- (二) 事件発生直後の報道をめぐる状況
坂本弁護士一家、家族の人権に関するマスコミの配慮の関係でまず第一に指摘しておきたいのは、事件発生当初の、この事件の報道に関する各社の対応である。
1989年11月10日夕方、毎日新聞から事務所に「坂本先生は連れ去られたのではないですか。」との電話が入ったことからマスコミと坂本弁護士一家事件との関わりが始まったことは前述した。その後一二日には朝日新聞が一斉に取材に動くなど、マスコミがこの事件について裏付け調査をしていることは横浜法律事務所にとって明白となった。
しかし、当時、横浜法律事務所の同僚弁護士らは、オウム真理教との交渉、あるいは警察の捜査によって一家三人を救出するために必死になっており、かつ、事件が公開されると犯人らが一家三人を解放できなくなってしまうことを心配して、事件の公開についてはあくまで慎重だった。そのため、横浜法律事務所の弁護士らは、警察に対しても報道協定を結べないかと要望している。
各社が、他社はまだこの件をつかんでいないと思っている間は、横浜法律事務所の弁護士が報道しないように要請することに一定の効果があった。例えば、12日に一斉に取材をした朝日新聞に対しては、横浜法律事務所が、もしも勝手にスクープされると犯人が一家を解放できなくなる恐れがある、もしも報道したら今後の取材にはいっさい応じない、と話して、報道を待ってもらった。しかし、各社が他社もこの件をつかんだと思った瞬間から、もう止めようがなくなった。「うちが書かなくてもどうせ他社が書く。」これが報道に関する免罪符となり、各社雪崩を打って報道へと走っていった。
この経過の中で、「人命に関わることですから、必要があればうちは待ちます。」と言ってくれたのは共同通信の担当記者だけであった。結局、坂本弁護士一家事件を伝える第一報は、県警の記者会見を待たずに夕刊各紙に載ったのである。
そして、このようにただ単に一刻も早く、他社に後れをとらずに報道しようという記事であったため、その見出しが「弁護士一家ナゾの失踪」「弁護士一家失跡12日」「横浜の弁護士一家三人 10日以上も行方不明」など、事件性について弱い報道しかなされなかったことは前述したとおりである。
この報道をめぐる各社の動きの中からは、この事件が一家三人の人命に関わる事件であり、報道されることによって一家三人の救出にどのような悪影響があるかを真剣に検討した形跡は、共同通信を除いては感じられない。