尋問。
弁護人「調書に被疑者佐伯こと岡崎と書いてあるが、平成7年9月6日、検証の時は被疑者なのか」
証人「検証許可状に被疑者と書いてありましたから」
弁護人「逮捕前に被疑者として扱っていることに疑問は感じなかったか」
証人「別に、感じませんでした」
弁護人「殺人被疑事件と書いてあるが、どういう事件か知っていましたか」
証人「検証許可状に書いてあったので、その通りに書きました」
「20数人の検証班と、現場対策班、現場保存班、通信班、遺体搬送班・・・。捜索の総勢は約70人だった。」「自衛隊の高田駐屯地に5日に宿泊して、6日朝に出発した」
弁護人「一緒に歩いて行って『この付近に埋めました』と言ったのが何時ごろですか」
証人「5時50分ごろです。そこで令状を提示しました」
弁護人「相当、山奥ですね。入口西側の空き地から岡崎に案内してもらって、5分ぐらいで着いたのですか」
証人「20〜30mのところですから、5分もあれば十分です」
それまでブツブツとつぶやき続けてきた松本被告が、このあたりで急に大きな声を出した。「坂本事件は田口のポアが原因ならばロープを使うしかないでしょ」「麻原彰晃が来ているんだ」・・・
弁護人「検証は2日間かかったのですが、当初はどういう予定で。半日で終わるとか、1日かかる、あるいは1週間もかかるか」
証人「2、3日はかかるんじゃないかと、それなりの準備、覚悟をして行きました」
弁護人「岡崎被告にはどんな質問をした?」
証人「行く途中で、どの地点に埋めたか指示説明を求めました。山林の中で『どこですか』と尋ねたと思います。途中で石に見覚えがあると言ってました」
弁護人「その石なんですがね。石なんて林の中にはいくらもあるでしょう」
証人「大きめの石はそこしかなかった」
弁護人「岡崎被告は現場には何回か来ているの?」
証人「私は聞いていない」
弁護人「それでは不安はなかった?」
証人「当時は岡崎被告はすすんで協力していると思っていましたから」
弁護人「石が出てきたことまで記録したのはなぜですか」
証人「遺体の近くに石を置いたという情報があったものですから」
弁護人「それはどこからの情報ですか」
証人「捜査本部の方からそう言われました」
弁護人の質問に、困惑気味の証人。その様子を見ていた松本被告は、首を左右に振ってニヤリと笑う。
弁護人「石に関する情報はだれから聞いたのか」
証人「石を置いたという情報があったものですから・・・・」
弁護人「石だけでしたか」
証人「カニの甲羅のようなものもあったと・・・・」
弁護側の尋問が終わり、休廷。
20分後、再開。
発掘作業の間、岡崎被告は捜査員と車の中にいたという。
弁護人「遺体の確認の時の状況はどうですか」
証人「出たところで岡崎に確認してもらうつもりでしたが、マスコミがたくさんいたので、インスタントカメラで写真を撮って、岡崎に見せました」
弁護人「本来なら穴にいるところを岡崎に見せたかったのですか」
証人「そうです」
弁護人「ポラロイドの写真はその後どうしましたか」
証人「岡崎に見せた後、処分したと思いますが、記憶はありません」
弁護人「指紋を取ったのは?」
証人「初めから指紋を取ろうということでしたから。指紋係が来ていました」
弁護人「つめがはく離していたものもありましたか」
証人「はい。4カ所」
弁護人「岡崎被告が案内するような形で?」
証人「そうです。はっきりした道はありませんでしたが、いくらか草がよけられたような感じでした」
弁護人「岡崎被告が、『別なところかもしれない』というようなことを言わなかった?」
証人「岡崎被告は自信あり気でした。発掘場所は盛り上がっていましたから、私もここから出るだろうと思いました」
弁護人「岡崎が合掌している写真があるが、撮影した意味は」
証人「確認させたのと、非を認めているという意味です」
弁護人「どうして合掌したのか。指示をしたのか」
証人「何もしていません。本人の意思です」
弁護人「岡崎さんはその時、どんな様子だったか。泣いていたか」
証人「素直な感じで、泣いてはいませんでした」
弁護人「あなたは、現場に草がないので掘り返した可能性があると思ったと、先ほどいいましたね」
証人「言ってはおりません」
弁護人「すり鉢状になっていたとか・・・・」
証人「たぶん掘ってあったので、土が沈んで、すり鉢状になったと推測したということです」
4時5分、鈴木証人への尋問終了。
この間、松本被告は左側の傍聴席の方に顔を向け、相変わらず何ごとがつぶやき続けていた。
田柳義貴証人
4時10分、神奈川県警鑑識課警部補の田柳義貴氏が入廷。
田柳氏は95年9月8日、東邦大学法医学教室での坂本弁護士本人の遺体解剖に、同県警磯子署鑑識課員として立ち会い、写真撮影を担当した。
検察官からの質問で、その撮影状況に関する証言が続いた。
続いて弁護人からの反対尋問。
弁護人は写真の説明文にある部位の名前を一つひとつ上げて、細かい質問を続けた。
松本被告はそのやり取りを全く聞いていない。目を閉じ、ひとりごとを言いながら時々、ニヤニヤ笑う。
この日予定された5人の証人のうち、4人目の鈴木氏が終わったのは、いつもの閉廷時間の午後5時を過ぎていた。
裁判長「どうしましょう。閉廷後の打ち合わせもあるんですが」
裁判長「検察官、主尋問はどのくらい」
検察官「30分程度」
裁判長「反対尋問は」
弁護人「30〜40分かかると思います」
裁判長「どのようにしましょうか」
検察官「やらせてもらえませんか」
弁護人「もう終わって、別の機会にしましょう」
思案した裁判長は「じゃあ、今日は検察側の主尋問だけということで」と決めた。
栗原俊明証人
営団地下鉄総合指令室長の栗原俊明氏への尋問が始まる。
地下鉄サリン事件の被害に遭った列車の主な駅の到着時刻、出発時刻について、検察官が細かに尋ねていった。
1月31日の第24回公判以来、約1カ月ぶりに松本被告が最後まで在廷のまま、午後5時46分に閉廷。