松本智津夫被告第63回公判
1998/1/29
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(42)の第63回公判は29日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、地下鉄サリン事件の犠牲者の遺体を鑑定した法医学者と、坂本堤弁護士一家殺害事件について元教団顧問弁護士、青山吉伸被告(37)に対する初の弁護側反対尋問が行われた。地裁が傍聴券の抽選で入力ミスをしたため、開廷時刻が約10分間遅れた。傍聴希望者は155人だった。
午前9時10分、51の一般傍聴席を求めて東京地裁前に並んだ傍聴希望者は189人。しかし抽選に使うパソコンに地裁職員が希望者数を「89」と打ち込んでしまった。地裁は抽選結果が不正なものとなったと判断、改めて抽選をやり直した。希望者は155人に減ったが、9時40分に51人の当選が決まり、結局40人が法廷に入った。このミスのため、開廷時刻はずれ込んだ。
◆出廷者◆
裁 判 長:阿部 文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検 察 官:山本 信一(49)=東京地検公判部副部長ら6人
弁 護 人:渡辺 脩(64)=弁護団長
大崎 康博(64)=副弁護団長ら11人
被 告:松本智津夫(42)
検察側証人:支倉 逸人(63)=東京医科歯科大法医学教室教授
青山 吉伸(37)=元教団顧問弁護士
(敬称・呼称略)
支倉証人
10時8分、紺色ジャンパーに白いスエットズボン姿の松本被告が入廷した。
陳述席に、地下鉄サリン事件で犠牲者の司法解剖を行った東京医科歯科大法医学教室の支倉逸人教授が着いた。グレーのスーツ姿。昨年9月の検察側主尋問を受けて、弁護側反対尋問が始まった。
弁護人は「地下鉄乗車中の有毒ガス吸引」と鑑定書に書いた経緯を尋ねる。
証人「警察から連絡を受けたのを記載しただけ」
弁護人「先生の思い込みではないか。検視関係の書類にも記載はないが」
証人「原則的に口頭だから、書類には残っていないと思う」
弁護人は次に「同乗していた人が亡くなり、血液からサリン残留物が検出された」と意見書に記した根拠をただした。
証人「(警察からの)口頭による連絡に基づいて書いたということ」
弁護人「口頭でここまで進んだ事実説明をするのか。不自然だ」
弁護人は納得いかない様子で、「裏付け資料がない」「病院の診療録には違うことが書いてある」と疑問をぶつけるが、支倉氏は「それは意見書の話。鑑定書と違う」などと説明した。
続いて、死因を有機リン化合物による中毒死とした理由を尋ねる。
弁護人「解剖所見では中毒を発生させた物までは認定できなかったか」
証人「はい」
弁護人「中毒死であることを示す所見とは何か」
証人「病死である所見がない。外傷の所見がない。そうすると中毒死」
弁護人「そんなに簡単なんですか」
証人「はい」
弁護人「一般論で、例外はないのか」
証人「例外的状況があれば、検討する」
やり取りがなかなかかみ合わない。弁護人はややいらついたようだ。
弁護人「中毒死と絞り込むのは必ずしも正しいことではなく、例外を考慮しなくてはいけないのでは」
証人「例外があれば考慮します」
弁護人「人工呼吸器をつけていた被害者のカルテに、死亡時に自発呼吸が止まったとあるが」
証人「人工呼吸器を止めて、自発呼吸があるかどうかという趣旨だと思う」
弁護人「理解できない。心停止まで人工呼吸器をつけておくのが普通では」
証人「時々外してチェックしてみます」
弁護人「鑑定書の中に脳死の所見とある。外見から分かるのか」
証人「自発呼吸がなく、運動もない。音を聞かせて脳波の反応がない」
専門的な脳死論議がしばらく続き、傍聴席では居眠りする人の姿が目立つ。松本被告は時折鼻をすすり上げ、口を動かすが、言葉は聞こえない。
弁護人がカルテを示しながら「死因はどうなっていますか」と尋ねる。
証人「有機リン中毒」
弁護人「心停止の原因は」
証人「肺炎。臓器の機能停止が起こり、最終的に心停止する。急性肺炎と言ってもいいと思います」
弁護人「肺炎は直接とは違うんじゃないか」
証人「すべての臓器に障害が出ていた。最終的には肺炎でいいと思う。脳死の状態ですでに亡くなっていて、病変が進んで心臓が止まったということです」
患者には当初、血圧上昇剤が1日50アンプル使われたが、日を追うごとに減り、最後には5アンプルしか使われなかった。
弁護人「脳死は避けられなくても、(延命治療を続ければ)全身死は先になったのでは」
証人「心臓がどこまでもつかという話ですから」
弁護人「肺炎は持ち直せる程度ではなかったか」
証人「いや、それ以上の回復は無理だった」
堂々巡りのような尋問が続き、証人は「脳死になれば、諸臓器の機能も免疫機能も低下する。肺炎は必発だ」と繰り返した。
法廷に鼻をかむ音が2度、3度と響いた。松本被告がちり紙を顔の中央に押し当てている。口ひげの周辺をぬぐうと、左のポケットにしまい込んだ。
弁護人「アセチルコリンエステラーゼは何を伝達する?」
証人「神経が刺激を受け、それを筋肉に伝達します」
弁護人「被害者は全身けいれんしていたというが」
証人「筋肉が収縮したままの状態になり、弛緩(しかん)しない状態です」
弁護人「臓器自体は」
証人「障害を受ける」
11時59分、休廷。
午後1時15分再開。
有機リン中毒による筋肉の動きなどに関するやり取りが続く。松本被告の独り言は午前中より多い。一方、傍聴席では早くも居眠りが目につき始める。
弁護人「先生の指標は、縮瞳(しゅくどう)が見られたから有機リン中毒に結びついたと」
証人「そうです」
弁護人「有機リン中毒でないと起こらないの?」
証人「ほかの薬物もあり得る」
弁護人「縮瞳が根拠なら(有機リン中毒と)言い切れないのでは」
証人「他の所見もあり、有機リン中毒にした」
弁護人は、被害者の解剖所見についての疑問点を、細かく突いていく。
弁護人「解剖時の死後経過時間は、胃にあった食事から判断したのか」
証人「そうです」
弁護人「しかしこの人(被害者)は、入院してから食事は取っていない」
証人「おそらく胃腸は動いていなかったのでは」
弁護人「すると13日前(の事件発生時)に胃の機能が停止したということ? その後胃洗浄もしているのに、残るのか」
証人「すべては洗浄し切れないと思う」
弁護人「同じ車両に乗ってても、即死もいれば13日、24日、さらに1年近くという人もいる。どういうことに由来するのか」
証人「ガスを吸った程度、濃度差、本人の体力、治療までの時間」
弁護人が反対尋問を終えた。検察官が少し補充質問をして、支倉教授への尋問が終わる。2時42分、裁判長が休廷を告げる。
青山証人
3時3分、再開。教団の顧問弁護士だった青山被告が証言に立った。坂本弁護士一家事件前後の状況について、弁護側の反対尋問が始まった。
弁護人「事件後の(1989年)11月8日、坂本弁護士が所属する横浜法律事務所に行ったね」
白髪が増え、少し老け込んだようにも見える。だが声は大きく、口調もはっきりしている。
証人「10月31日に坂本先生と『また会いましょう』と約束したので、事務所に電話してから行った」
だが坂本弁護士はすでに行方不明になっており、事務所では同僚弁護士らが青山被告を待っていた。
証人「プルシャ(教団のバッジ)のことを聞かれた。坂本先生が行方不明になっていることも」
弁護人「プルシャの何を聞かれたの」
証人「どうやったらもらえるのか、とか。発行数も聞かれたかも。私は当時、一般信徒だったので、知っている範囲の話をした」
弁護人「行方不明と聞いてどう思ったか」
証人「びっくりしました」
弁護人「オウムがやったのではないか、という話は弁護士側から出たか」
証人「そういう趣旨の話は出ました」
弁護人「どう思った」
証人「私の体験からして、そんなことをするはずはないと思った」
弁護人「プルシャが落ちていて、オウムじゃないかということでしたよね」
証人「プルシャはたくさん出ていると聞いていたので、信者以外も入手可能じゃないかと。ある信者から『親に2個取られた』と聞いたことがある。坂本さんが持っていても不思議じゃないと思っていた」
弁護人「坂本弁護士との交渉に基本的なスタンスはあったか」
証人「子ども、信者の真剣な求道心を理解してほしいというのが大きかった。親にある誤解、不安を取り除いてもらうことはできないかと考えていました」
弁護人「10月31日から11月8日までの間、坂本弁護士と電話連絡は」
証人「ありません」
弁護人「10月31日に会った目的は? 主尋問ではDNAのイニシエーションを説明するためとなっているが」
証人「それがひとつのテーマです。それだけじゃなくて大阪から東京に出たので、会っておこうかという認識です」
松本被告が「むかむかするんだよ」、「上祐(史浩被告)は……。つまり正常な認識を持っていれば」などと大きな声で話す。「被告はしゃべっちゃだめですよ」と裁判長が注意し、ようやく黙る。
弁護人「(血のイニシエーションの)調査はだれがやりましたか」
証人「私は上祐さんがやったと認識しています。上祐さんが遠藤(誠一被告)さんから聞いたのか、伝聞かははっきりしないが、私としては上祐さんに調査を頼んだと」
弁護人「その件で坂本弁護士にそのような回答をしたのか」
証人「10月31日に上祐さんから説明してもらうと」
弁護人「京大の医学部は誤りで、医学部大学院生の遠藤が研究したと? 謝罪した?」
証人「表現が不適切と述べた」
松本被告がうつむきながら「これはオウム真理教では……」「長いことやってるとね。外側から見なきゃね」としゃべる。
弁護人「10月31日に横浜法律事務所に持っていったものは」
証人「体験談をたくさん見せた記憶がある」
弁護人「体験談から『立派な疫学的証明がある』とあなた方は言ったのか」
証人「体験している事実がある、と」
弁護人「坂本さんから疑問を指摘された点は」
証人「よくわからぬ、という趣旨だった。体験談も、宗教的な言葉は知っていても意味合いはわからぬようでした」
弁護人「わからずやだなと思わなかったか」
証人「拒絶反応は感じなかった。言葉も知っていたし」
弁護人「今後も話し合えると思ったのか」
証人「はい」
弁護人「DNAの説明で、上祐の同席した経緯は」
証人「私から。説明してほしいと」
弁護人「早川(紀代秀)被告も来ているが」
証人「自然についてくることになったと思う」
弁護人「2人の同行を坂本さんはどう言っていたか」
証人「電話で約束した時同行を言ってなかったので、意外そうな感じだったかもしれない」
弁護人「別れ際に何か言われたか」
証人「また会いましょう、会えてよかったと」
弁護人「どういう意味に感じたの」
証人「通常の社交儀礼でしょう」
弁護人「ドアのところで上祐さんと坂本さんの間でやり取りがあったでしょ。ある人はそれを険悪だったといい、別の人はそうでもなかったというが」
証人「険悪ではなかった。どちらかといえば軽いやり取りでした。ジョークというと言い過ぎだけど、それに近かった」
弁護人「この時の話し合いをあなたはどう評価していたの」
証人「お互いの言い分が、ある程度分かった。一つのステップになったと思った」
弁護人は、青山被告が89年6月か7月ごろ、最初に坂本弁護士に電話したときの印象を尋ねる。
証人「交渉窓口としてこれから話ができると思いました」
弁護人「その後、会うまでに電話したことは」
証人「覚えていないが、愛と愛情の違いについて手紙のやり取りをした」
4時27分、尋問する弁護人が交代した。
弁護人「信者が自分の信仰を示すのは何ですか」
証人「当時はプルシャとか、ほかにもあるし、人にもよる」
弁護人「プルシャは大事か」
証人「大事だと思う」
弁護人「どうして」
証人「オウムの書籍で紹介されているので私が言うより……」
弁護人「あなたから聞きたい」
証人「どう説明したらいいか、精神世界の話なので」
松本被告が、うす笑いを浮かべながら左後ろを向き、別の弁護人に話しかける。弁護人は苦々しい表情。
弁護人「検分調書を見ると、『事件後に事務所にプルシャが1個あった』とある。あなたは警察から、坂本事件の事情を聴かれたことはあるか」
証人「事件後、それほどたたぬ間に私の当時の行動記録を文書で出しました。B4で1〜2枚。当時再現できた記憶の範囲内で書いたものです。10月31日から11月3、4日ころまで」
弁護人「提出先は」
証人「磯子署と思う」
弁護人「捜査本部ですね。取り調べの時は見せられましたか」
証人「思い出せない」
弁護人「きょうはこの程度で」
青山被告が退廷。阿部裁判長は、来月12日の第65回公判から松本サリン事件の審理も開始し、サリン噴霧装置に関する警視庁捜査員の証人尋問を行うことを告げた。弁護団も同意し、5時1分閉廷。