情報化社会の落とし穴1−「ジョン・ブルノワの珍犯罪」

 

 


 

 

名士と哲学者

 

 アメリカの新聞記者カフーン・キッドは、話題の人ジョン・ブルノワへのインタビュー に挑むべく、イギリスはオックスフォードの郊外へとむかっていた。ブルノワは、地味な 学術誌に進化論の弱点を指摘する論文を発表したのだが、これが新説としてもてはやされ 、特にアメリカでは「ダーウィン落ち目、批判者ブルノワは言う−ダーウィンはショック が度外視している」「天変地異を旨とせよ−と思想家ブルノワは語る」といった見出しで 連日報じられていたのである。

 晩の九時にインタビューの予約を入れたキッドは酒場でもう一人の新聞記者ジェームズ ・ダルロイと会う。ダルロイはゴシップ専門の記者であり、彼が追い掛けているのはブル ノワならぬブルノワ夫人だった。御当地の名士、人気政治家にして大旅行家、百万長者の クロード・チャンピオン卿とブルノワ夫人の間になにやらスキャンダルが持ち上がってい るというのだ。

 約束の時間、キッドはブルノワの自宅グレイ荘を訪ねた。中から現れたのは年配の無骨 な男。「くれぐれもおわびを申しておけと主人からことづかりました。やむをえない用で 急にお出かけになったのです」とわびるばかり。

 ブルノワ氏はクロード卿の自宅ペンドラゴン・パークに向かったという。不可解なのは 、その夜、ブルノワ夫人もペンドラゴン・パークに招待されていたというのに、ブルノワ 氏は彼女の別に一人で出かけたというのである。

 玄関払いを食わされたキッドは、無愛想な執事と、その主人たる約束一つ守れない哲学 者に、ビジネスのやりかたをたたきこんでやりたいと憤ったが、一方、新聞記者の使命感 がペンドラゴン・パークにかけつけ、何が起こったか確かめるべきだと告げてもいた。

 そして、キッドは見た。月に照らされた荒涼たる庭の日時計で華やかな野外劇の衣装に 身を包んだクロード卿が剣に胸をさされ、倒れこむのを!

 その場にはダルロイを青ざめて立っていた。二人の新聞記者は名士が苦しい息の間にも らす最後の言葉を聞いた。それはブルノワを殺人者として告発する声だった。

 キッドが最後の介抱を試みている間にダルロイが医者と神父(チャンピオン家はカトリ ックだった)を呼んできた。ブルノワがここに来ているはずはないという神父に、キッド は先程、グレイ荘で執事とかわした会話の内容を告げる。やがてその場に、やはり野外劇 の衣装を着た美女−元女優だったというブルノワ夫人も現れた。

 彼女もまた、夫がその場に来ているはずはないと言う。そして、神父もまたブルノワ夫 人と同様、ブルノワは無実だと考えていた。真相を確かめるべく、神父はブルノワ夫人と ともにグレイ荘へと向かう−

 

 

有名人願望の倒錯

 

 マスコミの発達は遠い所のあったこともない人、生涯会うこともないであろう人の情報 をも伝えてくれる。有名人は万人に監視される存在となり、その一挙一投足までが商品価 値を生み出す可能性を持ち始める。レポーターやパパラッチが暗躍する所以である。

 そうした情報が商品となるのは、当然、有名人に憧れ、その日常までを知りたいと願う 大衆がいるからだ。しかし、大衆の憧れは嫉妬と紙一重である。

 自分の存在を社会に認めてもらいたいという願望は人間にとって自然なものである。後 世の人にも自分の業績を遺しておきたいという感情もこれに通じるものだろう。中国では 文字の発生以来、青史に名を留めることが士たる者の本懐とされた。クーデター計画が発 覚した時、千世に美名を伝えることができないなら、万世に悪名を残してやるとあえて蜂 起に踏み切った古代の大臣もいる。

 かつて、有名人はその血統ゆえに生まれながらの有名人であったか、人並み優れた才能 と業績によって名声を勝ちとった者であった。ところがマスコミの発達は万人に対して有 名になる可能性を開いた。そして、その結果、有名人は機会の産物となり、大衆一人一人 との間に明確な差異はなくなってしまったのである。なぜ、彼または彼女は有名であり、 私はそうではないのか−ここに歪んだ有名人願望が生まれる。

 さらにこのような時世では、有名人の方でも自分の立場に明確な根拠がなく、したがっ て不安定でいつ転落してもおかしくないことを知っている。だから、常に自分がまだ有名 であることを確かめ、転落の不安から逃れようとする。そうなると彼らは世の人の羨望の みならず嫉妬をも集めることを願い始める。嫉妬の矢面に立つこと、それは、自分がいま だ有名であることの証なのである。
「ジョン・ブルノワの珍犯罪」はマスコミの大衆化が進む今世紀初頭の世相を背景に、そ の歪んだ有名人願望を、さらに一ひねりした形で描いたものである。

 ブルノワとチャンピォンの性格について、ブルノワ夫人は語る。
「主人はすぐれた人です。サー・クロード・チャンピオンは大人物ではありませんでした 。成功した有名人にはちがいありませんでしたが。主人は名声を得たことも成功したこと もありません。名士になろうなんてことは夢にも考えていませんでした。これは厳粛な事 実です。葉巻をすうことで世間に名を知られようと思わないのと同じように、ものを考え ることで有名になろうとは考えてもみないのです。そういう点で主人はあっぱれなほど頭 がまわらないのです。まだまだ子供とかわりありません。あの人は今でもチャンピオンを 小学生時代とまったく同じように好いていました。まるで晩餐の席で手品をほめるような 具合に、チャンピオンに感心していたのです。ところが主人はチャンピオンをねたむこと だけはどうしてもできませんでした。当のチャンピオンはねたんでもらいたがっていたの に」

 自らが歪んだ有名人願望にとりつかれていたクロード卿は、身近な無名の者に妬まれ憎 まれることによって、自らが有名人であることという実感を求めようとした。ところがも っとも憎んでほしいその相手はその種の有名人願望とは無縁の人物だった。
「これが冗談ごとでなくなってきたのは、私がジョンを説き伏せてあの人の理論の一部を 論文にまとめ、それをある雑誌に寄稿させたときからなのです。この記事はとくにアメリ カで注目を集め、ある新聞社からインタビューの申し込みがありました。チャンピオンは 、自分は毎日のようにインタビューを受けているのに、この無邪気な競争者に遅まきなが ら訪れた僅かばかりの名声を知ると、それまで内心の悪魔的な憎悪をおさえていた最後の 輪が、一瞬のうちに切れてしまったのです」

 かくしてペンドラゴン・パークを惨劇が襲う。また、歪んだ有名人願望にとらわれてい たのは、クロード卿ばかりではなかった。特ダネ求めてイギリスまで乗り込んできたアメ リカの新聞記者もまたその願望のとりことなっていた。

 だから、彼はわざわざアメリカの新聞記者がインタビューに来たというのに、当の相手 が面倒くさがって居留守を使うということなど、思いつきもしなかったのである。

 歪んだ有名人願望は、情報化社会が生んだ厄介な病である。クロード卿ならずとも、そ の病のために我が身を滅ぼすものは多い。

 私の知っているある大学教授は、その後援団体の機関誌で「新聞が私の説について報じ ようとしないのは国民の知る権利への重大な侵害だ」などといきまいていた。ベストセラ ーの著作があり、かつてはマスコミの寵児だったこともあるその教授には、この発言がい かに滑稽に聞こえるか、わからなくなっていたのである。

 

 

天変地異説について

 

 なお、この作品では当時流行の天変地異説についても、ちょっとしたくすぐりがある。
天変地異説とは、もともと化石の成因を説明するための議論として発祥した。化石となっ た古生物の中に現存の生物とまったく異なる形質のものがあることは十八世紀から知られ ていた。地球の歴史の上で人類の知らない多くの絶滅種があることは明らかだ。そして、 それは神が天地を創造して以来、生物の姿は変わらないというキリスト教の教義とは矛盾 するようにも思われた。

 絶滅種の存在から、生物は最初の生命が出現して以来、少しづつ変化して現在の姿にな ったという進化論が唱えられるようになる。その先駆となったのは、エラズマス・ダーウ ィンやラマルクらである。一方、フランスのキュビエは、地球は過去幾度もの大激変を経 験しており、その度に絶滅種が出た、化石はその大激変のなごりであるという天変地異説 を唱えた。後にキュビエのエピゴーネンは、生物は大激変の度ごとにいったん絶滅し、神 によって再創造されたという説や、ノアの大洪水こそ最後の大激変だったという説を唱え 、聖書との整合化を図った。

 一八五九年、エラズマスの孫にあたるチャールズ・ダーウィンが『種の起源」を発表す るや、たちまち進化論は一世を風靡することになる。一般の科学史ではダーウィン主義者 への教会、保守思想家たちの抵抗が強調されるため、ダーウィン説は当初、世に容れられ なかったと思っている人も多いが、実際には科学上の新説がこれほど早く世間で評判にな るケースはまれであった。その理由は、環境により有利に適応する種が残り、そうでない 種は滅びるというダーウィンの自然選択説が、帝国主義や巨大資本主義を正当化するもの として歓迎されたからである。

 しかし、ダーウィンの進化論に納得できない人々は旧来の創造説や天変地異説にしがみ つき続けた。そして、一八八二年、天変地異説によって自然史ではなく人類史を説明する 奇書が現れる。イグナシウス・ダンリーの『ラグナロク』である。ダンリーは作家、ジャ ーナリスト、そして政治家として活躍し、アメリカ人民党の副大統領候補にまでなった人 物である。ところが彼はまた、アトランチスの栄華を熱っぽく語り、シェークスピアの正 体はフランシス・ベーコンだと信じる奇人でもあった。
『ラグナロク』によると、地球はかつて巨大な彗星との衝突に見舞われた。彗星の尾の塵 は太陽をさえぎり、それが氷河時代の原因となった。また、ヨブの災厄、ソドムとゴモラ の崩壊、ヨシュアの奇蹟など旧約聖書にある大破壊の話はすべてこの天変地異の回想を語 ったものなのだという。

 ダンリーの後も、生物の大量絶滅や、聖書の語る大破壊を、地球と天体との衝突で説明 する論者は続く。たとえばウィーンの鉱山技師ハンス・ヘルビガーは現在、空に輝く月は 第六の月であり、月が交代、墜落するごとに地上を天変地異が襲ったと説いた。ヘルビガ ーによると月や星はことごとく氷の固まりであるということで、その学説は宇宙永久氷説 と呼ばれる。ヘルビガー自身は一九三〇年に世を去ったが、宇宙永久氷説はナチスに支持 され、一九三〇〜四〇年代前半のドイツで流行することになる。

 現在、この種の学説でもっとも人気があるのは、一九五〇年に刊行されたイマニュエル ・ヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』である。金星がかつて放浪星であり、地球に接近 しては天変地異を起こしたというこの著作は科学者たちのボイコットにあったが、一部で 熱狂的なファンを掴み、今なお日本を含む各国で版を重ねている。ヘルビガーの最大の支 持者はナチスだったが、皮肉なことにそれとそっくりな説を唱えたヴェリコフスキーはユ ダヤ人であった。

 また、日本でも電力中央研究所の高橋実氏が、神話上のノアの洪水から、遡って四億年 前のフデイシ絶滅、二億年前の三葉虫絶滅、六千五百万年前の恐龍絶滅まで総合的に説明 する仮説として、氷でできた未発見の「天体M」(提唱者のイニシャルから仮称)が幾度 も地球とニアミスをくりかえし、その度に大量の水が地球に降り注いだという、いわゆる 高橋仮説を唱えた(高橋『灼熱の氷惑星』、一九七五、『氷惑星の謎』、一九七六、共に 原書房)。

 ジョン・ブルノワの学説のモデルとなったのは、年代からいってダンリーの『ラグナロ ク』あたりであろうか。ブルノワ説がアメリカで評判になったされているのも、ダンリー がアメリカ人であることを考えればもっともである。

 チェスタトンはペンドラゴン・パークへの道を行くキッドの心理を次のように描写する 。「だんだん先へ進むにつれ、僅かに残された理性が考えだすことのできる結論は、どう してもだれか他人の足音がしているということ以外にはありえないことが、しだいにはっ きりしてきた。そこでふとぼんやり考えたのは、幽霊のことだった。ピエロのようにその 白顔にまっ黒な丸い点のある、いかにも田舎にふさわしい幽霊、その姿があまりにも早く 脳裡に現われ出たのには、われながら驚いた。暗い青色をおびた空の、その三角形の頂点 がしだいに明るくなってきていたが、それが大きな家とその家の照明がまぢかになってき たためであるとは、まだ気づかなかった。ただひたすら、あの異様な雰囲気がますます濃 厚になってくるのを感じるだけだった。この悲哀にみちた雰囲気のなかに、なにか凶暴な 秘められたものが感じられるな−とそこまで考えてから、それはいったいなにかと次のこ とばをさがし、そうだ、これは天変地異説の雰囲気なのだと、こみあげる笑いとともにつ ぶやいた」

 さて、天変地異説に見られる悲愴さと凶暴さの混淆をからかったチェスタトンだが、彼 はまたダーウィン流の進化論をも嫌っていた。彼は同時代にあっては反進化論、創造説擁 護の論客としても知られていたのである。

 いままで私はチェスタトンを常識と分別の権化のように語ってきた。しかし実をいうと 、進化論が一世を風靡していた当時にあって、そして進化論がもはや常識となった現代か ら見て、チェスタトン自身もまた一己の奇人だったのだ。この逆説については、また機会 を改めて論じてみたい。

 なお、最近では、メキシコのユカタン半島にある大クレーターが、恐龍絶滅と同時期の 約六千五百万年前のものであることが判明し、あらためて恐龍絶滅と巨大隕石の墜落、お よびそれに伴う粉塵による気温低下との関係が取り沙汰されるようになってきている。こ れは天変地異説の部分的復権といえるかも知れない。

 

 

情報化社会の落とし穴2−「ブラウン神父の醜聞」 ブラウン神父の醜聞

 

「ブラウン神父の冒険をこうして記録しているからには、神父がかつて容易ならぬスキャ ンダルに巻きこまれたことがあるのを白状しないわけにはゆくまい。そうしなければ公正 を欠くというものだ。いまだに、しかも神父と同じ社会に生きる人たちのなかにさえも、 神父の名まえに汚点がついているという説をなす者がいるのである」

 アメリカの富豪の令嬢、ハイペシア・ハードはその恵まれた美貌と才気で一躍、ジャー ナリズムの花へと祭り上げられた。彼女には、すでにポターという夫があり、その意味で はポター夫人と呼んでもかまわないわけだが、ジャーナリズムは彼女の名声を、その地味 で堅実な夫と結びつけることは決してなかった。

 一方、メキシコ在住のアメリカ人でルーデル・ロマーニズという男がいる。ロマーニズ は反体制派を標榜する詩人で、彼もまたジャーナリズムの花形としてもてはやされる身だ った。そして、突然巻き起こったスキャンダルにより、ハイペシアとロマーニズの両名は ジャーナリズムの俎上で、一対のものとして結びあわされることになったのである。

 さて、メキシコのとある美しいホテルにある男が逗留していた。彼、エイガー・ロック は自身ジャーナリストであったが、一方で模範的な清教徒であり、ロマンスを奨励するか のようなジャーナリズムの風潮に憤っていた。

 そのホテルの前の路上に二人の男が現れる。一人は黒いマントに身を包んだ詩人バイロ ンばりの風貌の美青年。もう一人はその青年と似ても似つかぬ地味で堅実そうな顎髭の小 男。小男はコウモリ傘を振り回して美青年を威嚇し、美青年はすごすごと引き下がった。 ロックはそれの二人がロマーニズとポターだろうと見当をつける。

 小男はホテルに入ると、その職員を呼びつけ、妻が妙な男にまとわりつかれて迷惑して いるから、決してそいつをホテルに近づけぬよう命じた。それを聞いたロックは宿帳を覗 き、ホテルに間違いなくロマーニズとポター夫妻が共に宿泊していることを確かめる。

 ホテルのロビーでロックを見掛けたハイペシアはこの高名な新聞記者に挨拶する。だが 、その時のロックは倫理感の方が記者根性を上回っていた。
「マダム、失礼ながら、内密にお話ししたいことがあります。・・・マダム、あの厄介者 がここへやって来ても、けっしてかかわり合いになってはいけませんぞ。あなたのご主人 は早いところ、ホテルの人たちにその男をしめだすようにお命じになられた」

 ハイペシアはそれを聞いてもひきつった笑いを浮かべるだけだった。

 当惑したロックはその場にいあわせたブラウン神父相手にロマンス攻撃の大演説を始め る。
「わが輩が共鳴するのは、品のよさと常識だ。わが輩の同情は、お気の毒なポター氏にむ けられる。ピッツバーグ出身の地味でまっとうなブローカーをやっているあの男は自分の 家庭を守るために戦ってもいるんだ。ポターさんがホテルの従業員たちを叱咤して、なら ず者はよせつけるなと言っているのをさっき聞いたが、もっともなことだと思う。ここの 連中はこすっからくて当てにならぬようだが、あの人は早いところ、神を恐れる心を連中 に植えつけたらしいとわが輩は思う」

 ブラウン神父応じて曰く−「実を申せば、このホテルの支配人や従業員については、ま あ、お説に賛成です。しかし、あの人たちを見ただけで全部のメキシコ人を裁くのはよろ しくありません。それに、あなたのお話しになっていられる紳士は、どうやら、大声でわ めきちらしたばかりか、全従業員を自分の味方にひきいれるために相当のドルをまきちら したようですわい。従業員たちはドアに鍵をかけて、なにやらえらく興奮した口調でささ やきあっていましたよ。それはそうと、あなたのいわゆる地味でまっとうなお友だちは、 大へんなお金持ちのようですね」

 その夜、ロックは自分の部屋でポターとロマーニズ、堅実なビジネスマンとロマンスに 狂った詩人の攻防戦に関する記事を書き始めた。外で物音。窓を開けると広間ではまだブ ラウン神父が本を読んでいる。
「実を申せば、ポター夫人が別の部屋をお求めになられたのです。そこでわたしの部屋を 夫人にお譲りしたわけです。あの部屋なら窓があきましたものでね」

 怒り心頭に達したロックは「きみがこのスペイン式のいかさまホテルでどんないかさま 手品をやろうと、わが輩は最後まで文明とは縁をきらぬぞ」と言いすて、電話ボックスに 走ると、新聞社に邪悪な詩人に加勢した邪悪な神父の物語を大急ぎで新聞社に伝えた。

 階上の神父の部屋に走ると、その窓からは笑いながら去っていくカップルの姿が見える 。「いいか、アメリカじゅうにこの話をひろめてやる。ありていに言えば、きみはあの女 があの巻き毛の恋人と駆け落ちするのに手を貸したのだ」

 だが、神父から話を聞いたロックは大急ぎで、訂正の電話をかけに走るのだった。
「その短時間のあいだに、驚くなかれ、“ブラウン神父の醜聞”というニュースが誕生し 、みるみる成長して、四方八方にばらまかれたのであった。そして、いまだに真相はこの 中傷の物語より三十分がた遅れをとっており、はたしていつになったら、あるいはどこま で行ったら、真相が中傷に追いつくものやら、だれにも確信がもてないという有様なので ある。(中略)実に驚くべきほど多数の人びとが新聞の第一版を読んでおり、しかも第二 版には目も通してないらしいのだ。(中略)いったいどのくらいの人たちが最初の話を聞 いただけで否定の報道は聞かずじまいにいるものか、いまだに見当がつかないくらいで、 言ってみれば、この“メキシコ事件”は、かの有名な十七世紀初頭の“火薬陰謀事件”と 同列に並ぶ正規に記録された史実にほかならぬと考えている悪気のない純真な人たちが、 それこそ山ほどいるに相違ないのである。そうこうしているうちに、だれかがこういう単 純な人たちの蒙を啓いてやることになるわけだが、そうしてみれば、なんのことはない、 少数の教育ある人びとのあいだに元の話が新規にひろまっているという次第。まさかそん なデマにしてやられるとは思えないような人のあいだに、話がぶりかえしているのだから 手のつけようがない。そんなわけで、ふたりのブラウン神父は追いかけっこをして、永久 に地球のまわりを駆けめぐっている。片や裁きの手をのがれんとしている破廉恥な犯罪人 、片や名誉回復の後光に包まれながらも中傷にくじけた殉教者。だが、どちらにしても本 物のブラウン神父とはあまり似ていない。ブラウン神父はくじけてなどいないのである。 それどころか、例の寸づまりの蝙蝠傘をたずさえて、よちよち歩きながら世界を渡り歩い ている、そのなかに生きている人びとの大半を愛しながら、そして世界を自分の裁き手と してではなく伴侶として受けいれながら」

 

 

誤報と訂正

 

 さて、時は移り、今では詩人や富豪令嬢がマスコミを賑わわせるということもなくなっ た。この組み合わせに似たものを強いて求めれば、ロック歌手と映画女優というところだ ろうが、それもしっくりこない。なにしろ、ジャーナリズムの花形には手の届かないよう なスター性よりも、親しみやすさの方が求められる御時世なのである。

 しかし、チェスタトンが「ブラウン神父の醜聞」で示したマスコミ・ジャーナリズム批 判は今もなお生きている。

 ジャーナリズムの世界は虚報・誤報とその訂正とのおっかけっこである。問題は往々に して、虚報・誤報の方が事実よりも大きな波及力を持ちうることだ。

 UFOや超古代史、超能力などいわゆるオカルト話についての報道を調べていると、す でにその真相が判明している話、虚偽と判明している話がいまだ解けない謎として流布し ていることが多い。

 たとえば、キャトルミューティレーション、牧場の牛や馬の死体が鋭利な刃物で切り取 られたような姿で見つかる現象だが、これは今でもよく宇宙人のしわざ、あるいはプラズ マの爆発による自然現象などとしてテレビ番組や雑誌などで取り上げられている。だが、 この現象が謎でも何でもなく野性動物が死体を食いちぎった結果であることはすでに一九 八〇年に判明しているのである(と学会編『トンデモ本の世界』洋泉社)。

 また、一九九四年六月には、すでに現所蔵者作成の偽書と判明していた『東日流外三郡 誌』について、本物の古文書であることを示す証拠が見つかったというニュースが共同通 信社から配信され、新聞各誌やラジオのニュースに流れるなどという事件があった(拙著 『幻想の津軽王国』参照)。

 取材記者の不勉強のため、そしてたとえウソやいいかげんな話でも部数が伸びればいい という商業主義のため、虚報は垂れ流され続ける。もっともオカルト関係の虚報なら、信 じる方がバカだと笑ってすませることもできるかも知れない(現にマスコミ・ジャーナリ ズムはそうしている)。

 しかし、ことが人命、人権に関わるような虚報・誤報も中にはあるのだ。

 一九六〇年頃、ある大新聞は北朝鮮のことをこの世の楽園であるかのように歌い、在日 朝鮮人に向かって祖国建設のために北に向かうことを奨励した。

 ところが、そうして日本から渡っていった人々の多くがスパイ容疑などさまざまな名目 で粛清され、絶望のうちに死んでいったのである。だが、その新聞社は当時の報道姿勢に ついて一度も反省を述べたことがない。

 一九九四年の松本サリン事件でも、マスコミは被害者の一人をあたかも犯人であるかの ように報じたてた。この事件については翌年、真相が判明し、マスコミからの謝罪もあっ たが、もしその真相解明がなければ今もその人はサリンと冤罪の二重の犠牲者となってい るはずである。

 一九八八〜八九年の連続幼女誘拐殺人事件、九五年の地下鉄サリン事件、そして九七年 、神戸での小学生惨殺事件と世間の耳目を一斉に集めるような事件が起きると、通信社、 新聞社、テレビ局は誤報の嵐にみまわれる。功を競うあまりの現象だが、たとえ事件が一 段落しても、マスコミ各社が自主的に誤報を点検、謝罪したなどという例はない。だから 次の大事件が起きるとまた同じような誤報が踊ることになる。

 ある新聞記者の方に聞いたのだが、マスコミというのは虚報・誤報を訂正することを恥 だとする体質があるのだという。虚報・誤報が現にある以上、それを訂正しない方が恥だ と思うのだが、マスコミではそういうふつうの人の理屈は通用しないらしい。

 だから、あまりにもあからさまな誤報で、しかも強い抗議があった時にしか訂正記事は 出ないし、トップも訂正することを許さないというわけである。報道の真実よりもメンツ を重んじるマスコミの体質が問題をこじらせていくのだ。

 先の『東日流外三郡誌』に関する虚報では、共同通信社が訂正記事にあたる第二報を出 したのは第一報から一カ月もたってからだった。その一ケ月の間に多くの人が第一報に触 れたであろうし、そのまま第二報を見なかった人も少なくなかっただろう。

 まさに「ブラウン神父の醜聞」で語られた通り、第二報が広まるころには第一報はすで にその先を歩んでいるのである。ロック氏はすぐに訂正記事を配信するだけの分別を持っ ていた分、現代日本の現実のマスコミ人士よりもはるかにマシだったといえよう。

 こうしたマスコミの体質は長い目で見れば、かえってその信用を落としていくものでし かないだろう。一九六〇〜七〇年代、映画やテレビの子供向けヒーロードラマ・アニメで は、主人公もしくはその協力者として新聞記者が登場する者が多かった。その元祖といえ ば、アメリカのデイリープラネット新聞記者クラーク・ケントことスーパーマンである。 しかし、今、新聞記者が活躍する子供向けドラマ・アニメなど、洋の東西を問わずなくな ってしまった。すでに新聞記者の仕事が正義とも真実とも関係ないことが子供の目にも明 らかになってしまったのである。

 とはいえ、私たちはマスコミの助けなくして、いまや暮らしていけないのも確かである 。私たちはブラウン神父のように、マスコミに踊らされることなく、この世界を伴侶とし て受け入れ、着実に歩んでいきたいものだ。

 なお、火薬陰謀事件とは、一六〇五年、カトリック教徒の一団が、国会議事堂の地下に 火薬を仕掛け、国王ジェイムズ一世と議員たちを爆殺しようとしたというもの。この事件 がイギリス王室によるカトリック弾圧に、さらに口実を与えることになった。

 その首謀者とされたガイ・フォークスは一一月五日に捕らえられたが、以降、その日は ガイ・フォークス・デイと呼ばれることになる。なお、イギリスではガイ・フォークス・ デイには花火付のガイ・フォークスの人形が準備され、子供たちがそれに火をつけて遊ぶ 慣習がある。

 

 

ノストラダムスなど怖くない−「古書の呪い」 悩める心霊主義者

 

 オープンショウ教授はインチキ霊媒のトリックをあばきたてることで有名な人物だった 。その弁論を聞いていると、「どうも霊媒は全部が全部いかさま師であると言いたがって いるらしかった」

 だが、唯物論者が教授の前で、心霊現象をこきおろそうとすれば、それはそれで大変だ 。教授はたちまち疑問の余地なき目撃例や、説明不能の現象をならべたて、その唯物論者 を粉砕してしまうのである。教授が述べたてないことと言えばただ一つ、オープンショウ 教授自身が心霊なるものを信じているか否かということだけであり、心霊主義者も唯物論 者もその点では煙に巻かれたような思いがするのだった。

 ある日のこと、オープンショウ教授は友人のブラウン神父相手に話し込んでいた。
「どうも、わたしが科学者であることをみんなのみこんでいないようでしてね。科学者た るものは何物も証明しようとはしないのです。おのずから証明されるものを見つけようと するだけです。(中略)とにかく、近頃の考えとしては、いやしくも何か探りだせること があるとすれば、あの連中はそれを見当違いの方向に捜しているのだ、とそういうふうに 考えるようになっています。なにしろ、すべてがあまりにも芝居がかっています。エクト プラズムだとか、ラッパだとか、声色だとか、みんなこれ見よがしのお芝居です。それが また、どれもこれも、昔からあった例の“家つきの幽霊”をめぐる通俗劇やら歴史小説を そのままひき写したような設定です。そんな歴史小説の代わりに歴史そのものに目をむけ るようになれば、何かを探りだすこともできるでしょうが、出現物に気をとられているう ちはだめです」

 教授は最近、出現成らぬ消失の方に関心があるのだという。その朝届いた郵便物の中に 不可解な状況での人間消失を告げるものがあった。教授はこれから、その手紙の差出人で ある老宣教師の来訪を待つつもりだというのだ。

 ブラウン神父と昼食をともにする約束をして、教授は自分の事務所に向かう。事務所で は無愛想な事務員のベリッジが機械的にその日の業務をこなしていた。教授はこの事務員 のことをバベッジと呼んでいる。その振る舞いがいかにも計算機を思わせるからだ。(ち なみにバベッジとは十九世紀末に自動計算機を作った発明家の名。その計算機の原理は現 代のコンピューターと共通していたが、当時の技術的限界のため、ついに実用化には到ら なかった)。

 専用の書斎に腰を下ろし、老宣教師プリングルからの手紙に読み耽るオープンショウ教 授。目を上げるとそこにはすでにプリングル師本人がやって来ていた。

 教授はその身なりをすばやく観察し、相手が狂信者でも職業的いかさま師でもないこと を見てとった。プリングル師は話し始める。

 プリングル師は西アフリカのニアニアという任地で布教に従事しているのだが、その土 地にいる白人といえば駐留部隊の隊長ウェールズ大尉だけである。その大尉が色あせた皮 装丁の古書を持ってプリングル師のテントに来た。その古書はある船客が持っていたもの だが、その男はこの本を開いて中を見た者は、悪魔にさらわれるか、跡かたもなく消えて しまうと言い張っていた。大尉はそれを迷信とバカにしたため、いたたまれなくなった男 はその場を本を開いて覗き込んだ。そして、その直後、男は大尉の見ている前で姿を消し てしまったというのだ。

 大尉はテントの中でその本を前にしてぼやいていた。プリングル師は大尉に背を向けて 受け答えしていたのだが、やがて返事が聞こえなくなり、ふりかえってみると大尉もまた 姿を消していた。そして、テントには剣で裂いたような大きな穴が開いていた。

 オープンショウ教授にはその話は信じられなかったが、プリングル師のような人物がわ ざわざ信じがたいウソをつく理由も思いつかなかった。

 問題の本は事務室に置いてきたままになっているという。二人が連れ立って事務室に出 てみると、そこにはすでにベリッジの姿はなく、窓ガラスには大きな穴が開いていた。本 はたった今まで開かれていたかのように机上に置かれていた。

 プリングル師は一刻も早く、この古書の本来の持ち主という東洋探検家のハンキー博士 の下に、本を返しに行きたいと言って出ていった。古書の呪いの謎にとらわれ、事務所に たたずんでいた教授の下に、ハンキー博士からの、後でオープンショウ教授にも来てほし い、という伝言を携えて、プリングル師が戻ってきた。教授はブラウン神父に電話して昼 食の予定を夕食に変更し、プリングル師に同行することにした。

 ブラウン神父は夕食のレストランでえらく待たされることになった。ようやくやって来 た教授の髪は乱れ、目は血走っている。ハンキー博士の家に行ったところ、やはり博士は 姿を消していたというのだ。プリングル師は神父の前に問題の古書を置く。教授はプリン グル師にも食事を共にするよう願ったが、彼は古書を携えたまま去っていくのだった。や がてレストランにかかってくる呼び出しの電話、受話器の向こうからのプリングル師の切 迫した声、そして「今、本を開けるところです。あっ・・・」という声を残して、話はと ぎれてしまった。

 世にも不思議なやり方で五人もの人間が消失する−教授は淡々と事件の一部始終を語っ た。だが、ブラウン神父は教授の思いもよらない視点から事件の真相を解き明かしてみせ るのだった。

 最後に教授は問う−「それにしても、ああいう事件の連続というか累積はたまげたもの だと認めぬわけには行きますまい。あなただって、一瞬間くらいは、あの恐ろしい書物に 恐怖を感じたでしょうが」

 神父答えて曰く−「ああ、そのことですか。わたしは、それが机の上に置いてあるのを 見るとすぐにあけてみましたよ。どのページもみな白紙でしたなあ。だいたいが迷信家じ ゃないものでしてね、はい」

 

 

現代日本の古書の呪い

 

 この作品は、アーサー・コナン・ドイルをあてこすった作品として知られている。ドイ ルは理性の権化としての名探偵シャーロック・ホームズを創造した人物であるが、その一 方では、心霊学の普及のために生涯を捧げたことでも知られる。彼はその推理力でイカサ マ霊媒を見破る一方、より巧妙な(というよりもドイル自身の好みにあった)霊媒たちの カモにされてきた。トリック撮影であることが明白なコティングレー渓谷の妖精写真(一 九一七年、当時十六才と十才の二人の少女が妖精たちとたわむれているところを撮った写 真)を本物であると言い張ったのもドイルだった。不世出の舞台魔術師ハリー・フーディ ニが、ドイルの感心する程度の霊媒の技は自分にもできると実演してみせたところ、ドイ ルはフーディニに、なぜ自分に心霊能力があることを隠して、すべてがトリックだなどと ごまかすのか、と詰め寄ったという話もある。

 チェスタトンもある探偵小説で「故シャーロック・ホームズ氏は、われわれがその作者 にいくら感謝しても、したりない数多くの示唆に富む探偵活動をなしとげられたが、その なかで、説明は本質的に不可能なりとして説明なしで済ませたのは、どうやら、たった二 回しかない・・・不思議なことに、これらふたつの場合とも、名著者ドイル氏御自身が、 その不可能時を可能と見なし、そればかりか間違いなく真実であるとさえ考えるにいたっ ている」として、ホームズとドイルの矛盾をからかっている。

 その二つの事柄のうち、一つは、すなわち空飛ぶ人間による犯行(第一次大戦中、戦闘 機による大量殺戮として実現)、もう一つは霊魂や超自然の存在によって引き起こされた 事件だというわけである(「鱶の影」『詩人と狂人たち』所収)。

 だが、今、この作品を読む時、私は現代日本の上におおいかぶさっている「古書の呪い 」に思いをいたさないわけにはいかない。それは十六世紀フランスの医者が書いた『百詩 篇集』、いわゆるノストラダムスの大予言である(『諸世紀』というのは誤訳)。
『百詩篇集』は予言書として有名で、一説にはその九九パーセントが的中しているという 。そして、そこに「一九九九年七月、人類は滅亡する」と書かれているなどと言い出した 者があり、七〇年代の日本で大きな話題となった。あと二十年かそこらがすべてが滅びて しまうとなれば一切の努力は虚しい。そして、それからさらに時がたち、今やタイムリミ ットまで秒読み段階に入っているというわけである。

 しかし、本当にノストラダムスはそれほど偉大な予言者なのだろうか。そもそも的中率 九九パーセントという数字がナンセンスである。『百篇詩集』が真正の予言書だとしても 、その中にはまだ掟もいない事件に関する予言が含まれているはずであり、それについて は的中もなにも確認しようがないのだから。

 そして、的中したとされる予言詩についても、実際の事件と合わせるには、ひどいこじ つけが必要であり、同じ予言詩でも解読者によってぜんぜん異なる事件の予言とみなされ る場合もある。また、解読者の作業はある特定の事件について、そのことを語ったと思わ れる詩を『百詩篇集』から捜し出すところから始まるのであり、事件の起きる順番や年代 について『百詩篇集』から法則性を見出すという研究はことごとく挫折している。時間設 定のない予言には実用性はない。そして、だからこそ、解読者は好みで任意の詩を目の前 の事件にあてはめることができるのだ。

 なお、問題の一九九九年の詩にしても、その中で語られているのは「恐怖の大王が天か ら降りてくる」ことと「その前後、火星が平和に統治する」ことであり、人類滅亡などと は語られていない。第一、「その前後」というのだから、恐怖の大王降臨(それが何を意 味するかも不明だが)の後も火星(に象徴される何か)に統治される人々はいるのだ。

 だが、ノストラダムスの解読者たちはその『百詩篇集』の中から、当たった(かに見え る)詩のことを大仰に言いたて、読者につきつけてくる。何も知らない読者がそれを信じ させられるのもむりはない。

 プリングル師の持ち込んだ古書の表紙にも謎めいた二行詩が書かれていた(「この書を 窺う者 神隠しの難に遭うと知れ」)。

 古書の呪いを恐れるオープンショウ教授にブラウン神父は語る。
「0+0+0=0ということほど人にわからせにくいことはありません。どんなに奇妙な ことでも、連続して起こると、人はそれを信じるものです。マクベスが三人の魔女の三つ の言葉を信じたのもそのためです。もっとも、第一の言葉はマクベス自身が知っていたこ とですし、最後のは、マクベスにしか実現できないものでしたけれともね。けれども、あ なたの場合では、まんなかの項が一番弱いところになっています。あなたはだれの消えた ところも見たわけではない。(中略)次のことはお認めになるでしょう。つまり、あなた が事務員さんの失踪によってプリングルさんの話が裏づけられたとお思いにならなければ 、あなたはその話を信じなかったでしょう。マクベスと同じです。マクベスも、コーダー の領主になるだろうという自分の信念がそのとおり実現されなかったならば、自分が国王 になるだろうなどとは信じなかったでしょう」

 ノストラダムスの詩に一見、当たったように見える予言があるからといって、他の予言 も当たるとは限らない。それでも不安に思うという人は、問題の古書を覗き込んだブラウ ン神父にならって、実際にノストラダムスの詩を読んでみるとよい。すでにいくつかの出 版社からその日本語全訳も出ている。おそらく、そのわけのわからなさと、後の解読者た ちのこじつけにあきれることだろう。

 山本弘氏曰く、「実際、“ノストラダムスは大予言者である”という先入観を捨て、虚 心坦懐な目で『百詩篇集』を見直してみれば、その詩の大半がちっとも的中などしていな いし、そもそも意味がまったく不明であることに気づかされるだろう」(と学会編『トン デモ超常現象99の真相』洋泉社、一九九七)

 なお、ノストラダムスの予言詩とは何か、私なりの考えを述べておきたい。ノストラダ ムスの予言詩では「月」の脅威や東方の野蛮人による侵略がくりかえし語られる。また、 バルカン半島、アドリア海、イタリア半島、ダニューブ河岸、アルプスなどが激戦地とな ることが予言される。ノストラダムスの時代、十六世紀といえばオスマン・トルコの勃興 期であった。となれば、ノストラダムスの予言詩とはオスマン・トルコに代表されるイス ラム勢力の脅威を警告したものとみるのが妥当である。

 月はキリスト教世界では伝統的にイスラム教の象徴とみなされ、イスラム教国にも国旗 に月の紋章を採用しているところは多い。そしてノストラダムスの予言する激戦地とはま さにトルコからヨーロッパへの仮想進入ルートとなっているではないか。

 前記の場所はいずれも実際に戦略上の重要地域であり、後世、本当に戦場となる場所が 含まれていたことは不思議でもなんでもない。

 ノストラダムスが恐れていたのは、イスラム教勢力のヨーロッパ侵攻であり、それはま た十六世紀のヨーロッパ人にとって差し迫った恐怖であった。二十世紀末の日本人がノス トラダムスの呪いにとらわれるような理由はさらさらないのである。  

 

 

                       1997  原田 実