松本智津夫被告 第52回公判詳報
1997/10/3 (毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫被告の第52回公判は3日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、坂本堤弁護士一家殺害事件について、元信者の端本悟被告に対する4回目の弁護側反対尋問が行われた。傍聴希望者は177人だった。
午前9時58分、松本被告がぶつぶつとつぶやきながら入廷。前日と同じ紺色のスエット上下。席についても、「要するに自然の恵みをだね」「え、違うのか」と話し続ける。端本被告が入廷し、10時1分、開廷。
前日に続き、坂本弁護士一家の遺体を埋めに行った際の行動が尋問される。
弁護人「ドラム缶の処理を終えた(1989年)11月6日、温泉に泊まりましたね。教団ではふろに入るのは許されないのでは」
証人「その前に殺生という最大の戒律破りをしているわけですから。グルの指示であれば、それがマハームドラーなんです」
松本被告は足を投げ出して、聞いている。
弁護人「翌朝起きてどこへ行きました?」
証人「その前にちょっと。温泉に入った記憶はありません。早川(紀代秀被告)さんなんか温泉に入りそうじゃないですか。早川さんも入ったとは言ってないでしょ」
傍聴席から、笑い。弁護人も意外だったようだ。
弁護人「えっ。2人とも入ってないの?」
証人「疲れ切っていて。グルの指示もなかったし」
京都駅前で本や地図を買い、鳥取、松江方面に向かった時の尋問が続く。
弁護人「岡崎(一明被告)さんの調書で、『端本は運動神経がいい。がけから落ちる車から飛び降りられる。車の処理は端本に』と言うと、端本さんが『冗談ではない』と言ったとある」
証人「絶対にない」
弁護人「絶対に?」
裁判長「記憶にも?」
証人「だってそんな会話なら普通覚えてますよ」
弁護人「端本さんを疑っているわけじゃないですよ。私も岡崎さんを信用はしていない」
傍聴席から苦笑がもれた。弁護人の脱線に、裁判長は「質問を」と注意した。弁護人は「いやあ、ついつい……」と頭をかく。
弁護人「11月8日午後か、正午過ぎごろに、早川さんが麻原さんに公衆電話で電話していたことは」
「アイ アム ショーコー アサハラ」。松本被告がつぶやき出す。気になるのか、端本被告は返事ができない。「気にしないで」。弁護人が声をかけた。松本被告の右隣の刑務官が「静かにしなさい」。かちんときたのか、松本被告は刑務官の方を向いてぶつぶつ言い出した。「静かにしなさい。証人が証言できないから」。裁判長が割って入った。端本被告は「見ていないです」と答えた。
質問は端本、岡崎、新実智光の3被告が富士山総本部に戻る経過に移った。
弁護人「車2台?」
証人「ワゴンと四駆。四駆に岡崎さんと新実。ワゴンは私1人だけ。スピードが出ないのでついて行くのに必死で。心細かったし、お金もなかった」
8年前のことを、今でも本当にくやしい、と言わんばかりの口調だった。
松本被告が実行犯とされる6人に、「坂本弁護士は地獄へ、都子さんと子供は動物界と餓鬼界に転生した」と話したことについて、弁護人が「麻原さんは、あなたたちを慰めるように話したのか」と問うと、端本被告は黙り込んだ。
数分間、沈黙が法廷を支配。
ようやく端本被告は「すごく複雑な気持ち。麻原さん自体はグルのスタイルをとっていた。実際どういう気持ちだったのか聞いてみたい。単なる犯罪と分かったら、人間やっていけませんよね」と話した。
弁護人「あなたは主尋問でS(坂本)の事件があった時に麻原尊師から『前生でお前はわしの息子だ』と言われたと言っている」
「言っていない」。松本被告がつぶやいた。
証人「その話は嫌だったんです」
弁護人「朱元璋(中国・明の初代皇帝)って知っている?」
証人「言われたくないですよ。恥ずかしい。僕は中国嫌いだったんです」
質問がとっぴなら、答えも奇妙な展開となった。
弁護人「麻原さんの前生は朱元璋で……」
証人「僕は中国嫌いでした。それを聞いてから。ばかじゃないかと」
弁護人「麻原さんがわしの息子と言ったのは?」
証人「麻原さんと二人になった時に」
弁護人「調書で『坂本事件で動揺していたために麻原尊師はそのようなことを言った』とあります」
証人「そうだと思う」
弁護人「一人で泣いていたこともあったとか」
証人「何か確信が持てなかったです。殺人だったのか、ポアだったのか」
弁護人「『息子だ』と言われたら」
証人「だから、慰めだと分かったら、ぼろが出ちゃう。その時は(松本被告は)演じ切っていますね」
弁護人「教祖を?」
証人「教祖なんていう簡単なものではなく、グルというか……」
心の救いを求めて修行に励み、裏切られた端本被告の激しい口調に、松本被告も口を挟めない。
午後0時3分、休廷。
1時15分、再開。事件に使った車の処理が聞かれる。
弁護人「ブルーバードを塗装し直した話は?」
証人「あとで聞いた。青を赤にしたんじゃなかったかな」
弁護人「ビッグホーンも塗装し直したか」
証人「やってないんじゃないか」
松本被告は眠ったのか、うつむいたまま。
坂本弁護士宅で、手袋をはめるのを忘れた早川被告は、指紋を消す手術を受けた。端本被告は「証拠を消したと思った」と話す。
弁護人「麻原さんが、『右翼の(犯行)声明文をつけたら、この事件は終わり』と話したのはいつ?」
証人「平成2(90)年の5、6月ぐらいかな」
弁護人「常識で右翼の犯行と思わないでしょ?」
証人「麻原さんの言葉で『ばかみたい』というのは何回もありましたよ」
松本被告は、プライドを傷つけられたと感じたのか、「それは……」「井上が……」などとぶつぶつ。
端本被告は「こういう状態」を「おかしいなと感じる」と語る。裁判長が「こういう状態とは?」と聞くと、端本被告は「この場で居眠りするのはおかしいと思います」と答えた。法廷に苦笑が広がった。松本被告は一段と落ち着かない様子で、「エニー ジャパニーズ……」。
弁護人は事件後、インドに行ったことを尋ねる。
証人「事件の翌月、12月か11月の下旬か」
弁護人「インドに行ったメンバーで実行犯は」
証人「全員です」
弁護人が代わり、入信当時のことを尋ねる。
証人「日本でヨーガを実際に24時間、自分をなげうち修行しているのはオウムしかなかった。日本で修行するとき、最適な一人が麻原さんと思っていた」
検事が「入信にいたる経緯は49回(公判)で話している」とさえぎる。弁護人は「確認しておきたいことがある」と食い下がる。
弁護人は、教団内の端本被告の地位を確認する。
証人「最終は愛長」
弁護人「昇進は教団の中でも早かったのか」
証人「僕より遅い人はいますが、自分としてはコンプレックスというか、いろんな葛藤(かっとう)がありました」
絞り出すような口調に、複雑な思いがにじむ。
弁護人の質問は、早川被告との大阪行きに移る。
証人「(91年)3月ごろ、修行に行き詰まって、教団を出たんです。修行だけではないですよ。本音は」
呼吸を整え、一気に話し始めた。「教団を脱走した女性信者が大阪で売春をしているというので、『写真を撮って来い』と言われたんです。それで林泰男(被告)さんと大阪に。早川さんも『国土法事件で大阪に行かなくては』と、一緒に行った。それで早川さんに『辞めたい』と言った。だって、ばかな話でしょ。大阪に写真を撮りにいくなんて。殺人やらされて、教団ではごみのように扱われて、最後の最後は売春をやっている女性信者の写真を撮って来い。はらわたがしびれるくらいの怒りがあったんですけど、半面、グルには……」
検察官が「本件と関連性がない」と異議。弁護人は質問を変えた。
弁護人「平成3(91)年10月に(教団)科学技術庁の潜水艦実験で操縦を担当して失敗しましたね?」
証人「死にかけている。クレーンで操作するもので、クレーンごと倒れ水がぼこぼこ入ってきたんです」
弁護人「死にかけた。どういう気持ち?」
証人「もう麻原さんをぶちのめしても許せないという気持ちがあった」
「ぶちのめしても」という言葉に、松本被告の動きを警戒して、両隣の刑務官が身構えた。
証人「なんでおれだけ虐げられるんだ。坂本さんの事件、わかっちゃったら、麻原さん、八つ裂きにしても許せない。自分も許せないけど」
松本被告は目を固くつぶっている。「危ない」。時折つぶやきが聞こえる。
弁護人「平成7(95)年5月24日に証人が行方不明になったと教団はみているようですね」
証人「上祐(史浩被告)が言ってるんでしょ。教団に迷惑をかけないよう逃げたんです。それを上祐は本当に冷たく……」
弁護人「あなた自身は教団に尽くしていた」
証人「尽くすなんて……。信じて信じて、一番苦しい時に。それが上祐はトカゲのしっぽじゃないけどちょんと切った」
3時2分、休廷。
3時20分、再開。
弁護人「6月末に教団に除名された。気持ちは」
証人「一言でいうなら、くやしい。やりきれない」
弁護人は、端本被告が逮捕後の95年10月12日に書いた脱会勧告文を示す。ホーリーネームの返還、グルと縁を絶つ決意、被害者への謝罪などが書かれている。端本被告は「あまり見たくない」と言い、「恥ずかしい」を連発した。
弁護人「『教祖は巧みでした。葛藤(かっとう)に揺れる私に、前世の息子と言った』とあるが?」
証人「坂本さん事件の後、これが殺人だったらどうしようかと、ずーっと考えてきました。逃げてしまったらあまりに坂本さんに悪いし、それでも夢であってほしいと……。でも、この法廷は現実なんですよ」
言葉が乱れる。そして、言った。「麻原さんも最近、現実が見えてきたんじゃないでしょうか。僕とは時期が違うだけで。彼も苦しいんでしょう」
この時ばかりは、松本被告も微動だにしなかった。
端本被告は、さらに松本被告について「ヨガのサークルで目の届く範囲でみたら『いい人だな』で終わってた。この人はすごく愛嬌があるんですよ」と語る。
松本被告はしかられた子供のように、じっとうつむいている。
岡崎被告と早川被告のどちらが事件を主導したか、弁護人が追及する。
「早川さんは絶対、こらえて……こらえているんですよ」。
端本被告はせっぱ詰まった声でさらに訴える。「事件後に、事件の話なんかしない。中川さんが……あいつの苦しみが本当に分かったのは調書を読んでからなんです。ああ、何が言いたいのか」。
右手で頭をたたく証人。
弁護人はさらに「事件後、教団内では、岡崎被告が一番責任が重いとなったのか」と問う。
端本被告は口をなかなか開かない。ようやく「岡崎さんを許せないなんて言えない」。再び沈黙。今度は頭を抱え込んでしまう。
弁護人が聞き直す。「あなたは岡崎さんに一番責任があると感じていますね」。「はい」と端本被告。
弁護人がさらに追及すると、検察側から異議が申し立てられた。弁護人と裁判長の押し問答が続く。証人はぽつりと言った。「感想はやめます。悪いから。気持ちを忖度(そんたく)するのは嫌です」
弁護人「調書には早川被告が『坂本をポアする。お前は殴り倒すだけでいい』と話したとあるが……」
証人「殴り倒すのではなくて、倒すです」
弁護人「殴るという話はいつごろから?」
証人「事件の前の10月の終わりごろ、選挙区内の住居で。麻原さんに呼ばれ腕相撲をした。『得意技は』などと聞かれ、『回しげり』と答えた」
質問は教団内の金銭感覚に移る。「月に3万円もらっていたと思うけど」と問われ、「自分は1万5000円」と強く否定した。
弁護人「自分たちと、幹部の金の使い方が違うと痛感しなかったか」
証人「嫌な気持ちもありましたね。皆すごく切り詰めていましたから」
弁護人が交代。再び、腕相撲に質問が戻った。
証人「結局、麻原さんはこらえたんですよ。麻原さんが『修行でこらえられる』と。
その後、『お前だったら、1発で相手を倒せるだろう』と言われました」
弁護人が交代。
弁護人「(坂本弁護士の妻)都子さんの死体遺棄の現場にあなたは行ってない。メンバー全員、6人で埋めた、そういう調書になってませんか」
証人「そこ、頭にきて読んでない」
弁護人が調書を読み上げ、「記憶に反すると検事に抵抗した?」と聞く。
証人「抵抗という言葉は嫌だが、強く言った」。
弁護人「調書には意に反するところがあるということだね。実行行為も?」
証人はしばらく黙った後、「いつか呼ばれたらお話しするということでは、だめでしょうか」と尋ねた。
端本被告自身の公判で坂本弁護士事件の被告人質問が始まる時期を問われ、「春ごろには」と証人。
弁護人は裁判長に「尋問中断に。来春ごろもう一度」と声をかける。
検察側がすぐに、反対尋問打ち切りを申し出る。
裁判長は「では、反対尋問は終わりということで」と告げる。
驚いた弁護団の数人が立ち上がり抗議する。「今日打ち切れというのは、検察側の怠慢を弁護人の負担において、糊塗(こと)しようとする のと同じじゃないか」。法廷が騒然となる。
裁判長は「時期がきたら検察側が証人請求をするということで」と折衷案を示すが、弁護団は納得しない。
「検察側が証人請求しなかったら、どうしてくれる」と声が飛ぶ。
裁判長も気色ばみ「訴訟は流動的なもの。その時は裁判所で判断する」。 押し問答が続く。
弁護人は再度、端本被告に確かめる。「春ごろにはもう一度話す意思があるんですね」。
証人は「ごろ、ですよ」と念を押す。「時期の問題でなく、証人として話すつもりがあるのですね」と裁判長が確認。うつむき気味だった端本被告が顔を上げ、「……させてください。します」。
5時26分、「今日はこれで終わり」と、裁判長が告げる。端本被告が退廷。
代わって、この日証言予定だった岡崎被告が入廷。裁判長は「この前と同じになってしまいました。待たせて申し訳なかった」と言うと、岡崎被告は「はい」と答えた。
5時30分、閉廷。