松本智津夫被告第47回公判(毎日新聞より)
1997/9/5
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(42)に対する第47回公判は4日、東京地裁で開かれ、坂本堤弁護士一家殺害事件にかかわったとされる元教団「建設省」大臣の早川紀代秀被告(48)に対する弁護側反対尋問が行われた。約1カ月半の“夏休み”を終えての再開公判。早川被告は「謀議」の状況などに関して、実行役の一人とされて検察側の重要証人にもなっている岡崎一明被告の供述を否定する証言もした。
傍聴希望者は294人だった。
えり足がはっきりと見えるほど短く切った髪を真ん中から分けていた。耳の下半分がのぞく。ひげも短くなっている。48日ぶりに法廷に姿を現した松本被告。かつては信者にも売った「教祖の髪」を、拘置所の理容師に切らせた裏に、心境の変化はあったのか。
午前9時58分、松本被告に続いて、うぐいす色のスーツに身を包んだ早川被告が入廷した。
弁護人「あなたは前回(今年2月)の法廷で、麻原さんが途中で退廷した際、号泣しましたね」
証人「無性に悲しくなったから自然に涙が出たんです」「私にもよく分からないが、いろんな思いが入り交じっていたなという気がします」
弁護人はサリンプラント事件への関与を認めた経緯をただしていく。
松本被告はにやにや笑いながら、ときどき言葉をはさむ。身を乗り出して「何を言ってるんだ」とも。
弁護人「本件の坂本弁護士事件について、供述を始めたのはいつですか。その時の心境は」
証人「(1995年)6月の終わりごろと思います。殺人予備で起訴された後」「否認してました。でも麻原被告が地下鉄サリン事件で起訴されたことを聞き、非常に絶望して、これで麻原被告の今生も終わりだなというのが一つ。さらに検察や警察の方と話していて被害者の方に非常な悲しみや苦しみを与えたなということなどで、もう隠せないなと思いました」
弁護人「教義だと、今生を超えたつながりでしょ。麻原さんについて、どう思っているんですか」
証人「当時は信がありました。現在の心境は混乱していますし、私の被告人質問もまだ終わっていないので……」
弁護人「まだ麻原さんを信じていますか」
証人「どうですか。その部分もありますし、以前のように全面かというと疑念もかなりありますから」
弁護人「あなたが麻原さんの教えにフリーメースンのこととか、影響を与えたという話もあるが」
証人「後半は私が読んだ本で、グルにこういうこともありますと申し上げたこともあります。でも、もともとはグルからの話です」
91年ごろにルソーの『社会契約論』とオウムについての本を書くよう命じられた経緯について質問が続いた。さらに、弁護人が学生運動について「かなり過激に活動していたという人が……」と言いかけると、早川被告は手を振り「事実と違いますわ。そうでしたら、厳しい身上調査を通ってゼネコンに入社できません」と笑った。
世間話でもしているような応答。法廷でなければ、知り合い同士が気さくに話してい
るかのようだ。
弁護人「心情的には学生運動に理解を示したと」
証人「左か右かといわれたら、左ですわ。自民党さんには投票しませんから」
弁護人「オウムに入ったのは」
証人「86年の2月か3月。麻原被告の最初の本を読んで非常に感銘を受けまして」
松本被告のみけんに浮かんでいたしわが少し緩む。
弁護人は教団の前身「オウム神仙の会」のことを確認していく。87年11月、「当時の財産全部の1000万円弱」を布施しての出家。妻も「半年遅れて出家」、88年12月に約50人いたという大師と呼ばれる地位についた。
弁護人「大師会議に呼ばれたことは?」
証人「ありません。しばらくしてから特総会議というのができ、そこに入った」「(特総会議とは)富士山総本部に常駐している大師の集まり。あとは各支部にいる大師。特総会議がリーダー的な役割をした。20人くらいいた」
弁護人「岡崎さん(一明被告)は89年の夏以降に、最高意思決定会議ができたといっているが」
証人「何かおかしなこと言ってはりますねー」
早川被告が関西弁で答えると、弁護団から笑いがもれた。弁護人は早川被告ら教団幹部の名前を挙げ、「岡崎さんはこの人たちが意思決定機関にいた、と言っている」と畳みかけた。
証人「私の記憶ではないですね。全然知りません。私入ってないんとちゃいますか」
大師会議、サマナ(出家信者)会議などの性格を説明する中で、早川被告は「普通の会社と違い、すべてグル(松本被告)の意思。弟子が方向性を決めることはない」と強調した。
弁護人の質問は、89年の宗教法人の認証問題に移る。
早川被告は、新実智光被告と2人で都庁に行った際「政治家から圧力がかかって知事からストップがかかったと、都の職員から聞きました」と証言した。
弁護人「政治家の名前も聞いたんですね」
証人「はい。北川石松代議士です」
早川被告が松本被告に報告して北川議員の名を言うと、松本被告は信者の実名をあげて、その信者の親からの依頼が背景にあったのではないかと語り、確認を命じたという。
弁護人「後に多数で都庁に行きましたね」
証人「進ちょくしないんで、『もうお前たちに任せておけない、私(松本被告)も行くぞ』ということで、皆で行きました」
弁護人「発言は?」
証人「私もしましたし、麻原被告もしました」
弁護人「文化庁は?」
証人「行きました。文化庁側は質問しただけで、圧力をかけたつもりはないということでした。北川代議士にもお会いしてますし」
弁護人「北川議員と会ったんですか?」
早川被告は、松本被告が名指しした信者のことで交渉した、と答える。「親御さんは『息子が帰ってくれれば問題ない』と言うのですが、ご本人は『嫌だ、修行したい』と言う。その強い希望を北川代議士に分かっていただきたいと、説明にあがりました。その信者のことでと言ったら、すんなり会えましたね」
弁護人「会った感触は」
証人「息子と親を会わせろと。その条件はのみました。息子と言っても、35〜36歳の医師ですけどね。議員会館で会わせましたが、本人は嫌で決裂。これで圧力をかけるのをやめていただけるかと思ったんですが、やめていただけませんでしたね」
弁護人「ゼネコンにいた関係で、政治家を知ってたのでは」
証人「いや知らない。当時の方針として、政治家にカネを使う考えはなかった。信徒の紹介があったりすれば、政治家の秘書あたりに都庁に行ってもらったことはあるが」
90年2月の総選挙に立候補した経緯に質問が移る。
証人「当時は知らなかったが、人から聞いた話では、『今、立候補すれば通るんじゃないか。参院選のマドンナ旋風の後なので、女性を出せば衆院選もいけるんじゃないか』という話になった」「(私は)政治的に力をつけるのはいいことだが、準備不足なので反対だと思っていた。もう少し後のほうがいいのでは、と話した。やはり4、5年、後援会を作ったりして地道にやっていくのがいい、と言ったんですがね」
弁護人「だが、選挙には出ましたね」
証人「(松本被告が)それでは遅い、と。99年にハルマゲドンが来るので、今出ないなら出ない、と。それで賛成に回った人は多い」
選挙で「地区の後援会責任者」だったという早川被告について、弁護人は『フクロウ部隊』の責任者だったのではと尋ねた。
証人「私がやっとりましたが、その仕事がメーンではない」
弁護人「ポスターをはがすのが役割?」
証人「フクロウ、とは言っていないですよ。特別班。どうしてすぐに悪いイメージの名前つけるのかな」
傍聴席から大きな笑い声が起きた。
弁護人「ポスターをはがす指示は?」
証人「もちろんグルから直接」
弁護人「麻原さんは選挙に意欲を示していたか」
証人「当選確実だと。神通力で」
弁護人「マスコミの攻撃を受けるが、選挙とかかわりがあると思ったか」
証人「これはもう選挙絡みと、麻原被告はおっしゃっていた」
弁護人「選挙妨害について、坂本弁護士の名前は出ていたか」
証人「出てないですね」
弁護人「89年の10月ごろの序列について聞きます。岡崎さんは『麻原さん、松本知子(被告)さんと石井久子(被告)さんが同列。特別な位置に村井(秀夫元幹部)がいて、次に上祐(史浩被告)さん。さらに早川さんが特別な位置にいて、次に青山(吉伸被告)さん、その下に自分』と言っているが……」
弁護人が話している間に、早川被告は「ふーん、ははは」とばかにしたような笑いを
漏らした。
証人「岡崎さんはそんな下ではないですよ。私より上。私が信徒の時に大師だったんですよ。なぜそう言うのか、分からないな」
早川被告はあきれたように話した。松本被告は終始押し黙ったままだった。
11時56分、休廷。
午後1時15分、再開。弁護人は、週刊誌「サンデー毎日」がオウムキャンペーンを始めた89年10月、早川被告らが編集長だった牧太郎氏に抗議しに毎日新聞社を訪れた経緯について尋ねる。
弁護人「記事が1本だけではなく、連載になると知っていたのか」
証人「その日の最後に牧さんが『キャンペーンを続けるべきかどうか迷っていたが、今日のことで心が決まった。徹底的に連載する』と言った。抗議に来て逆効果だったな、と思った」
毎日新聞社襲撃計画の証言に移る。
弁護人「岡崎被告は『サンデー毎日の記事について調べ、牧さんを襲撃するために尾行を指示した』と言っているが」
証人「それはない。いまだに牧さんがどこに住んでいるのかも知らない。(岡崎被告が)だれかに指示したのを(私にしたと)間違えているんじゃないか」
早川被告は毎日新聞社の下見で、地下駐車場の上階にあるレストラン街などを見て回ったといい、「一般の人がたくさんいて、レストランが被害を被るので(爆破は)無理だと感じた」と語った。
弁護人「麻原さんに爆弾のことを報告した後、編集部を見てこいという指示はなかったか」
証人「サンデーの事務所に入れないか、と言われ、見に行った記憶はある。編集部は私一人で行った」
弁護人「中にも?」
証人「入りました。チラシを置いてきました」「(見とがめられ)なかったです。ただ、運良く入れたけど、うまくいかなければチェックに引っかかるだろうと、報告しました」
弁護人が交代し、早川被告直筆のノートを提示。このころから松本被告は、早口で何事かをつぶやき始める。弁護人が不安そうな表情を浮かべる。
弁護人はテレビ局関係者と会ったとする記述などを確認していく。「黙示録殺人事件に似ている」という記述について、弁護側が食い下がる。
弁護人「岡崎さんのメモには『黙示録殺人事件に似ている』という部分がないんですよ」
証人「そういうことを言った人がいるんです」
弁護人「被害者の会でそういうのに似ているという話が出ていたので書いたのか」
証人「はい。ただ、それが何かは知らなかった」
弁護人「西村京太郎さんの作品で狂信的な教祖がいて、神の国をつくりたいが資金がないため企業を脅したり、弟子を自殺させたりする内容」「弟子がモデルハウスの中で焼身自殺をするが、内側からかぎがかかっていて自殺以外にあり得ない状況だが、実は窓に細工がしてあった。(坂本事件では)そういうトリックがあったのでは」
証人「(笑いを含んだような声で)あるわけないでしょう」
弁護人が交代。「謀議」から「実行行為」に至る経緯の確認が始まる。
弁護人「早川さんは(89年)11月2日の夜から3日にかけて麻原さんから呼び出された時、どこにいたのか」
証人「サティアンビルか道場か……」
弁護人「そのとき岡崎さんは『自分が呼ばれた時には、既に麻原被告と早川さんが一
緒にいた』と言っている」
証人「あり得ません。重要な話の最中に岡崎さんが入ってくれば話が中断するはずで
しょう。そんな記憶はない」
弁護人は岡崎被告と早川被告の証言内容の食い違いをただしていく。
弁護人「岡崎さんは、既にその時、(坂本弁護士に関する)話はでき上がっていたと言っている」
早川被告は「記憶に合わない」とぶぜんとして答える。「決まってしまった話だったので仕方なかった、と皆に思わせて、自分(の罪)を軽く見せるためでしょう」
弁護人「岡崎被告は、麻原さんが会議で親指と人さし指で丸を作り、それをはじいて『ポアだ』と言った、と証言しているが……」
証人「その時かどうかは覚えていないが、そういう場面は記憶にある」「下向された人について『あれだけ修行したのに下向するぐらいだったら、こうする方がいいんだよ』とその仕草をしたり……」
弁護人「頻繁に?」
証人「ポアの話自体、頻繁にしたわけではない」「一度じゃない。少なくとも具体的な指示をする時のみに使われた仕草ではない、ということです」
坂本弁護士宅に向かう様子についての尋問の途中で、3時になり、休廷。
3時20分再開。弁護人は、「グル」「尊師」など、松本被告に対する呼び名に関する質問を続けた。早川被告はこの中で、「尊師」という呼び方について「新実さんが『私が尊師という名を発案した』と話しているのを聞いたようなことを思い出した」と証言した。
弁護人「早川さんのノートを読んでいると、早川さんに対しての麻原さんの言葉は『です、ます調』ですね」
証人「遠い信徒ほど丁寧に、さん付けでしゃべるんですよ。初めからきつく言ったら、信徒さん逃げちゃいますからね。私の場合、信徒が長かったのと、年齢が高かったので、初めのうちそういう呼び方になったんじゃないですか。私にだけ特に丁寧だったわけじゃないですよ」
弁護人「岡崎さんの下向はいつ、知りましたか」
証人「当日か、翌日に知りました」
早川被告は「岡崎さんが全財産を持って逃げた」と聞いた、という。
弁護人「全財産とは現金2億2000万円と預貯金8000万円」「なくなったのに気付いたのは」
証人「石井久子さん。段ボールの中にそういうものがあるのを知っていたのは石井さんと岡崎さんだけ。それと、警備の者が、箱を持った岡崎さんを見ている。それで持って逃げたんだろうということだった」「救済計画をストップするわけにはいかないから、警察に連絡することになった」
弁護人「その後、盗まれたものを取り戻したが」
証人「岡崎さんに仏心が出たんでしょうか、盗まれた2、3日後に通帳とサティアンのかぎの束を宅配便で送り返してきた。私が発送した支店に電話をして、送った人の人相を聞いたら岡崎さんだった。応対してくれた女性は、岡崎さんが大きなボストンバッグを違う所に送ったと教えてくれた。現金に違いないと思い、送り先を聞いたら教えてくれた。それで、『犯罪にからむことなので配達をストップしてくれ』と頼み込んだ。麻原被告に報告するとただちに奪回チームが作られ、すぐ出発した」
弁護人「メンバーは」
早川被告は自分と新実被告ら計5人の名前を挙げ、「新幹線の中から送り先の山口県の支店に電話したら、まだ配達していないというので、支店に直行して、新実さんがは続きんこを押して返してもらった」。
弁護人「岡崎さんから連絡は」
証人「すぐに麻原被告にあったらしい。麻原被告は『わしをゆすりおった、あの野郎』と言っていた。カネを取り返したりしていいのか、密告するぞという内容だったらしい」 弁護人「岡崎さんがカネを持って逃げた理由について思い当たることは」
証人「選挙の投票まであと1週間かそこらで、落ちたときの責任を考えたのではないか。それで大金を盗める機会があり、それがあれば逃げ切れると思ったのかもしれない。また、妻と一緒に生活したかったのかなとか、いろいろ考えたが、実際のところは分からない」「麻原被告は当日『わしはあいつをかわいがっていたよな、なあティローパ』と私に言ったので、『そうです、なんででしょうね』と返事をした」
弁護人「麻原さんの話だと、岡崎さんが電話してきて秘密をもらすぞと言ったそうだが」
証人「初めは突っぱねたと言っていたが、それで(岡崎被告の匿名投書で事件翌年に、坂本弁護士の長男龍彦ちゃんの)捜索が行われた。その後また電話があって、1000万円ほど渡すことで話し合いがまとまったと聞いた」
弁護人「龍彦ちゃんの捜索を知ってどう思った?」
証人「びくびくしていた。村井さんも新実さんも麻原被告も集まって、報道の成り行きを見守った」
弁護人「岡崎さんの口封じは考えなかったか」
証人「岡崎さんとグルとの電話で、1000万円でポアしないと話がついた」
弁護人は次に、早川被告ら5人が岡崎被告の元にカネを取り戻しに行ったことについて尋ねる。「なぜわざわざ5人で行ったのか」
証人「カネは岡崎の友人に配達されていると思っていた。友人にはヤクザがいて、けん銃も持っている、といううわさがあった。防弾チョッキを着て行きたかったぐらいだった」
弁護人「本当は岡崎を連れ戻すか、ポアするためだったのではないか」
証人「何も持たず、素手で行ったんですよ。グルの指示も『カネを取り戻せ』だった」 弁護人「彼はポアに値すると思ったでしょう?」
証人「簡単にポアと言いますがね。ポアするとカルマを受ける。自分から口にする弟子は絶対にいない」
弁護人「ところで、岡崎は本件では自首扱いになっている。『二度とオウムに犯罪行為をさせないように』とも証言した。これをどう思うか」
証人「ちょっと格好良すぎるんじゃないですか。本心ではない。本心は私にも分かりませんが、信者が逮捕される状況の中で判断をされたのでは?」
弁護人が交代し、改めて「謀議」が行われたときの状況を、図面を描いて説明するよう求めた。早川被告は「このへんに窓があって、ここがソファで電話は移動できるものだった」などとつぶやきながら、ペンを走らせていく。再三、検察官が近寄り、書いている図をのぞく。書かれた図は裁判長にも渡された。
弁護人「岡崎さんは、(謀議の場に)岡崎さんが最後に入ったと言っていますが」
証人「話の途中で入った者はいませんけどね。村井、中川(智正被告)が先にいた記憶はあります」
弁護人「会議では初めに、サンデー毎日はけしからん、という話があったというが、その部分は長かった?」
証人「一言くらいです」
弁護人「長かったという人もいる。たとえば中川さんのは……」
証人「それ、おかしいんですよね。他の人と会話したのとごっちゃになってるんじゃ
ないですかね」
弁護人「あれ、中川さんや他の被告の調書、読んでるんですか」
証人「差し入れで」
弁護人「じゃあ、違う部分もいっぱいあると」
証人「そうです。いっぱいある」
弁護人は教団用語について質問。早川被告が「つたない理解だが……」と前置きし、
説明したところで午後5時になり、閉廷。