- (四) 報道が家族に与える影響
オウム真理教と坂本事件との関係については、1995年4月19日に読売新聞夕刊が報道したのが最初であるが、坂本一家殺害に関する報道は、1995年5月22日、毎日新聞が朝刊一面トップで「坂本弁護士一家殺害強まる」との見出しで、坂本弁護士一家殺害についての記事を載せたのが最初である。
そして、6月の24日から26日頃にかけて、ほとんどのマスコミが坂本一家殺害を前提とした記事を載せるにいたった。
しかし、何度も述べているように、この時期の報道は全て警察の公式発表にもとづくものではなく、いわゆる警察筋からの「リーク情報」にもとづくものであった。また、警察関係者は、さちよさんや大山さん達に対し、一家を必ず生きて救い出すために頑張っていると常々話していた。そのため、さちよさん・大山さんら坂本弁護士の家族は、「一家は生きている、必ず救出される」という思いを捨てず、無事救出を望み、信じていた。
そのような状況の下で連日のように一家三人の殺害を前提とする記事が報道されることは、まさにさちよさん・大山さんらの命を縮める程の苦しみを与えた。
そればかりではない。新聞の読者は、坂本一家殺害に関する報道を、「警察のリーク情報だからもしかしたら事実と異なるかもしれない」などと考えて読みはしない。「新聞に書かれていることだから本当のことだろう」と信じて読む。そのような人たちが例えば電車の中でさちよさんを見かけると、本人は励ますつもりで「息子さん達残念だったわねえ。でも気を落とさないで頑張ってね。」などと声をかけるのである。この言葉は決して悪意から発せられるものではないが、しかし、一家の生存を信じて必死に頑張っているさちよさんにとっては、心臓をえぐるような言葉となって響くのである。問題は、坂本一家殺害説を報道した各メディアの人たちが、当時、このようなことが起こっていることを恐らく誰一人想像すらできなかったであろうことである。
日本のメディアは、報道による人権侵害が起きたときには、それが明らかになったときには、「今後このようなことが二度と起きないように十分反省し、メディアの責任を自覚しなければならない」という。
しかし、取材される側、報道される側がどのような不利益を蒙り、あるいは精神的に傷ついているのかを、日常的に検証する姿勢はほとんどないといってもよい。そのことが、その場限りの反省に終始し、同じ問題が延々と繰り返される原因となっているのではないだろうか。