くおんじけ
久遠寺家


『姑獲鳥の夏』より

享保三年(1718)から御一新まで讃岐のある藩の御殿医を勤める。難産だった藩の世継ぎを取り上げたことから召抱えられたため、代々産婦人科を主とする。

出身の村では<憑物筋>とされ、村八分状態だった。地元ではオショボを遣うという。

憑物筋や村八分の民俗装置としての論は参考文献にも挙げられているが、小松和彦先生の著作、『憑霊信仰論』、『異人論』、『悪霊論』などに詳しい。また最近(00/7/24)刊行が始まった、『怪異の民俗学』の第一回配本『憑きもの』なんか参考になるかもしれない。(未読なので、詳細は不明)。ちなみに河出書房新社、小松和彦責任編集。

ちなみに上記『憑きもの』によりと「憑き物筋」という言葉が民俗学用語として使われ始めたのは昭和20年代後半のことらしい。最新学術用語だったわけだ。(それ以前にも憑き物系統、持ち物筋、憑き物持ちといった言葉はあったらしいが)