犯行現場となった坂本弁護士宅のアパートはどうなっていたか





坂本弁護士一家が住んでいる横浜市磯子区洋光台は、横浜の南部に位置し、東京までは京浜東北線一本で約一時間。周辺は高級新興住宅街だが、坂本の住まいは2階建てのアパートである。同じような建物が3棟並んでおり、板本が住むC棟は隣の小高い丘の上に立つ神社から見下ろされるような位置にある。一棟に4世帯が入居しており、坂本の部屋は2階の東側の3DKだ。小綺麗な新築だが、壁や床板が薄いせいか隣や階上または階下の生活音はよく聞える。風呂の水音を近所の人が開いたのは11月3日午後9時ころ。その後坂本家から物音を聞いた人はいない。翌朝の朝刊は抜かれていない。






流しの洗い桶には食器が洗わずに積んであった。コーナーの生ゴミはそのままになっており、ホーロー鍋にうどんの残りがこびりついていた。炊飯器にはご飯がかなり残っており、スイッチは「保温」に入ったまま。

居間のテーブルには急須と夫婦の湯飲み茶碗が2つ出きれたまま。つい直前まで夫婦が差し向かいで食後のお茶でも飲んでいるような雰囲気だった。

その間に龍彦用のビスケットの袋が置いてあった。




坂本一家が普段使っていたセミ・ダブルの布団一組、毛布、それぞれの枕、そして龍彦用の水色のベビー布団一式。要するに日常使っていた寝具が そっくりなくなっていた


寝室の押し人れの前に、見慣れないものが落ちているのに坂本の母さちよが気付いたのは、警察に届けた翌日の11月8の朝になってからだった。雨戸を開け、朝日が差し込んだ中で丹念に見て回ったところ、押し入れ前の畳のへりのところに白っぼいバッジが落ちているのが目に入った。ピンの留め金は開いていた。オウム真理教のバッジ「プルシャ」であった。












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