不定期通信 オウム法廷番外編
麻原彰晃公判 第53回、54回
1997/10/16.17
<検察側証人>
岡崎一明被告
高取健彦・東大法医学教室教授
栗原克由・北里大法医学教室教授
やはり、麻原公判は終わる可能性は限りなくゼロに近いと言わざるを得ないのか。
坂本弁護士一家殺害事件の審理は、前回まででひとまず実行犯、端本悟被告に対する反対尋問が終了し、再びノラリクラリ男こと、岡崎一明被告の反対尋問に戻った。
端本被告が語ることを拒んだ実行行為について岡崎被告は証言したが、「右腕を坂本さんの背後から巻き付け、右の奥襟をつかんで5分ぐらい絞めた。中川(智正)が注射すると思っていたが、腕がしびれても抵抗していた」とするだけ。その際、だれが、どの位置で押さえていたのかも、だれが都子さんを襲っていたのかは「目に入りませんでした」という。
弁護団は遺族が傍聴しているのを知ってか知らずか、「役割分担があったんじゃないの。初めて入る家で、しかも、あたなたの絞め方は理にかなっている」と、配慮に欠けた質問まで飛び出した。
室内の明るさについても「分かりません」が続く。冷静に車を取りに行き、村井から流れ出た血液をふきとる作業も、「電気をつけたり、消したりした記憶がないんです」と証言した。
この日の証言でも、岡崎被告の口をついて出るのは「記憶がありません。」まるでロッキード事件の某のような口ぶり。だが、それに対する麻原弁護団の尋問も、精彩を欠いた。
麻原指示ではなく現場での弟子の独自行動という方向を導き出そうとするが、「麻原が指示しなければなにもできないんですよ」。
「車をアパートの下につけ、遺体を運び、最低12足のクツがあるのに、電気もつけずに大胆なことをしたものだが」と岡崎被告の主導ではないかと攻めるが、答えはそっけない。
翌日の公判では、さらに攻めあぐむ弁護団の姿が露骨に示された。
尋問は磯子市の坂本弁護士宅から、富士山総本部に戻るところから始まった。
村井秀夫元幹部と3人の遺体を乗せたビッグホーンは、出発してブルバードと離れる。その間、村井が麻原被告に電話をしたのは「2回」。その時の会話についても、「戻る時間を指定されたが、はっきりと記憶がない」の連発。弁護団は、同車が東名高速に乗らず、小田原・厚着道路、熱海をへて国道1号線から帰ったのがひっかかるようで、執拗に経路をたずねる。
「なぜ横浜横須賀道路を行かないの?」「西湘バイパスを使うのが普通のはずだ」と迫る。しかし、岡崎は「村井さんが地図を見ながら行った。当時抜け道をしっていたから」と答えても、「あなたの通った道では不合理だから聞いてるんだよ」と突っ込む。検察官からも異議が出て、脱線。「他の意思があったのではないか」と攻める弁護団に、岡崎被告は「なぜその道を選んだかの記憶はないんですよ」と、腹立たしそうに答える。
ようやく、富士に到着したものの、弁護団と岡崎被告の感情的な対決が続く。
弁護団「遺体を富士に運ぶなんて危険だと思わないの?」
岡崎 「当然、だれでも分かりますよ」
弁護団「なんであえてやったの」
岡崎 「前回も話してますが、注射したら戻ってこいと麻原が言ったからですよ」
弁護団「現場で相談したんじゃないの」
岡崎 「違います!」
弁護団「尊師の指示を超えてるんじゃないの」
岡崎 「それなら言いますが、そうだったら村井が電話して『怒られました』とかいうでしょ」
弁護団「じゃ、あなたほめられたことあるの」
検察官「異議」
裁判長「誤導になりますよ」
弁護人「ふざけた異議はやめなさい」
万事がこのように進む岡崎vs弁護団。結局、2日間の尋問では、実行と富士に戻ったところまで。遺棄に出掛ける内容は、また次回以降に先送りとなった。
これまで端本、早川(まだ途中)両被告の尋問をしながら、なぜ、相違点を効果的に突いていかないのか。せいぜい、副団長が「あなたは、体力を使ったり、力仕事を避けていたの」と聞いたことぐらい。今後の追求をきたいしたい。
17日の公判では、これ以外に新たな事実が明かになった。地下鉄サリン事件で亡くなった営団職員、高橋一正さんら4人の鑑定を行った高取教授が「ホルマリンに浸けていた脳から、サリン残留物のメチルホスホン酸を検出した」と証言した。4人のうち、2人は直後に投薬を受けたため、神経伝達を司る数値が上昇していながらも死亡していたため、2年間保存していた脳を調べ、やはりサリンが脳にまで影響していたことを明らかにしたのだ。
この事実に異を唱えたのは、弁護団とほかならぬ遺族。
弁護団は主尋問の途中、「鑑定が終わった後に行った証人の研究結果ではないか」とかみつき、「だれの権限があってあなたは脳を保存しているのか」と激しいけんまく。立証主旨を明確にするよう求め、一時、法廷は騒然となった。
一方、傍聴席にいた高橋シズエさんは「やっぱり、保存していたんだ」とポツリ。遺族にも知らせず、遺体の一部が保存され、その後に検証作業が行われていたことを、偶然、法廷にいたことで知ることになった。
高取教授は「保存しておくのは慣例」と証言。科警研の技官は被害者の心臓血を「捨ててしまった」と述べているが、やはり一定期間、保存するのはしかるべき措置かと思う。しかし、遺族に了解がないのはいかがなものか。検察も証拠として出すなら、やはり正式に鑑定の追加などの形で、きっちりだすべきではなかったか…(了)