松本被告第42回公判詳報
(1997/6/20 毎日新聞より)
台風襲来の20日、松本智津夫被告の第42回公判が東京地裁(阿部文洋裁判長)で行われ、坂本堤弁護士一家殺害事件の実行役の一人とされる元教団幹部岡崎一明被告が証人として出廷、弁護側からの反対尋問が行われた。
傍聴希望者は306人。非常に少ない。
午前9時58分。白色に近いグレーのトレーナー姿の松本被告が、左手の入り口から入廷。ぶつぶつ言いながら着席した。
深緑色のシャツに、紫のズボンの岡崎被告が陳述席に着いた。
「……アーンド……」。松本被告の英語の不規則発言が始まった。「いいかげんにしろ。岡崎。これは犯罪になるのか」と大声も上げる。
「被告人、静かになさい」と、阿部裁判長が注意。
弁護人はまず、田口修二さん殺害事件を含めた起訴事実を、岡崎被告が認めていることを確認してから、尋ねた。「共犯者とされる人が『教団や教祖を妄信していて、おろかであったと』……」
さえぎるように松本被告が「田口事件がポアというなら、なぜ首をひねったというのか。けい動脈を切るのと矛盾するじゃないか。何度も言っていることじゃないか。したがって岡崎君の……」
尋問は、岡崎被告が1990年2月10日に教団を脱走した動機に移った。
証人「自分の修行が行き詰まったというのは、その通り。教義、『グル麻原』の教義、救済方法への不信、あつれき、かっとうが複雑に絡み合っていた」
松本被告は質問が事件から遠ざかったせいか、黙り込んだ。
一緒に逃げた信者の妻との結婚を弁護人が聞いた。
証人「麻原の指示で。新実らが結婚届を出しました」。岡崎被告は「麻原」と呼び捨てにする。
弁護人「出家信徒は結婚が認められていなかったのに?」
証人「妻の両親が何度も連れ戻しにきた。余りにもしつこいので、麻原は彼女が私に好意を持っていることを知っていましたから『それでは結婚させれば、連れ戻すのをあきらめるだろう』と。それで『結婚届を出せ』となりました」
結婚すら意のままに操ろうとした松本被告の姿が浮かぶ。証言は山口県に逃げた後の動きに移った。
弁護人「(教団から持ち出した3億円の)お金は宅配便で友人に送って、オウムに取り戻された。その翌日、あなたは麻原に電話しているね。理由は?」
証人「早川ら警備班の連中が山口県の小野田にまで来ていると分かりましたので。恐ろしかった。見つかったら殺されるなと思って。どういうふうに麻原が考えているのかを知りたくて。うそをいうかもしれませんが。こういう人間だから分からないですけれども」
弁護人「電話の内容は」
証人「電話すると麻原は『びっくりしただろう。さすがシバ神だな』と。『私たちはオウムに戻れないから今後の生活の保障をしてもらえないか』『それはできない』というような内容でした」
この電話の後、遺体遺棄現場を記した手紙を神奈川県警などに送付した事実関係に、尋問は移った。岡崎被告はまず、長男龍彦ちゃんを埋めた長野県大町市に向かったことを語った。
弁護人「龍彦ちゃんの埋められている場所に着いたのは夜ですか」
証人「朝の6時か7時でした。写真は3枚は撮っています。湿地帯に向かっていく角の信号柱の番号を含む写真。湿地帯の現場に向かった写真。小川に架かる丸太の小さな橋も撮ったと思います。でも一面、雪でした」
同行した妻を車に残し、深さ40cmの雪の中を一人で現場に向かった様子を説明。
弁護人は、その写真や地図を同封して送った手紙について尋ねる。
証人「手紙は平成2(90)年2月16日付の速達で送りました」
陳述台に近付いた弁護人は、新潟県上越市の商店街近くの郵便局から送った手紙を読み上げて、その意味について尋ねる。
弁護人「龍彦ちゃんが眠っている。早く助けてあげないと。2行おいて、2月17日の夜、煙にされてしまうかも。早く助けて、お願い。この手紙を出した目的は」
証人「(教団幹部が立候補した総選挙の)投票日が2月18日で、その前までに警察が捜索してくれれば必ず遺体が出るだろうと思った。カネを取り返された私がおかしなことをするだろうと麻原は思っているはず。一日も早く証拠を出して、本気でやってもらわないと、と思ったんです」
この後、手紙に添えられた地図の説明が続けられた。
弁護人「(逮捕後の)平成7(95)年10月5日付作成の地図は、横浜法律事務所に送った地図と、どちらが正確ですか」
証人「さきほどの、横浜法律事務所の方」弁護人「これによれば、龍彦ちゃんの遺体は発見されると思いましたか」
証人「はい、私はそう思っていました」
しばらく黙っていた松本被告が「麻原彰晃だよ」などと声を上げ始める。
弁護人「横浜法律事務所に送ったのは原本か、コピーか」
証人「もう1カ所、神奈川県警の磯子署に送ってますから。どちらかが原本です。なぜ送ったかという理由は?」
弁護人の質問を先回りして、廷内に失笑が漏れる。緊張が一瞬解けたその雰囲気に、傍聴席最後列でメモを取っていた都子(さとこ)さんの父、大山友之さんが顔をしかめる。
弁護人「あなたが地図などを準備した目的は?」
証人「お子さんの遺体を出していただきたいと、ただそれだけです。それで麻原も私が本気であると気づき、生活費を送ってくれると思った」
弁護人「送る前に、上越市のホテルから麻原さんに電話してますね」
証人「麻原が直接出てきて、『どこにいる』と。それで『それは言えません。遺体の場所の写真と地図を作ってますので、これを警察に送ります』と答えました。『出しますよ』と念を押しても『いいぞ、出しても。おまえがいくら出しても警察が捜査するはずがない』と、麻原は答えました。生活費を送ってもらえないかという話はしましたよ。『それはできない』と言われました」
弁護人「その後は?」
証人「送った後、町役場に寄って、坂本さんの遺体のある山(新潟県)に向かい、次に奥さんの遺体のある場所(富山県)に向かいました」
弁護人「夫婦の遺体の場所を示すため、地図を役場で取得したと?」
証人「はい」
弁護人「写真は?」
証人「雪が積もっておりまして、橋の写真を撮ったくらいで。奥さんの方の場所に行くところの橋の写真ですが。目印になればと思って撮りました」
弁護人「坂本堤さんの場所について、写真は?」
証人「ふもとまで行ったが、3mか4mの豪雪地帯で断念しました」
弁護人「龍彦ちゃんと同じような資料を、夫婦についても作ったんですね」
証人「はい」
松本被告が「やめろ。陳述なんかするな」と大声を上げる。
弁護人「用意した資料はどうしました」
証人「横浜法律事務所と神奈川県警に送りました」
弁護人「東京駅で投かんしたのはいつ?」
証人「2月21日か……20日か、どちらか。その原因となったのは、毎日新聞に私が教団からカネを取って逃げ出したとあり、これで終わりだと思った。それで、すべて投かんした。これでオウムもつぶれて、何もかも完結すると」
弁護人「投かんを教団に連絡したか」
証人「はい、しました。あと2カ所、つまり坂本弁護士と奥さんの地図も送りましたよ、と。直接麻原に言いました。(松本被告は)突然豹変(ひょうへん)し『お前はいくら欲しいんだ』『1000万円だったらいいだろう』と」
弁護人「実際にもらったのか」
証人「いや。その時『お前、いくら持っているんだ』と言うので、170万円持っていると。『では、それを差し引いて、830万円を振り込む』と言ってました」
弁護人「振り込まれましたか」
証人「はい」
弁護人「それで手紙をどうしましたか」
証人「横浜の郵便局に行き、回収しました」
弁護人「話がついたから送る必要はないということか」
証人「えー、それはそのように見られても仕方がない」
弁護人「龍彦ちゃんの捜索で遺体が発見されず、教団に電話したか。麻原さんと直接?」
証人「はい。捜索が始まりましたねと言ったら、『そうだね』と……いや……捜索とは言っていないかもしれません。しかし、麻原は『Mがずれていて良かったな』と言いました」
弁護人「Mとは?」
証人「メートルのMです」
弁護人「あなたはどう理解したのか」
証人「発掘したにもかかわらず、(位置が)ずれていて(遺体が)出ないので良かったな、と理解しました」
弁護人「坂本弁護士の事件で神奈川県警に聴取されましたね」
証人「はい」
弁護人「最初はいつ」
証人「平成2年9月1日から10日以上です」
弁護人「中身は?」
証人「坂本弁護士一家失踪事件にかかわっているのでは、脱走の経緯、その後の行動などです」
弁護人「あなたが龍彦ちゃんの情報を送った人間と、神奈川県警は認識していましたか」
証人「知っておりました」
弁護人「なぜ送ったと聞かれ、どう説明したのか」
証人「麻原から電話があり指示されたと。お前が坂本一家の失踪事件に関連するガセネタを流せ、そうすれば警視庁や神奈川県警はそちらに動く。それでオウムの選挙活動に影響が出ない、と言われたと説明しました」
弁護人「要するに警察をかく乱させるため、と。県警は納得したか」
証人「はい」
弁護人「あなた自身はなぜそういう説明をしたのか」
証人「恐ろしくて真実は話せなかった」
弁護人「坂本事件に関与はしていないと言ったのか。教団の関与は?」
証人「否定しました」
弁護人「(松本被告に)電話したのは」
証人「(熊本県)波野村の国土法違反でオウムが一斉捜査されましたよね。あれは内部の情報がないと取れない話でしたので、それで麻原が危害を加えるのではないかと懸念したから」
弁護人「神奈川県警と接触する一方で教団ともつながりを持ち続けるのは……」
証人「中川(智正被告)らは向こうから接触してきました。波野村は自分の身に危害が及ばないか確かめるためですし。それはちょっと違います」
弁護人「あなたは警察にも情報を小出しにしていた。警察に全部話して守ってもらうことが常識じゃないですかね」
岡崎被告は「常識……と言われても困るんですよね」と不満そうだ。
弁護人「あなたは平成7年5月20日に自白調書を取られている。この段階になって警察に全部を話す気になったのはどうして?」
証人「あ、それはオウムをつぶすためです。サリンとか警察庁長官狙撃事件もあって、いよいよ歯止めが利かなくなったな、と」
弁護人「自分の身の危険も考えたのでしょう」
証人「それもあります」「はっきりしないことは言いたくないんです。分からないことが、多いということです」
松本被告が突然「だから、麻原彰晃は無罪なんです」。弁護人も一瞬、言葉を失い法廷内が静まりかえる。
質問は逮捕前の報道機関との接触状況に移り、岡崎被告は週刊誌、通信社、新聞社、テレビ局などを次々と挙げる。
実名を挙げて、週刊誌から100万円を超える取材協力費を受け取ったことも。このあと、弁護人は入信にいたる経緯を聞いていく。
職業を転々としていたこと、教団に入る前に阿含宗などほかの団体に参加・関与していたことを証言した岡崎被告は、「結局、グルを求めていました」と述べた。
11時56分、弁護人の求めに応じて休廷。
午後1時14分、再開。弁護人が経歴について質問する。
岡崎被告は衆院議員の側近と知り合い、83年から84年にかけて不正入学のあっせんが行われていたのを見た、などと証言した。
しつような尋問に、検察官が「証人の経歴をそこまで聞く必要があるのか」と異議。
裁判長も弁護人に質問を変えるように促すが、弁護人は納得しない。
弁護人「先ほどまでの尋問で、証人は警察官に対してうそをいったと言っている。話の中では、事実に反することも言っていた。今日が本当のことなのか、いままでのことが本当なのか……」
突然、松本被告が「おい」と大きな声を上げた。弁護人は「エッ」と言って、反論を中断、周囲を見回した。松本被告の声だと気付き、ひと呼吸。気を取り直して、岡崎被告が入信する前の「宗教遍歴」などについて、再び細かい質問に。
岡崎被告が国会議員の秘書だったかどうかや、教団が衆院選に出馬を決めた経緯など、さかんに疑問を呈する弁護人と岡崎被告との間で激しいやりとりが続いた。
弁護人が交代。再び入会動機に戻り、岡崎被告は「雑誌で見た麻原に興味があった。どういう人物か話を聞いてみたいと思って直接電話しました」などと述べる。
弁護人「解脱とはどういうことだと認識していましたか」
証人「めい想状態で肉体と意識が離れた状態。しかし意識ははっきりしていて、どこの世界にもいける状態」
弁護人「最初にオウム神仙の会に電話したときのことを覚えていますか」
証人「『私のような汚れた人間でも解脱できるのか』と聞いたら、麻原さんが『そう思っている時点で、すでに解脱できるということだ』と言った」
弁護人「被告の声に感動したのですね」
証人「非常にやさしかった。話すときの間の置き方もとても良かったし、他の修行者と話した時はつっけんどんな人が多かったので、それと比較して麻原さんは素晴らしいと感じました」
入信前後を振り返るとき、岡崎被告は「麻原さん」と敬称をつけた。
弁護人との間で行われる宗教観のやりとりに、検察官は「裁判長。本件に関する証人の証言として必要性はないと思います」。
裁判長も「そう思いますけどね」。弁護人は角度を変えて質問をし直す。
岡崎被告は、「120万のお布施で出家すれば3年以内に解脱させる」などといわれて山口県から上京、石井久子被告に次ぐ2番目の「成就者」になった経緯を証言し続けていく。
2時半をすぎ、事件の背景についてのやりとりが続くためか、傍聴席でうたた寝をする人も出始めた。松本被告は背筋を伸ばし、目を閉じている。めい想しているのか、寝ているのか。時折、右手を顔の前でぐるぐる回す様子からすると、起きてはいるようだ。
教団での役割、運転免許証を取得し松本被告の運転手を務めたこと、総本部道場建設に責任者としてかかわったこと、その地鎮祭で行った宗教行事の内容、開所式にインドの宗教関係者を呼んだこと、教団施設の構造……。
たまりかねたかのように岡崎被告が言った。「抽象的な質問なので、何を聞きたいのか分かりません。もっとダイレクトに聞いてください。何を答えていいのか分かりません」
弁護団が集まり、協議。2時55分、休廷。
3時15分、再開。
弁護人は紙と筆記用具を求め、岡崎被告に「総本部道場の建物の位置関係を示して」と語りかけた。「いつごろのですか」「途中で建てられた倉庫はいりますか」などと質問しながら、岡崎被告は迷わず描いていく。
傍らでのぞき込む弁護人が「この部屋の名前は」と問いただした。「ポアの間」。無感情に岡崎被告が答える。
弁護人「次の紙にサティアンビル1階の間取りをかいて」
時間が過ぎて行く。検察官が時々、陳述台に近付いては絵をのぞき込んだ。
弁護人が岡崎被告に、サティアンビルの2階から4階までの図面を描かせる。B4判の紙いっぱいに丁寧に時間をかけて見取り図を描く岡崎被告に、じれた裁判長が声をかけた。
裁判長「時間かかるの」
証人「いや、ちょっと」
裁判長「見て分かる程度でいいからね」
弁護人「先ほどご自分がいらした部屋をかいてもらったでしょう。間取りを大きくかいてもらえますか」
89年10月末当時の松本被告のめい想室やその隣の金庫の置いてあった会議室、ガレージの図などを、弁護人が次々に指示。岡崎被告が図を描くために白い紙に向かう。この間、法廷に沈黙が広がる。松本被告も珍しくおとなしい。傍聴席の後方の学生らしき男性5、6人は眠りこけた。
弁護人は岡崎被告の描いた9枚のサティアンの図面を、裁判長、検察官へ回覧し、岡崎被告に番号を付けるように指示。「平成元年、サティアン富士山総本部」の図面が「1」……。さらにもう1枚描かせて「10」。そして、図面に関する尋問をゆっくりと続ける。
「この部屋は畳か」「壁はコンクリートか」など、弁護人は部屋の状況を細かく聞く。
弁護人「車庫にあった車は」
証人「ベンツとクラウン」
そんなやりとりがあって、裁判長が「今日はこのぐらいで」と質問を制した。約5分間かけて岡崎被告がすべての図面に署名なつ印した。
4時50分、閉廷。
松本被告との共謀や実行行為の状況など核心部分には入れず、反対尋問は7月3日の次回公判に続行されることになった。