松本智津夫被告 第59回公判
1997/12/4
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(42)の第59回公判は4日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、坂本堤弁護士一家殺害事件の実行役とされる早川紀代秀被告(48)に対する4回目の弁護側反対尋問と、地下鉄サリン事件でいまも入院している被害者の治療に当たった医師に対する検察側主尋問が行われた。傍聴希望者は214人だった。
午前10時1分、松本被告が入廷。白色上下のスエットシャツに、紺色ジャンパー姿。着席すると、ジャンパーのファスナーを引き上げた。
早川紀代秀証人
弁護人「坂本さんにけられてひっくり返りそうになった後、坂本さんの足のところに戻ったという部分は供述調書にないが」
証人「証言どおり。供述でも言うたんですけどね」
早川被告は関西弁で応じた。
弁護人「その時は坂本さんは生きておられた?」
証人「はい。抵抗されてましたから」
松本被告は、やり取りをさえぎるように話し続ける。「私が今回日本語で話しているのは……。オウム真理教信者において……」
「被告人、静かになさい」。裁判長が制し、松本被告はようやく黙った。
弁護人「岡崎(一明被告)さんがヘッドロックでくらいついたと図面を書きましたね。私にヘッドロックをしてみて下さい」
弁護人が早川被告の右側に寄り、早川被告は両手を弁護人の首に回した。
弁護人「指を組んでいたのか、それとも右手の手首を左手で押さえたのか」
証人「わからない」
弁護人「奥さんの状況は描けます? 部屋の見取り図を拡大コピーしたものを持ってきたので、そこに描いてみて下さい」
早川被告がペンを走らせる音が、法廷に響く。「だから、……なんだよ」。松本被告がつぶやき始めた。
弁護人「『その時、新実(智光被告)か村井(秀夫教団幹部、故人)が(都子さんの)おなかの上にかがみ込んでいた』と主尋問で言っていますが、この図面に描けますか」
ペンが走る乾いた音が再び法廷に響いた。
弁護人「あなたは何のために、奥さんの腰をこぶしで押さえたのですか。奥さんは動いたんですか」
証人「触った瞬間に動かないので、意味がないなと思いましたが、何もしないのもナニだと思って」
弁護人「奥さんは何かぶつぶつ言っていたと」
証人「意識のない、うわ言のようなもの。ほとんど聞き取れませんでした」
弁護人「『なんでもあげます』と言ったという証言がありますが」
証人「よく分からないんです」
弁護人「調書に『奥さんが生きていると思い、殺すしかないと思った。両手で首を絞めた』とある」
証人「言ってません。でも、『違う』と言うことは、非常にひきょうだと思い、抗議しなかった」
弁護人は龍彦ちゃん殺害直後の心境を尋ねた。
弁護人「(龍彦ちゃんに)布団をかけて、ポアが済んだと感じたというが、どうして布団をかけたのか」
肩に手をやるなど落ちつかなかった早川被告が、突然体を硬直させた。30秒、1分と沈黙が続く。「別に理由はない」と振り絞るように言うと同時に、ウーッとおえつを漏らした。
なおも弁護人は「その時の気持ちは」とたたみ込む。早川被告は、高ぶった気持ちを落ちつかせるように、眼鏡をはずしハンカチを顔に当てた。傍聴席の目が早川被告に注がれる。しかし、早川被告の返答は「はっきり覚えていないんです」という一言だけだった。
弁護人「殺人でもポアならば許されるのか」
証人「はい」
弁護人「麻原さんが言えば、信じたのか」
証人「はい」
弁護人「非常に勝手な考えだと思う。ポアされる側の気持ちは考えたのか」
証人「喜んでポアされる人はいないでしょうが、それがポアであれば正しいことと考えておりました」
弁護人「証言からすると当然死刑になりますね」
証人「事実を言わなければならないと思います」
弁護人「あなたは一貫して指導的立場でないと証言している。自分が助かるために、麻原さんを死刑にしようとしているのでは」
証人「自供して助かるわけないじゃないですか」
早川被告が気色ばむ。弁護人が交代した。
弁護人「遺体の処理について事前に話し合いはなかったと」
証人「はい」
弁護人「殺害後は?」
証人「遺体を運び出さなければいけないと。注射が効かなかったのは予想外でしたから」
弁護人「注射だといいのですか」
証人「注射だと自然死のようになると、言っていましたから」
弁護人「(遺体の)搬出の順序は」
証人「最初に述べたのは、坂本さん、奥さん、お子さんの順でした。でもよく考えてみれば、私ともう一人が先にお子さんを運んだのでは、と思います」
弁護人「2番目に運び出したのはだれですか」
証人「順番は覚えていない。私が運んだのは奥さん。運んでないのは岡崎さんだけ。岡崎さんはビッグホーンの運転席にいました」
寝具を持って出た理由について、早川被告は「だれかが、血が付いていたので、持って行った方がいいと言った」と答えた。
実行メンバーは現場に教団のバッジを落としていた。早川被告は「部屋に何か落ちていたようで気になったが、岡崎さんが早く車に戻れと言った。非常にきつい口調だった。気がかりだったが、部屋には戻らなかった」と話した。
弁護人「あなた自身は殺害行為に実際に手を下さなかったというのか」
証人「私は手袋を持っていなかった。武道の心得がないと、素手で人の命を簡単に奪えないという認識を持っていた」
11時58分、休廷。
牧野義文医師尋問
31歳のときに地下鉄サリン事件に巻き込まれ、いまも入院中の女性の治療にあたった東京医大病院の牧野義文医師が証言に立った。重症者の現状がこの法廷で証言されるのは、初めてだ。
検察官「患者を搬送した救急隊員からの報告は」
証人「脈、意識がなく、呼吸困難の状態で、血液の混じった泡をふいていたと聞きました」
検察官「運ばれてきた時の状況を教えて下さい」
証人「意識がなく、縮瞳(しゅくどう)しており、光に対して反応がなかった」
検察官「命の危険性は」
証人「死亡する危険性はありました」
証人をはさんで検察官と弁護人が立ち、カルテを手にしながら尋問が続く。
検察官「救急隊員からの情報は」
証人「現場でアセトニトリルが検出されたと聞き、シアン中毒を疑った。しかし、縮瞳はシアン中毒の症状でなく、確信が持てなかった。その後、警察官からサリンかもしれないと」
女性は的確な治療で、最悪の事態は脱した。松本被告は後ろを向き主任弁護人に話しかけたが、主任弁護人は視線も動かさない。
検察官「意識レベルは」
証人「6月まで昏睡(こんすい)状態が続いた。その後は問いかけにまばたきで反応するようになった」
検察官「言葉は」
証人「単音がかろうじて出せるが、手足は動かせない状況だ。脳に重度の損傷を受けたからです」
検察官が、脳波検査の状況などを証人に尋ねた。
証人「脳波全体が遅い波で異常。低酸素脳障害と判断した。呼吸が止まった状態で長時間低酸素状態が続いたためだ。3月末か4月末から肺炎を合併した。肺炎は寝たきり状態が続くとおこしやすく、回復したのは6月末だった」
検察官「治療は?」
証人「自宅から近く、高圧酸素治療ができ、リハビリができる条件で探した結果、病院が見つかり、1995年8月28日に受け入れてもらった。私も週1回、手伝っている」
検察官「現在は」
証人「介助があれば、かろうじていすに座れるが、自分で食事するのは不可能。あいさつ程度はできるが、知能は2、3歳程度」
検察官「治癒時期は」
証人「わかりません」
地下鉄サリン事件は、かろうじて生き残った被害者にも、むごい傷跡を残していた。
2時4分、牧野医師が退廷、早川被告が戻った。
早川紀代秀証人
弁護人「都子さんは布団を担架状にしたのか、す巻きにしたのか」
証人「布団を丸めて巻くようにしたと思う。私は足の方を持った。寝室から厨房(ちゅうぼう)を通ったが、狭かったので慎重に運び出した。階段を下りる時に私が落とした。下がコンクリートなので落ちる音もした。車の荷台に入れた時は、布団ははずれていて、布団はだれかが後から車に入れたと思う」
弁護人「あなたは都子さんの遺体を運ぶ時ににぎりこぶしをほどいただけで、あとはずっと握っていたようだ。しかし、指紋を残して不安だった状況が検事調書に残っているが」
証人「いや、そんなことは言った覚えはないですよ。どこにありますか」
弁護人はあわてて調書をめくり出した。別の弁護人がその部分を見つけて差し出した。
弁護人「『私は手袋をしていなかったので指紋を残していないか、証拠が残っていないか気になり、確認のために部屋に戻った』とあるが」
証人「物を落としていないかとか、そういう痕跡を残さないように戻ったということ。指紋が気になっても、どうしようもない。全部ふくわけにいかない」
早川被告らは7時ぎりぎりに総本部に戻った。車をガレージに入れサティアンに行くと、松本被告と石井久子被告が待っていた。
弁護人は証人に見取り図を描かせながら、「入り口はどのあたりですか」「図書室は」などと質問した。
弁護人「護摩法のために証人は行ったのでは」
証人「説法があるということで全員を集めた。護摩法は毎日やっており、終われば皆帰る。サマナを引き止め待たせる最もよい理由は、グルの説法だった」
3時3分、休廷。
3時23分、再開。
弁護人は、証人が描いた図面を基に質問を続けた。「図面には実行犯のうち中川(智正被告)さんと端本(悟被告)さんがいない。いなかったのか」。
証人「記憶にありません」。
松本被告は、右手人さし指を被告席の机にたたきつけては、ぶつぶつと訴え始めた。弁護人に何度注意されても、早川被告の発言にかぶせるように発言を繰り返す。
質問は、遺体の遺棄場所として北アルプスが浮上した経緯に向けられた。
証人「検討しているうちに、急に遠くの山に捨てろと指示された。びっくりした。山に遺体を捨てると発見されるケースが多く、『大丈夫ですか』と尋ねた」
弁護人「深く掘れば大丈夫と言われたのでは」
証人「2〜3メートル掘れと言われたと思う」
弁護人「3メートルと限定して言われた人もいる」
証人「手作業で3メートルも掘るのは無理だ。掘った後に穴から出れなくなる。2メートルだったら掘れる。遺体が発見されるのは、50〜60セントしか掘っていないケースと言われ、納得した」
弁護人の質問は、車の処分に移った。
弁護人「処分方法について、どこで話が出たか」
証人「サティアン4階で出たと思う」
弁護人「海に捨てろという指示はありましたか」
証人「議論にはならなかったので、そう言われたと思います」
弁護人「ドラム缶に(遺体を)入れる作業の時、石井さんら2人が見張りに立ったのはなぜですか」
証人「石井さんが見張りに立てば、逆らうものがいないと思った」
松本被告が「ユア メッセージ……」とつぶやく。質問が少し中断する。
遺体を捨てに行く時の状況に質問が移った。
弁護人「3体を別々に埋める話は出ましたか」
証人「分からない。子供を先に埋めるという話は出たかも」
弁護人「4階から出て、何をしましたか」
証人「ガレージでドラム缶に入れる作業をしました。遺体の衣服を取って、私は坂本弁護士をドラム缶に入れた。一緒にいたのは、端本だと思う」
弁護人「もかに用意したものは?」
証人「スコップを2、3本と懐中電灯を用意したと思う。3日の午前中に村井が『服を買うように』と言っていたのは覚えているが、受け取った記憶はない」
弁護人「戻って1時間以内に出発したということは、午前8時前にはサティアンを出発したのか」
証人「はい」
弁護人「出発した際に先導したのは?」
証人「覚えてないが、高速道路での順番は覚えてる。最初はビッグホーンで岡崎が運転し、村井が助手席。真ん中が新実が運転し、中川が乗ったワゴン車。最後がブルーバードで、私と端本。どっちが運転したかは覚えてない」
弁護人は、遺体を埋める場所探しについてただした。早川被告は、岡崎被告の証言内容との相違点を自ら挙げ、「調書を読んだが、彼の言うことはおかしい。捜査段階でも何度も聞かれたが、私の記憶で間違いない」と力を込めた。
しばらくおとなしかった松本被告が、今度は歯を食いしばり、首を何度も後ろに振り始めた。
弁護人「場所探しは、だれを埋める予定だったか」
証人「坂本弁護士。だれかが『最初は坂本弁護士を埋めよう』と言っていた」
弁護人「一体ずつ埋めることは決まっていた?」
証人「少なくとも松本で物を購入するまでには決まっていたと思う」
「切りがいいので」と弁護人がこの日の尋問を終えた。
4時59分閉廷。