松本智津夫被告 第67回、68回公判
1998/2/26-2/27
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(42)の第67、68回公判は26、27の両日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれた。26日は松本被告が発熱のため出廷できず、予定された元教団顧問弁護士、青山吉伸被告(37)らに対する証人尋問は延期された。また27日は地下鉄サリン事件について、犠牲者の遺体を解剖した法医学者への弁護側反対尋問が行われた。傍聴希望者は26日が135人、27日が115人だった。
<第67回公判>
裁 判 長:阿部 文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検 察 官:山本 信一(49)=東京地検公判部副部長ら5人
弁 護 人:渡辺 脩(64)=弁護団長
大崎 康博(64)=副弁護団長ら11人
26日午前10時3分、松本被告が不在のまま阿部裁判長が開廷を告げる。
裁判長「開廷いたしますけれども、被告人については、ここ数日来の発熱で今日の公判に出頭不可能ということで、本日の公判は延期します。明日の公判については、またその時に判断します。ということで今日はこれで終わります」
傍聴席がざわめく中、わずか1分で閉廷。松本被告の公判欠席は、初めてのことだっ
た。
閉廷後、会見した渡辺弁護団長らによると、松本被告は23日から39・8度の熱が出て、食事が取れない状態が続いていた。25日夜から熱はやや下がったが、拘置所の「強行すると肺炎になるかもしれない。押送できない」という判断に基づき、裁判所が「出廷しないのもやむを得ない」と認めた。点滴を受け、薬は服用しているが、レントゲン撮影と採血は拒否しているという。
<第68回公判>
裁 判 長:阿部 文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検 察 官:山本 信一(49)=東京地検公判部副部長ら4人
弁 護 人:渡辺 脩(64)=弁護団長
大崎 康博(64)=副弁護団長ら12人
被 告:松本智津夫(42)
検察側証人:石山 ●夫(67)=帝京大法医学教室教授
(●は「曰」の下に「立」)
27日午前10時、開廷。松本被告はほおがややこけた印象で、顔色は黒っぽく生気がない。ぐったりと被告人席に座る。
地下鉄サリン事件の犠牲者、伊藤愛さんの遺体を解剖した帝京大法医学教室の石山●夫(いくお)教授が証言に立つ。検察官が昨年10月の主尋問に関して一点確認した後、弁護側の反対尋問が始まった。(●は「曰」の下に「立」)
弁護人「これまで1200例の司法解剖をしたと聞いているが、有機リン中毒は?」
証人「1例もない」
弁護人「脳死の解剖は」
証人「多いです。年間3〜5例ぐらい。8年間で100例程度ありました」
弁護人「脳死後、1カ月たっての解剖は」
証人「10日までは知っていますが、1カ月後は初めてです」
弁護人「鑑定はどんな経緯で依頼があったのか」
証人「毎週月曜日が担当で、その前日に警視庁から『地下鉄サリン事件で亡くなった人がいるから解剖をお願いしたい』と話があった」
弁護人「たまたま月曜にあなたが担当だったから、解剖したのか」
証人「そうです」
弁護人「平成7(1995)年5月の意見書がありますが、これを鑑定書の前に作成した経緯は?」
証人「警視庁の鑑識課から『今、先生の方で分かっている所見を出して、サリンによるものか意見をいただきたい』と言われ、出しました」
石山証人はたびたび紙コップの水を口にする。松本被告は時折つぶやく程度。だるそうにため息もつく。
弁護人「意見書作成段階と鑑定書作成段階で、判断に違いはありますか」
証人「私は違いはないと思います」
専門的なやり取りが続く中、松本被告は右手で右目のあたりをこする。両手を組み、机の上にのせたかと思うと、また下ろす。目は閉じたままだ。
弁護人「本件では病理学的検査が重視されているので、もう少しくわしく聞きます。具体的には、遺体から一部を取って……」
証人「だから、ホルマリンで固定してカットするわけですよ。脳を丸ごと取り出して、ホルマリンで固定してから、1センチぐらいの厚さにカットして……」
弁護人がさらに細かな質問をする。松本被告は、大あくび。たまりかねた石山教授が弁護人の質問を遮り、不満をぶちまけた。
証人「それはあなたが病理学の本を1冊読んでからにしてください。私の教室に一度、おいでください。そうしたら、お話ししますよ。何をいったい、お知りになりたいのか。私もこうして来ていて、ストレスがたまるんですよ」
予備知識の乏しい弁護人の質問に対するいらだちを口にした。弁護人はたびたび「知識がないので分かりませんが」と前置きしながら質問していたが、石山教授にとっては耐え難いものとなったようだ。
裁判長「証人は教室で生徒に教えるように説明してください」
証人「分かりました」
それまで静まり返っていた法廷に笑いが起きた。裁判長は続いて弁護人に対しても「証人もポイントをついてと言っているように、質問を絞り込んで」と要望。傍聴席でも「同感」といった表情でうなずく姿が見られた。
弁護人「鑑定書は平成7(95)年12月22日付か」
証人「はい」
弁護人「5月から12月の鑑定書の作成までに時間がかかっているが」
証人「学問的な興味も加わった。聖路加病院の専門家に炎症の神経学的な所見を聞いたり、専門家に有機リンの後遺症はどの程度かなどを聞いた」
質問は鑑定の細かい事実関係に及ぶ。
弁護人「本件の遺体は、死後どのくらい?」
証人「非常に奇妙に思ったのは、どうして死後硬直がないのかと。何が起こったのかわからないから、組織学的解明をした。いわゆる筋肉の、筋繊維の変成とわかった」
弁護人「伊藤さんの直接の死因は、脳死状態で全身感染症を起こしたとある。脳死とはどういう?」
証人「私は脳幹部を含め全体が腐っている状態と考えています。脳死が個体の死かどうか、あなた方が一生懸命に考えていただかないと……。これは法学的概念で、医学的概念じゃないんです」
弁護人「脳死から個人の死となるのは?」
石山教授が身を乗り出し、語気を強める。「それは心臓が止まることです。常識じゃないですか。私は世の中の社会常識に従っていますよ」。突然の剣幕に弁護人がたじろぐ。 脳死と全身感染症の関係について、尋問が続く。
弁護人「脳死より肺炎が後かどうかは分からないのでは?」
証人「私は今までの経験に即し、合理的に説明できると信じております。もし私の所見に間違いがあるとおっしゃるなら、臨床的にデータを調べていただいて、それが分かれば私は自分自身の誤りはいつでも撤回いたします」
弁護人は「そうおっしゃられると困るのですが……」とつぶやき、しばらく質問が途切れる。
鑑定書の内容について、弁護人は「腎臓(じんぞう)は?」「肝臓はどういう状態で?」などと詳細に聴いていく。石山教授は、専門分野なだけに、詳しく説明する。
淡々と続く医学的やり取りから、地下鉄サリン事件の犠牲者が死に至る過程が再現されていく。
裁判長「それでは。申し訳ないけれども、午後も続けますから」
午後0時1分、休廷。
1時18分、再開。
弁護人「せき髄と末しょう神経の関係がどうなっているのかを、図を描いて説明していただけますか」
白い紙が渡される。証人は手慣れた様子で図を書き終えた。
「せき髄神経節の役割は?」「軸索というのは?」。弁護人は質問を重ね、再度証人に図を描かせる。まるで生物学の講義のような雰囲気が、廷内に漂う。
弁護人は鑑定書の写真を示しながら、尋ねる。
弁護人「この部分がどのように」
証人「『鉛筆のしん壊死(えし)』。ここの組織が破壊されているということです」
弁護人「鉛筆のしん壊死というのは?」
証人「せき髄を鉛筆に見立て、しんの部分に相当するところが破壊されている」
弁護人「脳死の場合はどうか」
証人「脳死なら通常せき髄はやられない。鉛筆のしん壊死は脳死の破壊がせき髄にまで至ったということで、非常に重篤な脳死です。心臓が30分止まって蘇生した場合に起きます」
専門用語の質問が続く。うつむいていた松本被告は目をつぶったまま、天井を仰ぐようにし、また、元の姿勢に戻った。傍聴席にはそのささいな動きも見逃すまいと、身を乗り出して見つめる女性もいる。
弁護人「染色の方法が多少、不十分であった可能性は?」
証人「私を信用できないのなら標本でもなんでも貸しますよ。あなたが信頼する病理学者でもなんでも見てもらったらいいじゃないですか」
証人のけんまくに裁判長が「もういいんじゃないの」ととりなす。
時間がたつに従って傍聴席でも居眠りをする人が増えてくる。午前中は食い入るように松本被告を見つめていた若者たちも、目を閉じている。松本被告も首を前に落としてうなだれ、一言も発しない。一方、証人席では、延々と「講義」が続く。
弁護人「軸索も異常になっているのですね。異常な場所を写真で示してください」
証人は赤いボールペンで「×」印をつける。「この軸索は一般的にわれわれが見るのとは異なってますね。全部ぼんやりしてる」
弁護人「写真20のこの部分はなんと言いますか」
証人「神経繊維ではないでしょうか」
弁護人「そこが崩壊していると」
証人「そうです」
石山教授は右手に赤ボールペンを持ち、リズムを取るように上下させた。
松本被告は少し伸びをするように上を向いたが、再びうつむく。弁護人と証人のやり取りに耳を傾けている様子はうかがえない。
弁護人「写真28なんですが、これは非常に不鮮明ですが……。染色の仕方がおかしいんじゃないの」
証人「そんなことございません」
裁判長が顔を上げ、3時1分、休廷を告げる。
3時23分、再開。
弁護人「神経繊維は太すぎるという人もいるが」
証人「そんなことはない!」。石山教授のいらだった声が響いた。「そんなのは個人的な見解でしょう!」。長時間の尋問に耐えかねたのか、金色の腕時計を両手でもてあそんでいる。
弁護人「写真30では軸索が整然と並んでいないのが問題なのか」
証人「そうです」
弁護人「『整然と』といわれるがどういう?」
証人「それは、あなたの知り合いの組織学の先生のところに行って、見せてもらって下さい」
石山教授は突き放すように言った。弁護人もいらだちを隠さない。「どういうことですか。そういった時間はないし、ここで証言できないということですか」
証人「だから、あなたが解剖学の先生のところに行くか、本を読めばいいじゃないかっ」
石山教授は怒鳴り声を上げた。裁判長が割って入った。「簡単に説明できませんか」「普通の場合はどうなんですか」
証人「管があって、その中に針金のようなものが整然と並んでいる。しかし写真の場合は整然性はないし、はっきりもしていない」
裁判長「弁護人、どうですか」
弁護人は眉間(みけん)にしわを寄せたまま、石山教授をにらみつけた。
弁護人「証人の知識は大学院時代のものでは。今では方法がだいぶ進んでいるのでは」 証人「この方法が正確で、今でも使われている」
弁護人「別の染色方法でなければならないのではないか」
証人「それは間違いですっ」
弁護人は次の質問に移った。
石山教授が細胞の染色状況について説明をしている間、松本被告はいすから崩れ落ちそうな格好で居眠りを続ける。
弁護人「34、35と36は部位が違う?」
証人「違います。委縮があることと収縮は違いますよ」
弁護人「どういうことなんですか」
証人「委縮は筋肉の細胞が小さくなる。収縮は筋肉自身が小さくなる。それは中学から高等学校の本をお読みください」
傍聴席から失笑が漏れる。
「写真37で、これは食道ですが」。弁護人が陳述席に近づいた。
証人「桃色の部分が出てますよね」。検察官も歩み寄り、写真をのぞき込む。
弁護人「これはどういったもの?」
証人「筋肉自身の収縮があったため筋肉細胞が寄り集まっている」
弁護人「これが過収縮?」
証人「そうです」
弁護人「原因は?」
証人「ショックです」
弁護人「いつ?」
証人「死ぬ直前だろうと思います」
弁護人「(95年)4月16日に亡くなった直前ということですね」
証人「そうです」
弁護人「鑑定書では、神経系統に作用する化学物質について6種類に大別していますね」
証人「本に書いてありましたから。鑑定書に文献として書いてあるとおり」
弁護人は目を閉じ、しばらく考え込む。「すると、そうした文献は症例に基づいて書いてある?」
証人「いや、これは教科書ですから」
弁護人「教科書ですか」
証人「そうです」
あまりにも明快な回答に、質問の余地がない。
松本被告は熟睡してしまったのか、体が左に大きく傾いている。そしてとうとう左に倒れかけ、びくんとはね上がるように起きた。左手であごひげをごしごしとこすりつけた。 弁護人が「きりがいいので次回に」。
裁判長が「どれくらいかかりますか」と尋ねると、弁護人は「あと3時間ほど」。
4時56分、閉廷。
閉廷後、渡辺弁護団長らが会見して、松本被告は27日朝、みそ汁と卵を食べ、昼休
みに診察した際は熱も36・6度に下がっていたことを明らかにした。