本を読む、ということ−「折れた剣」

 

 


 

 

アーサー・セント・クレア卿の謎

 

 イギリスの英雄、陸軍大将アーサー・セント・クレア卿の記念碑に詣でたブラウン神父 とフランボウ。神父はフランボウにセント・クレア卿の謎について語り出す。

 セント・クレア卿は生涯最後の戦闘でブラジルのオリヴィエ大統領と戦い、大軍相手に ごく少数の兵での突撃を敢行した。卿はその戦いが捕虜となった後、無残な宙吊り死体で 発見されたのである。ここでブラウン神父はフランボウに問い掛ける。

 なぜ、老練な戦略家のセント・クレア卿が、誰が考えても勝ち目のないような無謀な作 戦をとったのか? なぜ、寛大な理想家として知られるオリヴィエが、セント・クレア卿 に対してのみ、かくも残酷な処刑を行ったのか?

 さらに不思議なことは続く。セント・クレア卿の主治医は卿の死後、彼が実は狂信者だ ったと暴露、非難したということ。セント・クレア卿の部下で後にその娘と結婚したキー ス大尉はその自叙伝で、その最後の作戦が「将軍の一生におけるもっとも抜群かつ深慮の 戦闘」であり、オリヴィエもまた「同戦闘に際して日頃以上の善良なる人間味をもって行 動した」と証言していること。

 フランボウは自分の推理を開陳するが、神父は「あんたの話は清らかだ。(中略)世の なかには、それよりもっとひどいことがあるんだよ」と身震いするばかり。

 ブラウン神父はその手元に集まってきた関係者の証言をもとにすでに事件の真相にたど りついていた。ブラウン神父は重大さゆえに沈黙を守ろうとしていたのだが、ただ一人、 フランボウにだけは打ち明けておきたかったのである。

 

 

聖書の読み方いろいろ

 

 さて、「折れた剣」は私の見るところ、「ブラウン神父」シリーズでも随一の傑作であ る。まず、その冒頭の美しさ−
「森では、樹々の千本もの腕が灰色にくすみ、百万本もの指が銀色に輝いていた。石板を 思わせる濃い緑青色の空には、氷のかけらのような星が荒涼ときらめき、こんもりした森 におおわれて、住居のまばらなこの一帯は、もろくはげしい霜でこちこちに固まっていた 。樹の幹と幹とのあいだのまっ暗な空間は、あのはかり知れぬ酷寒の地獄、スカンジナビ ア半島の底なしの暗黒洞窟そっくりだった。教会の四角い石塔さえが異教的な感じをあた えるほど北方的で、アイスランド沿岸の岩礁にそびえ立つ未開人の塔を思わせた。何者に せよ、こんな晩に教会の墓地を探るというのは、ふつうのことではあるまい。が、反面、 これはけっこう探り甲斐のある墓地なのかもしれない」

 また、「賢い人間なら小石をどこに隠すかな?」「浜辺でしょう」「賢い人間なら樹の 葉はどこに隠すかな」「森のなかですよ」「さよう、賢いひとは小石を浜辺に隠す。だが 、浜辺のないときにはどうするかな?」という有名なやりとりで暗示されるトリックも素 晴らしい。笠井潔氏は、このトリックに着目し、「折れた剣」こそ二十世紀、大量死(世 界大戦)の時代の文学としての本格探偵小説の先駆とみなしている。

 さらに謎解きも終えた後、最後に来るオチとなるとこれはもう絶妙である。

 だが、その傑作の中でも、ここで特に取り上げたいのは、ブラウン神父の語る聖書の読 み方に関するくだりである。
「アーサー・セント・クレア卿は自分の聖書を読む男だった。彼の問題はそこにある。い くら自分の聖書を読んだところで、あらゆる他人の聖書を読んでみないかぎり、なんの役 にも立たぬということを、世間はいつになったら理解するだろう。印刷屋は誤植探しのた めに聖書を読む。モルモン教徒はモルモン教の聖書を読んで、そこに一夫多妻制を見つけ だす。クリスチャン・サイエンスの信者も、やはり専門の聖書を読んで、人間には手も足 もないと考える。セント・クレアは、インド育ちのイギリス人で、プロテスタントの老兵 だった。さあ、するとどういうことになるか考えてごらん−ただし、それについてのお説 教はごめんだな。つまり、これは、熱帯の太陽が照りつける東洋の社会に暮し、良識も指 導もなしに東洋の書に読みふけった肉体的に手に負えぬ男ということになりかねない。む ろん、彼は新約聖書よりむしろ旧約を読んだ。むろん、自分の求めているものがすべて、 肉欲も専制も反逆も、みんな旧約にのっていたからさ。あの男がいわゆる正直者であった ことは否定せん。だが、不正直を礼讃することにおいていくら正直だったところで、どう にもなるまい。あの男は、神秘的な熱帯のどの国に行っても、ハレムに妾をかこい、証人 を拷問し、不善の富を集めた−にもかかわらず、当人に言わせれば、それは主の栄光のた めにやったのだと眼をそむけもせずに言ってのけたろう。わたし自身の神学でいえば、そ れはどっちの主なのか、神なのか悪魔なのかと問うてやりたいところだ。ともかく、こう いう悪は、その性質上、つぎからつぎへと地獄の戸をあけてしだいにせまい部屋に入って 行くものなんだよ。犯罪がよからぬものであるという真の理由は、人間がしだいに奔放に あるからでなく、ただただ卑しくなるばかりだからさ」

 アメリカで大きな社会問題となっている思想にキリスト教原理主義(ファンダメンタリ ズム)がある。これは聖書にある記述は一字一句すべて真実であるという主張で、極端な ものは今でも大地は平らであるなどと言い出す。

 旧約聖書に大地の四方の隅と、天を支える柱についての記述があるからだ。ちなみにイ ギリスの地球平坦説論者で一九一四年に『地球は回っているか?』を著したウィリアム・ エッジルのスローガンは「真理は必ず勝つ」だった。

 そこまで極端でなくとも、地球上の生物の種はすべて神によって創造されたのだから、 進化論は間違っているなどと主張する者は多く、アメリカでは学校で進化論を教えること の是非がしばしば裁判で争われている。ことに一九八〇年代以降、ファンダメンタリズム はアメリカでふたたびその勢力を延ばしつつあり、ロナルド・レーガンも大統領在職中、 自らファンダメンタリストであることを認めたりしたものだ。

 また、キリスト教系の新興宗教にもしばしば聖書を一字一句ゆるがせにせず読むことを 唱えるものがある。聖書の律法に「汝、血を食べることなかれ」とあるのを根拠に、輸血 を禁じた某教団などはその代表である。しかし、こうした聖書の絶対化は悲惨な結末を招 きかねない。なぜなら、聖書にはこの世の終末のありさままで予言として書かれているか らだ(特に旧約の『エゼキエル書』、新約の『ヨハネ黙示録』など)。

 それによると、主なる神に選ばれた人々は、神の敵に包囲されるが、最終戦争で敵をこ とごとく撃ち破り、復讐を果たすのだという。聖書を絶対視する人々が自らを神に選ばれ た人の側に属させて考えているのは明らかだ。彼らの活動がなんらかの制限を受ける時、 その相手はすなわち神の敵ということになるだろう(そしてそれは国家や社会全体であっ たりする)。ここに戦いを正当化する論理が生まれるのだ。キリスト教系カルトがしばし ば国家相手に悲劇的な結末を迎えるのはそのためだ。

 八〇年代、ファンダメンタリストの勢力が伸長したのも、当時の人々が“悪の帝国”ソ 連との決戦が近いという予感を抱いていたからだろう。今にして思えば、ファンダメンタ リストを辞任する大統領がよく最終戦争の引き金をしかなかったものと胸をなでおろさず にはいられない。

 ファンダメンタリストは聖書に固執する。しかし、それは実は彼ら自身の聖書の読み方 に固執しているだけなのである。聖書に限らず、特定の書物について、一つの読み方に固 執し、他の人のいうことに耳を傾けようとしない者は多い。書物にはさまざまな読み方が ある、この当たり前のことを認める柔軟さが人にあれば、宗教、イデオロギーがらみの悲 劇のほとんどは避けられるのではなかろうか。

 

 

セント・クレア卿のモデル

 

 さて、セント・クレア卿のモデルがイギリス史上実在の英雄チャールズ・ジョージ・ゴ ードン(一八三三〜一八八五)であることは衆目の一致するところである。

 ゴードンは一八六〇年、フランスと共同での中国派遣軍に参加して北京を陥落させ、そ のまま中国南部で転戦を続けて六四年についに太平天国を鎮圧、清朝皇帝が報償金を授け ようとするもこれを辞退して、その武勇と高潔さを知られることになる。

 七〇年代にはスーダン赤道州知事、スーダン総督を歴任。一九八三年末、ベルギー国王 よりコンゴ盆地を“文明化”し、コンゴ自由国を建国するよう依頼されるが、イギリス陸 軍省はそれを認めず、かわりにスーダンのハルトームに立て籠もるイギリス軍とエジプト 軍を撤退させるため至急現地に赴くよう命じた。

 当時、スーダンではマフディ(救世主)と讃えられるムハンマド・アフマドがイギリス の支配と闘っていたが、彼は無闇な流血を嫌い、説得による無血開城で次々と都市を占拠 していた。イギリス政府はスーダン支配が経済的に引き合わないことを知り、できるだけ 安上がりに引き上げたいと願ったのである。

 だが、ゴードンはそれまでの慎重な戦いぶりとは異なる戦略をとった。八四年二月、ゴ ードンはハルトームにつくや、スーダン独立を宣言、撤退どころかマフディ軍との全面対 決に向けて陣営を整えたのだ。同年三月、マフディ軍のハルトーム進撃が始まる。十カ月 に及ぶ攻防の末、八五年一月、ハルトームは陥落。ゴードンの果敢な、だが無謀な抵抗の ためハルトームは兵士の血で溢れた。それはマフディの望まぬ結果であった。

 ゴードンはずたずたに切り刻まれた死体で見つかる。切断された頭は樹につきさされ、 マフディ軍はそれに石を投げつけていた。

 ゴードンへの同情と彼を見殺しにしたイギリス政府への反感から英雄崇拝が始まる。ゴ ードンの死が報じられた直後、三月十三日の金曜日は大英帝国臣民の服喪の日と定められ た。かくしてイギリスは帝国主義的風潮が蔓延することになるのである。

 だが、マフディ軍はそれまで、いかなる難敵といえども戦死者の遺体をはずかしめるよ うなことはなかった。ゴードンの何がマフディ軍のそこまでの怒りをさそったのだろうか 。ゴードンは女性と共にいるのを好まなかった。ハルトームでのゴードン歓迎パーティー で宴たけなわとなった頃、兵士と裸の女性たちのバレエの列にお偉方までが飛び入りしは じめると、ゴードンは突然部屋から出ていき、そのままパーティーはおじゃんになったと いう話がある。また一方でゴードンは社会奉仕にも熱心で浮浪児を集めた病院や学校に援 助したり、孤児をひきとったりした。

 これらのことは一件、潔癖さと博愛の現れのようにも見える。だが、サミュエル・ロー ゼンバーグは「ゴードンは二つのものを個人的に熱愛していた。一つは彼が絶え間なく読 んでいた聖書である。もう一つのあまり神聖とはいえないものについて、常に皮肉なスト レイチィは次のように書いている」として、今世紀初頭の伝記作家、リットン・ストレイ チィの見解を引用する。孫引きで恐縮だが、それによると、ゴードンは少年愛好者であり 、マフディ軍は彼のこの「不自然な悪徳」を嫌悪したのだという(ローゼンバーグ著、柳 沢礼子・小林司訳『シャーロック・ホームズの死と復活』河出書房新社、一九八二、原著 一九七四)。なるほど、十九世紀のイスラム教徒にとって(そして当時のキリスト教徒に とっても)同性愛は忌むべき罪悪とみなされていたはずである。

 だが、ゴードンは高潔な博愛主義者としての自己像を守り通そうと終生努めた。ささい な悪徳を否認することはより大きな邪悪さを導くもとである。ゴードンの晩年にはさまざ まな謎と疑惑がつきまとう。たとえば、ゴードンはかつてスーダンの州知事、総督時代に は奴隷売買に反対していたにも関わらず、ハルトームで協力者に選んだのは悪名高い奴隷 商人ゾベイル・パシャだったのである。

 しかし、イギリス国民はそうした疑惑を追求するよりも、帝国主義の象徴たるゴードン 像を守りぬくことを選んだ。それに愛国心あふれる英雄というゴードン像もあながち虚像 というわけではないのだ。

 チェスタトンをして「折れた剣」を書かしめたもの、それは、そうしたイギリス国民の 選択に対する違和感に他ならなかったであろう。

 最後に一言、ブラウン神父はなぜ沈黙を誓ったはずの秘事をフランボウにもらしたのだ ろうか。その答えは「狂った形」にある次のような神父の述懐に示されている。
「フランボウ・・・おまえは、わたしにとってこの世でただ一人の友達だから、話がした いのさ。というよりも、いっしょに無言でいたいのかもしれん」

 ブラウン神父の仕事は人の告白を聞き、告解を与えることである。だが、ブラウン神父 自身がこの世界に満ちた罪の重さにうちひしがれそうになった時、共にそれを背負ってく れる友として選んだのは、改悛した元犯罪者だったのである。ブラウン神父とフランボウ の絆、それはこのシリーズの重要な魅力の一つといえよう。

 

 

鏡の国の論争−「ヒルシュ博士の決闘」 無神論者の陰謀

 

 ヒルシェ博士はフランスが誇る大科学者であり、平和主義者であり、しかも無神論者で あった。とはいえ、フランス政府は博士の頭脳と業績に大いに期待しており、博士もそれ 応えて、つい最近、無音火薬を発明したばかりだった。

 そのヒルシュ博士が弟子の下に一通の手紙をよこす。それには、デュボスクという盲目 的愛国者の士官がヒルシュを告発するといっていること、そのデュボスクをカフェに差し 向けるので、質問に答えてほしいという旨、記されていた。その最後の一行は「グレフュ ス事件の二の舞いになりそうです」としめくくられていた。

 カフェで待つヒルシェの弟子たちは、デュボスク大佐の怒鳴り声に驚かされる。すでに デュボスクは群衆の前でヒルシェを告発する演説を始めていた。曰く、逮捕されたばかり のドイツのスパイが無音火薬の秘密をありかを示すメモを持っていた。それはヒルシェの 筆跡でヒルシェにしか知りえない内容を書いたものだ、云々。

 群衆を率いてデュボスクはヒルシェの家に押し掛けていく。デュボスクが身を翻し、門 のアーチをくぐったかと思うと、たちまち家の中からデュボスクのあばれる物音が聞こえ てきた。興奮する群衆。だが、その家のバルコニーに姿を現したヒルシェは青ざめた顔に 決意を示し、群衆に話しかけた。曰く、裁判の前に決闘で解決をつけるという紳士の義務 を果たしたい、という。群衆の中から介添役として二人の男がなのりでる。その一方はヴ ァローニャ公爵、もう一人はフランボウだった。

 夕暮れのカフェ、フランボウはブラウン神父に調査結果を語る。問題のメモはでたらめ でつじつまの合わないものだった。ヒルシェが愛国者なら、最初からそのようなメモを書 くはずはないし、ヒルシェがスパイだとすると、でたらめなメモを相手に渡すはずはない のである。話を聞いた神父も首をかしげるばかりだ。
「さあ、どうだかわからない。わたしに考えられることはただ、そう、あのドレフュス事 件はわたしにもさっぱりわからなかった。だいたいわたしは、道徳的な証拠をほかのどん な証拠よりも楽につかめたのだ。人の目つきや音声でわたしが判断するのをあんたは知っ ているね。この人の家族は幸福そうか、この人はどうな事を選び、どんな事を避けるか− そういったことを判断の材料にする。ところが、あのドレフュス事件ではすっかり悩まさ れた。両派にきせられた罪のおそろしさからではない。むろん、こんなことをいうのは近 代的でないが、どんな高い身分の人でも、人間の本性のうちにはいまだにチェンチやボル ジアになる可能性がひそんでいることをわたしは知らないわけじゃない。しかし、わたし を悩ませたのは、両派のまじめさだったんだ。政治的な党派のことをいってるんじゃない 。党派を作っている連中は劇場の観客みたいなもんで、簡単に信じては、すぐにだまされ てしまうものさ。わたしが言いたいのは劇の主要人物のことだ。もしその人物が共謀者な ち共謀者のことだし、その人物が裏切者なら裏切者のことだ。とにかく事実を知っている にちがいない男のことを言っているんだ。さて、ドレフュスは自分が非道な扱いを受けて いることを知っている人間のごとくにふるまった。しかし、フランスの政治家や軍人たち は逆に、ドレフュスが非道に扱われているどころか、まさにほんとうの悪人であることを 知っているかのごとくにふるまった。なにもわたしは政治家や軍人たちのほうが正しかっ たと言っているんじゃない。ただその連中が確信ありげにふるまっていたと言いたいのだ よ。こういうことはどうも話しづらい。ともかく自分が言おうとしていることは心のなか でわかっているんだが」(チェンチとボルジアはルネサンス時代の富裕な名家。それぞれ 暗殺を常としたことでも名高い)

 フランボウは無神論者のヒルシェよりも愛国者のデュポスクの方に好意的なのだが、神 父は懐疑の表情を浮かべる。デュボスクはヒルシェの失脚を狙って事件をでっちあげたの か、それともヒルシェは本当にスパイだったのか。
「なあ、フランボウ、わたしはすべてのことを疑っている。きょう起きたことのすべてを だ。自分がまのあたりに見たことなのだけれど、わたしは、あの事件のいっさいを疑わし く思う。まさしくこの自分の目で見てきた光景がなにからなにまで信じられないんだ。ど うやら、この事件にはありふれた刑事上の事件とはまったく違ったところがある。ふつう の事件では、いっぽうの側が多少でもうそをつけば、反対側はその分だけ本当のことを言 っているということになるのだが、これはそうじゃない」

 そこにヴァローニュ公爵が駆けつけた。デュボスクは急に告発をとりさげ、国外に去る といいだしたのだという。もちろん決闘は中止である。ユダヤ人とフリーメイソンの陰謀 に違いないとくやしがる公爵。だが、その瞬間、神父は事件の真相にたどりついた。

 デュボスクの後をこっそりと尾行する一同。その先で、フランボウと公爵はすでに神父 が予見していた真相と出会い、愕然とするのである。

 

 

ドレフュス事件

 

 ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、「ヒルシェ博士の決闘」について、スティーブンソンや ドストエフスキーの有名な本に啓示を与えた古来のテーマを、じつに多様な形で独創的に 練り直したものだと賞賛している(『バベルの図書館1 アポロンの眼』序文)。

 ドストエフスキーがその「有名な本」を書いたのが一八四六年、スティーブンソンの方 は一八八六年だから、「ヒルシェ博士の決闘」が収められた『ブラウン博士の知恵』が出 る一九一四年には、なるほどすでにそれは「古来のテーマ」となっていた。
「ヒルシェ博士の決闘」を支えるトリックもしくはモチーフは、チェスタトンが特に好ん だものであり、「ブラウン神父」シリーズではくりかえし用いられている。そして、その 萌芽はチェスタトン最初の長編小説『新ナポレオン奇譚』(一九〇四)ですでに現れてい るのである。

 さて、チェスタトンをしてこの作品を書かしめるきっかけとなり、作品中でも言及され るドレフュス事件について述べたい。その発端となったのは一八八四年、ある女スパイか らもたらされた情報だった。彼女はフランス情報部に、ドイツ大使館のごみ箱から、フラ ンスの国防に関する極秘文書を抜き書きしたメモを見つけたと報告してきたのである。

 そのメモが証拠とされ、ユダヤ人の砲兵士官ドレフュス中尉が国家機密漏洩容疑で逮捕 される。参謀本部の一少佐がその経緯を国粋的反ユダヤ新聞に投書し、世論はたちまちド レフュス弾劾に沸き上がった。その影には、普仏戦争直後、いまだドイツへの反感さめや らぬ国民感情を今一度もりあげようとする陸軍参謀本部の思惑もあった。ユダヤ人のドレ フュスはそのためのスケープゴートにしたてあげられたのである。一八八五年、ドレフュ スの軍籍位階は剥奪され、その身は仏領ギアナの流刑地、悪魔島に幽閉される。

 文豪エミール・ゾラはドレフュスの無罪を主張し、急進派新聞に大統領宛の公開質問状 を発表した。セザンヌやモネら芸術家もドレフュスを救うために運動した。しかし、フラ ンス国家も威信にかけてドレフュスへの有罪判決をまもろうとする。そして、反ユダヤ意 識と愛国心の結びついた国民感情もドレフュスの前に壁となって立ちはだかった。ドレフ ュスの無罪が宣告され、軍籍復帰が認められたのはようやく一九〇六年のことである。

 私は以前、故あって、ドレフュス事件のことを調べたことがある(拙稿「偽史と陰謀」 『季刊邪馬台国』五七号所収、「『東日流外三郡誌』真贋論争の倒錯」『季刊邪馬台国』 六一号所収、参照)。

 ドレフュス事件をめぐる当時の論争では、当初、検察側がマスコミを利用して国民感情 をかきたて、弁護側もまた感情にうったえる戦術をとった。双方とも相手が提出した証拠 を捏造だと非難した。ドレフュスの毅然とした態度は、検察側からはふてぶてしい開き直 りととられ、弁護側はこれぞ無実の者のみが持ちうる威厳ある態度とみなした。もっとも 、ドレフュスが震え上がっていれば、検察側は罪の意識の現れとみなし、弁護側はいわれ なき罪名を浴びせられた恐怖によるといっただろう。何を以て事実を明らかにするか、そ の判定の基準を見失ったまま論争だけが続けられたのである。

 そして奇妙なことに、あるいは当然のことながら、そのどちらも論争の最初から自分の 側が絶対の真実を手にしていると信じていたのだ。

 この種の水掛け論となると、第三者からみれば、論争の当事者同士、互いに似ているよ うにも思えてくる。どちらも自分の言うことのみを信じ、相手の言うことに耳を傾けよう としないことでは同類だからだ。その結果、事実の追求という目的はどこへやら、ただた だ相手を言葉でねじふせさえすれば勝ちという勘違いを犯すことになる。

 口論が終わるころには、始めた時の主張がそれぞれ入れ代わっていたなどというのは子 供のケンカではよくあることだ。

 そのあたりの滑稽さ、違和感を揶揄するには、スティーブンソンやドストエフスキー以 来の「古来のテーマ」がまさにうってつけだったのである。

 論争が水掛け論になってきたら、さっさと切り上げるのが賢明である。おそらく相手は 「むこうが逃げ出したのだから、こちらの勝ちだ」と勝利宣言するだろう。しかし、論争 の渦中を離れて冷静に見ている人は、どちらが真の勝者かわかってくれるものなのである (もっとも切り上げるタイミングが掴みにくいのも水掛け論の特徴なのだが)。

 ちなみに、最近では関係書類の光学的情報処理により、問題のメモがドレフュスの筆跡 ではないことが改めて確認されたという(ブライアン・ケイ著、二階堂黎人訳『最後の名 探偵』原書房、一九九六、原著一九九五)。いまだに事件の真相がすべて明らかになった とは言い難いが、ドレフュスが冤罪であったことは改めて確認されたようだ。

 なお、余談だが、ブラウン神父は、黒髪でがっしりした体格で口髭を生やしたデュボス クと、赤毛でほっそりした体格であごひげを生やしたヒルシュは「相手の正反対」であり 、相殺しあっているという。だが、それを言うなら、ずんぐりした小男のブラウン神父と 逞しい大男のフランボウの関係はどうなのだろう。

 デュボスクとヒルシュは決して相まみえてはならない不吉な一対だった。だが、ブラウ ン神父とフランボウは一対なるが故に共に手をたずさえていける幸福な存在だったのであ る。その対比もまたこの作品を味わい深いものにしている要因なのである。

 

 

神秘主義がはらむ危機−「翼ある剣」 血塗られた魔術師

 

 十二月の寒い朝、ブラウン神父は警察医ボイン博士の訪問を受けた。警察の領域か、宗 教家の領域か、それとも精神科医の領域か、決めがたい不可解な事件が起きているという 。かつてエールマーという大地主がフィリップ、スティーヴン、アーノルドという三人む 息子をもうけた。だが、エールマーにはべつにジョン・ストレークという養子があり、こ の男は晩年のエールマーにさまざまな神秘主義をふきこんでいた。

 エールマーは遺言書でストレークに全財産を遺したが、三人の息子の異議申し立てを受 けた裁判所はその遺言を無効とし、息子たちに遺産を相続させた。

 ストレークは三人とも殺してやると宣言し、それから間もなくしてフィリップとスティ ーヴンが変死を遂げたのである。かくして、アーノルド・エールマーは警察に保護を求め ることにしたのだった。

 アーノルドと話をして、その精神状態を確かめてほしい、というボインの願いに応じて 、神父は相手の家を訪れる。その家の主は、二人の兄弟が死んだ時の不可解な状況につい て語る。どうやらストレークはマントをはためかせて空を飛ぶことができるとしか思えな いというのである。
「新約に出てくる魔術師シモン・マグスがそうだった。それに暗黒時代にもっともはやっ た予言の一つに、反キリストは飛ぶことができるだろうというのがあった。それはとにか く、あの手紙には空飛ぶ短剣が描いてあった。実際に飛ぶかどうかは別として、人を突き 刺すことはたしかにできる道具です」

 ストレークは兄たちを殺した時、翼ある剣の紋章の入った脅迫状をよこしてきた。そし て同じ脅迫状がその日の朝、アーノルドに送られてきたという。
「兄たちが不運にも負けてしまったのは、見当違いの武器を使っていたからだと思います ね。(中略)ふたりとも父が老後に信奉したおかしな神秘主義にたいする反動から懐疑的 な冷笑家になっていたのです。けれどもわたしは、父だって兄たちが見くびっていたよう なものじゃなかったことを知っています。そりゃ、たしかに父は魔術を研究したばっかり にしまいには悪魔の魔術にたおされました。あの悪漢のストレークの魔術にかかったので す。けれども、兄たちはそれにたいする解毒法をとり違えていた。悪魔の妖術にたいする 解毒剤は野蛮な唯物思想でも、世俗の知恵でもない。黒の魔術を解毒するのは白の魔術な のです」

 こう言って彼は銀のスプーンについている小さな使徒像をもぎとり、弾丸として拳銃に 充填した。白い雪に覆われた庭に、黒いマントの敵が現れる、その時を待ち受けるためで ある。そして、その直後、神父の眼前で惨劇が展開する・・・

 

 

永遠の輪廻

 

 チェスタトンは『正統とは何か』(一九〇八)の中で、「現実の人間の歴史を通じて、 人間を正気に保ってきたものは何であるか。神秘主義なのである」と述べ、「神秘主義の 威力の秘密は結局こういうことである。つまり、人間は、理解しえないものの力を借りる ことで、はじめてあらゆるものを理解できるのだ」としていた。

 そして、この作品の中にも次のようなくだりがある。
「だれでもみんなあらゆることを信じている−あらゆることを否定しているときでさえも 。否定する者は信じている。不信者もまた信じている。こういう矛盾はじつは矛盾してい ないのだと、あなたは心の奥底で感じてやいませんか。あらゆる矛盾を包含しつくす宇宙 があるいうことが感じられませんか。魂は星の車にのって一めぐりし、あらゆるものはま ためぐりきたるのです。(中略)獣の姿には獣の姿で、鳥には鳥で、そして今後もふたり は争いを続けるでしょう。しかし、ふたりはともに求めあい、必要としあっているからに は、この永遠の憎悪とても永遠の愛にほかならぬのです。善も悪も唯一無二の車によって 回転する。あなたは心の底で、あなたのあらゆる信仰の裏側で信じてはいないでしょうか −実在はただ一つあるのみで、わたしたちはその影にすぎぬのだということを。そして、 森羅万象は唯一なるものの相であり、その中心にあっては人間は人類に、人類は神に化す のだということを」

 だが、ブラウン神父はこれに対して一言「信じません」と言い放つのみだった。実はこ れは殺人者ジョン・ストレークの述懐なのである。

 一切が終わった後、神父はボインを相手にストレークの手口と思想について語る。
「奴がわたしに催眠術をかけ、護符のような視線と呪文のような声の魔術でわたしを牛耳 ろうとしているのに気がついた。これはいつもエールマー老人にたいして使っていた術に ちがいない。しかし、それはあいつのしゃべりかたばかりじゃなくて、話の内容そのもの についても言えることだった。彼の宗教と哲学もまたよこしまだったのです。(中略)あ らゆる宗教にはあらゆる種類の人間がおるものです。悪い宗教にも善人がいるし、善い宗 教にだって悪人もいる。しかし、ここに一つだけ、わたしが単なる現実家として学びとっ た事実があるのです。これはあくまで経験から拾いとったもので、動物が曲芸を覚えたり 、よい葡萄酒に商標がつけられたりするのと同じようなものです。さて、わたしがこれま でに出くわした悪党で哲学を論ずるようなやからはかならずといっていいくらい、東洋思 想だとか再現説だとか化身説、運命の車輪だとか、おのがしっぽをかんでいる蛇だとか、 そういった方向に哲学していたが、わたしはあくまでも実際の生活から、そういう蛇に仕 えている連中には呪いがかかっているのに気がついた。腹ばいてゆきてちりをくらうべし と旧約にあるとおりなのです。どんなごろつきや放蕩者だんてこのぐらいの精神的なこと はしゃべれるのです。むろん、こういう哲学だってその宗教的な根源においてはもっと違 ったものであるかもしれない。けれども、現にここにあるわたしらの実際の世界では、そ れはならず者の宗教なのです。わたしはだから、それを吹聴している人間がならず者であ ることがすぐにわかったのです。(中略)神秘主義とか宿命論というのは、ああいう男が 理想家になろうと本気で苦心しているときに思いつく理想なんですよ。できうるかぎり理 想主義的になることがあの男のわたしを相手にしたゲームのすべてだった。そして、ああ いう男がこういうことをくわだてるときの理想はたいていこういうものなのです。あの種 の人間は、手から血をしたたらせながらも仏教のほうがキリスト教よりもすぐれているな どと本心から言ってのけることができるのです。それだけでも、奴の考えているキリスト 教がどんなものだかということがおそろしくもはっきりしてくる」

 チェスタトンは東洋思想に対して否定的だった。というよりも彼とほぼ同時代の哲学者 、ショーペンハウアー派やニーチェが讃えたような、いわゆる東洋思想に対して否定的だ ったというべきかも知れない。

 一切が循環輪廻して無に帰するという当時流行の哲学はさまざまな彼の著作、特に『人 間と永遠』(一九二五)においてくりかえし批判されている。

 仏教には確かに輪廻説を容認する要素がある。しかし、仏教で解かれているのは輪廻に 身を委ねることではなく、その束縛をいかに離れて自由を得るかということなのである。 それはストレーク流の神秘主義とはまったく異質のものだ。

 そして、チェスタトンは仏教については「キリスト教徒は世界を逃れて宇宙に入るので あるが、仏教徒は世界からというよりはむしろ宇宙から逃れることを願うのである。これ ら二つのものに比べられるものはほかに地上にはほとんどない。そしてキリストの山に登 らないものは仏陀の深淵に落ちるのである」として、その偉大さを認めつつも批判の姿勢 を崩そうとはしない(『久遠の聖者』聖トマス・アクイナス伝、一九三三)。

 それでは、チェスタトンが、人間の正気を守るものとみなした神秘主義とはいかなるも のなのだろうか。
「翼ある剣」の結末、家路につくブラウン神父は美しい雪景色を歩くうちに、アーノルド の家を支配していた混乱と異常が、一掃されていくのを感じる。神父は思わずつぶやく。
「それにしてもあの男が白い魔術は存在すると言ったのはうそじゃなかったのだな。見当 違いの場所にそれを見つけようとしたのがいけなかったのだ」

 健全の神秘主義は、平凡な日常、ありふれた風景の中に神秘を認められる精神である。
そして、チェスタトン自身はその典型をカトリック、特にトマス・アクイナスの神学の中 に見出したのであった。

 さて、七〇年代から八〇年代前半にかけて、世界中の若者たちの間で精神世界ブームが まきおこったことがある。それは左翼的な学生運動の行き詰まりの結果でもあった。彼ら は政治的な改革に変わって精神の改革をめざしたのである。マリファナやLSDなどドラ ッグの精神高揚作用が受け入れられ、瞑想が流行した。東洋思想と先端物理学、大脳生理 学を結びつけたニューエイジ=サイエンスがアメリカ西海岸を発信地として世界中に広ま っていった。かくして大学キャンパスで輪廻と循環の思想がまことしやかに語られるよう になったのである。

 オウム真理教はこうした風潮の名残の一つだった。オウム真理教幹部はその教えが真実 の仏教であると標榜していたが、彼らもまた「手から血をしたたらせながらも仏教のほう がキリスト教よりもすぐれているなどと本心から言ってのける」人々だったのである。

 チェスタトンの嫌った東洋風の神秘主義は半世紀もの時を経てふたたび蘇った。チェス タトンの警告は今もなお生きているのである。

 なお、シモン・マグスとはイエスと同時代、サマリアにいた魔術師で新約聖書「使徒行 伝」第八章に登場、魔術を捨て、キリスト教に帰依したとされる。伝説によると、聖ペテ ロに挑戦し、群衆の前で空中浮遊の術を見せたが、聖ペテロが主に祈りを捧げたところ、 たちまち大地にたたきつけられたという。

 

 

 

                       1997  原田 実