松本智津夫被告第56回公判
傍聴記
1997/11/7
寒いので薄手のコートを着て9時前から並びました。かつて1000人規模であふれ返っていた傍聴希望者も、今日は159名。一般傍聴席は49席。競争率は約3倍ですが、それでも当たらないというツイテない私。江川さんから1枚いただいて10時前入廷。
法廷の傍聴席は約100席。そのうち半分が一般用で、残り半分は司法記者クラブのキープ席です。ところが、その報道キープ席がほとんど埋まりません。はじめ3分の1くらい。最後でもやっと半分くらいしか使っていない状態です。一般傍聴席は半分近くは信者と思われる人たち。午後になるとこちらの方も空席がチラホラ。風化を実感せざるを得ません。
信者たちは、最前列を取ろうと昼休みも食事に行かないで門に並んでいます。もっとも開廷中は居眠りしている人も多く、あまり激しく寝るので廷吏さんにさかんに注意されていました。
さて本論。
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午前10時ちょうど、松本被告入廷。白いトレーナーの上下、髪はさほど長くはないがヒゲなどはモサモサ状態。被告人席に着くなり、なにやらブツブツ。
証人 山本勝一医学博士 神奈川歯科大名誉教授
東邦医科大学、神奈川歯科大学の教授を勤め、神奈川県警の鑑定嘱託医。
坂本弁護士の遺体の歯の鑑定を担当した人物。
検察側証人として、山田検事からの主尋問に答える。
<証言要旨>
鑑定したのは、「坂本堤と思われる死体」の歯の鑑定。
(確かに、「物」として見ないと検死などできないのでしょうけどね。)
平成7年9月7日、神奈川県警磯子警察から嘱託された。
死体は新潟の山中から掘り出されたもの。
鑑定は9月7日から21日までかかった。
歯の外観検査で判明した特徴
@7カ所歯の欠損があったが、全体的保存状態はよかった
A治療痕は6カ所、内1カ所は充てん物が脱落していた
B欠損が2カ所、これは生前欠損及び先天的欠損
C上顎右側中切歯のねじれ(八重歯?のこと)
レントゲン写真は生前のものを警察が入手、それと対照した
異同識別を行ったが、特徴がはっきりしており、坂本堤と同一人物との確率は100%(力強く!)
一部欠損は識別の支障にはならない。
それまで静かにしていた松本被告が、突然発言し始める「・・・やはり無罪・・・」
裁判長が子供に言い聞かせるように「静かにしていなさい」と注意すると、また大人しくなった。
「歯の年齢検査」
アミノ酸ラセミカ法を用いて測定する。これは歯の象牙質のアスパラギン酸を検出し、そのアセミカ率(年齢によって変化する)をガスクロマトグラフィーによって測定するというもの。プラスマイナス3才くらいで判定される。
「坂本堤と思われる死体」(この証人はこういう言い方を繰り返していた。)は31才プラスマイナス3才という判定。
このとき私の後ろの席の人(若い信者らしき人)が「アッ」と声を出してガタンと音を立て、さらにメガネを落とした。学術的話が続いたため、瞑想状態に入っていて寝言を発したらしい。廷吏が飛んできて「出るか?!」と注意されていた。
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この証人に対しては、今日は検察側主尋問のみ。30分で終了。
それにつけても、山田検事の尋問は下手。簡単な内容の主尋問でありながら事前準備ができていないこと歴然。同じ趣旨の質問を繰り返し、「それは先ほども言いましたが」と証人に何度も言われる始末。しかも証人の言った答えを再度繰り返してから次の尋問をするなど、非常に稚拙であって、聞き苦しかった。
日頃刑事裁判をやっていて実感するが、尋問のうまい検察官にお目にかかったことがない。
99.8%の有罪率、準備万端の警察調書類、そして何よりも裁判所の厚い庇護。検察官自身で苦労して準備して、反対尋問で敵性証人を崩すなどという経験がほとんどない。日頃、罪を認める被告人や情状証人に対し威圧的に説教をたれるような尋問しかしていないから、研修の場がないからであろう。弁護士もピンキリではあるが、うまい人は非常にうまい。麻原弁護団は??
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岡崎一明証人 弁護側反対尋問
10:32 岡崎証人入廷。紺のスーツ、水色のスタンドカラーのシャツ。元々小柄であるが、手錠と腰ひもでうつむき加減に出てくるせいか、よけい小さく見える。
渡辺弁護団長「主尋問で教団脱走後の6年間の話をよく記憶していることについて、あなたは忘れようと思っても忘れられない事件だった、と答えているが、それについて付け加えることはないか」
証「あるかもしれないが・・」(さすが狡猾、用心深い!)
弁「あなたが坂本事件について初めて認めたのは、平成7年5月8日の上申書・自首調書ですか」
証「そうです」
弁「平成2年9月、神奈川県警の取り調べを受けたとき、警察は3億円の持ち逃げのことや麻原からお金が振り込まれたことについて知っていたか」
証「はい、警察は最初から言ってましたね」
弁「平成2年2月10日の教団の脱走・脱会、これはいつ決心したの。」
証「平成2年2月10日午後5時頃、世田谷の自室で。」
弁「脱走後の経路は」
証「亀戸のホテルから厚木−小田原−名古屋−京都−米子−宇部」
弁「3億円はグリーンクラフトガーデンから持ち出したのですか」
証「そうです。でも3億円あるとは解らなかった。」
弁「選挙資金がそこにあることは解っていたの」
証「自分も選挙責任者なので、あることは知っていたが、いくらあるかは麻原本人とケイマ大師だけが知っている」
弁「3億円を持ち出したのは、午後7時前後?」
証「もっと早いと思いますよ。1時間くらい早い」
裁判長「これは前に三島弁護人が聞いているでしょう」
弁「記憶の程度を確かめている」と譲らない。
裁判長は、進行のための論争で進行が遅れることを恐れてか、以前のようにしつこくない。とにかく、審理が進めばいいという感じである。
弁「そうすると、5時に脱走を決意して1時間後にはお金を持ち出していたと言うこと」証「そうです」
弁「その時、奥さんはどこにいたの」
証「世田谷・・・いや野方でした」
弁「脱走することについて奥さんとの連絡はどうやって取ったの」
証「一切連絡はとっていません。事前に何も言っていません」
弁「奥さんとはどのようにして落ち合ったの」
証「グリーンクロフトガーデンから野方に行き、そこで妻に話をしました。そこに新實がいて話している私たちを不思議そうな顔をして見ていました。その後世田谷に行きました。」
弁「世田谷に戻ったのはどうして」
証「着替えるためです」
裁判官「そのことは以前に三島弁護士人が聞いている。それに関連性があることとは思えない」
弁「関連性はありますよ」
若干やりとりがあったが、弁護団長は裁判長を無視して尋問を始める。
弁「その後亀戸に戻ったのはどうして」
証「(裁判長に向かって)答えてもいいんですか?」(ご機嫌取り!やな感じである)
裁判長頷く
証「そこに一時お金をおいておこうと思ったんです。誰もいない場所はここしかないので」
弁「金額はどこで確認したの」
証「厚木です」
弁「一連の行動を見ていると非常に計画性があるように見えるんだけどね。2月10日の5時に突然決意した理由は何なの」
証「以前、製薬会社に勤めていた時の知り合い(プロパー)に、オウムをどう思っているか聞いてみたんです。そしたら相当悪く思われている。この人が言うのなら全国中に印象悪いと考え、プチッと何かが切れた。オウムで言えば魔境に入った」
弁「オウムから心が離れたのか」
証「先生のことは信じていました」
弁「早川さんはこの法廷で『とっさに金が欲しくなったんだろう』といっているが」
証「そうじゃない」
弁「お金持ち逃げのニュースはいつ頃見た」
証「20日か21日」
弁「早川さんは、すぐに窃盗として警察に届け出をしたと言ってる、12日頃にはニュースになっていたのではないか」
突然、松本被告が傍聴席に向かって英語でなにやらしゃべり始める。「ヒューマンピーポー・・・オーケー・・・」
裁判長や、後の弁護人が注意する。
証「記憶がない。後でフォーカスなどで見た記憶がある」
弁「あなたは以前、龍彦ちゃんの捜索を2月12日か13日にラジオで聴いたと証言していますが、間違いでは?」
証「はい。22日か23日です。言い間違えです」
松本被告「君たち・・・わからないのか」
皆無視する。
弁「奥さんを連れて大町に行ったのは14日か」
証「14日の夜です」
弁「あなたは以前の尋問で、どうやったら麻原からお金を出させられるかと考え、坂本さんたちを埋めた場所を写真にとって送った、と証言していますね」
証「お金ということではない。オウムが自分を捜していると思い込んでいた。見つかったらポアされる。だから1日も早くこちらは証拠を握っていると言うことを見せてけん制をしたかった。ただお金を取るなら送りつければいいことだが。殺そうとするとか追うことをやめて欲しいと思っていた」
弁「大町14日に行ったということ。写真を取ったのは15日ですか」
証「15日早朝です。松本インターについたのが明け方だった。現場では長靴を履いて、3メートルのスケールを使って測った。」
弁「龍彦ちゃんの地図や手紙はいつどこで書いた」
証「15日夜、上越市のホテルで。左手で書いた。麻原に電話をかけた後、投函した」
弁「大町から上越に行ったのか」
証「上越の前に名立町に行っている。名立町役場に寄って、キャンプ場関係の地図をもらえませんか、とはなして付近の地図をもらった。その後ヤマのふもとまで行ったが、、何しろ豪雪地帯で雪が積もっていて断念した。」
弁「あなたは、以前第42回公判で、『2月10日、龍彦の手紙を投函した後、名立に行った』と証言しているんだか」
証「・・・今の証言の方が強く残っている・・」
弁「あなたは以前『上越のホテルから麻原に電話をかけたとき、坂本のことを奥さんに話したかと聞かれ、いや全然言っていませんとウソをついた』と証言したいますが、奥さんにはいつ頃話たの」
証「京都から米子に行く高速バスの中で話しました」
弁「奥さんは何と言ってた」
証「信じなかった」
弁「教団の金を取ったことは話したのか」
証「それは言っていない。宇部の杉山さんの家に行ってから」
弁「教団からねらわれていることは」
証「それはしょっちゅう言っていた」
弁「自分が坂本事件に関与していることは言ったのか」
証「言いました。詳しくはないが、実行犯のメンバーを言い、自分もその一人であることを」
弁「龍彦の手紙を投函してからどうしたのか」
証「上越から高速に乗って魚津に行きました。魚津市役所で地図を見せてもらい、僧ヶ岳の麓まで行きましたが、ここも雪が積もっていました。2〜300メートル歩いて進みましたが膝のあたりまで埋まったので、無理だと思って帰りました。地図は記憶で作りました」
弁「あなたは、奥さんに事件のことを録音したテープを渡して実家に帰るように言っていますね。それはどこ?いつ?」
証「山口の湯田温泉の旅館。14日夜・・・」
(このあたりで、証人は大町に行ったのと日付の整合性がおかしくなり、「あれ、記憶がおかしくなっているな・・」などとブツブツ)
この後、前後の行動の日付を、細かく確認する。
弁「奥さんに実家に帰るように言ったのはどうして」
証「オウムに見つかったらポアされると思っていた。私に何かあったらこのカセットを警察に出すようにといって渡した。自分は新幹線で上京、妻は九州の実家へ」
この上京の日付についても記憶のあいまいなところがあったが、やりとりの後、2月20日か21日頃ということになった。
弁「新幹線で、毎日新聞の『金を盗んで逃走』という記事を見て逃げられないと思い、投書を決めたということでしたね」
証「はい。東京駅東口の左手、大きな古い郵便局から、速達で送った。午後だった。」
弁「投かんした後、麻原さんに電話した?」
証「東京駅近くの白い大きなホテルから夜9時くらいに」
弁「麻原さんに電話して、急に話がまとまったのはどうして」
証「遺体の場所の地図を送りましたと言ったら、突然『いくら欲しいんだ』と」
裁判長「それの話も前に出てます」
弁は裁判長の言葉を無視。
弁「龍彦ちゃんの遺体捜索の報道はその時はなかったの」
証「ありませんでした」
弁「坂本さんと都子さんの手紙については、回収を約束することになった。つまり、もうオウムはあなたのことを追いかけないという約束をしたのではないのか」
証「麻原は約束をしてもころころ変わる人だから」
弁「身の安全を要求したんでしょ」
証「なぜ田口君をポアしたんですかと聞くと、あれは前世からのカルマだったんだよ、という。脅迫とかではないです。私も電話で泣いていました。まだ教祖と弟子の関係でしたから。アホなことをしてしまいましたと言いました。もっと以前に、戻ってこいという話はありましたね。まだ少しの人しか知らないからと。2つの手紙を回収することは私の方から言い出したんです。」
弁「郵便の回収ってどうやるの。」
証「前の晩10時ごろに東京の郵便局に行ったら、もう送っていると言われました。それでどこに行けば回収できるか聞いて。次の朝早く4時か5時頃タクシーで横浜に行きました。横浜の中華街に近い大きな郵便局に行きました。2階で名前書いて印鑑も押したと思います」
弁「最初1000万円だったのが、あなたが170万円もっているということで、結局は830万円になりましたね。170万円はどこから持って来たの?」
証「持ち出したお金から、着服していた」
弁「830万円の振り込みはいつ?」
証「2月ごろ。ニュースを聞いて麻原が電話をしてきて。龍彦ちゃんの捜索が始まったというやつ。麻原が『男一匹ガキ大将』の主人公の名前で振り込むから、といってましたが」
名前を思い出そうとする岡崎被告に、弁護人の1人が「銀次郎」とささやく。
証人「いや、銀次郎じゃなくて、あ、戸川万吉です」
法廷内、失笑が洩れる。
弁護人「麻原さんはあなたをかわいがっていた。身の安全保障も信用できるのではないか」
証「先になったらどう変わるかわからない人。以前説法で『いったん落ちたシッシャは無視』とか言っていましたし」
弁「でも、ひとまずは安心したんでしょ」
証「すぐに襲ってくることは無いと思いました。いったん宇部に帰って家庭教師を始め4月から塾を始めました。」
11時55分休廷。
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午後1時15分、再開。
弁 投書の中身や郵便局での回収方法について若干聞いた後、突然口調が変わり「ズバリ聞きますけどね、あなた本当に投書したんですか。」
証人「しました。投書して翌日に回収しました」
弁「以前、回収の翌日に龍彦ちゃん捜索のニュースを聞いたということだったが、間違い?」
証「回収したその日にニュースを聞きました」
弁「投書の理由、麻原を脅すなら投書するという話だけで十分じゃないの」
証「電話で、教団に帰って来いと言っていたのに、警察に通報した。信用できなくなった」
弁「龍彦の投書の時は、事前に2回も電話をしている。このときはいきなり送ったという。しかも投書したという証拠がない」
証「私も困っている」
弁「疑われてもしかたがないんじゃないの」
証「私は絶対にやってます」
弁護人は平成2年2月の神奈川県警の取り調べ状況について聞く。
弁「龍彦の遺体が発見されていたら、どうなると思った」
証「警察は早い段階から私が大町に行っていることをつかんでいた。発見されていたら、当然捕まっただろうと思うが、そこまでは考えていなかった。麻原を脅かせばいいという程度だった。」
弁「警察の捜索失敗を聞いたとき、こんなに正確な地図を書いたのにと馬鹿にする気持ちになった?」
証「なぜ、どうして出ないのかなと思った。1日でやめたからからとか、オウムが掘り返したのかとも思った。」
弁「平成2年9月の取り調べの時は白状する気にならなかったの?」
証「いえ。当時、家庭教師をやっていて、友達や親を裏切ることはしたくないという気持ちが強かった」
弁「ポリグラフにかけられたのはいつ?」
証「取り調べの始まったその日に」
弁「ポリグラフについて承諾した?」
証「しました。逃げてはいけないなと」
弁「切り抜ける自信はあったの」
証「いや。ポリグラフは初めてですから」
弁「結果は?」
証「犯人でなければわからないような結果が出たと。」
弁「坂本事件については何日ぐらい?」
証「4、5日はやっていたと思う」
弁「頑張った? 警察の追及に」
証「つらかったです」
弁「平成7年5月4日からの神奈川県警との接触はどちらから」
証「私から連絡した。共同通信が塾の方にきて、私が犯人だと、メンバーもわかっていると、夕刊に出るという話をしていた、びっくりした」
このとき検察官から「重複尋問である」と異議が出る。
裁判長「今日はほとんどが重なっている」とうんざりした顔でいう。
弁護団長はそれも意に介しない。
弁「自分から電話したのはなぜ」
証「オウムの情報も知りたかった」
警察での自白調書上申書作成に至るの経緯、中国での結婚のことなど細かい尋問だが続く。
弁「なぜこの時期に話す気になったのか」
証「サリン事件と長官事件を見て、これ以上オウムの事件がエスカレートしていくのを見逃せないと」
弁「長官襲撃事件が意識にあったか」
証「それが引き金と言うか。サリンも青天のへきれきだったが、長官の事件には驚がくした。強制捜査が入っていてもいつでもトップの人間を抹殺できるという声明だと思った」弁「長官襲撃をオウムだと思ったのは」
このとき、松本被告が「長官事件は・・・」と話し始めた。
岡崎被告も一瞬言葉を切る。
未だ未解明の長官狙撃事件について何かいうのかと思ったが、結局英語でモゴモゴ言うだけ。思わせぶりだけであった。
証「麻原の性格上、敵対する団体のトップを襲撃するのは当然。日本でも彼一人ぐらい」
弁「長官事件がなければ坂本事件の自白はなかった?」
証「それはわからない」
弁「自分も狙われているかもしれないと?」
証「恐れはあった。麻原自身を恐れていた」
弁「麻原以外で恐れていた人は」
証「3女のアーチャリーくらい」
弁「持ち逃げについては1000万円で話が付いていたし、脱走後幹部と接触しているときも脅しのようなことはなかったはず。狙われるという恐れはないのでは?」
証「どんなことがあっても信用できないと思っていた」
弁「『ポア』」とはあなたと警察との合作の言葉ではないのか?」
証「そうではない」
<三木弁護士>
弁「脱走直後、坂本事件はテープに取ったか」
証人「吹き込んだ。概略、家の中に入って実行犯メンバーが殺害したこと、遺体を埋めたことや場所についても」
弁「ダビングは」
証「ないです。録音は夜中。妻は寝ていました。県警の調べが始まった平成2年9月、宇部の知人にテープを渡し、焼却を依頼した」
3時3分、休廷。
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3時23分、再開。
弁「教団は選挙に出て何を実現しようとしたのか?」
証「党を結成し、議員を徐々に増やそうという計画だった。政治的な面からの強さと言うか、力を必要と思った」
弁護人は岡崎被告の手帳の88年11月15日の記載を示し、大師会議があったかどうかを質問する。
証「大師会議はありました」
弁「ノートには13項目があって、人材集めるとか美人を集める、とか」
傍聴席から失笑が漏れた。
弁「『実戦部隊を作る』かっこして『ポア部隊』とある。どういう意味」
証「冠婚葬祭の意味。死んだ人の埋葬などをポアする意味で言ってるかもしれない」
弁「殺人という意味ではない」
証「その時点で、その意味だったら私もびっくりしていると思う」
弁「東京11区から飯田エリ子(被告)と2人で立候補するというのはだれが決めたのか。上祐か」
証「そうかもしれないが、はっきり覚えていない。突然決まった」
証「はじめから当選するつもりはなかった。私は選挙区にも行ってない。麻原の4区を中心に立候補する。出れば選挙カーが一台与えられるので、杉並に結集させた。当選させようと思ってたのは麻原1人。次は都議選と話していた」
弁「だれが?」
証「奥さんの知子です」
弁「平成元年11月1日、上祐と青山は岡山の河田弁護士に会い、その後金沢に行って元信者の女性に会っている。」
証「後から聞いた」
弁「死体遺棄の後、金沢で上祐に会ったのではないか」
証「会っていない」
弁「事件直後、上祐はオウムに関係ないと言っていたが、彼は知っていたと思うか」
証「うすうすわかっていたと思う。我々の前で新聞を取り、プルシャのことが出ていることについて、『こんなミスして』と皮肉っぽく話していた。」
弁「青山さんは事件のことをどこまで知っていたと思うか」
証「当時はまったく知らないと思う」
弁「遠藤誠一について・・」
検察官「必要性がない」と異議。
裁判長「裁判所もそう思う。やめて下さい」
弁護人は質問を変えた。
弁「麻原さんの魅力は何」
証「弟子の心を読む洞察力。修行も弟子に合った方法を見極める。電話の声一つで状態を見極める。素晴らしいグルと思っていた。親以上の大きな存在だった」
弁「人間的に嫌な点は?」
証「マハームーラが強い。しかし、人間と思っていなかった。神様以上と思っていた。」
弁「今は?」
証「今は、あわれな人と思っています」
弁「女性問題についてどう思う」
証「当時は一切なかった」
弁「ハルマゲドン、第3時世界大戦を信じるか」
証「イランのフセインのような人がいればそうなるでしょう」
弁「麻原のDNAの培養は効果があった」
証「私も飲んだ。クンダリーニもあがったし、効果は会ったと思う」
弁「マハームドラーとは」
証「グルが弟子に極限の修行を与えること。カルマを取り除く」
弁「麻原さんの指示するマハームドラーの修行で実現可能性のない修行も?」
証「いくらでもありました」
弁「毎日新聞社の爆破とか?」
証「もっとすごいのもありますけど」
弁「どういうこと?」
証「平成元年、宮崎勤の事件があった。宮崎の家は印刷業をやっている。今から行って印刷機の交渉をして来い。ただみたいな値段で買えるぞと。私と早川さんらで家まで行った。ロープが張られ警察官がいた。家人はホテルに泊まっていると聞いて帰ってきた」
弁「それもマハームドラー?」
証「何をいわれてもともかく実行しなければいけない」
弁「サンデー毎日の連載後、末端信者にかなり動揺があった?」
証「私自身は動揺しているのではと感じた。しかし、実際に大師たちに会うと、サンデー毎日が悪い、誹謗中傷だと反対に憤っていた。私は在家の信者の方を心配していた。」
弁「被害者の会のことは敵対する物と見ていた?」
証「それはあった」
弁「坂本弁護士に対するあなたの見方は?」
証「被害者の会を仕切っている弁護士。対立する人物と思っていた」
弁「他の幹部は」
証「他の幹部もそう思っていた」
弁「被害者の会会長の息子さんの調書で、「坂本弁護士行方不明のニュースが流れた時、東京本部にいた信者全員が拍手し、万歳した。坂本が真理にたてついたからシバ神の罰が下った。オウムはやはり正しかったと言った」という記述がある。どう思うか」
証「信じられませんね」
弁「毎日新聞爆破の指示は、早川さんは車の中であったと証言しているが」
証「私の記憶ではサティアン4階会議室である。グルがいた記憶がある」
弁「村井・早川とあなたの3人の話の中で出てきたことではないのか」
弁「牧太郎さん殺害計画について聞きます」
証「殺害計画かどうか知りません」
弁「早川さんが牧さんを追っていた、と言うが、早川さんはそれはないと言って」
証「ありました。サティアンの部屋で、早川さんに『最近どうしているんですか』と聞くと、『最近牧太郎をつけている』と」
弁「牧さんをキリで刺す、というのはだれの発想」
証「麻原じゃないですか」
この後、端本被告が謀議に参加していたかなどについて、他の供述との食い違いを若干聞かれるが、証人は自分の記憶通りと繰り返すのみ。
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本来、岡崎証人に対する弁護士側反対尋問は今日終了する予定であったが、結局5時になっても終わらす、弁護団はあと2時間ほど必要と要求。
検察側は、「今回で岡崎被告の尋問は終えてほしい。多少延長してでも」と異議。
裁判長も「今日終わるという約束だったはず。裁判所から見てもどこに意味があるか分からない」とクレーム。
いろいろやりとりがあって、結局、次次回に2時間限りということで続行となった。
最後に裁判長「意味のある尋問を。2時間で確約ですよ」としつこく念押し。