松本智津夫被告32回公判
松本智津夫被告の第32回公判が28日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、坂本堤弁護士一家殺害事件の動機の一つとされる週刊誌「サンデー毎日」の記事について、検察側証人として、同誌の広岩近広記者と、同記者の紹介で事件直前に坂本弁護士に「血のイニシエーション」の相談をしていた元男性信者K氏が出廷し証言た。
「サンデー毎日」広岩近広記者の証言
松本被告の血を飲んで百万円支払った元信者を坂本弁護士に紹介した。
坂本弁護士は『完全な詐欺。(布施返還)訴訟は必ず勝てる』と話していた。
また、事件1カ月前の1989年10月、修行の異常形態と霊感商法のような布施集めを批判する記事を同誌に掲載した直後、松本被告が信者5〜6人を連れて同誌編集部に押し掛けてきた。
松本被告は抗議に反論され「話にならん」と席をけって出て行った。
同誌は89年10月15日号から「オウム真理教の狂気」とのタイトルで、教団の問題点を指摘する特集記事を計7回連載。
松本被告が抗議に訪れたのは10月15日号が発売された同月2日当日だった。
取材で知り合った元信者を坂本弁護士に紹介したのは同年9月末。
元信者は「百万円を取り返したい」と相談した。坂本弁護士は当時、血を飲むなどの教団儀式が霊感商法ではないかと調べていた。
教団施設で取材した松本被告の妻知子被告は、未成年者を出家させ、布施を取っていることなどを指摘されると、うその弁明をした上で「住居侵入で告訴する」と脅した。
親子の情を断ち切って出家させ、教祖の血を飲む異常な修行形態があった。(松本被告の)髪の毛一本にまで値段をつけ、悪徳商法的な面があると認識した。取材源の秘匿を理由に、取材した信者や親の名前は明かさなかった。
連載を始めた直後、松本被告や上祐史浩被告らが突然編集部を訪れ、強く抗議したほか、記者を名指しした中傷ビラが社内や自宅周辺などでまかれた。連載を中止しない場合は刑事告訴や民事訴訟を起こすという内容証明も編集部に送られてきた。
さらに、取材の際、松本被告にわいせつ行為を受けた女性信者について上祐被告に事実関係をただしたところ、間もなく「証言をしている女性信者は精神的におかしく、虚言癖がある」などと書かれたビラもまかれた。
都合が悪くなるとウソをつき、それが通用しないと高圧的になり、非難する。攻撃的な面も強いと感じた。
また松本被告がヒマラヤで修行したと標ぼうしていた時期に実は薬事法違反の疑いで逮捕されていたことも当時の取材で明らかになった。
この日は主尋問だけで、反対尋問は四月以降の公判で行われる。
松本被告は広岩記者の証言の間も、「保釈されている」「それはうそ」「本当に尋問するべきは、別の宗教法人だ」などと大声で不規則発言を続け、広岩記者が「静かにしてください」と注意する場面もあった。
オウム元信者K氏の証人尋問
続いて、広岩記者を通じて事件直前に坂本弁護士に「血のイニシエーション」の相談をした元男性信者K氏が、検察側証人として出廷。
この元信者は、坂本堤弁護士に松本被告の血を飲む儀式で支払った百万円の返還訴訟を依頼していた。
1989年11月1日に坂本弁護士と面談し、訴訟の委任状を渡したが、その後一家失跡を報道で知り、教団に殺されたと思った。
出家しようとした際に「親族とは絶縁する」「財産をすべて教団に寄贈する」「事故などで意識不明になったら措置を松本被告に任せる」などの内容の誓約書などを書かされ、怖くなって出家を取りやめた。
雑誌やテレビの取材で教団を批判すると、教団幹部ら数人が自宅に押しかけ、テレビ局に訂正放送させるための謝罪文を書かされた。
数多くの人の被害を考えると、お金はドブに捨てたとあきらめるが、教団は許せない。
この元信者の証言の間も松本被告は、「なぜそんなことが言えるんですか」などと証言に割り込んでいた。
閉廷後、国選弁護団の主任弁護人は、4月以降も月4回の期日を指定している阿部裁判長に、「われわれが求めているのは月3回ですか
らね」と話し掛けた。
次回は4月10日と11日に予定されている。