松本智津夫被告 第53回公判
1997/10/16
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫被告に対する第53回公判は16日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、坂本弁護士一家殺害事件の実行役とされる岡崎一明被告(37)への6回目の反対尋問が行われた。弁護側は、調書内容と法廷証言との食い違いに焦点を絞り、激しく追及した。
午前9時58分。8人の刑務官に囲まれて松本被告が入廷した。紺色スウェットシャツ姿で、やや伸びた前髪が額にかかる。濃紺のスーツ姿の岡崎被告も、背中を丸めて入ってくる。
弁護人「平成元(1989)年11月3日早朝に集まった時に、役割分担をしたね。あなたは?」
証人「住所を聞く。それと車の運転」
弁護人「午後10時半に、家族も殺害すると電話連絡で決まったね」
証人「はい。驚いた。なぜそういう話になるのかと」
弁護人「(帰宅途中で襲うのでなく、アパートの中に)入ろうと決まったんですか」
証人「それは尊師の意向だから」
松本被告は「お分かりと思いますが、彼はうそをついてます……」などとつぶやき続ける。
弁護人「近所に分からないようにするとか、何か考えなかったの」
証人「グルの意思は弟子にとって絶対です。弟子はまともにものを考えない。しかしみんな意味のないことだと分かっていたと思いますよ」
弁護人「意味ないとは」
証人「坂本弁護士が突然いなくなったといって、マスコミのバッシングはなくならない。そんなことはみんな分かっているが、やらなければならない」
弁護人「最初から家で襲うつもりだったのでは」
証人「いいえ」
弁護人「家のカギがかかっているか調べる必要はなかったのではないのか」
証人「何か情報を得なければ、と考えた」
検察官が「裁判長。カギがかかっていたかは証言が済んでおり、重複になりませんか」と異議をはさむ。
弁護人「証人が麻原さんの指示以上に積極的に加わったということで、重複ではない。麻原さんの指示に従うだけなら、『見つからなかった』と言えばよかったんじゃないんですか」
証人「それは、そうですけど……」
弁護人「ドアを開けたのはあなたか。ほかの人はあなたが誘導したのか。その時の順番は、早川(紀代秀被告)さん、新実(智光被告)さん、端本(悟被告)さん。続いてあなた、村井(秀夫・元幹部=故人)さん、中川(智正被告)さんでいいのか」
証人「はい」
弁護人「6人は家の中でどんなことをしたのか」
証人「断片的な記憶しかない」
弁護人「寝室に入る時は何かの合図で入ったのか」
証人「早川さんが『いるいる』と言った」
弁護人「ほかの実行犯が何をしていたか記憶は」
証人「入ろうとした時に、『うっ』とか『あっ』とかうめき声がした。2人が坂本弁護士に攻撃を加えているのが見えた。正拳突きとか、けりとか」
弁護人「攻撃をしていたのはだれか」
証人「はっきりは……。端本さんか新実さんだと思う」
弁護人「あなたは何を」
証人「坂本さんの後ろに回り込み、首を絞めた」
弁護人「部屋に入った目的は、うまく殺害できない場合に、殺害行為に加担しようとしたのではないか」
証人「可能性としてはそうですね」
弁護人「奥さん、子供さんの記憶は」
証人「ありません。しかし、声を聞いてます。『子供だけはお願い』と」
傍聴席の最後列で、坂本弁護士の妻都子(さとこ)さんの父、大山友之さんが怒ったような表情でメモを取る。
弁護人「首を絞めた時間は」
証人「……数分」
弁護人「首を絞めたのは、中川さんに注射をさせるためだったのですね」
証人「そうです。『中川さん、注射』と言って、目で探した」
弁護人は、岡崎被告に図を描かせるなどして、現場の状況を確認していった。
弁護人「奥さんのことを覚えていないというが、主尋問では『坂本さんか奥さんに攻撃したと思う』と話しているが……」
証人「それは『思う』ですよ」
弁護人「いずれにしても一人に攻撃をした。そして、それは坂本さん。主尋問は違うのか」
証人「あくまで『思う』ですから」
弁護人「主尋問では奥さんのことを前提にし、今は全く記憶にないという。訂正するということか」
証人「訂正するわけではない」
弁護人「はっきり坂本さんを攻撃していたということか。それとも一人が坂本さんをもう一人が奥さんを攻撃したということか」
証人「はい、そうです」
弁護人「あなた自身のけがは?」
証人「腕が痛かったことしか頭にない」
弁護人「それは、坂本さんからどうかされたからか、それとも、首を絞めたので疲れ
たのか」
証人「後者です」
弁護人「首を絞めていたのは5分?」
証人「長くて、です」
弁護人「そして中川被告が注射に来た」
証人「はい」
弁護人「遺体を運ぶのは初めから計画にあった?」
岡崎被告はすぐに「それはない」と否定。「放置するわけにはいかないと思ったからだと思う」と続けた。事件の計画性にかかわるだけに緊迫する。
弁護人「(実行後に)車を取りにいく時、振り返ると奥さんが横たわっていたと言うが……」
証人「ええ」
ガックリとうなだれ、寝入る松本被告。両足を投げ出している。
殺害後、岡崎被告は遺体が運び出される間、四輪駆動車をアパートの駐車場に運び、見張りを続けていたという。
弁護人「見張りというよりも、遺体が運ばれるのを待っていただけでは」
証人「……見張りです」 弁護人「あなたは遺体を埋める時もそうだが、力仕事を避けているのでは」
証人「そんなことはない」
午後0時2分、休廷。
1時15分再開。
弁護人「遺体を運び出した後、坂本宅の寝室に戻ったのはなぜ」
証人「村井さんが奥さんにかまれたと言ったので、血痕を確認しに行った」
弁護人は坂本弁護士宅の見取り図を示し、血痕をふき取った位置を尋ねる。岡崎被告は「村井さんがいた洋服ダンスの辺りを中心に……」と説明を始める。
弁護人「その後、押し入れを調べたのはなぜ?」
証人「部屋に残る布団を確認した。布団がすべて消えていたら、家出とか夜逃げには見えないでしょう」
弁護人は、午前中の証言と捜査段階の供述の食い違いを指摘する。「午前中、坂本宅に入った時、だれかが坂本弁護士を攻撃していたが、家族については分からないと言った。捜査段階では、新実と端本が夫妻にそれぞれ馬乗りになって正拳突きをしていたと供述した。どちらが正しいのか」
岡崎被告はしばらく考えていたが、「午前中のが正しいと思います」と自信なさそうに答える。
弁護人「攻撃されていた記憶は、坂本さんだけか都子さんもか。捜査段階と今日の証言では内容が違う」
証人「今日のが正しい」
証言全体の信用性を突き崩したいのだろう。弁護人は決めつけるように「捜査段階から本当の記憶と違うことを意識的に言っているでしょ」と追い打ちをかけた。「そんなことない」と岡崎被告は反論する。
弁護人「捜査段階では家に入ったことはない、とまで言っているじゃないか」
岡崎被告はややひるんだように「ええ」とだけ答えた。やや間があき、弁護人は尋問の矛先を変えた。
弁護人「村井さんは都子さんに指をかまれたというが、手当てはいつしたの」
証人「(4輪駆動車の)ビッグホーンに乗って総本部に着くまでと思う」
弁護人「襲撃直後は血は流れるままだったの?」
証人「手を押さえていた記憶しかない」
弁護人「最後に聞きます。3人を殺したことを麻原被告はいつ知ったの」
証人「村井か早川さんが伝えたと思う」
弁護人「電話で?」
証人「そうだと思う」
弁護人が交代。
弁護人「麻原被告は『家族以外の人間がいるなら、襲撃は中止しろ』と言ったんだよね」
証人「そうです」
弁護人「その確認をしてから襲撃したの」
証人「してません」
弁護人「尊師の指示を守っていないじゃない」
証人「指示を守ったから、こういうことになっているんですよ」
弁護人「あなたの調書で、村井さんが奥さんから指をかまれ血が出たから、足がつかないように布団ごと持っていくことになったと思う、とあるが、そう受け取っていいか」
証人「思う、ということなら受け取っていい」
弁護人「村井さんのと思われる血をふいた後は?」
証人「鏡台を直し、ふすまもずれたと分かって直した。そういう記憶です」
弁護人「実行行為をした人たちは布団全部を持って行ったのか」
証人「すべての布団を持って行ったら、ちょっとよくないんじゃないですか。すぐ拉致(らち)と分かる。どれだけ持って行ったのかを見たら、ほとんどなかった」
弁護人「それでいいと」
証人「もうしゃあないですね。1分1秒でも(早く)そこから離れなければならないから」
弁護人「血をふいたふきんは」
証人「ポケットに入れて持って帰りました」
弁護人は、証人が坂本さん宅の寝室に入り、坂本弁護士の首を押さえるまでの経緯を、改めてただす。
弁護人「奥さんが『子供だけはお願い』と言ったのはいつ?」
証人「坂本弁護士の首を押さえていた時に聞いた」
松本被告は眠ったのか、首を垂れて動かない。
毒薬を注射して殺害する計画だったのに、中川被告はなかなか注射をしに来なかった。その際の状況を弁護人は詳しく尋ねた。同じような内容の繰り返しに検察官が「重複です」と異議を申し立てる。阿部裁判長が「もういいじゃないですか」と制すると、弁護人はあっさり引き下がった。
休憩の後、3時26分に再開。
弁護人「あなたは、坂本さんの背中に回って右手で首を絞めた。中川さんが注射するから押さえていたのなら、ほかにもやり方はあるのでは」
証人「例えば?」
弁護人「羽交い締めにするとか」
証人「叫ばれたらダメでしょう」
弁護人「タオルを口に突っ込むとか。押さえ付けるなら、羽交い締めを考えるのが普通ではないか。あなたが取った方法は効果的だったわけですよ」
証人「結果的には」
弁護人「二手に分かれて寝室に入り、初めての家でスムーズに侵入している。あなたは迷うことなく飛び付いて、効果的に首を絞めた。役割分担とか全然話し合いはなかったのか」
証人「なかった」
弁護人「でもね、実にスムーズなんですよ。話があったんじゃないですか」
証人「話があったら早川さんや村井さんが手袋を忘れるわけない……」。反論する岡崎被告の声は小さい。
弁護人「あなたが(坂本さんの)後ろからひもを巻き付け、坂本さんがあっちを向いたりこっちを向いたりした」
証人「そうだったかは分からないが、両手が自分の胸や腕にからまってきた」
弁護人「ほかのメンバーは」
証人「端本君が足を押さえ、中川君が途中で来たぐらいしか覚えてません」