松本智津夫被告の第51回公判詳報
毎日新聞より
1997/10/3
オウム真理教の松本智津夫被告の第51回公判は2日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、地下鉄サリン事件について犠牲者の遺体を解剖した法医学者への検察側主尋問、さらに坂本堤弁護士一家殺害事件について元信者の端本悟被告に対する3回目の弁護側反対尋問が行われた。傍聴希望者は192人だった。
午前9時57分、開廷。
銀縁眼鏡に白髪の石山●夫・帝京大法医学教室教授が証言に立った。司法解剖は1960年から1200件ほど手がけたという。地下鉄サリン事件では、犠牲者の伊藤恵さんを担当した。
証人「伊藤さんの場合、肉眼の所見から、せき髄、筋肉を重視した。死後硬直がまったく認められなかった。きわめて異常です」
検察官「伊藤さんの直接の死因は感染症か」
証人「気管支肺炎があり、敗血症のような状態で亡くなった。脳死状態で生存させるには、気管を開けて無理やり生かす。そのために細菌が付着しやすくなり、感染症を起こす」
「あのう」。陳述席の傍らで検察官とともに鑑定書の内容を確認していた弁護人が口をはさむ。「鑑定書でどの部分を指して説明されているのか、速記で分かるようにおっしゃっていただけますか。後で楽ですので」。裁判長もうなずく。
専門用語の証言が続く。傍聴席の記者らの手はほとんど動いていない。髪、ヒゲがやや伸びた松本被告は時折、意味不明の言葉をぼそっとしゃべる。
検察官「伊藤さんは、PAM(サリンの解毒剤)やアトロピンによる治療を受けているが、効果は?」
証人「コリンエステラーゼが0から100まで戻ったとか、瞳孔(どうこう)が拡大したので、効いたということでしょう」
検察官「逆にいうと、効いたこと自体が有機リン中毒ということか」
証人「そういう診断はできる」
検察官「症状は?」
証人「急性症状としてけいれん、吐く、意識混乱。1カ月もたって運動神経がマヒすることもある。突然腰が立たなくなったり、知覚異常が起こる」
検察官「呼吸筋の動きが阻害されると?」
証人「呼吸停止が起き、低酸素、無酸素状態になる。一番作用するのは心臓。そして、脳に損傷が起こる。無酸素状態と虚血が同時に起き、脳が破壊される」
松本被告は伸ばした腕を両ひざに起き、前かがみに。熱心に聞いている、というような姿勢だ。
11時23分、主尋問を終了。次の証人の端本被告が入廷するまで、静寂が法廷を包む。「裁判長、ちょっとトイレ」。弁護人の1人が席を外すと、松本被告がつぶやき始めた。「お前は彰晃……」「ユア ポア」
端本被告反対尋問
11時32分、端本被告が入廷。白い長そでのポロシャツに濃紺のズボン姿。前回に続き、坂本弁護士事件の反対尋問が始まる。
弁護人「前回、裁判長から証言拒否について弁護人と話して整理するようにという話があったが」
証人「自分の裁判の用意があり、今回ここへ来るための接見が火曜日しかなかった。黙っているつもりはない。踏ん切りたい気持ちがある。でも今日は準備ができていない。申し訳ないとは思っている」。気持ちの揺れが言葉に表れる。
弁護人「端本さん自身、坂本さんへの確固とした殺意があったのか」
証人「岡崎(一明被告)さんと早川(紀代秀被告)さんの話を聞いていたら、事件の話がカチカチと決まっていった。うまくいくのかなという感じはした。でも、殺意がなかったというとうそになるかも」
弁護人「殺人罪が成立するのは、殺意が……」
検察官が「前にも聞いたし、反対尋問として聞く必要はないのでは」と訴え、裁判長も同意する。弁護人が質問を変える。
弁護人「実行行為の際、部屋の明かりはついていたか分からないのか」
証人「はい」
弁護人「実行行為の後もか」
証人「改めて考えるとついていたんではないかという気がする。なにか明るくなったのは間違いない」
弁護人「先に奥さんと子供の遺体を積んだ?」
端本被告は、記憶を探るように沈黙し、「はっきりしない」と答えた。
弁護人「調書作成の時は覚えていたんでしょ」
証人「わあわあ言っているうちに、そうなっちゃったんです」
松本被告が面倒くさそうに右手で頭をかいた。記憶がはっきりしないためか、端本被告にもいら立ちが感じられる。
端本被告が「後で知ったんですが」と話し始めると、裁判長が「後で知った、はだめですよ。記憶で」と割って入った。
弁護人は侵入から殺害、遺体運びに要した時間を尋ねるが、端本被告は「時間の感覚がぶっとんじゃってわからない」と繰り返す。
午後0時1分、阿部裁判長が休廷を宣言した。
1時15分、再開。
弁護人「(事件後)富士山総本部に帰る経路は」
証人「高速は使わず、一般道という印象がある」
弁護人「(端本被告が乗ったのとは別の)ブルーバードは?」
証人「はぐれちゃったんですよ。途中でか、最初からかは分からない」
弁護人「どうして高速を使わなかったのか」
証人「チェックされやすいからだと思います」
弁護人「遺体を積んでいるから」
端本証人「はい」
弁護人は、途中で故村井秀夫・元幹部が2回車を降りて、松本被告に電話したという岡崎被告の証言を問うが、端本被告は「記憶はない」と答えるだけ。なおも続く質問に、「だから、記憶がないんですよ」といらつく。
弁護人「戻る途中で、3人の死亡を確認した?」
証人「中川(智正被告)さんが遺体のところで、医学用語で『死亡した』という意味ことを告げた」
弁護人「医者の中川さんが死亡確認したのに、村井さんが『とどめをさせ』と命令し、中川さんがアンプル1本を奥さんに注射しようとしたということ?」
証人「記憶にない」
弁護人「富士山総本部に着いた時間は?」
証人「朝方でした」
弁護人「あなたによると、着いたら石井久子(被告)さんが、麻原の車庫のアコーディオンカーテンのあたりで手招きしていたと。手招きは、どんな意味?」
証人「ほかの信者に見つからないよう気をつけていたと……」
弁護人「護摩供養はいつからやっていたのか」
松本被告が「護摩供養とは、食べ物を……すること」と弁護人を向き口をはさむ。「静かに」と裁判長が注意。弁護人が「護摩供養の意味は、いま言ってもらいましたけど」と受けると、裁判長が「そんなことはいい」とたしなめる。弁護人が、石井被告が手招きした場面の図を書くよう求める。
完成した図を弁護人と検察官がのぞき込む。松本被告は「本当のことを言わないとまた、はまるぞ。人を巻き込むなよ」と独り言。弁護人が制止する。
弁護人「道場へ行って何をしていたんですか」
証人「いろいろ考えたかった。食堂に行っても人がいるし、顔を合わせるのもつらいし、修行をやるっていう気持ちじゃないし」
弁護人「遺棄について、だれかから指示は?」
証人「早川さんか岡崎さんかどっちか。行くぞ、という感じ。葛藤(かっとう)っていうか、もう嫌だっていうか、反発がありました」
弁護人「断ることは」
証人「それは……できないですよ。絶対できないですよ」。端本被告は、絞り出すように言った。
弁護人「ドラム缶に遺体を入れる指示は?」
証人「早川さんです」
弁護人「遺体の処分はどう解釈できるの。ポアに当てはまるのかな」
証人「それは、ポアに当てはめるしかない。マハームドラーとしても……」
松本被告は「マハームドラー」と聞いた途端、数回、激しく右手首を回す。独り言が大きくなり、阿部裁判長が注意する。今度は英語でしゃべ り始めた。「エナジー」「サティスファイド」など、断片的な言葉を、傍聴席の若い女性らが一心にメモする。
弁護人は、事件の際に着ていた服を端本被告が「とっておきたい」と言った理由について尋ねる。
証人「上着を持っておけば、いざという時、はおって逃げられると考えた」
弁護人は、感心したように「そんなこと考えていたのか」と繰り返す。
弁護人「(遺棄のために)出発したのは?」
証人「(午前)10時とか11時とか」
弁護人「ワゴン車にドラム缶を積んでいたと」
証人「はい」
弁護人「ビッグホーンにはだれが乗っていたか」
証人「岡崎さんと村井さん。運転が岡崎さん」
弁護人「ワゴン車は」
証人「出発時は自分が運転。横に新実(智光被告)さん。ほかは早川さん、中川さん。途中で乗用車に私と早川さんが乗った」
弁護人「最初どこへ」
証人「松本です」
弁護人「松本インターに着いた時間は」
証人「昼過ぎ、午後2時か3時じゃないですか」
弁護人「イトーヨーカ堂に行っているか」
証人「岡崎さんと」
弁護人「地図を買った記憶は」
端本被告は「ないです」と答えた後、やや間を置いて、「あ、思い出しましたけど、松本インターに着いた時、ワゴンだけちょっと遅れたんです。ワゴンはバッテリー上がっちゃって、他の車からケーブル引いて(処理)したんです。遺体積んでるでしょ。だから早川さんがすごく怒って」
裁判長が休廷を告げる。
3時20分に再開。
弁護人「黒部の方へ行き、どこかに集まったか」
証人「大きい駐車場」
弁護人「何時ごろ?」
証人「もう暗かった」
弁護人「埋めた現場からはどのくらい」
証人「車で5分かからないくらいのところ」
遺体を積んだワゴン車は京都ナンバー。目立たないよう京都に向かうべきと主張した村井元幹部と、すぐに埋めるべきだとした早川被告の対立について、「嫉妬(しっと)、対抗心があったはず」と弁護人がただす。検察官が「仮定に基づく」と異議を申し立て、裁判長も「客観的事実をもとにしてください」と注意した。
弁護人は、坂本弁護士の長男龍彦ちゃんを埋めた現場について尋問するが、端本被告は「記憶にない」と繰り返す。検察官が「細か過ぎる質問はどうか」と再度の異議。弁護団から「主尋問が簡潔すぎるからだ」と声があがる。
弁護人「穴を掘ったのは、中川さんとあなた?」
証人「自然にそうなった」
弁護人「その間、ほかの人はなにしてたの」
証人「早川さんは、寒い、と震えていました」
傍聴席から失笑が漏れる。「寒いなら一緒に掘ればいいのにね」と弁護人がまぜ返すと、端本被告は「ほら、キャラクター的に分かるでしょ。早 川さんは『お前らやらんかい』という感じの人だから」
弁護人「その後向かったのは新潟。新潟まで車を運転して、早川さんは助手席でずっと寝ていたと」
証人「眠くなったらいつでも代わると言ってくれた。だから許せるんです」
弁護人「縁石にぶつけて早川さんに怒られたことも途中であったでしょ?」
証人「前夜も寝てないし、葛藤もあった。掘った後に(車の)暖気がきたら眠くてかなわない」
弁護人「翌朝、ホームセンターに行ったのは?」
証人「10時ごろかな」
弁護人「だれと?」
証人「岡崎さん」
弁護人「何を?」
証人「服を買ったのを覚えている。作業服」
弁護人「つるはしとか買ったの?」
証人「買ってません」
弁護人「埋める場所に着いたのは何時ごろ?」
証人「昼ごろ」
弁護人「待機している時に呼びにきたのは」
証人「新実さん。様子がおかしく、買い物客が指をさしていた。何か突き抜けていたような感じ」
弁護人「現場には、新実さんを除き全員?」
証人「そう思います」
弁護人「実際に穴を掘ったのは?」
証人「自分と中川さんで現場に残され、『掘っていろ』と言われた」
弁護人「2人で掘っている間、他のメンバーは」
証人「分からない」
弁護人「早川さんから指示は?」
証人「人が来たら大学の考古学の研究だと言って偽れということだった」
弁護人「みんなが来たのは掘り始めてどれぐらい?」
証人「4〜5時間。結構、掘れず、早川さんに『何やっとんじゃ』と言われた」
弁護人「だれを埋めた」
証人「坂本さん」
弁護人「だれの指示」
証人「早川さんか岡崎さん」
弁護人「調書では弁当と一緒にカニを食べた、となっているが、現場で食べたのは間違いないか」
証人「はい」
弁護人「岡崎さんは、カニの食べ残しを一緒に埋めたと言っているが」
証人「知らなかった」
弁護人「つるはしを坂本さんの顔に振り下ろしたのはだれか」
証人「新実さんでいいと思う。ひょっとしたら村井さんかもしれない」
松本被告、「あれは誤報だって言ってるだろう」と口をはさむ。尋問は、遺体を詰めたドラム缶の処理の話に移った。
証人「富山に行く途中、海に投げ捨てたと思う」
弁護人「端本さんが、なかなか沈まないドラム缶にいらだった早川さんに『お前が海に入って沈めろ』と言われた時?」
証人「そうです」
「早川さんは端本さんにかなりむちゃくちゃなことをしているんだね」と弁護人が同情を示す。
弁護人「教義と関係があると考えるわけですか」
証人「むちゃな指示をされることも、因果があると考える」
弁護人「下の人が上の人の気持ちを忖度(そんたく)する傾向が強いようですが」
証人「そうです。こっちでおぜん立てして、素晴らしい人と思ってあげる」
弁護人「他の幹部も『麻原さんは素晴らしい人』と勝手に解釈している場合が多いようですね」
証人「そうです」
弁護人「遺体を山中で埋めたり、顔をつるはしで損壊したり。教義に反するんじゃないですか」
証人「麻原さんを信じてポアと思ってるから」
弁護人「つるはし、布団はどう処分したのか」
証人「布団は燃やした。つるはしとかは、海に投げたと聞いている」
5時、閉廷。