『狂骨の夢』のネタバレだらけですので気をつけてお読みください。

昭和27年9月23日
逗子湾で金色の髑髏が浮かんでいるのが発見されたとの報が新聞に掲載される。
昭和27年9月25日
浜に打ち上げられた金色の髑髏が近在の住人に発見されたとの報が新聞に掲載される。
11月初め(いさま屋が山陰から戻ってから二週間ほど後) = A
いさま屋、夜も明けぬうちに鎌倉から徒歩で厨子に入り5時頃から釣りに勤しが釣れたのは河豚一匹。場所を変えようとしたところ、海岸で朱美と出会う。

B-2箇月ほど前
宇多川朱美、夫の書斎で新聞記事を見て記憶を取り戻す。

B-1箇月ほど前
宇多川朱美、宇多川崇に相談する。

C
佐田申義、夜中に宇多川朱美の下へ現れる。

Cの三日後(D)
佐田申義、再び朱美の下へ現れ、陵辱する。そしてその後「髑髏」を要求する。
Dの一週間後
佐田申義、三度現れ、朱美「血だらけの神主」を思い出す。もう一度現れた申義を、朱美殺害する。殺した後、首を切り落とし、首は海へ、胴体は井戸へ捨てる。

Dの後(不明。Eの三日ほど前)
佐田申義、四度、現れる。朱美、再び殺害し、首を切る。

B
宇多川朱美、飯島基督教会に懺悔に訪れ、死者の復活を語る。

11月半ば
(金色ではない)髑髏、船上で目撃されるとの報。
E(11月終わりから12月初め頃)
久保の葬儀が京極堂の手によって執り行われ、荒ぶる神として祀りあげられる。出席者は、京極堂、関口、久保の父、青木、中禅寺敦子、小泉珠代、他出版関係者4人。

葬儀の後、関口、敦子ら中野の軍鶏鍋屋へ行き宇多川の相談を受ける。

11月27日ころ
肉片と髪の生えた髑髏、逗子湾で発見されたとの報。
12月2日
12月1日に逗子湾に生首が打ち上げられたとの報。