芳賀さんのオウム法廷番外編
平成9年7月14 端本悟被告公判
弁護側証人:早川紀代秀被告
坂本弁護士一家殺害の実行犯、端本悟被告の公判に、やはり実行犯の早川紀代秀被告が弁護側の証人として出廷した。
早川被告は、これまでも同事件で端本被告がなぜ関与するにいたったかや現場での狼狽ぶりなどを証言していたが、端本被告側にとって当時の従属関係を立証する上では、有益となると判断したとみられる。
弁護側は、端本被告がいかに教団を離れたがっていたかについて、事件後の状況を尋問。
早川証言によると、平成3年5月に大阪支部を訪れた端本被告は「下向したいが坂本弁護士の件があってできない」と不満をもらしていたという。1度は下向したが、「両親の家の近くまで行ったが戻った」という。その理由についても「坂本弁護士事件後の活動に疑問があるとか、警備班にはついていけないとか言っていた」という。
さらに時期は不明だが、両親が教団を訪れた際には「母親が『こんなところにいたらダメ。坂本事件を犯しているのよ』と言ったようで、端本クンは『親は自分がやったとは知らずに言っている。1人で泣いた』と話したのを聞いた」と証言した。
端本被告について同被告は「現代的だが、好青年。信頼できる。情が深く優しい人」などと評した。
途中、村井秀夫元幹部の行状についても語られた。
科学技術省や前身の科学班の無能ぶりはこれまでも証言されているが、早川被告によると「できたのはPSIとか法具。出来は“アレ”だけど」。端本被告が乗せられた潜水艦についても「教団機関紙に科学班のユニークなイベントを連載するのがあり、その1つ」で、「潜れても上がってこれるかなと思った」という。弁護人から「ドラム缶にフタをしただけのもの」と言われると、「そうですか、想像できますよ」と苦笑いした。
また、早川被告が知るエピソードとして「麻原被告が『どんなところでも、すぐに穴が掘れる機械を作ってやる。待ってろ』と言われたが、4〜5年たっても何もない」と曝露した。
一方、この日の公判でも坂本事件解明の“核”のひとつである、教団内の序列に尋問が及んだが、早川被告の証言では「成就の順番で言えば岡崎、新実、村井、私」。麻原からの信頼度については「麻原被告に聞いてもわからないと…。しかし、事件後に岡崎が2億円の金をもってにげる。当時、金の場所を知っていたのはケイマ(石井久子被告)と岡崎のみ。それを考えれば」と述べた。
ただ、「ワークによって違うが、事件後は村井がダントツだった」という。
事件実行時には「私から言わせれば、岡崎と村井。岡崎から色々と指示も受けてるし。リーダーは決まっていませんでしたが」と話した。
同事件をめぐっては、積極的に証言しているのは早川被告と岡崎被告の2人。立証の中心はおのずと2人の証言に頼らざるをえない。
だが、この日も2人の証言の食い違いが露呈した。
弁護側は岡崎被告が麻原法廷で証言した内容を示し、「岡崎さんは、あなた(早川被告)から『今、サンデー毎日の牧編集長を尾行してる。先生(麻原)からキリで突いたらどうかといわれた』という話を聞いたというが」と詰問。しかし早川被告は「そんなことはない。いくら上司であっても、私は絶対そんなことはしゃべらない。理解できない。他の彼の証言を聞いても、非常に記憶違いなところがある。自分がやっていることは人には話さない」と語気を荒げた。
ウソが多い岡崎被告と、記憶が若干頼りない早川被告。一体、どちらの証言が正しいのか。今後も坂本弁護士事件の審理では、2人の証言を中心に進められる。 (了)