初の裁判官現場検証
        1998/4/10


        横浜法律事務所 弁護士  小 島 周 一


         坂本弁護士一家事件の、民事損害賠償請求訴訟は、オウム真理教破産管財人との和解も成立し、残るは新実被告のみとなっています。 しかし、新実被告は、裁判の答弁書で、一家の殺害の事実そのものすら争っています。ですから、新実被告の裁判の関係では、私たちがこの事件の真相を証明していく必要があるのです。また、そもそも私たちがこの裁判を提起したのは、警察や検察の力に頼るだけではなく、私たち自身の努力で、この事件の真相をよりいっそう明らかにしたいという思いがあったからでした。
         そのためには、実行犯をこの裁判に証人として呼び、彼ら自身の口から、事件の真相を語らせることが不可欠であるとともに、この犯行の現場である坂本君の自宅の様子を、裁判所にしっかりと理解してもらう必要があります。しかも、坂本君の自宅のアパートは、事件後2回目の更新期が迫っており、大家さんとの関係などからも、遅くない時期に明け渡さなければならないという事情もありました。今、坂本弁護士宅の現場検証をしないでいると、裁判官が坂本事件の現場を見る機会は、刑事・民事を問わず、永久に失われてしまうのです。

         そのようなことから、私たちは、早川、岡崎ら実行犯の証人尋問を申請し、また、坂本弁護士宅の現場検証を裁判所に申請してきました。
         そして、私たちのねばり強い説得に応え、ついに4月10日、裁判所が坂本弁護士宅の現場を見に来ることとなりました。

         当日は、心配された天気も五月晴れ(4月ですが)で、最寄りの洋光台の駅近くは、桜の花が満開でした。
         民事事件の弁護団が13名参加する中、予定の午後2時少し前に裁判長と左陪席裁判官の2名が現場に到着しました。報道陣も、現場の中には入れないにも関わらず、テレビ局を初め、大勢集まっていました。現場の説明は、事件後最初に現場に入った弁護士の一人である私が担当しました。


         裁判官は、まず、坂本宅を周りから見て、全体の説明を聞き、その後坂本宅に入りました。さちよさんが、当日早めに坂本宅に入って、家の中を事件発覚当時の状況に再現しておいてくれていたので、裁判官へのさちよさんの挨拶が終わると、すぐに私が現場の説明を始めました。台所、居間、寝室と、私が平成元年11月7日夜7時30分に坂本君の家に入ったときの状況を順番に説明していきました。
         裁判官は、こう言うと失礼ですが、私たちが予想していたよりも遙かに熱心に現場の状況説明に聞き入り、疑問があるときは質問をするなどして、この事件を真剣に受け止め、真相を追求しようとしている姿勢を感じ取ることができました。裁判官に同行してきた裁判所書記官は、私から説明のあった現場を逐一カメラに撮るとともに、写真に写りにくい襖のへこみなどは、あらかじめ用意してきた矢印形の段ボールをそこに当てて写真を撮るなど、十分な準備をして臨んできてくれました。そして写真の説明文をどのようにするかについてもいちいちその場で裁判官と打ち合わせ、メモに取っていました。
         こうして、現場検証は、約1時間後、午後2時前に終わりました。




         私は、大毛無山で5年10ヶ月ぶりに坂本君と無念の再会をするまで、救出活動の一環として、恐らく50回以上は坂本宅を訪れた人に現場の説明をしてきたと思います。しかしそのころは、まだ、生きて帰れという思いを持って説明できました。しかし、今回の現場での説明は、そのような希望のない説明です。それどころか「ここで坂本は岡崎から首を絞められながら、早川を蹴飛ばし、早川が後ろに飛ばされて鏡台が襖にぶつかったのですが、その後のへこみがここにあります。ですから、岡崎らの供述とこの現場の状況は一致しているのです。」などと、一家が殺害された状況と照らし合わせながら現場の説明をしなければならないということで、精神的にはきついものがありました。まして、坂本君のお母さんであるさちよさんの目の前でそのような説明をしなければならないのですから、やはりしんどいものがありました。 しかし、さちよさんも冷静に、私の説明の補足を裁判官にしてくれましたし、私たちは、事実が明らかになった以上は、この現実を直視しながら、このような悲惨な事件が二度と起こらないようにするためには何をなすべきかを考えていかなければならないと思うのです。