林郁夫被告に対する論告求刑
無期懲役
1998/3/2
(毎日新聞より)


第一事実関係 =略

第二 情状関係 一 本件各事件の犯情及びこれに関与した被告人の情状

 被告人に関する公訴事実は、前記合計6件であるところ、これら犯行の結果は、人的被害だけでも、殺人既遂の被害者が合計12名、殺人未遂の被害者が訴因掲記の者だけでも重篤者2名を含めて合計14名、殺人と同等に評価できる逮捕監禁致死の被害者が1名、監禁の被害者が合計2名の多数に及んでおり、その結果は誠に重大であり、各事件における犯行の動機・態様等も含め、犯情悪質であって、これらに深く関与した被告人の刑事責任は極めて重い。
 以下、本件各事件の犯情及び被告人の情状を、順次検討することにする。

 1 地下鉄サリン殺人等事件について
 (一)本件は化学兵器である猛毒のサリンを使用した無差別大量殺りくテロ事件であり、サリンを殺人の凶器として使った点と発生した結果の重大性という点から見て、極めて残虐非道かつ極悪・卑劣な犯行である。
 本件は、被告人らが、平日で通勤客等の利用者が最も多い、いわゆる朝のラッシュアワーの時間帯を狙い、都心を走行中のいわば密閉状態に置かれた地下鉄3路線の五つの地下鉄列車内において、極めて強力な殺傷力を有する猛毒のサリンを撒いて、その結果、地下鉄列車の乗客等合計12名を殺害し、2名に全治不明の傷害を負わせるとともに、その他多数の一般市民に傷害を負わせ、首都東京の地下鉄列車の運行を完全に麻痺させたという事案であるところ、被害者らはいずれも教団の者以外誰も我が国で使用したことのないサリンによって殺傷されたものであって、その被害は甚大で、犯行に使用したサリンの猛毒性は想像を超えるものがある。
 その犯行は、サリンを使用した極めて残虐非道かつ極悪・卑劣な無差別大量殺りくテロであって、国民全体を震撼させ、国民の記憶から決して消えることのない我が国犯罪史上、例を見ない凶悪事件である。
 (二)本件犯行の動機・目的は、教団に対する警察の強制捜査を阻止するため、首都中心部を大混乱に陥れるというものであり、断じて容認し得ないものであるところ、被告人の本件犯行加担への意思決定も、条理を踏みにじる身勝手極まるものであって、言語道断である。
 本件犯行の動機・目的に対する警察の強制捜査を阻止するために、首都中心部を大混乱に陥れるということにあったところ、そもそも、教団に対する強制捜査を阻止するため、サリンを首都の地下鉄列車内に撒いて無関係な多数の乗客等に対する無差別大量殺戮テロを敢行するとの発想自体が、教団の存続及び松本の保身のためには手段を選ばず、他人の犠牲を全く意に介さない独善的、自己中心的な身勝手極まるものであって、およそ、いかなる思想・理念によっても絶対に正当化されない発想と言うしかなく、松本に連なる被告人らの本件犯行の動機・目的は、人の生命の尊厳を一顧だにしない無慈悲かつ冷酷・残忍なものであって、断じて許すことができない。
 ところで、被告人は、本件を敢行するに当たり、それは真理を実践する教団に対する国家権力からの防衛のためであり、かつ、最終解脱者である松本の意思によるポアである以上、殺害される者は、死後、同人によって魂を高い世界に転生されるとのタントラヴァジラヤーナの教義に基づく救済活動の一環であるという思いを持って、犯行に加担した旨強調している。
 なるほど、被告人は、松本の教義を信奉する古くからの教団信徒で、教団独特のステージ制度においても菩師長という高いステージを有する教団幹部として、94年6月の、いわゆる省庁制発足以降、治療省大臣の地位にあった者であり、その意味で、一般社会と半ば隔離された教団内において、その教義に埋没し、一般社会とは異なる判断基準・行動基準を身につけていたことは、あながち否定できないところである。しかしながら、人に危害を加えてはならない、人を殺してはならないとの道徳律は、政治、宗教、哲学、人権、文化の違いを超えた人類普遍の最も基本的な道徳律であり、人のすべての判断・行動を律する根元的な基準であって、これに優先する思想や理念などはあるはずがない。しかも、被告人は、その経歴に照らすと、かかる道徳律を十分身につけ得る環境で生まれ育ち、医師として社会生活をしていた者である上、そもそも、被告人は、世上の既存宗教に飽き足らず、仏教による悟り、解脱、そして世上の民の救済のために教団に入信・出家したものであって、その意味では、誰よりも人命の尊さを理解していたはずである。
 なお、被告人は、本件犯行に参画することを拒否できなかった理由の一つとして、松本に対する恐怖、すなわち、拒否した場合の自己及び共に出家した妻子の生命の危険等をも挙げているが、仮に、被告人に、そうした恐怖が生じたことがあったとしても、それまでの間に、被告人は、松本から、生命の危険を暗示ないし告知されたことはなく、また、本件に際しても、村井から拒否した場合の制裁を暗示ないし告知されたことがなかったのであるから、被告人のいう恐怖は、あくまでも漠然としたものでしかなかったはずである。そもそも、被告人は松本に帰依し、同人の唱えるタントラヴァジラヤーナの教義に基づく救済活動の一環として本件犯行に加担したというのであるから、松本に対する恐怖を理由として、本件犯行への参画を拒否できなかったとするのは、いかにも不条理で筋違いである。被告人としては、それまで連綿として続いていた教団の各種違法行為等に深く関与し、教団の実態を知っていたからこそ漠然たる恐怖を感じながらも、教義を信奉することにより、本件犯行に加担することになったものであって、この点をいささかなりとも被告人に有利に斟酌すべき余地はない。
 さらに、被告人及び弁護人は、被告人が、実行者5名の内の1名に指名されたことにつき、「松本は、93年12月の、他の宗教団体幹部に対する殺人未遂事件の際、不本意ながら、被告人に教団のサリン生成を知られたため、その後、口封じの意味もあって、被告人を教団による種々の違法行為に関与させていたところ、本件直前の95年3月16日ころ、いわゆる仮谷逮捕監禁致死事件に絡み、被告人が教団世田谷支部の信徒にニューナルコを実施し、その結果を松本に報告した際、『坂本事件のときはうまくいったんだがな』と、同人が自ら坂本弁護士一家殺害事件に関与していたことを示唆する言葉を不用意に発してしまったため、被告人を更に口封じする必要が生じ、被告人を地下鉄サリン事件に加担させることにしたものである」旨を強調し、被告人が本件に関与するに至ったのは、松本が被告人を本件犯行に組み入れるに当たり、その動機の中に、他の共犯者の場合とは異なる特別の理由があったものとして、被告人を、いわば、事件に巻き込まれた教団内の犠牲者とみるべきであるかのような主張をしているので、この点につき、付言する。
 もとより、松本が本件について口をつぐんでいる現状においては、同人がいかなる思惑から被告人を実行者に指名したのかを明らかにする方途はないが、かねてから松本の指示・命令に唯々諾々と従って教団による種々の違法行為等に関与し、本件直前には、仮谷逮捕監禁致死事件にも関与するに及んでいた被告人に対し、松本が坂本弁護士一家殺害事件のことを不用意に漏らしたからといって、その口封じをするために、松本が被告人を本件の実行者にしたとは考え難い。むしろ、松本としては、新実、土谷、中川ら教団内でサリン中毒に罹った教団幹部の治療経験・治療実績を有する医師の被告人を、他の実行者らがサリン中毒に罹った場合のことを慮って、実行メンバーに加えたものと推論する方がより自然である。
 (三) 本件は、松本の指示・命令に基づいた教団幹部らによる組織的かつ計画的犯行であり、犯行の態様も悪質で、これに加担した被告人の刑責は重大である。
 本件においては、教団教祖である松本が、首都東京の地下鉄列車内でサリンを撒くこと及びサリンを生成することを決めた上、実行者五名及び運転者5名を選定するなどして、本件の基本計画を決定し、、松本の側近中の側近で、科学技術省大臣である村井が、松本から本件の総指揮を命じられ、遠藤らにサリン生成を指示し、かつ、実行者らに個々具体的な指示をするなど、本件は、教団教祖である松本の下で、一糸乱れず一丸となって敢行された無差別大量殺戮テロであることが、一目瞭然であって、典型的な組織的、計画犯行と認められる。
 しかも、松本がサリンによる地下鉄の乗客等の無差別大量殺戮テロの決行を決意したのが95年3月18日未明であり、本件を実行したのが20日午前8時ころであって、所要準備期間はわずか2日しかなかったこと、松本が犯行を決意した段階では、犯行に用いるサリン自体が存在していなかったにもかかわらず、遠藤、中川、土谷らが一丸となって必死に作業した結果、サリンが生成されたこと、上九一色村の教団施設、杉並アジト及び渋谷アジトでの謀議と地下鉄乗降車駅等の入念な下見並びに犯行の予行演習等の着々とした積み重ねによって犯行計画を完遂させたこと等の数々の証拠上明白な事実から、本件が短期間内に用意周到な準備がなされた組織的、計画的犯行であることについては、これまた疑問の余地がない。
 さらに、本件各路線における被告人ら実行者の犯行の態様をみると、いずれも、乗客に怪しまれないように新聞紙でサリン入りナイロン袋を隠した点、あらかじめ決定されていた車両に乗車し、午前8時ころ全員一斉に実行した点、多数の乗客がいるのに、車両床上に置いたサリン入りナイロン袋を所携のビニール傘の先端で多数回突き刺している点、地下鉄列車が降車予定駅に到着する直前か到着と同時にサリンを撤いて、乗降用ドアが開かれるや、直ちにその場から逃走して運転者が待機している待ち合わせ場所に向かって落ちあっている点等において、本件犯行が、事前の計画と寸分違わず実行されていることが明らかであって、極めて悪質である。また、このような犯行の態様から見ると、本件は、サリンを用いた無差別大量殺戮テロに向けて謀議を重ねた実行者らにおいて、教団の指揮命令系統に従い、それぞれの分担・役割を着実に、かつ、忠実に遂行することにより、実現可能となった事件ということができ、正に教団の組織ぐるみの計画的犯行と断じて差し支えない。
 そして、このような教団ぐるみの組織的かつ計画的な犯行において、他の4名の実行者と共に、朝の通勤ラッシュ時間帯で混雑している地下鉄千代田線列車内に、サリンを撤くという実行行為を敢行し、本件無差別大量殺戮テロの欠くべからざる一翼を担った被告人の刑事責任は、極めて重大である。
 まず、本件は、被告人ら5名の実行者が、同一時間帯に、かつ、一斉に、すなわち、同時多発的に霞ケ関駅に向かう地下鉄列車内にサリンを撤いて乗客等多数を殺戮することによって、首都を大混乱に陥れ、警察の教団に対する強制捜査を阻止しようと図った事犯であり、その意味で、被告人らの各犯行は、互いに同時多発テロ遂行における必要欠くべからざる重要な分担行為であって、被告人は、こうした同時多発テロ実現の重要な一翼を担ったものにほかならない。
 そして、本件における被告人の役割は、実行者の1人して地下鉄千代田線列車内にナイロン袋2袋のうちの1袋のサリン約600ミリリットルを撤いたにとどまらず、より積極的態様で犯行に関与しており、犯情は、より悪質である。すなわち、被告人は、本件において、まず、95年3月18日午後3時過ぎころ、地下鉄列車内でサリンを撤く方法について、林及び井上から相談を受けた際、実際には採用されなかったものの「ポケットにサリンを入れた柔らかい容器を入れ、これとつないだチューブをズボンの中を通して足下まで垂らし、容器を握り潰してサリンを流す」という方法を提案したほか、19日午後7時ころ、他の実行者及び運転者らと合流するため、上九一色村の教団施設を出発した際、実行者らがサリン中毒に罹った場合に備え、サリンの治療薬である硫酸アトロピン、パムや生理食塩水、ブドウ糖等の薬液及び点滴ライン、気管挿管用チューブ、スタイレット、咽頭鏡、アンビューバッグ、バイトブロック等の治療器具を準備して持参した上、同日深夜、渋谷アジトから、新実、広瀬及び北村と地下鉄乗降車駅等の下見に行った帰り、同人らがサリン中毒に罹った場合の治療先として教団附属医院を教えて同病院までの道案内をし、20日午前6時前後ころ、実行者及び運転者が渋谷アジトを出発するに際しては、他の実行者4名に対して硫酸アトロピン2アンプル分(2ミリリットル)を注入した注射器1本を渡してサリン中毒に罹った場合に筋肉注射をするよう指示を与え、さらには、本件犯行後、渋谷アジトに再結集した実行者及び運転者中、サリン中毒に罹っていた林、横山、広瀬、北村らの治療を行ったのであって、これら諸事実は、被告人が、本件犯行に、より積極的に関与したことを裏付けるものである。
 本件犯行は、かかる性質を有するサリンを入れたナイロン袋を地下鉄列車床上に置き、実行者が傘の先端でナイロン袋を突き破ってサリンを撒くというものであり、実行者自らがサリン中毒に罹る危険性が多分にあったため、村井は、犯行当日の未明、第7サティアンに集めた実行者5名に対し、わざわざ、実行後、直ちに地下鉄列車内から逃走すること、持ち帰る傘の先端部分を水で洗い流すこと等、実行者らがサリン中毒に罹らないように事細かな注意をするとともに、遠藤に命じてサリンの予防薬であるメスチノン錠を1錠ずつ実行者に渡し、遠藤において、実行2時間前の服用を指示しているのであるが、他の実行者及び運転者らにとっては、いかにサリン中毒に罹らないようにするか、また、サリン中毒に罹った場合、いかに速やかに治療を受けられるかは重大な関心事であり、熟練の医師である被告人が実行者として加わっていること自体、他の実行者らにとっては心強いものであった上、実際に、被告人から、サリン中毒に罹った場合に教団附属医院で治療するように指示されたり、犯行出発直前、サリン中毒の治療薬を渡されるなどしたことによって、実行者及び運転者らが、サリン中毒に対する危惧の念を払拭できたことは明らかであり、被告人のかかる所為は、正に、本件の遂行を支えたものと言うべきである。
 被告人は、長らく患者の治療と救命に当たっていた心臓外科医であって、第一線の医療現場において、日常的に、人の生への執着や愛する者を失った肉親の嘆き、悲しみを目の当たりにし、人の命がいかに尊厳で崇高なものであり、何ものにも代え難いものであることを誰よりも知り尽くしていたにもかかわらず、しかも、サリンの性状や猛毒性を十分に認識していたにもかかわらず、村井から、サリンを用いた本件無差別大量殺戮テロ計画を持ちかけられ際、サリンを撒くことによって生じる凄惨な結果を予測しながら、これを松本の教義に基づくものとして無原則に受け入れ、本件犯行に加担してこれを実行したのである。そこには、人の命を救うべき医師としての高い職業倫理は微塵も認めることができず、それ故にこそ、被告人には、ほかの誰にも増して激しい非難が加えられて然るべきである。
 (四) 本件犯行の結果は、誠に重大であるとともに、悲惨極まるものであり、その重大さ、凄惨さは、言葉を尽くして到底語り切れない、我が国犯罪史上、類例を見ない最も凶悪のものであって、被害者の苦しみは筆舌に尽くし難い。
 我が国において、その規模においても程度においても、本件のごとき最悪の結果を発生させた事件はかつてなく、その意味で、本件は、我が国犯罪史上、類例を見ない最も悪質な事件であると言わざるを得ない上、猛毒物質であるサリンを大量に発散させての無差別大量殺戮テロ事件は、本件の約9カ月前、同じく松本らによって敢行された、いわゆる松本サリン殺人等事件を除けば、我が国のみならず、国外においても他に例がなく、世界的に見ても、本件は最も凶悪な犯罪である。
 本件各被害者は、いずれも、通勤のため地下鉄列車に乗車するなどしていたごく普通の一般市民であって、突如として本件被害に遭遇するまでの間、一度たりとも、教団を糾弾したり、教団に敵対したりしたことはなく、教団とは縁もゆかりもない、そして、当然のことながら、教団からサリンによる攻撃を受けるいわれは毫もなかった人々である。
 しかも、全く予測できない時間と場所において、教団と全く無関係な人々を殺害の対象とした無差別テロそのものであり、被害者らの苦しみは筆舌に尽くし難い。
 (五)本件が我が国のみならず、世界各国に与えた衝撃は極めて大きく、社会的影響は甚大である。
 これまで、国際的にも治安良好とされていた我が国内において、公共輸送機関である地下鉄列車内に、それまで名称すら公知のものでなかった猛毒のサリンが大量に撤かれるなどという事態は、誰1人として全く予想しなかったところ、本件の発生により、その惨状を目の当たりにした一般市民に対しては、何時、いかなる場所において、どのような形で無差別テロに巻き込まれるか分からないという恒常的な恐怖を植え付け、我が国の治安全般に対して払拭し難い不安・危惧を与えており、本件のもたらした社会的悪影響は、計り知れないものがある。
 しかも、本件は、我が国のみにとどまらず、かねてから様々なテロ対策に苦慮している世界各国にも大きな驚きと衝撃を与え、テロに対する不安と恐怖を一層募らさせることとなって、その影響は全世界に及んでいる。
 また、我が国の首都中心部で、白昼堂々、化学兵器である猛毒のサリンが使用されるという世界的にも前例のない無差別大量殺戮テロが敢行された結果、本件は、諸外国に対し、我が国の治安・テロ対策に関する不安・不信を増大させるに至ったほか、我が国の国際的信用をも著しく失墜させており、その悪影響は甚大である。
 2 仮谷に対する逮捕監禁致死事件について=略
 3 Hに対する監禁事件について=略
 4 犯人蔵匿・同隠避事件について=略
 5 元信者に対する監禁事件について=略
 6 薬事法違反事件について=略

 二 教団幹部として教団の違法行為に関与した被告人の情状
 被告人は、教団に入信して出家して以来、それまで培ってきた正常な倫理観・道徳観を投げ捨て、教団教祖であった松本の唱える目的達成のためには違法行為あまつさえ殺人行為すら容認する特異かつ独善的な教義を信奉し、本来、人を助けるべき医師としての知識・技術を悪用して次々に教団の各種違法行為に関与したものであって、かかる被告人の関与の実態等には看過できないものがあり、この点でも被告人の刑事責任は、重大である。
 被告人は、東京都荏原区(現在の品川区)において出生し、71年3月に慶応義塾大学医学部を卒業して、同年、医師の国家試験に合格した後、外科医及び心臓外科医として同大学病院、済生会宇都宮病院、アメリカ合衆国デトロイト市のサイナイ病院、国立療養所晴嵐荘病院等に勤務し、80年7月に婚姻し、2児をもうけたが、医師として患者の死と対面する中で医学の限界を感じるようになり、仏教関係の書籍を読みあさっているうちに阿含宗に入信するなどし、その後89年ころ、松本の著書「超能力秘密の開発法」等を読んだのを契機として、同人が、各種著書で、他の宗教書には書かれていない解脱に至るための具体的方法を示していることにひかれ、同人と会って、成就者としての同人の能力には嘘がなく、信徒に対する実践的な修行システムも画期的なものと感じたことから、89年2月ころ、同人の主催する宗教法人化前のオウム真理教に入信し、さらに、90年5月ころ、教団の出家修行者となった。
 被告人は、93年12月ころ、松本らが、他の宗教団体幹部の殺害を企てた際、誤ってサリン中毒に罹った新実を治療したことを契機として、松本がかねて敵視していた人物の殺害を謀ったことや教団が猛毒のサリンを保有していることなどを知り、松本を頂点とする教団が殺人すら厭わない集団であることを認識するに至ったが、これを容認して受け入れたばかりか、以後、94年1月ころから95年1月ころまでの間、布施強要目的での老齢信徒2名の拉致、保田英明拉致未遂、診療報酬不正請求、薬物を用いたナルコの実施、違法薬物を使用したイニシエーションへの参画、滝本太郎弁護士に対するボツリヌス菌投与、教団分裂騒動時の大量ニューナルコの実施等々、様々な違法行為に次々と関与して、それぞれ中心的役割を果たしてきた。
 すなわち、布施強要目的で拉致した老齢信徒2名は、もともと被告人が治療していた患者であり、医師である被告人に対して全幅の信頼を寄せていたものであるところ、被告人は、卑劣にも自己に対する信頼を逆手にとって拉致したものであり、保田拉致の件は、薬物を使うつもりであったものの拉致に失敗したものであり、また診療報酬不正請求は、医師としての職業倫理を逸脱し、教団のためならいかなる手段も辞さないとして敢行した不正かつ卓劣な行為をしたものであり、ナルコの実施は、薬物を用いて人を半覚せい状態にした上で供述を強要するという医療行為とは無縁の非人道的行為を行ったものであり、ニューナルコの実施は、麻酔薬を施用した上で、電気ショックを与えて人の記憶を消去するというショッキングでおぞましい非人道的行為を行ったものであり、滝本弁護士に対する件は、ボツリヌス菌を投与したが失敗に終わったものであり、さらに、イニシエーションへの参画というのは、教団信徒らに対して違法薬物である覚せい剤やLSDを使用した際、これを是認して、その後の健康状態の管理に関与したものであって、いずれも許し難い誠に悪質な事犯であるところ、被告人はこれら事件にすべて関与し、医師として身につけた医療知識や医療技術を悪用して中心的役割を果たしており、このことは、被告人が患者を治療し、これを助けるべき医師であっただけに、なお一層、強い憤りの念を持たざるを得ない。
 のみならず、被告人は、右のような違法行為等に深く関与する一方、94年5月上旬ころ、ジーヴァカ棟で遠藤から赤痢菌、ボツリヌス菌の培養株等を見せられたり、井上からアメリカへのサリン密輸計画を聞かされたりしたほか、95年1月に入ってからは、松本から教団における自動小銃の密造を告げられ、さらに、中川から第7サティアンのサリンプラントに案内されて、サリン70トンの生成計画を打ち明けられるなどし、教団が、いわゆる武装化を進めつつある実態の一部を十分認識するに至りながらも、これら一連の動きを、松本特有の前記教義に基づくものとして無原則に受け入れてきたものであって、こうした被告人の姿勢そのものが、教団の違法行為に関与した挙げ句、本件各犯行に至らせたものとして、厳しく問われなければならない。

 三 被告人の刑事責任について
 被告人が敢行した本件各犯行における犯行の罪質、犯行の動機、結果の重大性、死亡した被害者の遺族・重篤者等の被害感情、社会的影響に加え、被告人が本件各犯行以外にも直接・間接に関与してきた教団による各種違法行為等の諸般の情状を併せ考慮するとき、その罪責は重大であって、被告人に対しては、極刑をもって臨む以外にあり得ないのではないかと思料される。
 しかしながら、死刑を求刑するには、その選択は慎重の上にも慎重を期し、熟慮の上決定されなければならず、罪刑均衡の見地及び一般予防の見地から極刑もやむを得ないと認められる場合に、死刑をもって臨むべきものと思料されるので、以下、この点について更に検討する。

 【死刑選択に関する一般的基準と同基準に準拠する被告人の罪責】
 いわゆる、永山判決は、死刑制度の合憲性を認め、その存続の必要性を承認した従前の最高裁判所の判例を踏まえつつ、「死刑制度を存置する現行法制の下では、犯罪の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考慮したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものと言わなければならない」と判示し、死刊選択の判断上重要な量刑要素及び判断方法を明らかにした一般的基準を示したが、この基準は、以後の累次の最高裁判所判決の具体的事件への適用を通じてその内容が敷えん・明確化されてきている。
 すなわち、永山判決以後の一連の判決の判示するところによれば、その罪質が凶悪重大であることに加え、動機において酌量の余地がないこと、計画的な犯行であること、犯行態様が冷酷、執よう、残忍などといった悪逆無道なものであること、結果が重大であること、遺族の被害感情が深刻であり、社会的影響も無視ないし軽視できないことなど、いわば犯罪行為とその結果又はそれと直接関連する量刑要素が極めて悪質な場合には、反省悔悟や改善更生の可能性といった犯行後の被告人の主観的事情において被告人のために酌むべき要素があったとしても、他にその刑を減軽すべき特段の事由が認められない以上、死刑を適用しているという点で共通している。このことは、永山判決以後の判例の積み重ねを通じて、永山判決の示した一般的基準がその内容において、罪刑の均衡、一般予防の両見地から死刑を選択するに当たり、犯罪のもたらした結果や影響を含め犯罪行為自体の客観的な悪質性に主眼を置くべきであり、被告人が反省していること、人間性の片鱗をうかがうことができることや改善更生の可能性の存することといった事後の主観的・個別的な事情はさほど重視すべきでないという形で敷えん・明確化され、裁判上の指針として定着していることを示しているものと言える。
 右の一般的基準を念頭に置いて、被告人の罪責について検討すると、被告人の本件各犯行は、いずれも、教団教祖である松本の唱える目的達成のためには殺人行為すら容認する特異かつ独善的な教義を背景にして敢行された極めて悪質、重大な組織的犯行であること、そして、特に、被告人に対する刑の量定上、最も重視されるべき地下鉄サリン殺人等事件は、化学兵器である猛毒のサリンを使用した無差別大量殺戮テロ事件であって、罪質は極めて凶悪、重大の一語に尽きること、犯行の動機は、首都中心部を大混乱に陥れて教団に対する警察の強制捜査の実施を阻止するというものであって、一片の酌量の余地もないこと、犯行の態様は、本件が松本の指示・命令に基づき、入念な謀議、準備を重ねた末に敢行された極めて組織的かつ計画的な犯行であるところ、いわゆる朝の通勤ラッシュの時間帯を狙い、都心を走行中のいわば密閉状態に置かれた地下鉄3路線の五つの地下鉄列車内において、一斉にサリンを撒いたというものであって、正に、冷酷、残忍で非道極まるものであること、犯行の結果は、合計12名をサリン中毒等により殺害するとともに、訴因記載の重篤者2名及びその他の受傷者12名を含め合計約3800名にものぼる多数の一般市民等にサリン中毒の傷害を負わせた上、首都の地下鉄の運行を完全に麻痺させた極めて重大なものであること、しかも被告人は、実行行為を担当し、自ら撒いたサリンによって直接的に2名を殺害していること、死亡者の各遺族及び受傷した被害者らの被害感情は癒されていないこと、本件が我が国のみならず、世界各国に与えた衝撃は極めて大きく、我が国の治安に対する信頼が揺いだ影響は計り知れないことなどの事情が明らかであり、これら犯行の罪質、動機、態様、結果の重大性、遺族の被害感情、社会的悪影響といった、いわば犯罪行為とその結果又はそれと直接関連する量刑要素を考慮すれば、被告人の罪責は誠に重大であり、その上、仮谷逮捕監禁致死事件等にも加担した責任を考慮すれば、特段の事情がない限り、被告人に対しては、正しく極刑をもって臨むほかないと言うべきである。
 【本件において被告人に認められる特段の事情】
 しかしながら、被告人の罪責が誠に重大であるとしても、被告人には次のような特段の事情が認められ、これら諸事情は軽視することができない。
 地下鉄サリン殺人等事件は、被告人の自首によって真相の究明がなされ、その全容解明等に果たした被告人の役割は大きい。
 被告人には、地下鉄サリン殺人等事件につき、自首が成立する。
 被告人は、仮谷逮捕監禁致死事件の犯人である松本剛を匿って逃走させていた状況下の95年4月8日、石川県内で、占有離脱物横領罪により通常逮捕されたが、既に、Hに対する監禁罪による逮捕状が発付されていたため、同日、右占有離脱物横領罪について釈放された後、監禁罪で通常逮捕された。その後被告人は、28日、同監禁罪で起訴され、さらに松本剛に係る犯人蔵匿・同隠避罪で通常逮捕された。
 被告人は、右監禁事件で勾留されて取調べを受けている間、接見に来た青山から、数回にわたり、松本が黙秘するように指示している旨を告げられたため、教団や信徒のために正しいと信じて行ったことについて黙秘しろという松本の意思に疑問を抱いたが、教義への信奉も断ち難く、松本の指示に反してまで真実を話すべきか否か懊悩し、右犯人蔵匿等事件で逮捕・勾留された後も葛藤を続けていた。そして、被告人は、自分の気持ちを家族に書き残して自殺したいという衝動にかられたが、そのとき初めて、自分と違って家族に別れの言葉すら言えずに亡くなった被害者のことに思い至り、その無念さがひしひしと腕に迫ってきて、それまでは松本の救済活動の一環として、殺される人にとっても慈悲であると思っていたものが、実際には果てしない悲しみを広げていたことに気が付き、結局のところ松本には宗教性が備わっておらず、その教義は間違っていたものとの結論に達した。そこで、被告人は、同年5月6日深夜、松本と教団から離脱した上、地下鉄サリン事件の被害者、特に死亡した被害者の遺族らに心から謝罪するためには、真実を吐露しなければならないという悔悟の念をもって、同事件について自供しようと決意し、取調べに当たっていた警視庁の警察官から留置場へ戻るように告げられた際、取調室において、同警察官に対し、姿勢を正して、「サリンを撒きました。」「私がサリンを撒きました。」などと述べ、自己が地下鉄サリン殺人等事件の実行犯の1人であることを自発的に申告し、翌7日、同事件の概要及び共犯者らの氏名等を詳細に供述した。
 被告人が、かかる申告及び供述をした6日の時点では、同事件の捜査に当たっていた警視庁等捜査機関において、被告人が地下鉄サリン殺人等事件の犯人であることを把握していなかったばかりか、同事件の早期解決を求める国民の願いにもかかわらず、目立った捜査上の進展もなく推移しており、この時期の被告人の右申告及び供述は、正に刑法所定の「自首」に該当し、これにより、共犯者らの逮捕状請求を含め、同事件の捜査が急展開することとなったことは明らかであり、被告人の自首が、同事件の解決に大いに寄与したことは紛れもない事実なので、この点は、正当に評価する必要がある。
 被告人は、捜査段階のみならず、公判段階においても、一貫してすべての犯行を認めており、改悛の情が顕著というにとどまらず、本件の全容解明及び迅速な裁判の実現に真摯かつ積極的に寄与・貢献している。
 被告人は捜査段階において、本件各犯行につき、記憶にある限り、すべてを詳細に自白した上、第1回公判から第4回公判までに、いずれの公訴事実についてもすべてを認め、検察官請求証拠すべてに同意し、各事件の被害者らに対する謝罪の意思を表明している。捜査段階で自白している者が、公判段階に至って突如態度を変え、些細な真実まで徹底的に争って審理の引き延ばしを図るという例が、特異重大事件において必ずしも少なくないところ、被告人は、自ら法廷で事実を供述することが、事件の全容解明はもちろんのこと、事件の遺族を含めた被害者に謝罪する道でもあると考え、真摯な態度で一貫して犯行状況等を積極的かつ具体的に供述しており、遺族に対する謝罪の言葉も悔悟の情の深さを十分に表している。そして、時にその罪の深さを思って言葉をつまらせ、「やっぱり、私は生きていてはいけないと思います」などと涙ながらに供述する姿は、それが真情から出ているものであることを十分にうかがわせており、改悛の情顕著である。
 被告人は、本件が典型的な組織犯罪であって、組織に抗って真実を述べることが極めて困難であるにもかかわらず、本件各犯行の各共犯者らの法廷、具体的には、松本、新実、土谷ら合計16名の法廷に、合計28回にわたり、証人として出廷し、その中で、弁護人からの「証人自身が被告人として裁かれている法廷で、公訴事実が間違いないと証明されれば、厳しい判決が予想されますね」との峻烈な質問を受けながらも、「自分の罪に対しては極刑と認識しています。それも仕方がないことと思っています」などと述べて、具体的な犯行状況を証言しており、極刑を覚悟している旨の証言には不純のものが感じられず、その真摯な証言態度には心を打たれるものがある。
 地下鉄サリン殺人等事件において、被告人がサリンを撒布した地下鉄千代田線代々木上原行列車関係における死亡者は高橋一正、菱沼恒夫の2名であるところ、高橋の妻高橋シズエ及び菱沼の妻菱沼美智子は、事件発生から間もない段階では、本件の犯人、とりわけ千代田線におけるサリン撒布の実行者である被告人に対し「私の愛する主人と、将来の2人の幸せな生活のすべてを奪い去った犯人達を絶対に許すことはできません。主人がどんなに苦しみながら死んでいったか分かりませんが、犯人にも同じ苦しみを味わってもらいたいのが本音です。毒ガスによる死刑という方法が可能なら、そのような方法での死刑を希望します」「どんなに犯人らを責めても主人は帰ってきませんが、私は、こんな卑劣極まりないやり方で主人の命を奪った犯人らを絶対に許すことはできません」「犯人らは、自分たちの命をもって、自分たちのしたことに対する責任をきちんととるべきです。犯人らが死刑にならないと、私たちは納得できません。是非、犯人らを死刑にして下さい」などと供述し、いずれも極刑を強く求めていたが、その後、高橋シズエにおいては、98年1月23日に予定された第24回公判を前にして、同公判廷での証言に替えて、「私が被告人らに望むことは、まず第一に、オウム真理教が起こした事件であることを認めること、第二に、被害を与えた者に対して謝罪すること、第三に、二度とこのような悲惨な事件を起こさないように真実を明らかにすることです。私は林郁夫の公判のほとんどを傍聴して、これら私の望むことがすべて満たされていることが分かりました。少なくとも法廷における林郁夫被告人の態度は、私の怒りや悲しみを増大させるものではありませんでした」「私が証言する場合の私の立場は、遺族、高橋一正の妻としてですが、私の心は3人の子供の気持ち、主人の親の気持ち、(訴因を)取り下げられた他の被害者の気持ち、そして林郁夫被告人の気持ちと切り離すことはできません」「様々な思いに心を乱され、言葉で気持ちを表現できない状態で証言することは、私の意に反します」旨記述した上申書を提出し、菱沼美智子においては、同公判廷において、「事件発生後間もない時期に検察庁で被害感情を尋ねられた時には、犯人達に死刑を求めると言いました。その際考えていた犯人というのは、千代田線にサリンを撒いて主人を殺した林郁夫と麻原こと松本智津夫でした。しかし、その後、報道を見聞きしたり、被告人や松本の公判を傍聴して、事件の真相が分かると同時に被告人が反省していることが分かり、被告人よりも松本に対する憎しみが強くなり、被告人にも松本の命令に従わざるを得なかった弱さがあったことを知りました。そして真に謝っている被告人の姿を見ると、同情の気持ちがわいてきたり、また被告人から謝罪の手紙を受け取って、被告人の誠意を読みとることができました。主人のことを思うと被告人を許すことはできませんが、被告人に対する激しい憎しみの気持ちはありません。本当に罪を悔いているならば、一生刑務所に入って主人に謝罪してほしいというのが、現在の被告人に対する気持ちです」などと証言し、両名とも、悩み抜いた末の苦悩の胸中を語っている。
 その思いは別の言葉で表現することができないほど重いものであるが、いずれも現時点においては、被告人に対して、複雑な感情を有しながらも、胸奥は必ずしも極刑まで求めることにためらいを見せている実情がうかがわれる。
 被告人の自首・自白は、組織犯罪の全容解明はもちろん、それにとどまらず、犯罪組織の中枢の検挙による将来の凶悪犯罪の防止に大きく寄与・貢献している。
 本件のような組織犯罪にあっては、組織は総力を挙げて、組織防衛のため、捜査機関等に対する対決姿勢を強化し、検挙された構成員や関係者に圧力をかけ、あるいはその他の証拠隠滅工作に出るなどして組織の維持・温存を図り、関係者らも組織的な報復を恐れて口を閉じることが少なくないため、その解明には多大の困難を伴うが、他方、このような犯罪組織を壊滅し、将来にわたって、組織による凶悪な犯罪を根絶するためには、これらの困難を克服して、犯罪組織の実態とこれによる犯罪の真相を迅速に解明し、組織の中枢を確実に検挙して、犯罪組織に打撃を与え、凶悪犯罪を未然に防止することが肝要であり、その必要性は極めて高い。松本を頂点とする教団は、殺人の用に供する凶器としてサリン等の化学兵器を保有し、多数の殺人等の凶悪重大事件を繰り返していた犯罪組織であり、その中枢が温存されて存続する限り、将来にわたってそのような犯罪を組織的に繰り返す危険性が極めて高いものであったから、これを防止して、国民の生命・身体の安全を確保するためには、教団の犯罪組織としての実態とこれによる犯罪の真相を解明し、組織中枢を迅速・確実に検挙することが緊急に必要であった。
 本件における被告人の自首及び捜査・公判を通じての一貫した自白供述と証言は、正にそのような状況下で、教団の頂点に立つ松本を始め、教団幹部らの逮捕・処罰に大きく寄与したものであり、教団による組織犯罪の全容解明に貢献したにとどまらず、教団に多大の打撃を与え、これによって、将来の教団による犯罪の防止に大きく貢献したものと認めることができる。このように被告人が犯罪組織による将来の凶悪犯罪の防止に大きく寄与・貢献したことは、究極的な正義の実現のための、個々の犯人の刑の量定に当たって、最大限に斟酌すべきものと思料する。
 ちなみに、前記永山判決及び同判決以後に積み重ねられた判例は、それぞれ強盗殺人等の個人的な動機に基づく事例と言うことができ、本件のような組織犯罪における全容解明という視点からの自首・自白等については言及されていないのであるから、本件における右の観点からの被告人の自首・自白を、同人の刑の量定に当たって考慮にいれることはこれら判例と何ら矛盾するものではない。

 【検討結果】
 そこで、これら情状に照らして考察すると、死刑選択の判断上重要な量刑要素等によれば、被告人の刑責は誠に重大であり、被告人に対して、極刑をもって臨むことが、国民の負託を受けた検察官の、そして非業の死を遂げた被害者らの悲痛な叫びを代弁する検察官の求刑として妥当なものと思料されなくもないが、その一方で、被告人に有利に斟酌すべき事情等も併せ考慮するとき、それでもなお、極刑をもって臨むということには躊躇を感ぜざるを得ない。

 【求刑】
 以上の次第であるから、被告人の求刑に当たっては、その有利・不利の一切の事情を虚心坦懐に熟慮検討し、諸般の情状を勘案した上で、相当法案を適用の上、被告人を無期懲役に処するを相当と思料する。