新實供述調書 甲A153
佐伯は石神井で説法。平成2年2月に脱会。
もともと、帰宅途中に坂本を襲う予定。
尊師については一切黙秘する。
殺害の動機の私の理解。
坂本は平成元年夏から、特別な妨害を色々。
例えば、被害者の会、山本問題。山本問題は、全て(江川、横浜弁護士会、被害者の会)ここから始まる。
反教団活動としての認証反対。認証取り消し運動があった。
坂本も認可取り消しを目指して運動をしていた。
認可の責任者だった自分は、坂本に腹立たしい気持ちを持っていた。
坂本は被害者の会を使い、マスコミを使い、 な動き。
サンデー毎日の記事が連載され、すぐに抵抗活動。
しかしサンデー毎日は連載。私たちの間では牧を殺そうかとの話しも出た。
しかしその情報源の坂本こそ問題と思った。
上祐、早川、青山がいったが、坂本に したと早川から聞いた。
将来大きな障害となる前に殺害。坂本を殺した方が本人の為、よりましな世界に転生出来ると思っていた。
計画がまとまったのは11月2日深夜。11月3かも。
サティアンビルで6人。端本を除いて相談。注射で殺す。気絶させる者として、端本を入れた。
11月3日(決行日)に決まった。曜日の感覚はなかった。
中川まが塩化カリウムを準備。どうやったかは知らない。
坂本の自宅は分からず、九州の知り合いの弁護士(かなり高齢)から佐伯が聞いた。
(その弁護士が)生きていて、記憶もあったと先日きいてびっくりした。
11月午前富士山総本部を出発。
佐伯、早川、村井が発言の中心。
選挙事務所で無線器をつける。途中で自分はアフロのかつらを着けた。
途中で衣服を買った。着替える前に付けていたプルシャをはずした。
端本は早川に「どうせ捨てるのに高くてもったいない」と、私が「いいんじゃないの」と言った。
駅と自宅を何回も往復して下見。自宅近くの路上でビックホーンは待機。
早川に新実は駅で見張りと。
当日は極めて乱暴な計画。
坂本を見つけられず。最終電車までいたかは覚えていない。
佐伯から電話で「坂本弁護士の自宅の鍵が開いている」と連絡があった。
路上で話しあった。玄関の鍵が開いているなら、家族がいても決行しよう、午前2時か3時とも決めた。
小さな子供のことはこのとき知らなかった。死体の処理も話しあってなかった。
近くの駐車場で仮眠。全員寝ていたので私が起こした。
歩いてアパートへ。ドアが開いているかは、半信半疑だった。その為、殺すという緊迫感があまりなかった。
私が先頭で、ドアの部を回したら開いていた。こうなったらやるしかないと、靴を脱いで、中に入った。
すぐは台所。子供の位置は押し入れ側、というか両親の頭の上。
居間の襖を開けて入った記憶がある。
テーブルの脇をとおって寝室に入った記憶がある。
中に全員入ってから書斎側を確認。後ろの仲間に指先でOKを作った。
襖をガタッと開け、倒れ込んだ。最初の人に馬乗りになり、口を押さえた。奥さんだった。
部屋一杯に夫婦と子供が 。
注射で動きを封じ、声を出させないことで精一杯だった。
誰か首を絞め始めた。途中で布団の上で寝ていた子供にいった。
子供はぜーぜーとのどをならした。念の為、手で口を塞いで殺す。
その前、他の人が何をしていたかは、あまり記憶がない。
端本が、坂本を襲っていたことは覚えている。
私は色々の犯行に関わったが、メンバー全体が一体となり、チームワークがピタッと決まったのは、後にも先にもこの事件のみ。
3人共ぐったりとした。
誰かが「車、車」。私と佐伯が車を取りに行った。
佐伯はビックホーンをアパートの階段のすぐ下に、その後ろにブルーバードを止めた。
誰か子供をビックホーンに。
私は誰かと布団をかけた奥さんを運んだ。途中階段で手が外れて、死体が一旦落ちた。すぐ持ちあげてビックホーンに入れた。
その後坂本をビックホーンへ。布団も入れた。
奥さんを入れてから見張りに立った。
佐伯1人がなかなか出て来なかった。いらいらした。
佐伯は「血がついていたので掃除して来た」と言った。
死体の遺棄を確認。坂本の顔にツルハシを自分が突き立てた。
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