証人尋問体験記
横浜法律事務所 小 島 周 一
今年の六月一二日、東京地方裁判所で審理されている岡崎一明被告人の、検察側情状証人として、坂本君の弁護士としての人となり、オウム真理教問題への彼の取り組みの基本方針と姿勢、さちよさんを始めとする遺族の処罰感情などについて証言した。
坂本君の遺族ではない私が、検察側の情状証人として出廷することになった背景には、さちよさんの被害感情が綴られている供述調書の一部を岡崎被告人が不同意としたこと、さちよさんは、そのことについて自ら裁判所に証人として出廷する気持ちにはなれないことから、そのさちよさんの被害感情を私が紹介するという意味合いもあった。
刑事事件で証言するのは、私はこれが初めてではない。私が弁護士になった年に発生し、三年八ヶ月後に無罪判決(確定)を得た妻殺し容疑の殺人事件(通称山下事件)で、弁護側作成の実況検分調書作成者として、今から一三年ほど前に、証言台に立ったことがある。
その時は、自分が作成した書類について、しかも被告人の無罪のために証言するので、精神的には楽なものだった。
しかし今回は、岡崎被告人に対するさちよさんの厳しい処罰感情を紹介しなければならないという、プレッシャーと表現していいのか、なんと表現していいのか、何とも言えない重さというものを背負った証言だった。ただ、それでも私が証人として出廷することを決意したのは、一つには、裁判所に、坂本君の行っていた対オウムの活動は、決して恨みを買うようなものではなく、それどころか、弁護士活動としても、社会常識に照らして見ても、極めて適切な活動をしていたということを是非裁判官にもわかって欲しいという思いがあったからだった。一言でいえば、「坂本弁護士一家はかわいそうだけれど、あれほどのことをされるからには、坂本弁護士の弁護活動にも、何かやりすぎがあったんじゃないの」という、知った風なものの見方だけは払拭して欲しいということだったのだ。
証言内容は、細かく紹介しても仕方がないが、そのようなことから、私は、坂本がオウムの何に一番怒っていたかを特に強調して証言した。坂本は、当時、オウム真理教を潰す、ということは目的にしていたわけでも何でもなかった。また、子供を力ずくでオウムから取り戻し、無理矢理にでも「転向」させたいという親には、むしろ、「たとえ高校生といえども信仰の自由はあるのだから、無理矢理抜けろというのは正しくないし、かえって子供を追いやるだけだ。」と批判していたのだ。ただ、その坂本がどうしても許せないといっていたことがあった。それは、人格形成途上にある未成年の子供であっても、出家をさせ、かつ、情報も価値観も全てオウムに都合のいいものしか与えようとしないことについてだった。「鰯の頭を信じることだって、信じる人は信じるんだから、インチキ宗教であっても、それを信じるなと無理矢理禁じても仕方がない。でも、正確な情報が入り、多様な価値観に触れることができ、そして自分の頭で考えさえすれば、いずれはそれがインチキ宗教だということに必ず気づくはずだ。ところがオウムは、その情報を遮断し、操作し、しかもまだ人格形成途中にある未成年に対しても、立った一つの価値観しか与えない。それは絶対に認められない。」これが坂本が怒っていたことだった。当時、私は、坂本と飲んだり一緒に仕事をしたり、一緒にカラオケで歌ったりしていたが(家族以外では、私が一番彼と一緒の時間が長かったと思う)、私が聞いていた彼のオウムに対する怒りの中の、一番本質的な、かつ激しい怒りはこのことだった。
だから、坂本はオウムを無理矢理潰そうとなどしていなかった。オウムの本質がきちんと知られ、広がっていけば、「自ずと潰れる」というのが坂本のスタンスだった。
もちろん、だからといって、オウムのやっている違法な行為、詐欺行為について、それを見過ごす気も彼にはなかったが、それは弁護士として当たり前のことで、その活動(例えばインチキイニシエーションで一〇〇万円取られた元信者の依頼を受けて告訴することなど)をもって弁護士としてやりすぎなどと非難される謂われは全くない。
だから、坂本が決裂した最後の交渉で、「未成年の信者については出家をやめて、自宅から道場に通えばいいではないか」という解決案を提示したのも、「オウムをやめろ」という親と、「出家は信教の自由」という両者の主張を、単に足して二で割ったものではない。「自宅から通う」ということは、つまり、「オウム発」以外の様々な情報、価値観に触れるということであり、つまり、その後、オウムのインチキ性について自ら気づくチャンスを失わないということなのだ。
私はそのようなことを裁判官にも判って欲しかった。私が証人になった大きな理由のひとつはこれだった。
そしてもう一つの目的であった、そして検察官にとってはメインの目的であった、さちよさんの被害感情、これについては、私は付け加えも、削りもせず、さちよさんの言葉をそのまま伝えることだけに専念した。「麻原と岡崎を比べれば、岡崎の罪の方が軽いのではないか、だから岡崎を死刑にするのはどんなものかといわれたことがあります。私も、岡崎の方が麻原よりも罪が軽いと思います。でも私にとって、それは、麻原は全国引き回しの上死刑、岡崎は市中引き回しの上死刑、その程度の差でしかないのです。」これがさちよさんの私に語ってくれた被害感情だった。そのことを私はそのまま裁判官に伝えた。
そのとき、私の真正面から私を見おろす裁判長の視線は、私の顔ではなく、私の顔の奥、脳味噌を見つめているような視線であったことが印象に残っている。怖いというのではない。でも、顔の皮の奥にあるものを見通そうとしているような、そんな眼だった。
最後に、私自身の死刑制度に対する気持ちは、複雑だ。だから、裁判では私自身の処罰感情については、ほとんど証言していない。ただ、ここでこのような報告をする以上、私の死刑に対する今の考え方も率直に話しておこうと思う。
前に書いたように、私は殺人えん罪事件も経験している。捜査当局が、どんなに簡単に無罪の人を犯人と思いこんでしまうかを知っている。そして、裁判官が、どんなに簡単に「有罪推定」に傾くかも知っている。
しかも、えん罪の被害者は、裁判では無実を主張する、つまり、裁判ではずっと犯行を否認するということだから、もしも有罪とされたときは、必然的に「反省の情がない」ということになる。悲惨な事件であればあるほど、その事件で犯人とされたえん罪の被害者にも過酷な刑、つまり死刑が言い渡される可能性が高くなる。
そして、死刑は一旦執行されると、えん罪の被害者がその無実をはらす機会を永遠に奪うことになるのだ。
他方で私は、坂本事件も間近に知っている。安直な「罪を犯したものを許したまえ」みたいな気持ちにはとてもなれない。率直な気持ちをいえば、「世の中には、後でたとえどんなに反省したとしても、自らの命をもって償わなければならないこともある」と思っている。
だから、もしも裁判官が神で、絶対に誤判をしないのなら、私は死刑制度そのものは存続すべきだと言うと思う。
でも、裁判官は神ではないどころか、権威に弱い普通の人間だ。
だから私は、「無実の人が無実をはらす機会を永遠に奪う」というその一点で、死刑に反対だ。
しかし、今の制度のもとで、ただ死刑を廃止しても、今の無期懲役の運用では落差が大きすぎる。
私は死刑には反対だが、それはあくまでも「無罪の人が無実をはらす機会を奪わないため」なのだから、本当に重い罪を犯した人間は、終身刑に処す。
それが、今の私の、死刑についての思いだ。坂本と、このことについても議論してみたかった。