不定期通信 オウム法廷番外編
麻原彰晃公判 第51、52回(97・10月2日、3日)
証人端本悟
麻原弁護団が描く坂本弁護士一家殺害事件は、麻原の意図をこえ幹部らが暴走した結果による犯行という見方。これまで早川紀代秀、岡崎一朗両被告に続いて、端本被告に対し執拗に尋問を行ってきたのも、リーダー格をめぐって対峙する早川、岡崎の両者を、当時の末端サマナだった端本がどのように見ていたかを、引き出すものとなった。
だが、一連の尋問の中で見えてきた端本の視線は「早川は気が短いが、いいオッサン」。対して岡崎は「成就も早いが、世俗でも能力がある。しかし、彼がよけいなことをしなければ事件はなかった。証言もあいまいでウソがある」というものだった。
端本被告の証言で村井秀夫亡き後のカギを握る早川、岡崎両被告のキャラクターが浮かび上がったほか、初めて遺棄状況が詳細に語られた。
両日の尋問で端本被告は、龍彦ちゃんの遺棄現場の横穴は「中川さんと2人で掘っていて固いものにあたり、引き抜いたら横に穴があき、結果的に横穴となった」と証言した。
また、坂本さんの遺棄現場では、やはり2人が穴を掘る役目で、「ヘロヘロになって疲れた2人」のもとに早川が現れ「早くやれ」と檄を飛ばしたという。だが、最も不遜な行為とされる「カニを食べた殻を穴に捨てた」という部分については、「見ていない」と述べた。都子さんの遺棄については「疲れていて、自分は行ってない。車に1人で置き去りにされ寂しい思いをした」と、関与を否定。
ドラム缶についても、「1つは能生から富山に行く間に捨てた。沈まないため、早川さんから『お前行って沈めて来い』と言われた」などと述べ、車3台が使われたことなど自分の記憶が正しかったことを強調した。
こうした遺棄の流れのほか、都子さんの遺体を乗せたワゴン車の見張りをしていた新実智光被告の様子について、「遅れてしまい、引き返してみると、バッテリーがあがっていた。遺体を乗せたままハチ合わせをしてもらっていた」「駐車場に止めているとき、完全に突き抜けちゃったというか、おかしくなっちゃって通りかかったオバチャンに指をさされるほどだった。バレると思い緊張した」などと、新実が異常な状態に陥っていたことを明らかにした。
事件後の平成2年5月ころ、親や被害者の会が教団前で呼びかけ行動を起こした際、動揺をみせる同被告に対し麻原は「Sの事件(坂本事件)だが、お前を選んだのはシヴァ神」と言い、さらに「前世でお前はわたしの息子だった」と言ってのけたという。
その際の麻原の様子は「なぐさめで言ったのなら見えてしまう。確信を持ってというか、見るだけで癒される、博愛というか。そのときは演じ切っていた」
また、麻原が端本を実行犯に加えるきっかけとも思える。“出来事”も明らかにした。
坂本事件前の10月下旬、選挙用に利用していた荻窪のマンションで、突然、麻原は「ガフバ(端本)、腕相撲をしよう」と呼び出した。警備班だった端本は両手で腕相撲をし、片方は引き分けたが、片方は端本が押しながら麻原も踏みとどまった。その際、麻原は「心を強くすれば、筋肉が衰えてもここまでできるんだ」と話したという。さらに「正拳突き1発で倒せるのか。得意技はなんだ」と質問、端本も「回し蹴りです」と答えたという。
その後、端本は武道大会の優勝者として呼ばれ、実行犯に加わることになる。
一応に「麻原さんの言うことはおかしいと思っていた」「幹部はぶっとんでる」と一歩引いた目で見たいた端本。「麻原の人格より、教義で自分を納得させていたのか」と問われ、「そういう面もあるが、逆に自分の汚れを見せてくれてるのではと考えた」とし、「信仰は教義で乗り越えた」と語った。
端本被告が語るのは、「すべてがマハームドラー」。悪いことをしても、「これはわたしを見切ってやらせたんだ」という強引な思い込みと信心。都合よく理屈をつけて自分を納得させる。これで教団から離れることができなかったという。
しかし、この日はからずもらした平成7年の逃走は「女と結婚したかったから。普通の生活がしたかった」と心境をもらした。
「事件に巻き込まれた」と訴え、教義に縛られた教団生活と語る端本。耐えてきた生活の果ては、好きな女との普通の生活を夢見て教団を離れたのか。この男の本心もまだ、よく分からない。
一方、このところ鳴りを潜めていた弁護団vs裁判所、東京地検の対立が、久しぶり勃発した。
弁護団はこの日、殺害の実行行為については「自分の被告人質問が終わってから話したい」とする端本被告について、検面調書を取った状況についての尋問を残して時間ぎれとなり、反対尋問を一時中断してほしいと要望。
阿部裁判長は、「取りあえず終了ということで」と向けたが、主任弁護人は「そもそも主尋問の時期が早かったことが問題で、訴訟指揮こそ批判されるべき。本人は来春ごろには証言したいと言っている。打ち切りは納得できない」と主張し、端本被告にも「証言させてください」とまで言わせた。さらに、弁護側は「このままの形で検面調書を申請するつもりか」と詰め寄った。
検察側は「早くない。普通の訴訟指揮であり、これだけの時間も取っている」と反論。
結局、検察側は「PSの申請は状況を判断して」ということになり、裁判所も「時期が来たら新たに証人申請」という案で決着をはかった。
弁護側は「そのことを約束できるか」と食い下がりながら、最後は渋々承知した。
端本被告の語る実行行為は確かに重要であり、事件解明には欠かせない証言となる。しかし、このままでは、地下鉄サリン事件がそうであったように、坂本事件もすべての検察側立証を終えるのは、少なくとも来春、端本被告の被告人尋問以降ということになった。10年裁判を問う是非の声があるが、オウム真理教の事件はなぜに、これほどまで困難を極めるのか…(了)