つい最近がわからない−「金の十字架の呪い」

 

 


 

 

呪われた十字架

 

 客船モラヴィア号の食堂にそろった六人の人々。考古学の大家・スミール教授を筆頭に 女流探検家、しゃれ者の青年、一流の新聞記者、有名な興行師、そしてこの一行の中では まったくパッとしないブラウンという神父、彼らは最近、イギリスのサセックスで発見さ れたというビザンチン(東ローマ帝国)様式の墳墓の話題に夢中だった。だが、この中で 一番、その問題に知識と関心があるはずのスミール教授は話題を引き離そうとする。

 ブラウン神父にそのことを指摘された教授は理由を語り始めた−問題の墓から出土した 特異な十字架、その同系のものを教授は持っている。それは地中海のある島の地下通路で 発見したものだが、その中で教授は一人の男とあった。暗くて顔は見えなかったが、男は 淡々と、その十字架を手に入れた者を殺さずにはおかないこと、その殺害は綿密で、犯人 にとっていっさい危険のないものとなるだろうと語り続けた。以来、教授のところにはし ばしば殺害の近いことを告げる脅迫状が舞い込むようになった。

 ことにサセックスの墓で同じ十字架が発見されてから、その通信は頻繁になり、「貴殿 が身分不相応にもあの墓の十字架にちょっとでも手を差し延べたら最後、たちどころに死 神がお見舞い申すだろう」と告げてきたというのだ。今こうしている間にも暗殺者が間近 に迫っているかも知れない、だからサセックスの墓の話題を避けてきたというのである。 スミール教授はイギリス到着後、ただ一人の信用できる人物、ブラウン神父に同行を願っ てサセックスの現地に向かう。地元では墓の呪いの話題で持ちきりだった。

 教授はそこで自分を追跡してきた人物がわかるかも知れないと期待していた。ところが 、あろうことか、船上で同席していた四人は先回りして、問題の墓がある教会の前に勢揃 いしていたのだ。

 教会の牧師は一行を迎えると楽しそうに墓の呪いの話をし始めた。礼拝堂の銘文による と、その呪いは少なくとも三つ、封印された部屋に入ることの呪い、棺を開けることの呪 い、棺の中の金の聖器に触れることの呪いがあるという。牧師はすでに棺を開けた以上、 そのうちの二つを受けていることになる。

 牧師はさらに語る。十三世紀のはじめ、この地方の領主は欲に目がくらんで神殿を荒ら し、司教を殺害した。その司教の呪いが盗み出された十字架にかかり、領主は落馬して首 の骨を折る、十字架を買い取った金細工師は金貸しのユダヤ人に全財産を奪われて自殺、 そのユダヤ人も異端審問で焼き殺されるという具合に所有者はことごとく身を滅ぼした。 かくして十字架は司教の墓に返されることになったのだという。

 一同は牧師の案内で墓に入り、棺に横たわる遺体を見る。スミール教授が手をのばし、 十字架に触れたその時、棺の蓋が落ち、教授の頭を打った。そして、その直後、牧師は海 岸に僧帽と法衣を残し、姿を消してしまったのである。

 神父は一行にその事件の真相を語り始める。神父はあの牧師の話に最初から疑問を持っ ていた。
「わたしに言わせると常識です。正しく理解しさえすれば。わたしどもにはわからないこ とが出てくる超自然の物語を信じるほうが、わたしどもの知っているところと矛盾するよ うな自然の話を信じるよりも、実のところ自然なのです。偉大なグラッドストーンが死に 際にアイルランド国粋主義者パーネルの死霊にとりつかれたという話を聞いたら、わたし はこれについては不可知論者になって、そんなこともありうるのかと思う。だが、グラッ ドストーンがヴィクトリア女王に拝謁したとき、帽子もぬがずに女王の背中をなれなれし くたたいて葉巻を差し出したというお話になると、とても不可知論者になってはいられな い。これはたしかに不可能なできごとじゃない。が、とても信じられない話です。パーネ ルの亡霊が出たという話のほうがまだ信用できる。なぜと言って、これはわたしの理解し ているこの世の中の法則を破っているのだからね。同じことが呪いの物語についてもいえ るのです。わたしの信用しないのはあの伝説じゃない、歴史なのです」

 中世の職人はギルド(同業組合)の支配と庇護の下にあり、借金で全財産を奪われるよ うなことはなかった。またイギリスにおいてはユダヤ人は異教徒であるがゆえに、かえっ て異端審問の対象から免れていた。
「もしこれが世界の裏側のツタンカーメンだとか、アフリカ人のミイラだとかいうのなら ・・・つまりこれがバビロンやシナのことなら、あるいはまた月に住む人といったような はるかな神秘の種族だったならば、新聞はたちまち、いちばんあとに発見された歯ブラシ やカラーボタンに至るまでことこまかに報道してくれたでしょうよ。ところが、わたしど もの教会を建立した人びと、わたしどもの教会を建立した人びと、わたしどもの町や、職 業や、毎日のようにその上を歩いている道路などに名まえをつけた人びと、それがどうい う人間だったか知りたいなどという気をおこしたことは一度だってないでしょう。そうい うわたし自身、たいして知ってはいないのですが、あの話が徹頭徹尾いかさまだぐらいは わかります。(中略)それは中世の真実を語った物語ではなかった。中世についての伝説 ですらもなかった。小説や新聞からアイデアを得た人のでっちあげだったのです。それも たぶんは即席のね」

 牧師の正体はスミール教授を追ってきた暗殺者であり、本人が言っていたとおり、何の 危険もなく見事に行方をくらませてしまったのである。一命をとりとめた教授は、かつて 地上のあらゆる権力に迫害されながら地下で祈っていた古代のキリスト教徒のことを思え ば、たった一人の狂人に心悩ますことなどなかった、とブラウン神父に述懐する。

 

 

身近な歴史こそ忘れられる

 

 さて、私はかつて『東日流外三郡誌』なる文献の研究に携わっていたことがある。それ は江戸時代の寛政〜文政年間に著述編纂された古記録という触れ込みで、一九七五年に世 に出たものである。それによると、古代の東北地方ではアラハバキ族なる民族の王朝が栄 え、大和朝廷と対抗していた。その歴史を大和朝廷側から見たのが、いわゆる蝦夷征伐な のだという。そしてアラハバキ族の子孫は中世には大陸と交易して栄華を誇り、さらにそ の末裔が現在も存続しているという。

 この文献は世にでるやたちまち、歴史雑誌やオカルト雑誌をはじめとしてNHKを含む マスコミ各メディアにもてはやされ、一時期は国立大学の史学教授にも関心を示す人がい た。だが、一九九三年、この文献の筆跡が現所蔵者のそれと一致することが判明して、偽 書であることが明らかになったというシロモノである。以上の顛末については拙著『幻想 の津軽王国』(批評社)を参照されたい。

 さて、今、この文献を読み返してみると、その歪みは古代に関する記述よりむしろ本来 の編纂時期であるはずの近世に関する記述の方が大きくなっていることに気付く。

 。かな古代の話となれば、東北地方に先住民族の国家があり、それが大和朝廷と対立し ていたといっても、まったくありえないとは断言しきれない。一九九四年、青森市の三内 丸山遺跡(縄文時代前期中葉〜中期末葉、今から約五五〇〇〜四〇〇〇年前)から巨大建 築の跡が現れ、古代東北のイメージが変わると話題になったのは記憶に新しい。新聞はそ れこそ、三内丸山人が何を食べ、何を着て、どんな家に住んでいたかまでくわしく報道し てくれたものである。実際、『東日流外三郡誌』信奉者の中には、この遺跡と『東日流外 三郡誌』の記述を結びつけた者もある。

 ところが『東日流外三郡誌』の近世に関する記述はいかがわしいものだった。たとえば 編纂者の一人、秋田孝季は三春藩(現福島県三春町)藩主の義兄で幕府の隠密、田沼意次 の命を受けて、シベリアから中国、さらには中東、エジプト、ギリシア、ローマまで旅し た探検家だという。またその妹婿である和田長三郎末次は、神道無念流の達人、庄屋であ り、神官であり、壱岐守の位を持つ上に秋田孝季のエジプト、ギリシア、ローマ行に同道 し、しかも文政五年八月と文政七年九月の二度、死んでいるのである。

 また、記録の日付が改元前のはずなのに改元後の年号を使い、近世の叢書には付き物の 閏月(江戸時代までの日本の暦では月にも閏があった)の日付もないなど、近世文書とし ては初歩的なレベルでの不自然さがつきまとっていた。

 では、なぜその程度の文書に多くの人が騙されてしまったのか。それは『東日流外三郡 誌』の江戸時代像がふつうの人々の江戸時代のイメージに近いものだったのである。それ は一口でいえば、テレビ時代劇の中の江戸時代のイメージだ。

 たとえば、なぜ秋田孝季らの名が『東日流外三郡誌』現所蔵者の提出する史料以外に出 てこないかといえば、「死して屍拾う者なし」の隠密だから当然だというわけだ。

 ちなみにこの言葉は『東日流外三郡誌』現所蔵者の自叙伝にも出てくる。それによると 現所蔵者は諜報要員の要請で有名な陸軍中野学校の卒業生で(これがこの人物の年齢を考 えるとどうしても計算が合わないのだが)、「死して屍拾う者なし」とは中野学校の校訓 だったというのである!!

 娯楽時代劇を見ている人は、江戸時代の人々が実際にはどのような暦を使っていたのか 、身分制度を維持するためにどのようなこまごまとしたしきたりがあったのかなど、頓着 することはない。
『東日流外三郡誌』は「小説や新聞からアイデアを得た人のでっちあげ」どころか、テレ ビの娯楽時代劇のようなものにすぎなかった。だからこそ、それは現実の江戸時代の制度 への知識がない人々に対して、説得力を持ってしまったのだ。

 作家の阿井景子氏は最近、テレビで史実の再現と称しながら、その実、トンデモない番 組が作られていることにつぎのような苦言を呈する。
「試聴率さえ上がればよいのかも知れぬが、良心を置き忘れては困る。実在の人物を取り 上げれば、たとえドラマであろうとも歴史と思って見ている人が多いのである。少なくと も、疑わしいものを断定して、あたかも本物のようにみせるのは慎んでもらいたい。テレ ビは影響力が大きいだけに、偽物が本物としてまかり通れば、真実がわからなくなり、後 後まで害を及ぼす」(「史実を歪める害を知れ」『現代』九六年十二月号)

 古代史に関する新発見は大々的に報道するマスコミが、一方では私たちのごく近い先祖 の暮らしについて歪んだイメージをうえつけていく。『東日流外三郡誌』の一件は私に、 「金の十字架の呪い」の教訓は今世紀初等のイギリス人だけへのものではなく、現代日本 の私たち自身へのものでもあることを教えてくれたのである。

 なお、グラッドストーン(一八〇九〜一八九八)はヴィクトリア朝イギリスの政治家。
首相の座に四度ついて、アイルランド国教廃止法・アイルランド土地法を成立させ、アイ ルランド独立運動に過酷な弾圧を加えた。

 

 

オカルト的思考入門−「イズレイル・ガウの誉れ」

 

 人はいかにしてオカルト的思考に陥るか、そのメカニズムを扱った短編が「イズレイル ・ガウの誉れ」である。しかも、この作品でまっさきにオカルト的思考に陥るのはブラウ ン神父その人であり、その忌みでも異色作といってよいだろう。
スコットランドの峡谷にそびえるグレンガイルの城、その城の主、故グレンガイル伯爵の 失踪の真相を求めて、探偵フランボウがのりこんでいく。伴うはスコットランド・ヤード のクレイヴン警部。その時、グラスゴーに赴任していたブラウン神父も一日だけの貴重な 休暇を友人とすごすべく、グレンガイル城を訪ねることにした。

 伯爵の失踪後、城に残っていたのは雑役夫のイズラエル・ガウのみ。現地の司祭長と牧 師は葬儀のため城に招かれ、この雑役夫が主人を棺に収めるのを見たというのだが、その 死について何ら正式な調査はなされなかった。そのため、葬儀は偽装で伯爵は今も城に隠 れているのではないか、という疑惑さえ生まれていたのである。

 フランボウは神父にそれまでの調査の進展を説明する。「グレンガイル卿について発見 されたことはただ一つ、彼が狂人だったということです」

 警部はすでに城内で発見された奇妙な品物についてのリストをまとめていた。
第一、かなりの量の宝石類。本来なら宝石は装飾として台にはめこまれたり、セットとし て連ねられているはずのものだが、それらはバラのまま転がされていた。
第二、大量の嗅ぎ煙草。それは容器に入れられず山盛りに積まれていた。
第三、バネや歯車の形をした細かい金属品。
第四、蝋燭二十五本、ただしそれを立てるための燭台はない。

 これらの奇妙な品物の間に筋を通すことなど、人間の心の及ぶところではないというク レイヴン警部相手に、神父はたちどころにいくつもの解釈を開帳してみせる。
「グレンガイルはフランス革命には頭から反対しておった。旧政体の熱狂的な支持者だっ た彼は、ブルボン王家の家庭生活を文字どおり再演しようと骨を折った。嗅ぎ煙草をもっ ていたのも、それが十八世紀の贅沢品だからです。蝋燭は、これも十八世紀の照明道具だ からです。機械みたいな鉄片は、ほかでもないルイ十六世の錠前いじりの道楽を表してお ります。ダイヤモンドが象徴するのは、マリー・アントワネットのダイヤの首飾りにほか なりません」
「故グレンガイル伯爵は盗人だった。棄鉢に稼ぎまくる強盗として、二重生活を送ってい たのです。彼が燭台をもっていなかったのも、蝋燭はただ自分で持ちはこぶ提灯のなかに 短く切って使えばよかったからで、嗅ぎ煙草のほうは、極悪非道のフランスの犯罪人たち が胡椒を使ったのと同じ手口に利用したのです。捕らえようとする人の顔にいきなりそれ を濛々と投げつけるというわけ。なによりの決定的証拠は、ダイヤモンドと小さな鋼鉄の 輪という二つのものが奇しくも一つに合致するということ−そこまで言えば、なにもかも はっきりするでしょう。ダイヤモンドと小さな鋼の輪こそ、ガラス板を切り取ることので きる唯一の道具なのです」
「グレンガイルは、自分の邸内で宝石を発見した−というより、発見したと思ったんです な。何者かがこのバラの宝石を見せて、それはみんな城の洞窟のなかで見つかったものだ とでたらめを言った。小さな輪はダイヤモンドを切り取る道具なんですな。彼は仕事を荒 っぽく目立たぬようにやった。このあたりの羊飼か荒くれ男を少々集めてやったんですが 、嗅ぎ煙草というのは、スコットランドの羊飼にとっては大の贅沢品ときているから、彼 らを買収するにはそれを使うのにこうたことはない。おつぎに燭台だが、それがないのは 要らなかったからです。洞窟を探検したとき、蝋燭は手に持っていたのですからね」

 神父が新説を出すごとに感心して聞き入るフランボウと警部。しかし神父はそれらの説 はすべて誤りだといい、「でたらめを言う十人の哲学者の説も宇宙にぴったり合う。十の いいかげんな説もグレンガイル城の謎を説明できるのです」と注意をうながす。

 奇妙な品物のリストはなおも続く。鉛だけで鞘のない鉛筆、頭の割れた竹が一本、古め かしい典礼書とカトリックの聖画、その神の名が記されるべき箇所と幼子イエスの頭の後 光が切り取られている。

 その典礼書と聖画を見た時、ブラウン神父は早急に伯爵の墓を調べるべきだと言い出す 。「これは散らかった嗅ぎ煙草だとか、バラの小石だとか、月並の理由でそこらにころが っているものとはわけが違います。今度のことが行われた理由は、わたしには一つしか思 いあたりません。そして、その理由はこの世界の根元にまでさかのぼるのです。(中略) つまり、この世の大悪魔がまさにいまこの城の塔のてっぺんに百頭の象にも匹敵する巨体 を休ませて、黙示録そこのけに吼え声をあげているかもしれないということなのです。こ の事件の奥底には、なにやら邪な魔術が潜んでいる。(中略)スコットランドが存在する 前のスコットランド人というのは、奇妙な種族でした。いや、いまでも奇妙であることは 変わりありません。しかし、先史時代には、おそらく悪魔を礼讃していたのではないかと 思います。(中略)正真正銘の宗教すべてに共通する一つの特徴があります。唯物主義が それです。ですから、悪魔礼讃も正真正銘の宗教なのです」

 吹きすさぶ嵐の中、荒涼として丘の頂きで、フランボウは力まかせに伯爵の墓を掘り進 み、見つけた棺を地上に引き上げた。クレイヴンの斧がその蓋を破る。中からのぞく人間 の骨、だが、その遺体からは頭部が失われていた。茫然とする三人。「頭をなくした人間 なら、この墓のまわりにもぐるりと三人いる」とブラウン神父はつぶやく。

 嵐が過ぎ去った後のさわやかな早朝、三人はイズレイル・ガウの馬鈴薯畑から失われた 伯爵の頭蓋骨を掘りあてる。だが、謎と恐怖が頂点に達したかに思えたこの瞬間、フラン ボウがもらしたちょっとした一言がもとでブラウン神父はようやく真相に思い当たる。

 重要なのは、何が残されていたかではなく、その奇妙な品々の周辺から何が取り去られ ていたかということだった。真相は禍々しい悪魔崇拝などに基づくものではなく、むしろ 関係者の善良さに基づく喜劇めいた話だったのである。

 

 

筋を通そうとする欲求

 

 世界は一見不条理に見える事柄に満ちている。その理由を解明し、ばらばらの現象の間 に筋を通そうとするのは人間にとって当然の欲求であり、それなくしては宗教や哲学も科 学も存在しえなかっただろう。

 しかし、ばらばらの現象をただ関係づけるだけならば、ブラウン神父がやってみせたよ うに幾通りもの説明がつけられるものである。ただ、説明の応用の幅が広いというだけで 、何の証拠もない仮説にとびつく心性こそ、オカルト的思考の温床である。

 たとえば、この宇宙は三十秒前に神によって創造されたという仮説を考えてみよう。驚 くべきことに、この仮説はこの世界のあらゆる事柄を説明できるばかりか、いかなる証拠 をもってしても間違いだと証明できないのだ。

 このような説を説く人に「私は何年も前の記憶を持っている」といっても無駄だ。それ は神がすべての人をその記憶と共に創造したと言ってしまえばよいからである(テレンス =ハインズによる)。このような例を考えてみれば、何でも説明できるような仮説、反証 が不可能な仮説は、まともな検討に値いしないのである。

 ブラウン神父が悪魔崇拝者の陰謀という結論で頭が一杯になっていた時、「ここにある 品物はいったいなにを意味するのです?」というフランボウの当然の疑問に、神父は「ひ ょっとしたら、嗅ぎ煙草と竹で拷問をすることができるんでしょうよ。きっと狂人という ものは、蝋や鋼屑に惹きつけられるんでしょう。鉛筆から猛毒の発狂薬を作ることもでき るんでしょう」と答えている。この時、神父の中でこの仮説はいかなる反証も受け付けな いものへと成長していたのである。

 マスコミに流布しているような俗説にもこのようなものはある。たとえば、UFOの宇 宙船説。UFOという語はもともと未確認飛行物体(Unidentified Fly ing Object)の略であって、本来、空を飛んでいるがその正体ははっきりしな い物体のことである。その現れ方は千差万別で、とても一つの仮説ですべてを説明できる ようには思われないのだが、それを異星人の宇宙船とみなしてしまえば、どのような事例 もそれなりの説明がついてしまうのだ(ちなみにUFO宇宙船説と湖の怪獣=恐龍説は実 証聖を重んじる研究者の間では相手にされていないにも関わらず、マスコミや大衆の人気 が高い説の双璧である)。

 ちなみに米空軍の調査機関プロジェクト・ブルーブックの結果では一九四七年から六九 年まで報告を受けたUFO目撃事例一万二六一八件の内、最後まで正体が分からなかった のは七〇一件とわずか五パーセント程度にすぎなかった。米空軍ではけっきょくUFOは なんら軍事的脅威にはなりえないと結論し、六九年にブルーブックを閉鎖している。

 だが、UFO宇宙船説の立場からすれば、ブルーブックそのものがUFOの真相を国民 の目から隠そうとする政府の謀略機関になるわけだ。

 UFO宇宙船説に限らず、オカルト的思考は陰謀論とも相性がよい。複雑な国際政治を 説明するのにユダヤ秘密結社やフリーメーソンの陰謀を持ち出す説もオカルト的思考の産 物だろう。いったん陰謀論の迷宮に迷いこんでしまえば、その仮説はもはや無敵となる。 それに関するあらゆる反証は、悪辣な陰謀家によってしかけられた罠に過ぎないというこ とになるからだ。だからこそ、物事を理性的に考えようとする人は陰謀論の陥穽に落ち込 むのを避けるのである。

 オカルト的思考の誘惑は根強い。ブラウン神父でさえ、典礼書と聖画への冒涜(?)を 見て、一気に悪魔崇拝者の陰謀というおどろおどろしい結論にとびついてしまった。だが 神父はフランボウの助けを得たとはいえ、ほとんど自力でオカルト的思考の落とし穴から 這い上がったのである。私たちもこのような分別を持ちたいものだ。

 

 

機械は本当に科学的?−「器械のあやまち」  科学者のセンチメンタリズム

 

 のどかな夕暮れ、四方山話に興じるブラウン神父とフランボウ。フランボウはアメリカ の科学捜査について話しだした。
「その新しい精神測定法というやつはたいした評判になっていますよ、とくにアメリカで 。なんのことだかわかるでしょう。それ、手首のところに脈拍計をつけておいて、なにか 二ことか三こと単語を言って、それにたいする心臓の反応を調べるというやつですよ。こ れをどう思います」

 神父答えて曰く−「なかなか面白いと思う。それで思いだしたが、中世の暗黒時代にも 、人殺しが死体にさわれば血が流れ出すというおもしろい考えがありましたな」
「まさか、今のと昔のと,この二つの方法が同じくらい貴重なものだと思っているんです か」
「同じように値打のないものだな。血というものは、死人だろうと生きた人だろうと、ゆ っくり流れたり、速く流れたり、いろいろだ。それには無数の理由があるんだろうが、わ れわれ人間にはわからない。血はたいへんおかしな流れかたもしなきゃなるまい。−たと えば、マッターホルンを流れのぼっていくというふうにな。そうしたら、わたしだってこ れは自分も血を流さなきゃならんと思うだろう」
「この測定法は、アメリカでも屈指の科学者が何人も保証しているんですよ」
「科学者というやつは、なんてセンチメンタルなのだろう。アメリカの科学者ときたら、 それに輪をかけて底ぬけのセンチメンタリストだ。心臓の鼓動からなにかを証明するなん て、アメリカ人以外のだれが思いつく。それじゃまるで、女の人が顔を赤くしたからおれ はその人に愛されているんだと考える男とちっともかわらないセンチメンタリストだ。そ の方法は、あの不滅なるハーヴェイが発見した血液循環説にもとづいたテストだが、いい 加減なものさ」
「それにしたって、それでなにかがぴたりとわからないともかぎりませんよ」
「なにかをぴたりと指しているステッキには一つ不便な点がある。それはなにか。ステッ キの反対のはしが正反対の方向を指すということだ。ステッキのどちら側のはしを持って いるかということによって事の正否はきまる。あんたが話したようなことをわたしは前に 見たことがあるが、それ以来そういうものは信じられなくなったのでね」

 かくしてブラウン神父は、かつてアメリカはシカゴの刑務所付神父として働いていたこ ろの経験を話し出す。その副所長は最新の心理測定器の信奉者で、刑務所の近くでつかま えた不審な男をさっそく器械にかけ、別の刑務所から断層した囚人だという結論を出した ばかりだった。ところがこの判断がもとで副所長はそれまで味わったこともないような混 乱へと巻き込まれるのである・・・

 

 

器械を使うのは人間

 

「器械のあやまち」はドタバタ喜劇である。その中では、アメリカ風平等主義の信奉者が イギリスに代表される伝統社会に抱き勝ちな偏見や、一般の人が犯罪者に抱き勝ちな偏見 など、さまざまな偏見が一つ舞台の上で揶揄されている。

 しかし、ここで取り上げたいのは、その中でも器械に対する偏見、すなわち器械は人間 よりも信頼できるという考え方だ。

 この手に器械信仰につけこんだ詐欺として有名なものにダイナマイザーがある。その発 明者(?)アルバート=エイブラムス博士はハイデルベルグで学位をとった、れっきとし た医学博士であり、サンフランシスコで開業するかたわら、多くの教科書をも著した学界 の重鎮であった。ところが一九〇九年頃から、エイブラムスは新しい医学理論を創設せん とする野心にとりつかれ、「ダイナマイザー」という診断装置を作ることになる。

 その装置から出ている針金を健康な人につなぎ、装置の中に患者からとった血のサンプ ルを置く。あとは健康な人の腹部を叩き、その音を聞くことによって、血液サンプル提供 者の病気を診断できるというのである。装置と接続された人体は、血液固有の波動をさぐ るセンサーの役割を果たし、その脊椎で増幅された波動を検出するというわけだ。

 エイブラハムはさらに進んで筆跡からもその人物の波動を検出できると主張し始めた。
これで歴史上の人物の病歴が探れる可能性も開けたのである。かくして、十八世紀文壇の 大御所サミュエル・ジョンソン、推理小説の創始者にして偉大な怪奇作家エドガー・アラ ン・ポー、耽美主義者として知られるオスカー・ワイルド、十七世紀の日記作家サミュエ ル・ピープスなど、品行不方正な作家たちはことごとく梅毒にかかっていたことが判明し た。もっとも詩人のヘンリー・ワーズワース・ロングフェローまでが梅毒にかかっていた というエイブラムスの診断には、誰もが首をかしげざるをえなかった。

 一九二〇年、エイブラハムはダイナマイザーの原理をさらに進め、波動によって治療す る「オシロクラフト」を発明した。エイブラハムによれば、薬が効くのは、薬の持つ固有 の波動が病気を打ち消すからだ。オシロクラフトは薬が持つ波動と同じ波動を患者に与え 、病気を根絶するのである。

 エイブラムスは一九二二年に電子医療財団を創設、ダイナマイザーとオシロクラフトで 荒稼ぎし、一九二三年にこの世を去った時には二百万ドルもの遺産を残した。

 あるミシガンの医者はエイブラムスに雄鶏の血液サンプルを送ったところ、マラリア、 ガン、二通りの性病にかかっているという診断書が届いた。エイブラムスはそれが人間の 血ですらないことに気付かなかった。エイブラムスの没後、その発明品は科学者たちの委 員会によって開封された。その中にあったのは、何の脈絡もなくつなぎあわされた針金と 電気部品のみであった(マーチン・ガードナー著、市場泰男訳『奇妙な論理II』社会思想 社、一九九二、原著一九五二)。

 エイブラムスは今世紀初頭、科学の進歩に浮かれる人々の心理に見事につけこんだ。し かし、現代日本の私たちはエイブラハムに騙された人々を笑うことはできない。最近、人 体や製品の固有波動を測定することによってその人の健康状態やその食品の健康への影響 が判定できるという類の本が次々とヒットしているが、その主張はエイブラムスとまった く同じといってよいのである。天の下何一つ新しきこと非じ、というわけだ。

 また、最近ではその波動を測定する装置なるものも売られている。その元祖は一九八九 年、アメリカのロナルド・ウィンストックが発明した共鳴磁場分析器(MRA)だが、そ れは実際には、測定者の手のひらの電気抵抗を計っているにすぎない。

 手を押しあてる強さによって、器械に直接触れる面積や手のひらにかく汗の量が変わり 、電気抵抗もそれに変わる。したがって、実際に結果に反映しているのは対象そのものの 性質というより、オペレーターが対象に抱く先入観である(福本博文「波動汚染」、多湖 敬彦・田中聡「いい〔超科学〕悪い〔ちょ〜科学〕」、『別冊宝島334・トンデモさん の大逆襲!』、一九九七、所収)。

 ところで、この波動測定器の原理はいわゆるウソ発見器とも同じである。つまり、ブラ ウン神父とフランボウが話題にしていた心理測定器の発展した形態であるというわけだ。 ただ、ウソ発見器では被検者にあたるのが、波動測定器ではオペレーターと称しているだ けである。器械で人間の心理が計れるかも怪しいのに、その同じ器械を使って被検者以外 の人の健康状態まで判ると信じるとは、器械信仰もはなはだしい、とブラウン神父もあき れているに違いない。

 もっとも器械崇拝の対象は波動測定器のようないかがわしいものだけではない。最近、 コンピュータ・シミュレーションによる未来予測というのが流行っており、その理論的根 拠として「複雑系」という考え方ももてはやされているが、実際にはどんな予測でも最初 のデータを入力設定するのは人間なのである。コンピュータ・シミュレーションは最初に 出したい結果があって、それに合わせて頑張る作業にすぎない。本当の予測はコンピュー タに入力設定する前の時点であらかた終わっているのである。

 だが、科学者は計算はコンピュータがひとりでにする、実験的真実は自らの人為とは独 立した文字通りの真実だ、などと思い込みやすいという。

 そのくせ、自分の予測した以外の結論が出ると、その実験は失敗だったとして潰し、自 分の希望するデータが増えるようにやりなおしてしまう(眠艶之進・田中聡「先端科学株 式会社」『トンデモさんの大逆襲!』前掲、所収)。

 ブラウン神父も「器械のあやまり」で、パニックに陥った副刑務所長を次のようにたし なめるのである。
「あんたは器械がまちがえるはずはないとおっしゃった。たしかにある意味ではそうでし た。が、もう一つの器械がまちがいをやらかした。器械を動かす器械が狂ったのですよ」 器械を動かす器械、すなわち装置を設定し、そのデータを解釈する人間である。

 器械が人間の信頼を裏切り、シミュレーションとはまったく異なる動きをとる。そのも っとも恐ろしい例を私たちはチェルノブイリ、スリーマイル島、そして我が国の「もんじ ゅ」、東海村と続く原発、原発関連施設の事故において見てきた。

 器械を動かすのはあくまで人間であり、最初に人間が誤れば、器械は命じられたまま、 ひたすらその誤りを拡大する方向に動くものなのである。すでに私たちの生活は器械なし には立ちいかないところまで来ている。だからこそ、私たちは自らの器械信仰を反省する 必要があるだろう。その潜在的危機に比べれば、エイブラハムの詐欺などむしろ微笑まし いといってよいほどなのだから。

 

 

 

                       1997  原田 実