松本智津夫被告第44回公判
(1997/7/4 毎日新聞より)
岡崎一明被告に反対尋問(3回目)
オウム真理教の松本智津夫に対する第44回公判は4日、東京地裁で開かれ、坂本堤弁護士一家殺害の実行グループの一人とされる岡崎一明被告に対する3回目の弁護側反対尋問が行われた。
岡崎被告は、毎日新聞社爆破計画など「敵対者」への徹底した反撃行動が、松本被告の主導で行われていたことを証言した。傍聴希望者は278人だった。
松本被告は白っぽいトレーナー上下で入廷。直後に岡崎被告も姿をみせた。午前9時59分開廷。阿部裁判長が促して、弁護人の質問が始まった。
まず、前日の証言の再確認から入る。
弁護人は「沖縄の参院議員に会いに行ったのは……ですね」と実名を挙げてただした。一瞬の間を置いて、岡崎被告は「はい」と肯定した。
岡崎被告は3日の法廷で、宗教法人の認証が遅れていた問題に対処するため、「元弁護士であり裁判官だった人」と一緒に、沖縄の参院議員(故人)に会いに行ったと証言した。しかし、出家信者だった「元弁護士で裁判官」の実名については、「必要ないと思う」と述べて、自ら明らかにすることは拒んでいた。
弁護人「参院議員に会う際、金を持参したか」
証人「何も持っていっていない」
弁護人が交代し、1989年にオウム真理教問題を連載したサンデー毎日の牧太郎編集長宅訪問や、サンデー毎日に抗議に行った89年10月11日の行動経過などの、再確認を始めた。
松本被告は相変わらず独り言や、証人に向けてなのか「おまえ、ばかなんだよ」などとつぶやく。
さらに弁護人は、毎日新聞社の爆破計画について尋ねた。
証人「私だけでなく、早川さん(紀代秀被告)も一緒にサティアンの4階にある会議室に呼ばれ、『サンデー毎日の連載をストップさせろ』ということだった。トラックに爆弾を積み、地下で爆発させれば、輪転機が壊れ打撃を与えられるということになった。(その場には)麻原、私、早川さん、村井さん(秀夫元幹部=故人)がいました」
弁護人「毎日新聞は地下で印刷していると、どうして知ったんですか」
証人「それは取引している人から聞いた」
松本被告の英語のつぶやきは途絶えることがない。傍聴席最前列の若い女性は、ひたすらそれを英語でメモに取っている。松本被告の発言だけに注目する若い男女が、この日の法廷では目立った。
弁護人「マンジュシュリー(村井元幹部の宗教名)の意見は?」
証人「爆弾を2トン車か何かの車に積載して、毎日新聞社の地下に入れて、爆発させればいい、十分だと言っていました。私は無理というか、荒唐無稽(こうとうむけい)だと考えていました」
弁護人「爆弾はどうやって入手するという話だったんですか」
証人「話はなかった。確か早川さんが爆弾はあるんですか、と聞いていた。村井が、すぐに造れます、簡単ですと話した」
弁護人「爆弾ができると思ったんですか」
証人「村井さんならという条件で。失敗するだろうということです」
岡崎被告は、村井元幹部をよく言わない。このあと、岡崎被告は、早川被告と2人で毎日新聞社に下見に行った、と証言した。
弁護人「行った結果は」
証人「入れなかった。とにかく、トラックなど大きな車は地下に入れないとあきらめた」
弁護人「割と簡単にあきらめていますね。本当に実現しようと思えばいろいろな手段があるでしょう」
岡崎被告は、左手をほおに当て、首を左にかしげて、考え込む。「そうですかねえ。入るのはちょっと……。早川さんと私は、話そのものが荒唐無稽というか……。毎日新聞社に打撃を与えても、サンデー毎日がどこで印刷されているかも分からないし」
弁護人「計画自体が荒唐無稽という判断か」
証人「犯人はすぐに分かる。教団をつぶすことになることはおかしいと思った」
弁護人「あなたは坂本事件で、疑問を持ちながらも、グルの命令に従った。それと同じことでしょ」
証人「だから見に行った」
弁護人「グルの意思なのに、簡単にあきらめたのか」
サンデー毎日編集長を襲う計画と毎日新聞本社爆破計画。いずれも「教祖」の指示を受けながら実現しなかった。なのに、なぜ弁護士一家殺害だけは実行されたのか。「グルの意思」を弁護士一家殺害事件の中核に据える検察側の構図に、ほころびを見いだそうとするような追及が続く。
証人「ただ単にあきらめたんじゃない。村井さんの案というのがちょっと納得できなかった」
弁護人「トラックで入るのが無理でも他の手段があるでしょ。歩いて入るとか」
証人「グルの判断を仰がないと行動できない」
早川被告から「トラックは入れそうにない」と報告を受けた松本被告は、別の判断を示したという。
証人「サンデー毎日の事務所に入り、爆弾を仕掛けてこられないか、調査してこい、と言われた」
岡崎被告の証言によると、指示のあった日に、毎日新聞社の正面入り口から入り、サンデー毎日の近くまで行った。その間に警備員にチェックされ、「名刺か何か」を渡した。「チェックされずには(編集部へ)行けないことが分かり、(計画は)無理だなと思った」
弁護人「夜中に忍び込むとか考えなかった?」
証人「毎日新聞社の外側を歩いて早川さんが編集部があのへんだと指さしたのを覚えている」
計画断念を松本被告に報告したことを確認したあと、弁護士が交代。岡崎被告が、印刷業者との話の中で、毎日新聞社の輪転機の場所の話を聞いた件など補充の質問をした。
さらに、サンデー毎日に対する調査活動について、岡崎被告が証言する。歴代編集長の名前、就任時期、また牧氏が書いた「編集後記」で「社会的問題には勇猛果敢で、積極的に取り組む」という考え方も調べたという。
松本被告は、英語でつぶやき続ける。「マイニチ マキ アイ ディナイド」。岡崎被告は、気になって仕方がない様子だ。
弁護人「爆弾と聞いて、どうして驚いたんですか」
証人「できるわけないから。それに完全な犯罪じゃないですか」
弁護人「そう、まさにテロでしょ。自分たちの考えを通すための。教団の考えとテロと両立するんですか。そこに驚くべきじゃないですか」
証人「そりゃ土台として、そこに驚きました」
弁護人「あなたは事前に知っていたんでしょ」
証人「突然です」
弁護人「あなたは、自分の役割を小さくしようとして、証言しているでしょ。そうとしか思えない」
挑発的な弁護人の質問が続き、岡崎被告が声を震わせる。「私はそのつもりはありません」。弁護人は返事をせず着席した。
11時21分、別の弁護人が立つ。
弁護人「毎日新聞社爆破計画の中止は、あなた方の判断でできるのか」
証人「できない」
弁護人「2回目に毎日新聞に行ったとき、早川がビラを500枚、置いてきたでしょ。オウム真理教の名前入りのを」
証人「はい」
弁護人「そうしたら、もう爆破は無理でしょ。教団の犯行と分かってしまう。なぜ麻原さんへの報告前に、ビラを置いたのか。あなたたちの判断で、毎日新聞にビラを置いて、計画をとん座させたんでしょ」
証人「どちらにしろ無理だったんです」
問答がかみあわない。裁判長が「もう、いいじゃないですか。押し問答ですから」と、割って入る。
11時26分、また弁護人が交代する。当時、手帳に記録をつけていた点について弁護人が尋ねた。
岡崎被告が「一つの不安は、いつかオウムからポアされるかもしれないから」と答えた瞬間、松本被告は「ウソをつけ」と大声を上げた。
証人「いざという時は警察に出してくれ、と(預けた知人に頼んだ)。当時の教団の情報、サンデー毎日や坂本弁護士との交渉ごとがある程度書いてある」
弁護人「書いていないことは」
証人「平成元(89)年11月2日深夜から3日未明の坂本事件の謀議です」
弁護人「その前のサンデー毎日や牧さんの自宅の件はなぜ書いていないのか」
証人「普通の大師会議や幹部会議ではなかったので」
弁護人「10月19日のサンデー毎日の取材について資料を示したい」。
弁護人は、89年10月から11月にかけて岡崎被告が残したメモのコピーを取り出し、裁判長、検事、岡崎被告に手渡す。数分の沈黙が流れる。
メモには、出家信者の女性2人がインタビューに備えて予行演習した模様が書き留められていた。「出家信者の思いを直接聞いてもらい、連載をストップしてほしいという希望」から取材に応じたという。
弁護人「一方で強硬手段を考えながら、他方で取材に応じてるわけですか。あるいは、19日の取材でも(教団の主張が)くみ入れられず、連載が中止されない場合に、強引な手段を考えたのか」
証人「連載がいい内容なら、と、積極的に取材に対応したのではないか」
弁護人「爆弾との関係は」
証人「グルである麻原が突然言ったことだから……」
弁護人「その時期は19日より後か前か」
証人「うーん……」
弁護人の質問は、同年10月16日の文化放送の番組など、サンデー毎日以外のメディアによる教団批判に移った。
弁護人「マスコミからの批判の対策はだれが中心になって? 協議しながらか、特定のだれかが?」
証人「会議は麻原が招集しなければ始まらないし、対策を講じようというのも麻原。関連の大師を選んで、最後は妻の知子と麻原」
弁護人の求めに応じて、11時58分に休廷。
午後1時15分、再開。弁護士一家殺害事件のきっかけの一つにもなったラジオ番組と、その前後の教団の動きについて尋問。弁護士は証拠となっている岡崎被告の手帳のコピーを示す。
松本被告が今度は、傍聴席の方角を向いて笑顔を見せ、「ちょっと大丈夫か、マエダ君。頭を清浄にしておけよ」と言った。目をこすりながらさらに続ける。「いやいや、清浄じゃないだろう」。いったいだれに話しかけているのか。
弁護人「オウム真理教被害者の会が結成される動きを知ったのはいつか」
証人「89年10月28日から30日の間に、深夜の大師会議で麻原から直接『被害者の会の第1回大会が開かれた』と聞かされた」
弁護人「10月28日から29日にかけ、教団主催で『相互理解を深める会』を開いたことは」
証人「相互理解を深める会? ……目的は」
弁護人「おそらく、親と出家信徒の相互理解を深めることだろうと思うが」
証人「東京本部で上祐(史浩被告)たちが何かやったということは聞いていた。たぶんそれでしょう」
弁護人「話し合われた内容が手帳に残っていますね。内容は麻原被告が話したことが書いてあると、思っていいの」
証人「はい」
弁護人「被害者の会の総会が開かれたのを受けて、すぐに招集されたという雰囲気ですか」
証人「そうです」
弁護人「手帳に『2回目、サンデー毎日がからんでいる』とあるが」
証人「これはサンデー毎日の第二弾の記事を(総会で)話し合ったということですね」
弁護人「実はね、同じ会議に出席した早川さんのメモも証拠開示されてる。それによると、そこに『黙示録殺人事件に似ている』とあるが、この意味が私どもには分からない。分かりますか」
証人「黙示録? 新約聖書の?」
弁護人「調べてみたが、西村京太郎の小説で、教祖が神の国をつくるような内容だが」 証人「西村京太郎は知っているが、それは読んでいない」
10月28日の幹部会議のメモに質問が飛ぶ。
弁護人「メモに『攻め方』『守り方』とあり、『攻め方』の中に牧太郎とある」
証人「牧太郎に圧力をかけるということだろう。チラシをまくとか。編集に対する圧力、という意味で、そんな恐ろしい話は会議では出なかった」
弁護人「このころ、被害者の会もでき、教団としてはあらぬ事を言われている、何とかしなければという雰囲気があったのでは」
証人「普段の会議よりボルテージが上がっていたと思う」
弁護人はメモを見ながら、坂本弁護士以外の弁護士に岡崎被告が接触して謝罪を求めたが、うまくいかなかった事実関係を確認した。
弁護人は11月1日午後3時ごろ、青山吉伸被告と上祐史浩被告が岡山へ行き、この弁護士に会っている、と明かしたが、岡崎被告は「それは知らない」と述べた。
「バット アイ ネバー セイ アサハラショウコウ」。松本被告の「雑音」を無視して質疑は続いた。
89年10月31日に教団が開いた幹部会について、弁護人の質問は移る。松本被告の顔はいつもに比べ、黒く張りがない。寝たり、起きたりを数分おきに繰り返す。
弁護人「出席者は、青山さん、上祐、新実(智光被告)……。石井さん(久子被告)がいたかもしれないということか」
証人「発言の記憶がないから……、いなかったかもしれない」
弁護人「メモに10月31日、青山弁護士うんぬんと書いてあるのは、以下のことを青山さんが報告したという理解でいいのか」
証人「はい」
弁護人は、メモに1)から8)までの数字をつけ、記されている内容を一つ一つ確認、具体的な意味を問うていく。岡崎被告は丁寧に記憶をたどりながら、答える。
2時47分。眠りこけていた松本被告が起きる。寝ぼけた様子で、突然、立ち上がろうとして、両側の刑務官に押さえ止められた。松本被告は顔をゆがめ、ぼそぼそと話した。「私はあなたのことを守ってあげている。若いんだから」
弁護人「会議での報告を聞いて、坂本弁護士にどんな印象をもったのか」
証人「宗教に対する理解という方向に持っていくのは難しい人だと」
弁護人「話し合いでの解決は難しいという認識か」
証人「だから、法的に対処しようということになった」
2時55分、松本被告はまた眠りこけた。
弁護人「11月1日か2日に、被害者の会から要望書がきますね」
証人「はい」
被害者の会は、秘儀とされていた「水中クンバカ」と「空中浮揚」を公開で行うよう要求していた。その尋問の中で、岡崎被告は水に潜り続ける「水中クンバカ」について「(松本被告が)修行しているのを見たことはある」、松本被告の空中浮揚に関しては「(見たことは)ないです」と答えた。
「だから、空中浮揚をやったと言っているんだよ」。悔しそうな松本被告の言葉が法廷に響いた。傍聴席から笑いが漏れ、後列の弁護人はしかめ面をして口元を押さえた。
弁護人「あなたは麻原さんを信じていなかったでしょう」
証人「いや。信じてましたよ」。岡崎被告は語気を強めた。
3時5分、休憩。
3時25分、再開。
弁護人「あなたのメモには、10月25日の記者会見の際の配置図まで書いてある。会見はあなたが設定したのではないか」
証人「それはない。会見中に書いたもの」
弁護人は「そう?」と明らかに不満げだ。
弁護人「この『電通』とか『50万』とかは何か」
証人「広告関係では」
弁護人「広告とは何の広告なの」
岡崎被告が口を開く前に、松本被告が説明する。「コウコクとは……裁判所が……最高裁判所への特別抗告は……」。「抗告」について述べているようだ。
別の弁護人が立ち、質問は次の大師会議に移る。
弁護人「この会議から、メモの記載が消える。会議から(弁護士一家殺害事件についての)11月3日未明の謀議まで、会議はなかったか」
証人「ありません」
3時50分、渡辺弁護団長が質問に立った。岡崎被告ら実行役6人は、89年11月3日朝、車2台で出発。夕方に横浜の坂本弁護士宅へ着いた、とされる。渡辺弁護団長は、坂本弁護士宅のカギがかかっていないことを岡崎被告が早川被告、村井元幹部を通じて松本被告に報告、一家全員殺害に方針が変更になった経緯に触れた。
弁護人「早川さん、村井さんを通したのは、彼らにも責任を分担させようと考えたのじゃないか」
証人「そのようなことは考えてないですよ」
弁護人「ビッグホーンのような大きな、しかも名古屋ナンバーの車は(襲撃には)目立つとは思わなかったのか」
証人「だから車を(自宅近くの)駐車場に止めたのだと思う」
弁護人「待ち伏せする4人はだれも坂本弁護士の顔を知らない。そんなことで待ち伏せ態勢と言えるのかね」
証人「……」
弁護人「最初から帰宅途中の坂本弁護士を襲うことはできなかったのじゃないかね」
証人「そんなことない」
弁護人「じゃあどうやって」
証人「(坂本弁護士の顔写真入りの)小冊子もあるし、もうひとつ……」
弁護人「まともに考えると顔を知っている早川、新実が待ち伏せに加わっていないと」
裁判長が口をはさんだ。「『もうひとつ』と言いかけたのは?」
証人「駅から車で坂本さんの後を付けていくとか……」
弁護人「車の前に何人も歩いていたらどうなる」
証人「それは、臨機応変に……」
弁護人「臨機応変に人間違いしてどうなるの」
証人「……」
弁護人「最初から自宅で襲うつもりだった?」
証人「それはありません」
弁護団長と岡崎被告の激しいやり取りに、松本被告も口をはさめない。
弁護人「検事調書によるとあなたは、坂本弁護士が家にいない場合もありうるので、その時は、家に入る発想があったと述べているが、いつごろからその発想があったのか」
証人「検事さんに『そんな発想があったのではないか』と言われまして、『もしかしたらそう思ったのかもしれない』と答えたので、そういう内容になった。実際はなかった」
弁護人「自宅に入り込もうとした発想があったかどうかは、行動計画の根本にかかわることである。いいかげんなことでは困る」
証人「あとで考えると何でこんなへんなことを言ったのかと思う」
坂本弁護士宅に押し入った経緯に移った。岡崎被告は3日夕村井元幹部と、坂本弁護士宅近くの神社へ行った。村井元幹部が双眼鏡で表札などを確認。そして午後10時半すぎ岡崎被告が足を運び、中の様子をうかがった……。
弁護人「坂本弁護士が帰宅しているかもしれないというのは?」
証人「人の気配がしたということです」
弁護人「1cmか1・5cmドアを開けたという供述があるけれど」
証人「ドアポストを押したら、生活音というか、足音を聞いたので、中に人がいるのかもしれないと判断したのです」
松本被告は「当たり前だろ、そのプロセスをたどるのは……みな異常な心理状態だったんだ」と大きな声で言った。
弁護人「なぜ、カギが閉まっていたと言って帰らなかったのか」
証人「私が(実行に)積極的でなかったのに、なぜそうしなかったか、ということですか」
弁護人「そう」
証人「それ……グルの意思ですから。実行するしかなかった」
弁護人は「その言葉を信用していないから聞いているんだ」と、語気を強めて畳みかける。岡崎被告は答えなかった。
弁護人「妻子を殺すことについては?」
証人「聞いたときには最悪だなと思ったけれど、自分の情のカルマが残っているから、そういう気がするのかなと考えた」「でもグルの意思だから実行しなければならないと考えた」
弁護人「情が残っているのは、未熟だからだと思ったのか」
証人「そうです」
弁護人「今この法廷で、情は残っているか」
証人「残っているというより、普通に戻りました」
弁護人「坂本弁護士殺害に熱心だったのは、グルの意思だったからか」
証人「グルの意思がなければできません」
唐突に弁護人が「きりがいいので、この辺で。まだ続きますから」。
4時42分、閉廷。