松本被告第41回公判
(1997/6/19 毎日新聞より)
証人岩崎忠雄警部補(神奈川県警鑑識課)
1995年9月6日から8日まで、坂本弁護士の妻都子さんの遺体発見現場を検証し、検証調書を作成した経緯について、弁護側の反対尋問が始まる。
弁護人「警察官になって17年ということだが、検証調書は何回作ったか」
証人「(今回の事件以前に)1回です」
弁護人「岡崎の早川公判での証言で『平成7年5月21日山口県の自宅から神奈川県警に行き、小田原のホテルで泊まった後、9日間くらい引き当たり捜査で長野、富山、新潟県を回った』という証言がある。検証されたのは9月ですよね。こんな早い時期に、引き当たり捜査をして、検証が遅れたのは理由があったのか」
証人「わかりません」
弁護人「調書作成を命じた人間が『場所がこうなったのは、岡崎の証言』と言った?」
証人「坂本弁護士一家3人を殺害し、新潟、富山、長野3県に遺体を埋めた。そのうち富山県を私に検証しろ、との下命を受けたのです」
松本被告は、左手で髪をかき上げながらブツブツ言い続ける。
弁護人「調書を見ると、平成7年9月6日から8日まで34時間18分かかっている。こんなにかかった理由は」
証人「いきなり穴が掘れるわけではないし」
弁護人「検証の間、3日間とも雨のときがあったんですね」
証人「土砂降りのときはなかったので、青いシートをかけてやりました」 弁護人「なぜ、岡崎一明を立ち会わせなかったんですか」
証人「私には分かりません」
証拠として提出された写真に写った「眼鏡」に弁護人が関心を示し、尋問が続いた。何度も眼鏡の発見場所を聞くが、岩崎氏ははっきりと答えられない。
松本被告が、岩崎氏の方に身を乗り出し、「それも分からないで、どうして」などとやや大きめの声を出す。
弁護人「現場に入るときは、あなたが先頭だったんですか」
松本被告が「なんでそんなことを聞く」と言ったのが聞こえたのか、弁護人が「なぜ、こんなことを聞くかというと、ほかの人が先に行っていたら、眼鏡を踏んだりすることもあるかなと思って」と、補足する。
証人「だれが先頭で入ったか覚えていません」
つぶやき続ける松本被告。弁護人も岩崎氏も、松本被告を気にしながら、尋問が続く。
弁護人「現場は一般の人が入るような場所ですか」
証人「草が生い茂っていますよね。行く気があれば行くでしょうし。でも沢が見えるわけでもないので、普通は行かないでしょうし」
尋問とは無関係に、傍聴席の前方に陣取った若者たちは、身を乗り出して松本被告だけを見る。最後列に座った都子さんの父、大山友之さんは、時折、遠くを見やるようにしながら、メモを取り続ける。
前回の公判後に行った現地調査を踏まえて、弁護人の質問が続く。
弁護人「このあいだ現場に行ったのですけれど、草や木が全部刈られていて。それでお聞きするんですが、何か大きな物体を持って行けるだけの間口がありますかね」
どうやら、遺体を入れたドラム缶は、被告らの供述通りに4人がかりでは運び込めないのでは、と言いたいらしい。
証人「図面にありますように、幅は1・3mで、草があるので……」
弁護人「草があるから?……」
証人「……」
どう返事していいのか詰まっている証人に“助け舟”が出た。
裁判長「草を(横に)よければ幅はもっと広がるんでしょう」
証人「ああ、そうです」
弁護人「はっきり聞きますけれどね、4人でドラム缶を中に持って入れますか」
証人「……持つ人の体の大きさによりますけれども、中に持って入れると思います」
弁護人「中に物が入っていてもですか」
証人「……大丈夫だと思います」
「いいかげんにしろよ……」。松本被告は目を閉じたまま、傍聴席に顔を向けてブツブツ言い続ける。
弁護人「遺体の至近距離にある眼鏡なので、捜査すべきではなかったか」
証人「私にはわかりません」
弁護人「都子さんの眼鏡か、実行犯のか、第三者の眼鏡か。引き当たり捜査の結果、わからなかったのか」
証人「……わかりません」
弁護人は、遺体発掘現場をAからOまで15区画に区切って作業をした理由、現場から出てきたさび付いた王冠や繊維片などについて、細かい質問を続けた。弁護人が写真を台紙からはがし、陳述席に持って行く。都子さんの遺体発見場所の石の写真のようだ。弁護人が、石の一部の変色部分の色を聞いていく。
しばらく黙っていた松本被告が「分かるか」「なぜそんなに時間を取って」「なぜ分からない」「アイ ハブ……」と、証人の方を向きながら、しゃべり始めた。
弁護人「立ち会った医師に、この色はどうしてついたか聞きましたか。何か薬品だとか、皮膚に薬品が含まれていると、こうなるとか」
証人「聞いてません」
弁護人「あなたはこの色について、あまり意識しなかったということ?」
証人「はい」
午前11時15分、反対尋問終了。
証人遠藤出(神奈川県警磯子署員)
弁護人「これまで何回くらい(死体解剖の)撮影に立ち会われましたか」
証人「100回程度です」
弁護人「(司法解剖に当たった北里大学の)教授はどこにいました?」
証人「本人は中央に。洗浄は助手が、歯は歯学部の教授が行いました」
弁護人「他大学の歯学部と言われましたが、どういう立場で?」
弁護人は鋭く突っ込んだ。
証人「歯の専門家という立場で来られたのだと思います」
弁護人「鑑定書には他の大学の名前は出ていないのですが。どちらの大学ですか。確かめたいのです」
証人「ちょっと分からないのですが」
弁護人「何人ぐらい来られました」
証人「4、5人です」
松本被告は左隣に座った刑務官の方を向き、説法をするようにつぶやき続けた。開廷後1時間以上が過ぎ、そろそろ目を閉じる人たちが現れ出した。
弁護人「写真77以降はきれいになっているが、洗って写したということですか」
証人「洗って写しました」
弁護人「写真10を見て下さい。この説明の部分の『左ひじ部』とは、写真上ではどこを指しますか……」写真に写った遺体の様子について、弁護人が丹念に説明を求め、遠藤氏が写真撮影報告書をめくるなどして、答えていく。
弁護人「撮影時、頚椎に損傷は?」
証人「執当医から、この部分が頚椎損傷だなと、説明がありました」
弁護人「頚椎の損傷は生前のものかどうか、執当医は話していましたか」
証人「解剖時、死後損傷と思われると話しておられました」
殺害後、6年近く土中に埋められていた都子さんの遺体の痛々しい様子が、証言から浮かび上がる。父、大山友之さんは、メモを取る手が止まり、じっと前方を見やる。松本被告は、被告席の前の机に手をつき、ぶつぶつとつぶやいている。
弁護人「遺体から爪や毛髪は採取されましたか」
証人「爪もあったと思います。毛髪も採取されました」「何本かの歯が下方に落ちたり、脱落したりしていました。歯学部の先生が検討して、はめ込んでいきました」「血液、臓器はすでに消失していました」
つぶやきをやめ、うなずきながら聞く松本被告。大山さんは唇をぎゅっとかみしめながら、ひたすらメモを取っている。
弁護人「死因について、執当医から聞きましたか」
証人「解剖が終わった時点で、この段階じゃ分からないと言っていました」
弁護人「あなたとしては、死因はどのようなものと……」
検察官が「主尋問の範囲を超え、写真撮影と関係ない」と異議を申し立て、裁判長も認めた。
弁護人「死因との関係で、この部位はしっかりと撮影しようと意識したのは?」
証人「舌骨と頚部、頚椎です」
弁護人「あなたと、もう一人で撮影した150枚くらいの写真のネガは、どこに保管されていますか」
証人「県警本部鑑識課です」
午後0時1分、遠藤氏への尋問終了。
休廷
1時15分、再開。
証人大野比登志警部(神奈川県警神奈川警察署)
大野氏は坂本弁護士の長男龍彦ちゃんの遺体発見と現場検証に、県警本部鑑識課員として立ち会っている。
証拠の一部をただした後、弁護士の尋問は、1990年2月に神奈川、長野両県警が岡崎被告からの匿名情報で行った遺体捜索の件に移った。当時は遺体は見つからず、情報はいたずらだったと判断されていた。
弁護人「1回目は、どのように発掘したのか」
証人「周辺の雪をさらい、棒で地面を突き刺して検索しました」
弁護人「新聞では捜索、発掘作業をしたと報道されているが、発掘は」
証人「マスコミ報道の意味は分からないが、私は当時は検索活動だったととらえています」
弁護人「検索の場所は」
証人「現場周辺のアシ原です」
今までじっと黙っていた松本被告が突然、傍聴席にも聞こえる声で何かをつぶやいた。何に反応したのか。
質問は再び、95年9月の龍彦ちゃん遺体発掘作業に戻る。
弁護人「あなたの検証調書にひし形の土壌変色部分の記載があるが、図面でいうとどこですか」
大野氏は図面をめくりながら説明した。
弁護人「すると、遺体のあった場所とは別ですね」
証人「そうです」
弁護人「あなたの調書では、変色部分を掘っていくと遺体が見つかったとあるが、どういうことですか」
証人「それは……」
それまで、まるで論文の一部でも読み上げるような明せきさで、よどみなく答えていた大野氏が、突然乱れた。
証人「変色部分は遺体の場所からは外れていたということです」
弁護人「土の色が変色しているところと地層が乱れている部分は重なっているんですか」証人「重なっています」
弁護人は「ふーん」と不満そうにつぶやき、「そこを発掘して何も見つからなかったんでしょ」
証人「直下にはありませんでした」
弁護人は、「岡崎被告の供述によって遺体発見現場が特定できた」という検察側主張のほころびを見つけるため、細かな点まで詰めていった。
弁護人「土壌が変化しているところは、警察が平成2(90)年2月に掘ったところではないですか」
証人「わからない」
弁護人「土質が軟弱なのが顕著といっているが、ここに埋められていると思わなかったのですか。6区から始めて10区になって初めて発掘するというのは、初めからそこになかったことがわかっていた。以前調べてわかっていたのではないですか」
証人「平成2年の発掘に関する予備知識は一切ありませんでした。岡崎さんの証言に基づく範囲内で全力を傾中した」
弁護人「平成2年2月17日に神奈川県警に届いている手紙の4枚目に見覚えは」
証人「ありません」
弁護人「林道からペケ印まで8m。丸木橋の手前となっている。3枚目は『かやが覆い30cmの大木が横になっているところに目印がついている。この図の3、4枚目の遺体を埋めた場所とあるのは、発掘した場所とほぼ同じではないですか」
証人「ほとんど同じとはどういうことかわかりませんが、かけ離れた場所ではないで」
弁護人「では、ここから発掘することは可能ですね」
証人「この図面だけでは。もう少し何かが欲しい」
弁護人「あなたはそう思うのですね。この図面に基づいて発掘しているんですよ」
弁護人「平成7年10月5日の検察官に対する調書を示します。この図は覚えていますか」
証人「覚えていません」
弁護人が証人の横に立ち、図面を指し示す。岡崎被告が90年に神奈川県警に送った図面と、97年に捜査当局に描いた図面。この2枚の図面をめぐって、やり取りは激しさを増した。
弁護人「B5判には電柱番号、目的物としての倒木まで書いてある。だれが見てもB4判では、場所の特定はできない」
証人「やってみないとわかりません」
弁護側は90年の方が詳細なのに、なぜ当時発見できなかったのかということを、問題視しているようだ。
弁護人「発掘場所はどう特定したか」
証人「捜査員に聞いた岡崎さんの話に基づき、林道から約10m入った所を北縁にして、10m分を掘った」
弁護人「どうして、そこを北端に掘り出したのか。そこは中心とすべきでは。本当は中心にしたのは倒木ではないのか」
弁護人は「倒木」にこだわり続ける。
証人が思わず「中心、という言葉を使ったので揚げ足を取るのでしょうが」というと、弁護人も「揚げ足など取っていない」と言い返す。険悪なムードだ。
弁護人「倒木を目印にしたのでは」
証人「偶然存在しただけ。意識していなかった」
弁護人「あなたは何か欠落していますね」
質問は、遺体発見時の状況に移り、尋問終了。
証人宮田勝敏氏(神奈川県警藤沢北署員)
龍彦ちゃんの遺体発見現場の写真撮影報告書を指し示しながら尋問する。
弁護人「この写真を見ただけで、頭がどこで、でん部がどこか、報告書の説明のように分かるのか」
証人「執刀医の説明でそう書いた」
弁護人「写真を見ただけで、説明を受けた通りのことが分かりますか」
証人は、数秒の沈黙のあと、「執刀医の説明で、ここはでん部という説明を受け……」と繰り返す。
裁判長は「分からなければ、分からないで、いいですよ。執刀医の指示を受けたから撮ったということで」と口をはさんだ。
証人「その通りです」
弁護人はしつこく陳述席に詰め寄り、写真の説明を求める。検察官が異議を唱えた。
裁判長は「弁護人がそんなに細かく聞く必要はないですよ」と告げた。弁護人はこの後、数点の写真についても細かく説明を求め、宮田氏への尋問は終了した。
証人大野泰雄氏(国立衛生試験所薬理部長)
最初に、検察側が前回の尋問で聞いた「塩化カリウム飽和水溶液を人体に注射した際の影響」について補足尋問。
証人は、15度で1ccの水溶液に含まれる塩化カリウムの量を「0・2465g」とした証言を、「1・44g」に訂正。検察官から「前回証言した数字と比べ、人体の影響への違いは」と問われて「ほとんど差はありません」と答えた。
弁護側の反対尋問に移る。
弁護人「塩化カリウムが人体に及ぼす影響を説明してください」
大野氏は細胞内外の電位差とナトリウム、カリウムイオンの関係などについて分かりやすく説明した。
弁護人「心臓停止にも影響するということですね」
ガチャン。専門用語が飛び交う内容に静まりかえっていた法廷に、最前列の傍聴人が落とした筆箱の甲高い音が響き渡る。眠っているかのように動かなかった麻原被告が「何やってんだ」とでもいいたげに顔をしかめながらぶつぶつ言い、傍聴席の方に一瞬顔を向ける。
証人「静脈内投与はまず心臓に影響が出ます。経口投与はまず、消化器官が影響を受け、収縮したり弛緩し、悪心や嘔吐します」
心臓が停止する仕組みをさらに質問した弁護士は「詳しい意味は理解できませんが」と、困ったような苦笑いを浮かべることもあった。弁護人は質問内容を塩化カリウムを注射する際の速さに変える。
証人「速さはあいまいなものです。殺す時は2CCを10〜20秒で力いっぱい押します。点滴など医療用の場合は1、2時間かけます。10〜15秒と1分でも致死量に大きな差があります」
弁護人「前回の証言で塩化カリウムの投与で人が殺すことができるのは医学部、薬学部の卒業生なら常識といっていたが、どの程度で死ぬのかもそういう人は知っているのか」
証人「わからないと思います。医、薬学部を出た人が文献を読めばわかりますが」
3時11分。裁判長が「まだ、やりますか」と弁護人に尋ねた後、休憩を告げた。
3時半、再開。松本被告は、目を閉じて時折、両目をこする程度で、背もたれに体を預けている。
弁護人「死亡した実験体の中で一番薬品の量が低いのが最低致死量ですね」
証人「そうです」
弁護人「塩化カリウムの場合、実験での死亡に要する時間は」
証人「すぐ死にます」
弁護人「人間は……」
証人「投与した部位から心臓までの距離にもよるが、1分以内。あるいは10秒より短いかもしれない」
薬品の致死量などの質問に、専門用語を交えた証言が続く。松本被告が時々、右手のひらを広げ、左胸を押さえる。こんな、ささいなしぐさに、傍聴席の前列に陣取った信者とみられる若者らが身を乗り出す。
弁護人「塩化カリウムの最低致死量4・62gを投与した場合、あなたは主尋問で『まあ死亡すると思います』と言っていたが、この趣旨は」
証人「人を殺害する場合、注射器から力いっぱい放出するだろうから、血液の中で局所的に濃度が上がることがあるから、そうなると死ぬ可能性が高いのではないかと考えました」
弁護人「実験でも同じように力いっぱい放出するんじゃないですか。そうすると数値にそういう条件はすでに織り込まれているのでは」
証人「そうとらえることもできるかもしれません」
傍聴席の信者らしい若者が、席にもたれて居眠りを始めた。松本被告は眠気を覚ますためか、顔を上にはねあげ、鼻をぴくぴくさせる仕草を何度も見せる。身を乗り出して机に手をつき、何かぶつぶつつぶやいた。右手で鼻や頭、耳をかき、さらにはあくびまでしてみせた。
弁護人「筋肉注射の方が皮下注射より毒物が血液に入る速度が速いと証言したが、どの程度の速さか」
証人「どのくらいかまでは分かりません」
筋肉注射と静脈注射の致死量の違いや、塩化カリウムの溶解度などについて、前回の尋問を基にして専門的なやり取りが続く。
弁護人「筋肉注射した直後に死亡した場合、投与部分に塩化カリウムが残り、あとで検出される可能性はあるか」
証人「少なくとも体が崩れないでいる期間は残っている」
弁護人が交代。筋肉注射は1ccを超えると、抵抗が大きく難しいことを証人に確認した後、人を殺せる薬としてラトロドトキシン(ふぐ毒)、パクチン(トリカブト)、ストリキニーニ、青酸カリ、ボツリヌストキシン、クラーレ、インシュリンと具体名を次々挙げ、それぞれの毒性を聴く。松本被告も、それに合わせて同じ薬品名をつぶやくが、中身はまったく意味不明。弁護人がさらに、薬と毒との境目について尋ねたところで検察官が手を上げた。
検察官「主尋問から外れている」
裁判長も同調し、「関連していると思えないけど」
証人「クラーレ、インシュリンは薬でもあるが、それ以外は毒です」
証人が答えるのを裁判長が少し語気を強めてさえぎる。
裁判長「何を聞きたいの。他の毒物に関して証人呼んでいるんじゃないよ」
弁護人は再び、塩化カリウムの毒性と症状について2、3の質問をして、質問を終了。裁判長は時計を見て「じゃあ、今日はここまで」。
証拠についてのやり取りが交わされた後、裁判長は「では、次回は明日6月20日、
10時から」。
4時48分、閉廷。