三 捜査態勢・捜査姿勢の問題点
1 広域捜査体制を最後まで行わなかったこと
本件を振り返って見ると、当初の時点から富士宮(静岡県警)というオウム真理教の本拠地と坂本堤宅(神奈川県警)という犯行現場があるように、一県警が扱うことで足りる事件でないことは明らかだったはずである。
しかも、遺体は三県にまたがり、遺留品はさらに広範囲にばらまかれていることからしても、事件発覚後直ちに広域捜査指定を行い、その緊急性・重要性を徹底すれば、別のところで網にかかった可能性も十分考えられるのである。
さらに、警察庁が徐々に包囲網をオウム真理教に絞る中、警視庁だけは相変わらずオウム真理教に対し無関心を続け、その結果假谷清志さんの逮捕監禁致死事件では、家族の訴えを受けて直ちに上九一色村付近に検問を敷けば假谷清志さんを救出できる可能性が十分あったにもかかわらずこれを怠り、結果として同氏の死を招いている。
坂本事件の教訓が、この時点でも全く生かされていないことは残念でならないし、それだけに今後の捜査の在り方としてぜひ考え直して欲しい問題である。
2 宗教の壁
これほどまでにオウム真理教に対する有効な捜査を行わなかったのは、単に事件性の認識が乏しかったからではない。
仮に事件性の認識が乏しくても、可能性の一つとして数えられる限り、オウム真理教への捜査も行っていれば自然にその疑いは濃くなったはずである。
オウム真理教への捜査がここまで消極的になったのは、別の理由、すなわちオウム真理教が宗教(法人)であったこととしか考えられない。
宗教団体・宗教法人が、憲法・宗教法人法によって守られる団体であることは間違いないが、しかし同時に、その宗教法人法自体が、「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解釈してはならない。」(同法八六条)と規定しているとおり、たとえ宗教団体・宗教法人と言えども犯罪を行えば他と全く同様に扱われるべきであるし、疑いを持たれれば捜査の対象になることはやむを得ないのであり、そこにタブーを持ち込むのは逆に宗教団体・宗教法人を優遇することになりかねない。
昨今、明らかに金儲けのために宗教を語る集団が現れたりしており、「宗教」を隠れ蓑にするケースは増加することが予想される。オウム真理教に対する消極的捜査が一つにはそのような事態を招いているのであり、今後そのようなタブー視をやめ、他の団体と対等に捜査対象とすることが強く求められるはずである。
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