松本智津夫被告第55回公判
1997/11/6
毎日新聞より
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(42)の第55回公判は6日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、坂本堤弁護士一家殺害事件について、元教団幹部の岡崎一明被告(37)に対する8回目の弁護側反対尋問と、坂本弁護士の遺体を検視した東邦大名誉教授に対する検察側主尋問が行われた。傍聴希望者は167人だった。
裁 判 長:阿部 文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(39)
補充裁判官:(35)
検 察 官:山本 信一(48)=東京地検公判部副部長ら5人
弁 護 人:渡辺 脩(64)=弁護団長
大崎 康博(63)=副弁護団長ら12人
被 告:松本智津夫(42)
検察側証人:岡崎 一明(37)=元教団幹部
伊藤 順通(66)=東邦大名誉教授
(敬称・呼称略)
岡崎証人
午前10時2分、松本被告が入廷。薄いグレーのスエット姿だ。1分後、岡崎被告が裁判官に深く一礼して陳述席についた。松本被告のつぶやきが次第に大きくなる。弁護人が「うるさいよ」とたしなめる。
前回に続き、1989年11月4日、坂本さん一家3人の遺体を埋めに出た後の行動が聞かれていく。
弁護人は、坂本さんの長男龍彦ちゃんの遺棄場所(長野県大町市)を決めた理由を尋ねる。
証人「走っている途中、湿地帯の前で『ここ、ここ。止まれ』となった」
弁護人「3人一度に埋めることができたよね」
証人「深く掘れば……」
紺色スーツ姿の岡崎被告は、抑揚のない口調で続ける。その時、松本被告が突然、立ち上がった。刑務官が松本被告の肩を押さえ、座らせた。
岡崎被告らは有料道路が閉鎖される夕刻まで山林で過ごし、穴を掘り始めたという。見張り役の岡崎被告は、作業開始から約1時間後に様子を見に行った。
弁護人「早川(紀代秀)被告は何か言ってたか」
証人「水が出て作業が進まないとこぼしていた」
弁護人「あなたは?」
証人「早川さんから『そろそろいいだろう。子供を持ってきて』と言われた」
弁護人「前回の証言では、麻原さんに3メートル掘れと言われたと言っているが、3メートル掘っていない。指示に従うのではなかったのか」
証人「そう強い指示ではない」
弁護人「麻原さんの指示は絶対なのではないか」
証人「弟子である私たちは逆らえない。しかし、絶対の指示ではなかった」
弁護人「岡崎さんはいつもそう言う。結果がこうだから、指示があったと」
証人「そんなことはない」
岡崎被告は気色ばんだ。松本被告がまた突然立ち上がる。刑務官がそでを押さえた。傍聴席の信者らしい若者たちも伸び上がる。「座ってなさい」。裁判長の一喝で、渋々座った。
弁護人「どうして日本海に向かったのか」
証人「埋めた場所から少しでも離れた所に行きたい、という心理的な状況」
弁護人「だれかの指示か」
証人「分からない。早川被告は『寒い、寒い。こんな思いをして子供しか埋められなかった。先生(松本被告)に電話してみる』と言い、国道わきの公衆電話から電話した。その後『ふろに入るオーケーが出た。北に向かえ』と言った。それからサウナに入った」
弁護人は「早川被告は、電話したのは村井秀夫元幹部(故人)と言っている」とただすが、岡崎被告は「早川さんです」と言い切った。
岡崎被告は、車の1台が京都ナンバーで検問にかかりやすいと考え、京都方面に行くことを主張。早川被告を通じ、電話で松本被告に伝えてもらった。
証人「早川被告に呼ばれ電話に出るなり『何を考えてんだ、お前は。何も考えるな』と言われた。もう真っ白になった。京都に向かう話はボツになった」
翌5日午前、早川被告は「ここは新潟だから、奥さんは富山に埋めないといけない」と言い出した。
証人「そうなんだ、と思っただけ。(松本被告から)指示があったんだなと」
弁護人「本当にそんな指示があったの? あなたの話は推測が多いから」
証人「結果をありのままにしゃべっているだけ」
岡崎被告の口調に怒気が交じる。一行はホームセンターで懐中電灯などを買い、大毛無山方面に向かう。
弁護人「あなたは坂本弁護士の歯を砕いたと言っている。麻原さんの指示か」
松本被告が割って入るように「なんでそんな……」と声を上げた。
証人「指示ではない」
弁護人「食べたカニの甲羅を一緒に埋めたのは」
証人「中川(智正被告)さんだったと思うが、『(甲羅を)どうしたらいいか』と言ったら、早川さんが『一緒に捨てておけ』と話したかと思います」
弁護人「食べかすを死体と一緒に埋めることに抵抗はなかったのか」
証人「何でこんなことをと思っていただけ」
弁護人は「普通はできない行動」とさらに問うが、岡崎被告は黙り続けた。
その後、岡崎被告らは富山に向かった。
弁護人は坂本弁護士の妻都子(さとこ)さんの遺体を埋めた場所の地図を岡崎被告に書かせる。それを見ながら「何メートルぐらい?」と聞く。
証人「1メートルぐらい掘れていたと思う」
弁護人「麻原の指示はどうでもよかったんですか。3メートル近い穴にしなきゃとか、考えなかったんですか」
証人「早川さんが3時か4時ごろ『もう埋めて下さい』と言った。まだ明るいと言ったら、『そんなこと言ってられない、早く』と。時間的に焦ってたんじゃないですか」
遺体を埋めた後、岡崎被告は「大きな川の河口に遺体を入れていたドラム缶を捨てた」と証言。弁護人はだれの指示かを追及。岡崎被告は「ドラム缶の中に液が残っていたら、海の水で消えるかという話をしていた覚えはありますが」と、消え入るような声になった。
11時58分、休廷。
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伊藤順通証人
午後1時15分、再開。証人の伊藤順通(まさみち)東邦大名誉教授が入る。遺体発見当時、同大医学部教授だった。
検察官「坂本事件にはどうかかわったか」
証人「坂本堤さんの遺体を発掘現場で確認、東邦大医学部で検視、解剖した」
静かな法廷に松本被告のつぶやきが響く。
司法解剖は95年9月8日午後2時から9時半ごろまでかかった。
伊藤氏は「肉眼では頭部と顔面に損傷がありました。けい部の筋肉に出血があり、顔の損傷は頭がい骨骨折」などと証言した。
検察官「頭部、顔面の挫傷は?」
証人「生体反応がなく、出血もなかった」
検察官「生前の損傷ではないと?」
証人「はい」
検察官「内出血を解剖で確認し、けい部圧迫による窒息死としたのですね」
証人「はい」
松本被告が傍聴席を向き立ち上がる。裁判長に注意され、おとなしく座る。
弁護人は、坂本弁護士の首の状態について、仮説を立てては問いただす。「こういう場合は?」と、弁護人がいきなり証人の後ろに立つと、右手で証人の左襟首をつかみ、右後ろの方にねじ上げた。一瞬、傍聴席がどよめき、裁判官の一人が笑いをかみ殺す。
しかし、伊藤氏は落ち着いて「そういう痕跡は認められませんでした」。
2時25分、伊藤氏が退席。
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岡崎証人
再び岡崎被告が入る。弁護人が質問を再開する。
弁護人「ドラム缶を捨てた後はどうしました?」
証人「私と村井(秀夫・元幹部)さんで、坂本さん宅にあった布団、服などを焼却した」
弁護人は、当時の協議内容を繰り返し質問する。
証人「車2台を捨てる、その場所をどこにするかと話をしました」
弁護人「海に捨てるというのは麻原の指示でしょ。自分たちで話し合ったというのは、何なのですか」
証人「海のどの場所に捨てるかということ。島根の岸壁に洞穴のある深い海があるので、そこへ行くことになりました」
弁護人「その夜は?」
証人「6人中4人は片山津温泉に。2人は、まだ焼却する服が残っていたので、場所を探しました」
弁護人「翌朝は?」
証人「片山津温泉で合流し京都へ向かいました」
弁護人「問題と思うことがあった?」
証人「インターを出る時、ナンバーチェックされた。加賀インターから1区間しかないのに、そこで5時間も待機していたので」
弁護人「11月7日は」
証人「高速に乗ったと思う。ガソリンスタンドに寄り、しし鍋(なべ)を食べた」
弁護人「高速は使わないようにしていたのでは」
証人「ドラム缶も遺体もないから」
弁護人「富士山総本部から松本までも高速使っているでしょ」
証人「焦っていたか、できるだけ遠くにということもあったと思います」
弁護人「11月7日、大野山で何をしました?」
証人「新潟のホームセンターで買った作業着などを焼却した」
3時7分、休廷。
3時22分、再開。
弁護人に「11月8日の行程を」と促され、岡崎被告が説明する。
証人「早朝に松江市に入った。日本海へ出たが、(車を捨てるのを)断念。さらに境港に行き、やはり断念し、津山に向かった。ブルーバードはその後、別れて道場に帰った。村井さんは境港で『軍資金がそろそろ底をつく』と言っていた。最初は三陸海岸に行こうという話もあった」
「山陰と三陸海岸じゃ、ずいぶん方向違いだね」。弁護人はあきれて言った後、「だれか麻原さんに電話したか」と確認する。
証人「早川さん。『えーっ』と驚き、皆にプルシャ(教団のバッジ)を持っているか確認した」
「プルシャを落とした中川君は落ち込んでいた」と岡崎被告は証言。早川被告は、たびたび公衆電話でメンバーの精神状態を報告、指示を受けていた様子だという。
弁護人「(中川被告を)責めたりしなかったか」
証人「責めはしないが、周囲で緊張感があった」
弁護人「出発は?」
証人「9日午後2時か3時に早川さんが出た。自分たちは夕方過ぎと思う」
弁護人「主尋問で、中川や端本(悟被告)、新実(智光被告)と(教団の教えの)ヴァジラヤーナと事件の関係について話したと言ったが、疑問を抱いたような?」
証人「そうじゃない」
弁護人「どんな内容」
証人「転生先とか」
弁護人「それは新実さんと話した?」
証人「新実さんと端本君は横で聞いていましたが、新実さんは……」
岡崎被告は言葉を詰まらせ、涙声になる。
証人「お互いに正しいことをやっているという意味もありました」
弁護人は、11月中旬に上祐史浩被告がプルシャを落としたことについて話したときの様子を聞く。
証人「サティアン図書室に上祐さんが新聞を持って現れ、『こんなにデカデカ載っている。何ですかこれは』と新聞をたたいた」
弁護人「麻原さんは?」
証人「『在家信者がやっていても不思議はないな』と言った。上祐さんは『たとえ在家信者でもこういうミスだけは起こしてもらいたくないですね』と」
弁護人がその時の気持ちを聞く。
証人「また怒っているな、と。早川さんが『おれたちがどんな大変な思いをしたかも知らず、分かってんのか、あいつは』と後で言い、私はそれにうなずいた」
弁護人は質問を変えた。「『転生』と『ミスチェック』、『六法全書を読め』の三つの話の前後関係は?」
証人「『転生』は意外と早い時期。『チェック』は上祐さんが新聞を持ってきた前と思う。『刑法条文』はあいまいだが、ドイツに行く前か、翌年1月か」
弁護人は、三つの場面について部屋の見取り図を書くよう求めた。証人が鉛筆を走らせる。松本被告は黙っている。時間だけがどんどん過ぎていく。
岡崎被告はサティアン4階に実行役が集められ、プルシャを落とした中川被告が「すみませんでした」と謝った様子を説明した。
松本被告が閉じていた両目を開け、身を乗り出して傍聴席を向く。
弁護人は、事件直後にインド、ドイツに行ったことについて、「マスコミ、警察から逃れるためと言ったが、その時すでにそう思っていたのか」と聞く。
証人「そう思っていました」
弁護人「ドイツでは、どんなことをしたのか」
証人「運転手をして、早川さんと一緒にドイツ支部の賃貸契約の更新をした。取材も受けました」
5時3分閉廷。