A作戦

1章

20分後

20分後、僕らは水深30mにいた。
大した深度ではないが、大きいチャネルの淵でかなり薄暗い。
時計の文字盤の蛍光塗料がんぼんやりと光っていた。

先を行く塚原が不意に振り返って僕を見た。
ボンベを腹と背中に一本づつ背負った姿は異様だったが、他にいい運搬方法を思いつかなかったから仕方ない。
ボンベを引きずって金属音を出したくなかったのだ。

「お“い”」口にエアーを溜めた、お得意の"水中会話"で塚原が声をかけてきた。
わかってる、手振りで答えた僕はA地点の洞窟が、小牧の体に隠れていながらそこにあるのを感じていた。
小牧はダブルタンクだ。
僕らのコアラみたいな格好を最後まで嫌がった小牧は耐圧検査の切れたタンクでもいいとダブルのブロックを背負っていた。
古いタンクブロックでリザーブとハーネスはひどく錆びていた。

A地点には塚原、小牧、僕の順で侵入していった。
狭い導入部で、それぞれ工夫したライトはなんとか光を発したが、塚原のライトにはすでに浸水があり光が拡散している。
電源部はオートバイのバッテリーに電解液を一杯まで満たしたものなので、水圧で破壊されてしまうことはない。

入り口から3分程で頭上に“水面”が現れ、僕らは浮上し水面に顔を出した。

水深計は20m付近を指している。間違いない。塚原のやや強引と思われた理論もここにきては信じるしかない。
数百年ぶりに大気にさらされた底棲生物達のうち基盤から逃れられなかったヤギ類が枯死していた。
ここに"大気"が訪れて10日が経っていた。

高圧空気を直接吸うのは初めてだぜ、塚原が言った。
じゃあさっきまでは何を吸っていたんだ?小牧が言った。
ともかく、あとは先生の計算どおりこのボンベで足りるかどうかだろう?僕は言い、腹側のボンベのバルブに何重も張っておいたテープを剥がし始めた。
末端でOリングがテープに一緒に着いてきてしまったのでバルブに嵌め戻そうとして、ちょっと考え直しバルブの下の方にテープで張っておくことにした。
レギュレータなしでバルブだけを開放するとOリングが飛んでしまうと思ったのだ。そしてこの後もこのボンベにお世話にならないとは言い切れない。

どれからいく?塚原が言った。
お前と俺のとでいいだろう。僕が言った。
わかった。
僕たち二人はボンベを水に漬け、バルブを全開にした。同じ大きな音でもこの方がましだろうと思ったからだ。
ぼこぼこと水音を立て急激にエアーを吐き出し続けたボンベは見る見るうちに冷たくなってゆき軍手を通してもその冷感は伝わってきた。

お前は定位置につけよ、塚原が小牧に言った。
ああ、小牧はそう言って地上に向かって急角度に延びている洞窟の奥側に体を向けた。
いつの間にか水中銃はチャージしてあるが、スリングはまだ二本掛けだ。
この狭い洞窟内では水中銃より鉈か鎌か軍用マシェットか何かの方が良さそうに思うのだが、彼は愛用の水中銃を選択していた。
まあそれはそれでいい。
あの電柱みたいな奴が本気になったら、何でどうしたらいいのか誰にも判らないのだから。

激しく空気を放出したボンベはだんだん浮き上がりだし、それに従って周囲の水位は下がっていった。

やはりこの洞窟は溺れ鍾乳洞であり、なおかつ上部地表付近で導入部は閉塞しているのだ。

ある日、この洞窟に来た塚原は、自分の吐いたエアーが次の日にもまだ天井に残っていて、天井の一番上が乾いたままになっていることに気付いた。 塚原は面白半分でレギュをパージし天井がどんどん空気にさらされてゆくのを半ば感心しながら眺め続けてていた。

やがて異常を感じたエビたちが隙間から這い出してはポチャンと水面に落下した。

それもつかの間、その時塚原が遊んでいた場所、つまり今我々が居るこの洞窟の"応接室"に溜まった空気は凄まじい音を立てて洞窟の奥に吸い込まれて行き、すぐに再びその一部が吹き戻してきて塚原は洞窟入り口近くまで吹き飛ばされたのだ。洞窟奥部から射出されたヒドラやヤギの破片がばらばらと水中に散らばり、イセエビやゴシキエビ数匹が放り出されたままあわてて水中を跳ね回っていった。

その後洞窟に再び向き直った塚原は、あの電柱のような"モレイおばさん"に鉢合わせしたのだった。

1章終