坂本弁護士一家殺害事件 冒頭陳述の要旨
東京地裁で96年3月12日開かれた中川智正被告の第4回公判で、検察側が明らかにした 「坂本弁護士一家殺害事件」をめぐる冒頭陳述の要旨は次の通り。
第一 被害者らの身上等(略)
第二 犯行に至る経緯
一 教団が宗教法人として成立する前後の状況(略)
二 坂本堤弁護士が教団に対する活動を行うようになった経緯等
坂本弁護士は、平成元年五月十三日ころ、教団の出家信者の親から長女を教団から 脱会させることについて相談を受けたことがきっかけとなって、教団に対して、出家 信者の親元への帰宅及び親との面会を要求するとともに、教団活動の不正を正すため、 同年六月二十二日ころ、他の弁護士二名とともに「オウム真理教被害対策弁護団」を 結成した。また、坂本弁護士が中心となって、同年七月二日、教団に出家した子の脱 会を希望する親らとの第一回の会合を開き、教団活動の被害者であるこれら親らの組 織化を進めることを決め、同月二十二日の第二回の会合では、今後、坂本弁護士が窓 口となって教団との交渉を行っていくことを決めた。 なお、被害者である親らの集まりは、その後組織化され、同年十月二十一日、「オ ウム真理教被害者の会」が結成された。 坂本弁護士が、教団に対し、出家信者とその親との面会を要求した結果、同年八月 三日、静岡県富士市内の富士文化センターにおいて、教団側から教団幹部早川紀代秀、 同新実智光及び青山吉伸らが同席した上、坂本弁護士立ち会いの下で親と長女との面 会が実現したが、その際、坂本弁護士が、長女に対し、「人を救いたいなら、まずお 母さんから救ってあげたらいい。修行をしたいなら、親を泣かせないで、家から通っ たらどうですか」と述べるや、早川が、「親とは縁を切っているので、親ではない。 娘さんが病気になっても、死んでも帰しません」などと述べた。 その後、教団が東京都知事から同月二十五日付で教団規則の認証を受けた後は、坂 本弁護士が、出家信者とその親との面会を教団に要求しても、教団がこれに全く応じ なくなったため、今後は、教団活動の不正を法的に追及するなどして、教団規則の認 証の取り消しを求めていくことにした。
三 教団活動に関するマスコミの報道とこれに対する教団の対応等
信者の親が、平成元年九月十八日ころ、週刊誌の記者から、教団の活動等に関して 取材に応じてほしい旨申し出があったため、それを坂本弁護士に相談した上でこれに 応じ、教団の活動等に関する資料を提供した。 同週刊誌編集部では、取材結果を検討し、同年十月の第一週から一か月程度の連載 で教団問題の特集を組み、まず、教団に入信して家出した子を持つ家族の取材内容を そのまま第一回の記事とし、第二回以降で、教団の行っている宗教的活動の問題点を 順次記事に採り上げていくことにし、同年十月二日都内発売(同月三日全国発売)の 週刊誌(同月十五日号)から、「オウム真理教の狂気」と題してこれらの特集記事の 連載を開始した。 麻原彰晃(本名・松本智津夫)は、同月二日、教団活動を批判する同週刊誌の特集 記事に関し、教団の信者多数を引き連れて、東京都内にある同週刊誌編集部に押しか け、編集長に対し、取材方法が一方的であるなどと抗議したが、逆に、同編集長から、 「未成年の者に三十万、四十万といった布施を求めるやり方はどうなのかな」と質問 されるや、突然、「いくらだったらいいんだ」などと怒鳴り、その場から立ち去った。 その後、教団の信者らが、同編集長の自宅付近等で、同編集長を誹謗するビラを撒く など同編集長に種々の嫌がらせを加えた。 また、坂本弁護士は、同月十六日、民間ラジオ局の放送番組に電話で出演し、教団 に出家した未成年者が行方不明になっている事例や教団の布施制度の不当性等を話し た。 そのころ、他のマスコミも、教団の活動を採り上げてそれを批判するなどしたが、 このようなマスコミに対しても、教団の信者らが番組を誹謗するビラを撒くなどし、 また、麻原は、教団幹部上祐史浩、早川及び青山をして、これらマスコミに対する抗 議などを行わせた。
四 坂本弁護士に対する民間放送局の取材とこれに対する教団の対応等
坂本弁護士は、同月二十六日午前中、民間放送局の翌二十七日放映予定のテレビ番 組のインタビューに応じ、教団の出家制度及び布施制度について批判したほか、麻原 の血を飲むという血のイニシエーションと称する宗教的儀式について、教団が出版し ている書籍では、それは効果があり、麻原の血を京都大学医学部で検査した結果、同 人のDNAに秘密があるとの記載があるが、同大学でそれを検査した事実はなく、同 書籍に記載された内容は嘘で、同儀式に関して布施名下に金員を徴することは詐欺に なること、「空中浮揚」につき、麻原に実際に目の前で飛ぶよう要求したところ、そ れは出来ないと断られたことなど教団活動に関する批判を述べた。麻原は、同月二十六日、早川から、同放送局が被害者の会の関係者の主張をテレビ 番組で放映するということを聞知するや、放映は教団に不利益になるとして、早川に 対し、放映を中止させるように働きかける旨指示した。そこで、早川は、上祐及び青 山とともに、同日夜、同放送局に抗議に赴き、その折衝の過程で、坂本弁護士のイン タビューでの発言内容が、教団の布施制度及び出家制度を批判し、血のイニシエーシ ョンも詐欺であり、麻原には空中浮揚の超能力はないなどと批判して、今後これらを 徹底的に追及していくものであることを知るや、偏見による一方的な主張であるとし、 これを放送する場合には法的手段を講ずるなどと口にして、直ちにその放映中止の措 置を採るよう執拗に迫った。 麻原は、その後、早川らから、坂本弁護士の発言内容等につき詳細な報告を受け、 早川らに対し、坂本弁護士にインタビューでの発言を訂正させるように指示し、同月 三十一日、早川、上祐及び青山の三名を、坂本弁護士が勤務する法律事務所に差し向 けた。三名は、坂本弁護士にインタビューでの発言の訂正・謝罪を求めたが、同弁護 士の教団への態度は、インタビューの内容と変わりがないばかりか、坂本弁護士は、 青山らに対し、被害者の会の方から教団を告訴する旨述べるとともに、「人を不幸に する自由はない。徹底的にやりますからね」とも述べ、もはや、坂本弁護士の活動を 阻止することは困難であることが明らかとなった。その際、早川らは、同事務所から、 顔写真入りの坂本弁護士のプロフィールが記載されたパンフレットを持ち帰った。 そこで、早川らは、同日夜、麻原に対し、坂本弁護士との話し合いの状況を報告す るとともに、パンフレットに記載されていた坂本弁護士のプロフィール、すなわち同 弁護士の家族構成及び自動車所有の有無等を読み聞かせた。その際、上祐は、麻原に 対し、「坂本弁護士は、この私に対しても、親元に帰れというような人間であり、全 く教団を理解することはできませんよ」などと述べた。 また、坂本弁護士は、同年十一月一日、百万円を布施して血のイニシエーションを 受けた元信者から訴訟委任を受け、教団に対し、イニシエーションに関し詐欺を理由 に金員の返還請求をする民事訴訟の提起及びそれに関する刑事告訴の準備も進めてい た。
五 犯行の共謀状況
麻原は、坂本弁護士が自ら教団活動に関する批判を行っているだけではなく、前記 週刊誌編集部等のマスコミに教団関係の情報を提供している被害者の会を背後で指導 している中心人物であり、坂本弁護士をこのまま放置すれば、将来、教団活動の大き な障害となることからこれを取り除く必要があるとして、同弁護士の殺害を決意する に至った。 そこで、麻原は、同月二日深夜から翌三日未明にかけ、静岡県富士宮市の「富士山 総本部」と称する教団施設内にある「サティアンビル」と称する教団施設(現在の第 一サティアン)四階の自室に、被告人、早川、新実、教団幹部岡崎一明(旧姓・佐伯) 及び同村井秀夫の五名を集め、被告人らに対し、坂本弁護士が被害者の会をまとめて いる中心人物であり、教団に対する様々な妨害活動を行っていることを強調し、「今、 問題にしなければならないのは、坂本弁護士なんだ。坂本弁護士をポアしなければな らない。このまま放っておくと、将来、教団にとって大きな障害となる」などと述べ、 坂本弁護士の殺害を命じた。
六 犯行の準備と犯行現場付近への到着等
岡崎は、サティアンビル四階の麻原の部屋に赴き、同室において、同人に対し、坂 本弁護士方の住所が判明したことを報告するとともに、その場にいた村井に対し、坂 本弁護士方の住所を記載したメモを渡した。すると、麻原は、岡崎及び村井に対し、 「よし、これで決まりだ。変装して行くしかないな」と述べ、坂本弁護士殺害計画を 実行に移すよう指示するとともに、その犯行の際に変装するよう指示した。 村井は、直ちに、被告人に対し、先に薬品販売業者から購入して自己が保管してい た塩化カリウムの粉末を溶かしてその水溶液を作るよう指示し、これを受けて、被告 人は、サティアンビル三階の洗面所で、塩化カリウムの粉末をぬるま湯に溶かして約 一〇〇ミリリットルの塩化カリウムの飽和溶液を作り、これをドリンク剤の空き瓶に 入れて用意した。 また、早川、新実及び岡崎は、途中、当時、教団が選挙用事務所として使用してい た杉並区内の一軒家に立ち寄り、そこにいた教団信者林泰男に命じて、ビッグホーン 及びブルーバードに、それぞれ無線機を取り付けさせ相互に交信できるようにした後、 同区内のマンションの一室で村井及び端本悟と合流し、村井が同室に予め用意してい た変装用かつら及びサングラス等を着用し、その後、被告人を迎えに行き、自動車二 台に分乗して新宿に向かい、新宿駅西口のデパート等で犯行時着用する背広、ネクタ イ、手袋及び靴等を購入し、三日夕方ころ、坂本弁護士方付近に到着した。早川、新 実、村井及び端本は、同日が祝日であることを失念し、いつもどおり坂本弁護士が出 勤して電車で帰宅するものとばかり想定していた。 数時間を経過しても坂本弁護士が現れなかったことから、岡崎は、同日午後九時過 ぎころ、坂本弁護士方の様子を窺いに行き、同弁護士方玄関ドアが施錠されていない ことを認めたので、無線機を使い、洋光台駅付近に停車中のブルーバードの車内にい る早川にそれを知らせた。
七 犯行直前の被害者らの行動等
坂本弁護士は、同日が祝日で仕事が休みであったことから朝から自宅にいたが、同 日午前十時三十分過ぎころから同日午後二時ころまでの間は、買い物のため、妻都子 及び長男龍彦とともに外出したものの、それ以降は、両名とともに自宅におり、本件 被害当時は、自宅の寝室で、両名とともに就寝していた。なお、就寝の際、自宅の玄 関ドアの鍵は施錠されていなかった。
八 麻原の指示による犯行計画の変更
早川は、岡崎から坂本弁護士方玄関ドアが無施錠であることを聞知するや、自己ら が坂本弁護士の帰宅を見落とした可能性があり、同弁護士が家族とともに自宅にいる 可能性が高いと考え、直ちに、洋光台駅付近の公衆電話から麻原に電話をかけてこれ を報告し、同人の指示を仰いだ。すると、麻原は、帰宅途中を襲って坂本弁護士一人 を殺害するという当初の犯行計画を変更し、早川に対し、「もし坂本弁護士が帰宅し ていれば、家族共々やるしかない」などと述べ、坂本弁護士が帰宅していれば、同弁 護士のみならず、その家族も一緒に殺害するよう命じた。その際、麻原は、早川に対 し、「時間は今すぐにではなく、もっと遅い方がいい。寝静まってからがいい」と述 べ、深夜にその犯行を実行するよう指示した。 被告人ら実行犯六名は、坂本弁護士方付近にある駐車場に自動車二台を駐車させ、 それぞれ車内で仮眠をしながら、犯行実行の予定時刻である四日午前三時ころまで待 機し、同時刻ころ、全員が目を覚まし、それぞれ車内から降りて徒歩で坂本弁護士方 に向かい、被告人において塩化カリウム水溶液の入った注射器三本を背広の上着のポ ケットに入れ、また、被告人、岡崎、端本及び新実において指紋を残さぬように予め 用意した手袋をそれぞれに着用し、その無施錠の玄関ドアを開けて同弁護士方屋内に 侵入した。その際、村井は、予め用意しておいた手袋を車内に置き忘れ、早川も、ポ ケットに手袋を入れていることを失念してしまい素手のままであった。
第三 犯行状況
被告人ら実行犯六名は、四日午前三時ころ、坂本弁護士方に侵入した。 そして、まず、端本が、いきなり眠っている坂本弁護士の身体の上に馬乗りとなり、 同弁護士が目をさますや、声を上げさせないようにするため同弁護士の顎を手拳で数 回殴打し、次いで、岡崎が、上半身を起こそうとした坂本弁護士の背後に回り込み、 右手を同弁護士の首に回して同弁護士の着衣であるパジャマの左奥襟辺りをつかんだ 上、それを右方向に引っ張り、パジャマの布地を使って同弁護士の首を絞めた。 坂本弁護士は、背後から首を絞め付けている岡崎を振り払おうとして必死に抵抗し たが、岡崎を振り払うことができないまま、間もなく、その場で窒息死した。 一方、新実は、寝室に入ると、すぐに、同室で寝ていた都子の身体の上に馬乗りと なり、騒がれないように同女の口を両手で塞ぐなどして同女の身体を押さえつけた。 都子は、苦痛を押して「子供だけはお願い」などと龍彦の助命を哀願した。 この間、傍らで寝ていた龍彦が、目を覚まして泣き声を上げたことから、同児の側 にいた被告人は、龍彦に声を上げさせないようにするとともに、同児を窒息死させる ため、その場にあったタオルケット様のもので同児の鼻口を押さえ、それを数分間続 けたところ同児がぐったりした。 被告人は、都子の背後から、右手を同女の首に回した上、同女の首を絞め続け、間 もなく、その場で同女を窒息死させた。 また、都子から離れた新実は、被告人の前記暴行によってぐったりし、けいれん状 態を引き起こしている龍彦を殺害するため、同児の鼻口を手で押さえ続け、間もなく、 その場で同児を窒息死させた。
第四 犯行後の状況
一 坂本弁護士方から富士山総本部への死体の運搬等
被告人ら実行犯は、坂本弁護士ら三人を殺害後、その犯行を隠蔽するため、その死 体を同弁護士方から富士山総本部へ運搬することとした。被告人は、本件犯行の際、 衣服に付けていた教団のバッジである「プルシャ」を坂本弁護士方寝室内に落とした が、それに気づかないまま同弁護士方から外に出た。 その後、被告人ら実行犯は、同日午前三時三十分ころ、富士山総本部に向けて出発 し、途中、村井が麻原に電話して、とりあえず犯行の結果を報告したところ、麻原が、 同日午前七時ころまでに同本部に戻るよう指示したため、同時刻ころに同本部に戻っ た。
二 死体遺棄についての麻原の指示等
被告人ら実行犯は、富士山総本部のサティアンビルの出入り口まで行ったところ、 同所で麻原の出迎えを受けて、同人から、「よくやった。ごくろう」などと労いの言 葉をかけられ、その後、麻原とともにサティアンビル四階の同人の部屋に入った。 そして、麻原は、早川らから、坂本弁護士一家殺害の犯行状況につき詳しい報告を 受けたほか、坂本弁護士一家の死体の処理につき、早川らに対し、それらの死体をド ラム缶に入れて遠くの山まで運び、そこに深い穴を掘って死体を埋めるとともに、犯 行使用車両のブルーバード及びビッグホーンを海に捨てるよう指示した。その際、被 告人らから、死体を埋める場所として北アルプス辺りが適当であるとの意見が出て、 その方面へ行くこととなった。 その後、被告人らは、三人の死体をドラム缶三本の中に入れ、ワゴン車に積み込む などの準備をした。その間、麻原の指示を受けた石井久子が、岡崎とともに見張りを した。
三 死体遺棄状況等
1 龍彦の死体遺棄状況等
被告人ら実行犯六名は、長野県大町市方向に向かい、同日夜、同市平の湿地帯に死 体を埋めることとし、最終的に早川がその場所を決めた。 その際、被告人ら実行犯の間で、三人の死体を別々の県に埋めておけば、捜査が進 展しにくくなるのではないかとの意見が出て、結局、三人の死体を三県に分けて埋め ることとし、早川らが、同市内のホテル内の公衆電話で麻原に連絡し、これにつき同 人の了承を得た。そこで、被告人ら実行犯は、スコップ等を用いて穴を掘ったが、深 く掘るのが困難で大人の死体を埋めるのが難しいため、そこに龍彦の死体を埋めるこ とにした。
2 坂本弁護士の死体遺棄状況等
被告人ら実行犯は、二体目の死体を埋める場所を探すため、同日深夜から翌五日未 明にかけ、新潟県内に移動し、その後、被告人ら実行犯は、同日夕方ころから翌六日 未明ころにかけ、同県名立町の山中の雑木林内に深さ約二メートルの縦穴を掘り、そ こにドラム缶の中から運び出した坂本弁護士の死体を入れ、その上に土をかけて埋め 戻した。
3 都子の死体遺棄状況等
被告人ら実行犯は、都子の死体を埋める場所を探すため富山県方面に向かい、同日 午前中、同県魚津市内に至り、間もなく僧ヶ岳の山中に入り、同日午前中から同日夕 方ころの間、つるはし等を用いて、同所に深さ約二メートルの縦穴を掘り、そこにド ラム缶の中から運び出した都子の死体を入れ、その上に土をかけて埋め戻した。
第五 罪証隠滅工作等
一 ドラム缶等の処分等
被告人ら実行犯は、坂本弁護士ら三人の死体を遺棄した後、麻原からの前記指示に 基づき、ブルーバード及びビッグホーンを海中に沈めるため、その投棄場所を探し、 三台の自動車に分乗して日本海沿いに西方に向かい、その途中、前記ドラム缶を海中 に沈め、また、坂本弁護士らの着衣及び被告人ら実行犯が犯行時着用していた衣服等 を燃やしたりし、更に西方にむかった。
二 麻原の被告人ら実行犯に対する犯行の口止め
麻原は、その後、富士山総本部に戻ってきた被告人ら実行犯六名をサティアンビル 四階の自室に集めた上、他の教団信者に命じて、六法全書の中の刑法の殺人罪の条文 を読ませ、「三人も殺せば死刑は間違いない。全員同罪だ」などと述べ、暗に本件犯 行の口止めをした。
三 早川及び村井の指紋消去
本件事件発生後、間もなく、神奈川県警磯子警察署が坂本弁護士一家の失踪につき 捜査を始め、同弁護士方寝室内に「プルシャ」が落ちており、教団がこの事件に関わ っているのではないかとの疑いを持たれていたことから、同年十一月二十日ないし二 十一日ころ、麻原、岡崎、早川、新実及び村井らは、突如、ドイツのボンへ向けて本 邦を出国し、その後、麻原は、ドイツにおいて、本件犯行時手袋をしていなかった早 川及び村井に対し、それぞれ両手の指紋を焼いて消すよう指示した。 そこで、早川と村井は、ボンにあった教団施設内において、いずれも焼けた鉄板に 両手の指先を押しつけて指先を焼いたが、帰国後、その指の火傷が治るとその指紋が 再生してきた。そのため、麻原は、被告人に対し、早川及び村井の両手の指の指紋を 消去する手術を行うよう指示し、被告人をして、平成二年一月ころ、早川と村井の両 手の指のうち、各小指を除く指の第一関節から先の部分の皮膚を切除する手術を行わ せ、その結果、両名の指紋が損傷紋となり、手術前の指紋との同一性の確認が困難と なった。
四 犯行後の本件犯行に関する麻原の言動等
麻原は、平成元年十一月二十三日、ボンにおいて、坂本弁護士失踪事件について週 刊誌記者の取材に応じた際、プルシャが現場に残されていた点を指摘しての質問に対 し、「全然、関係ありませんね。被害者の会は早川を陥れようとしている。オウム叩 きを強烈にやりたがっている組織の陰謀」などと述べ、また、同月三十日ボンでのマ スコミに対する合同記者会見において、坂本弁護士失踪事件はオウムを陥れるための 陰謀だとした上、「身内がらみの犯行である」旨述べて、坂本弁護士の法律事務所を 名指しして、不自然なことをしていると非難し、いずれも本件犯行には教団が関与し ていないと虚偽の主張を繰り返していた。
第六 本件犯行後の遺族の行動等
坂本弁護士の母坂本さちよは、同月七日、磯子警察署に捜索願を提出、翌八日、坂 本弁護士一家のことを心配して同弁護士方に駆けつけた都子の母大山やいとともに、 坂本弁護士方の室内を点検中、寝室に落ちていた教団の「プルシャ」を発見したため、 同日、警察官が室内等の実況見分等を行った際にこれを提出した。 坂本さちよは、同七年四月に龍彦が小学校の就学年齢に達することから、学校側と 相談して龍彦を洋光台小学校に入学させる手続きをとるとともに、入学式用の服やラ ンドセル等を購入して用意し、同小学校の入学式にも出席し、坂本弁護士一家の救出 を待ち続けていた。
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