水木しげる・鬼太郎研究のタブー?

 

 


 

 

『墓場鬼太郎』のパラレルワールド

 

 先日、久々に鳥取県境港市の「水木しげるロード」を訪ねた。1994年の開設以来増
え続ける妖怪たちはいまや80体、初めて訪れた我が相方は、その予想を超えた規模にす
っかり感激していた。

 江戸時代以来の妖怪画の伝統を引き継ぎながらも姿なき妖怪たちに形を与え続けた水木
氏の功績は他に類のないものである。

 その水木氏の代表作といえば世代を超えて愛され続け、六〇年代版(68年1月〜69
年3月)、七〇年代版(71年10月〜72年9月)、八〇年代版(85年10月〜88
年4月)、そして現在放映中の九〇年代版(96年1月〜)と四度にわたってテレビアニ
メ化された『ゲゲゲの鬼太郎』だろう。最初のアニメ化から間もなく30年、若い世代は
リアルタイムで楽しみ、年配の人は子や孫に教えられて、いまや鬼太郎の名前を聞いたこ
ともない日本人などまず考えられない。これほど定着したキャラクターは他にゴジラ、ウ
ルトラマンを数えるのみではないか。

 ちなみに、アニメの印象が強い『ゲゲゲの鬼太郎』だが、実写の作品も2作ある。フジ
テレビ・月曜ドラマランドで放映された『ゲゲゲの鬼太郎』(1985)と、オリジナル
ビデオ『妖怪奇伝ゲゲゲの鬼太郎・魔笛エロイムエッサイム』(1987)である。前者
では夏樹陽子、後者では汐路章がそれぞれ魅力的なぬらりひょんを演じた。

 さて、その『ゲゲゲの鬼太郎』の前身が貸本漫画以来のシリーズ『墓場鬼太郎』であり
、『少年マガジン』連載時にアニメ化企画浮上にともなって「墓場」を「ゲゲゲ」と改め
たことは周知の通りだ(さらにその前身として伊藤正美原作の紙芝居「鬼(奇)太郎」物
があるわけだが残念ながら未見である)。

 ところで、あまり知られていないことだが、この『墓場鬼太郎』には作者を別にするバ
ージョンがある。それが竹内寛行氏によるいわゆる偽『墓場鬼太郎』である。

 1960年、水木氏は貸本版元・兎月書房から5回、『墓場鬼太郎』シリーズを発表し
た。ところが兎月書房は水木氏に一銭の原稿料も払おうとはしない。激怒した水木氏は兎
月書房と絶縁し、あらたに別の貸本版元・三洋社(青林堂『ガロ』の前身)から『鬼太郎
夜話』を刊行するのである。そこで兎月書房では作者を水木氏と同様、紙芝居出身の竹内
氏に切り換え、水木氏の中断したところから『墓場鬼太郎』を書き継がせた。そのため、
『墓場鬼太郎』の作品世界は二つのパラレルワールドへと分岐することになったのだ。

 サブカルチャー研究家の宇田川岳夫氏は次のように評している。
「大多数の漫画マニアの間では、竹内版『墓場鬼太郎』は水木版に比べて絵が雑でストー
リーに矛盾があり、敵役の妖怪のキャラクターに魅力がなく、陰々滅々とした残酷な描写
が多いなどと、評価が低い。しかし、全編を通じて登場する東京の下町の具体的地名が呼
び起こす郷愁的現実感や、地獄のユーレイ婆の手下である九鬼の狐が乗り移った老婆の正
体を暴くためにトウガラシをドラムカンで燻す場面、地獄婆の落とした地獄杖の爆発が原
子雲を巻き起こし東京の下町に地獄の血の池を出現させる場面など、因果ものやのぞきか
らくりや見せ物小屋に通じる土俗的な想像力を喚起させる衝迫性には独自のものがある」
(宇田川「オタク文化とコア・オカルトのミッシング・リンク」、原田実企画構成『歴史
を変えた偽書』ジャパンミックス、1996、所収)

 

 

原初『墓場鬼太郎』の世界観

 

 ここで二つの世界に分岐する以前、すなわち水木氏が書き始めた当初の『墓場鬼太郎』
のあらすじを述べよう。

 血液銀行に務める青年・水木は社長から、その製品に幽霊の血がまざっていたという怪
事件の調査を命じられた。

 水木は自宅の隣の古寺に住まう幽霊の夫婦を探し出すが、その妊娠中の妻が出産するま
で会社には秘密にすることを約束させられる(その際、水木は「幽霊」が死者の霊魂では
なく、人類出現以前から地球上に住む先住種族で紀元前二万年頃に絶頂期を迎え、その後
は人類に追われて地下生活に入ったことを知らされる)。

 数カ月後、水木が隣家を訪ねてみると、そこには腐乱した幽霊夫婦の死体があった。彼
は妻の方の遺体を埋葬するが、それから三日後、墓の中から赤ん坊が自力で這い出してく
るのを見る。この子が鬼太郎である。

 また、その頃、父親の腐乱死体からも左の目玉が流れ出し、生まれたばかりの鬼太郎を
見守るべく動き始めていた(「幽霊一家」『妖奇伝』第1巻、所収)。

 鬼太郎は水木に引き取られるが六歳になると夜な夜な墓場に行くなど奇行が目立ち始め
る。水木は鬼太郎が隠していた切符を見つけ出すが、目玉(鬼太郎の父)を追跡する内に
地中に引きずられる。その切符は地獄への片道切符だったのだ。(「幽霊一家・墓場の鬼
太郎」『妖奇伝』第2巻、所収)。

 水木の母は、失踪した水木が地獄の片道切符を持っていたために地獄に引き込まれたと
いう鬼太郎の話を信じようとはせず、警察に届けるという。鬼太郎と目玉は水木の母を地
獄の入口まで案内しようとするが、「物の怪」の恐怖に思い詰めた水木の母は鬼太郎を深
い穴の中につきおとす。水木の母は警官にそのいきさつを話すが、その時、彼女はすでに
発狂していた。ここで鬼太郎が狂人の目にしか見えない存在である可能性が暗示される(
「地獄の片道切符」『墓場鬼太郎』第1巻、所収)。

 理学博士・有馬汎は自らの命とひきかえに太古の妖怪・夜叉を甦られせる(夜叉の墓は
秋田県の縄文遺跡、大湯ストーンサークルにあるいわゆる「日時計」と同じ形をしている
)。水木母子の失踪した後、鬼太郎は調布市下石原の借家を追い出され、夜叉に魂を抜か
れてあやつり人形にされてしまう。一方、目玉はハンガリーからやってきた四代目ドラキ
ュラの下男・ねずみ男に拾われ、料理されてドラキュラの腹に収まる。ドラキュラは夜叉
が経営する下宿屋に入る。ドラキュラの鼻から這い出した目玉は鬼太郎と再開するが魂を
抜かれた鬼太郎にはそれが自分の父親と判らない。ドラキュラはやはり下宿している漫画
家の血を吸おうとその部屋に入るが、同じ目的の夜叉と鉢合わせする(「下宿屋」『墓場
鬼太郎』第2巻、所収)。

 ドラキュラと夜叉は激しく争ううちにもつれあって一つの球となり、動かなくなった。
鬼太郎の魂は偶然、血液銀行頭取・禿山の手に渡り、夜叉の束縛を逃れた体を取り戻す。
禿山は、水木の失踪と鬼太郎の出現は銀行をのっとろうとする何者かのトリックに違いな
いと思い込み、まず鬼太郎の父親を探そうとする。ねずみ男が捕らえた目玉を禿山の下に
持ち込み、賞金の代わりにドラム罐一本の血液を得た。禿山は鬼太郎父子をドライブとい
つわって自動車に乗せ、警察に連れていこうとするが道に迷ってどうしても警視庁まで辿
り着けない。やがて車ごとガケから落ち、たどりついた荒野で水木と再開、禿山は水木か
らその地が地獄の入口であり、自分がすでに死んでいることを聞かされる。水木だけは鬼
太郎の秘密を守ることを条件にふたたび現世に帰ることができた。一方、そのころ、ねず
み男は東西の吸血鬼がこりかたまった球を地中に埋めて、血液を与え、そこから吸血木を
生やそうとしていた(「あう時はいつも死人」『墓場鬼太郎』第3巻、所収)。

 推理小説のテーマとして妖怪を取り上げ、近年の水木再評価のきっかけを作った京極夏
彦氏はこの兎月書房版『墓場鬼太郎』の中で「作者である水木には、最初から−多分鬼太
郎という素材と出会ったその時から−いずれこの作品はウケるのだという『確信』があっ
たのではないか。何故なら・・・驚いたことに・・・半世紀に亙る鬼太郎サーガを支える
巧緻な骨子が、既に設計済だったと思われるからである」と述べている(京極「予言する
水木しげる」『貸本まんが復刻版・墓場鬼太郎2』角川書店、1997、所収)。

 ちなみにその「巧緻な骨子」について、京極氏は次のように概説している。
「言外にそれを暗示させつつ、作品中から他界や神秘性を徹底的に排除する(「幽霊一家
」)。続いて言外に示される他界の予感を増幅させ、結果外部としての他界の直接的な侵
入によりパラダイムを破壊する(「幽霊一家・墓場の鬼太郎」)。最後にそれを囲い込む
メタ設定−サイコな決着により、元の作品世界へ帰還する(「地獄の片道切符」)」(「
地獄へ行かぬ鬼太郎−鬼太郎作品における妖怪と他界」『妖怪まんだら・水木しげるの世
界』世界文化社、1997、所収)

 かの京極堂・中禅寺夏彦(京極氏の推理小説に登場する探偵役、今年9月27日上演の
文士劇『ぼくらの愛した二十面相』では京極氏自ら京極堂を演じられるとか)が、「鬼太
郎」を語ればかくもあろうかという切り口には、誠に興味深いものがある。

 

 

偽『墓場鬼太郎』のバトルフィールド

 

 閑話休題、吸血木の発芽から分岐するパラレルワールドの一方、三洋社『鬼太郎夜話』
は「かの有名な『有楽町で笑いませう』や『スキ、スキ、スキ』などで低音ブームをまき
起こしたトランク永井氏」が、ねずみ男によって腕に吸血木を植えつけられるところから
始まる。

 その後、トランク永井の体内で吸血木は成長し、彼はやがて文字通りの植物人間になっ
てしまうのだが、モデルとなった実在の歌手のその後の軌跡と対比すると、偶然とは判っ
ていても不気味な思いを禁じえない。

 さらに、ねずみ男はニセ鬼太郎(実は容貌が似ているだけの人間の少年)のマネージャ
ーとなり、「今にテレビや映画にひっぱりだこになってコッテリもうかるぜ」などとうそ
ぶいている(これまた的中した予言である)。

 一方、本物の鬼太郎はといえば、新しい下宿屋の娘、寝子さんに鼻の下を伸ばすも彼女
をその過酷な宿業から救うことはできず、目の前で植物人間と化したトランク永井を助け
ることもできない(ちなみに70年代版アニメ以降、鬼太郎のガールフレンド格となる猫
娘は寝子さんの生まれ変わりかも知れない)。

 三洋社へと引っ越したばかりの鬼太郎は変転する状況にひたすら振り回されるばかりで
、いささかパッとしないのである。

 もっとも、それ以前の鬼太郎についても、彼に危害を加えようとした人間や妖怪が自滅
する話ばかりで、鬼太郎の方から積極的に神通力をふるうことはない。初期の水木版『墓
場鬼太郎』からだけでは、ヒーロー然とした『ゲゲゲの鬼太郎』への展開はとても予想で
きないのだ。

 さて、その頃、竹内版『墓場鬼太郎』はどうなっていたか。ねずみ男は地中から甦った
妖怪によっていきなり殺され、その妖怪は鬼太郎に退治される。かくして鬼太郎は次々と
現れる妖怪を迎え撃つことになり、その神通力も大いに発揮されることになる。つまりそ
のバトルフィールドとしての作品世界だけに注目すれば、竹内版『墓場鬼太郎』の方にこ
そ後年の『ゲゲゲの鬼太郎』に通じる要素があるともいえるのである。

 竹内版『墓場鬼太郎』も、刊行当時は好評で60〜61年の足かけ2年の間に、ついに
19巻を数えたともいう(ただし竹内担当分は4巻以降)。

 同時代的状況では、水木版よりもアクティブな竹内版の鬼太郎も読者に広く受け入れら
れたであろうことがうかがえる。

 なお、後年、鬼太郎のなくてはならない相棒となるねずみ男があっけなく殺されるのは
驚きだが、この時点でのねずみ男は殺されたからといってどうということもない脇役であ
った。あるいは竹内氏は、このキャラクターの潜在的生命力に気づき、作品世界をのっと
られる不安を覚えて早いうちに始末してしまったのかも知れない。

 

 

抹殺された偽『墓場鬼太郎』

 

 京極氏は「予言する水木しげる」(前掲)において、「2種類の鬼太郎物語があること
に関して、過去に深刻な本家本元争いがあった訳ではない。鷹揚というか謙虚というか、
水木本人は目くじらを立てることなく(当時の水木しげる本人の心の程は知る由もないが
)延々と、赤の他人が全然違う鬼太郎物語を描き続けても、殆ど黙認していたに等しい」
と述べる。

 とはいえ伊藤徹によると「堪り兼ねた水木は兎月に猛然と抗議し、水木が再び兎月で描
くことを条件に、溜まっていた原稿料の支払いと竹内版鬼太郎の中止を約束させた。そし
て水木が新しく描くことになったのが、『河童の三平』である」とされており、いまや真
相は藪の中になりかねない(伊藤「『河童の三平』の世界」、『妖怪まんだら・水木しげ
るの世界』前掲、所収。兎月出版での『河童の三平』発表開始は1961年8月)。

 水木が竹内版『墓場鬼太郎』を意識していたのは三洋社『鬼太郎夜話』からもうかがえ
る。水木の描く鬼太郎は紙芝居時代から現在の『ゲゲゲの鬼太郎』までほぼ一貫して左目
がつぶれているのだが、「下宿屋」「あう時はいつも死人」では例外的に右目がつぶれて
おり、竹内版『墓場鬼太郎』もそれを踏襲して右目の方を閉じさせていた。

 そして、『鬼太郎夜話』において、両目があいているニセ鬼太郎が鬼太郎を気取る時、
きまって右目を閉じてみせるのである(『貸本まんが復刻版・墓場鬼太郎2』前掲の93
、95ページ参照)。

 水木しげるファンクラブ・水木伝説の著になる『ゲゲゲの鬼太郎の秘密』(松文館、1
993)によると、「この時代(貸本漫画時代)の鬼太郎は、ちゃんちゃんこの秘密や、
リモコン下駄などの超能力を使ったり、妖怪たちとの戦いもなく、左目のつぶれた人間を
死の世界へ導く不吉な存在だったが、『霧の中のジョニー』との戦いの頃から、徐々に正
義の味方としての自覚が生まれてくる」と指摘している(ただし、「ちゃんちゃんこの秘
密」については三洋社『鬼太郎夜話』にその片鱗が見えている)。

 この「霧の中のジョニー」が発表されたのが1962年、兎月書房との和解後、同社か
ら出した『墓場の鬼太郎』の第2話としてであったのは注目されるべきだ。それはある意
味では同じ兎月書房から出ていた竹内版『墓場鬼太郎』の後継でもあったのだ。

 水木氏の鬼太郎がふたたび兎月書房から出るにあたって、それを迎える読者はすでに竹
内氏の、妖怪と闘うアクティブな鬼太郎に慣れ親しんでいたに違いない。だとすれば、水
木氏の方でもそうした読者の側の要求に、応えようとしたのではないか。

 水木氏による「鬼太郎」が正義の味方としてのキャラクターを形成するにあたって、竹
内版の影響を受けたと考えることは決しておかしくはない。

 後年、『ゲゲゲの鬼太郎』が大ヒットし、水木版『墓場鬼太郎』がその前身として再評
価されるにいたって勝敗は決定的なものとなった。水木版『墓場鬼太郎』が作者自身によ
って幾度も書き改められ、あるいは複数の出版社から復刻されて流布し続けているのに対
し、今や竹内版『墓場鬼太郎』は散逸し、宇田川氏や京極氏のような一部研究者の間で読
まれているにすぎない。もはや竹内版『墓場鬼太郎』は抹殺された状態にあるといっても
過言ではないのである。

 

 

水木しげる研究のタブー

 

 今、水木しげる作品の研究には二つの大きなタブーがあるように思われる。その一つは
60年代の水木作品における海外小説の翻案という問題。そしてもう一つは竹内版『墓場
鬼太郎』から水木版への影響の問題である。

 60年代の水木作品には出典を明示しないまま、海外の怪奇小説を翻案した例が多い。
その代表的なものは『死人つき』(初出不明、1967年以前?)でその内容は一応、越
後柏崎妙智寺の妖怪のミイラ由来譚を装っているがその実、19世紀ロシアの作家ゴーゴ
リの代表作『ヴィイ』の翻案に他ならない。後に『死人つき』は70年代版アニメ『ゲゲ
ゲの鬼太郎』の一話「もうりょう」の原作となっているから、実質ゴーゴリ原作のアニメ
が作られたということになる。

 私は国書刊行会の『ウィアードテールズ』傑作選を読んでいて、本邦初訳のはずの作品
の中に、水木氏の翻案のタネを発見し、その勉強ぶりに舌を巻いたものだ。

 戦後、水木氏の御尊父は進駐軍の通訳の仕事をされていたということで、アメリカの雑
誌に触れる機会もあったのだろう。竹内オサム氏は50年代末以降の水木氏の作品にアメ
リカのホラーコミックの影響があることを指摘している(竹内「水木妖怪マンガのルーツ
はアメコミにあった」『妖怪まんだら・水木しげるの世界』前掲、所収)。

 ここで余談を一つ。水木氏が妖怪のデザインについて鳥山石燕の妖怪画や、コラン=ド
=プランシーの『地獄の辞典』を参考にしているのは周知のことだが、そのアンテナは現
代のアートにまで向けられていたらしい。

 修験道研究家としても有名な写真家の内藤正敏氏は1964年発表のコラージュ「新宿
幻景・キメラ」について次のように述べている。
「水木しげるが、私の『キメラ』を盗作して、妖怪『マチコミ』を書き、『ゲゲゲの鬼太
郎』にも登場させ、お菓子のキャラクター・イラストにも使用したため、水木の盗作の方
が世に横行することになった」(『日本学』第13号「表紙のことば」1989年5月、
名著刊行会)
『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターで内藤氏創作の「キメラ」とそっくりのものとは、ぬ
らりひょんと並ぶ鬼太郎のライバル、あのバックベアードのことである。

 60年代、それまでの赤貧生活からいきなり売れっ子となった水木氏は原稿依頼に追わ
れる忙しい日々を送っていた。「怪物マチコミ」(1966年初出)の主人公はなけなし
のアイデアと才能をすべてマチコミに吸い取られ、廃人となってしまうが、これは当時の
水木氏の実感だろう。それを防ぐにはつねにアンテナを磨き、アイデアのタネを探し求め
なければならなかった。

 著作権の問題に寛容だった当時の日本では、海外の文献を渉猟してタネを探すのは、決
してそしられるものではなかった。特にマンガの世界では当時、すでに大作家と呼ばれて
いた先生方も同様のことを行っていたのである。水木氏のことだけをとやかく言う筋合い
はないし、当時の慣習を現代の基準であげつらっても仕方があるまい。

 さらに言えば、現在のマンガ界もその慣習を完全に抜け出したとは言い難い。最近でも
金成陽三郎原作・さとうふみや作画の『金田一少年の事件簿』(講談社)について、トリ
ック盗用疑惑が起きている(「『金田一少年の事件簿』は“盗用だらけ”決定的証拠」「
盗用された作家が緊急寄稿・島田荘司“この問題は民事訴訟に発展する”」『週間文春』
97年8月7日号、所収)。

 そして、何より、水木氏の翻案作品はアイデアを海外の小説に借りたにしても、出来上
がりはまったく水木氏独自の世界となっているのである。

 とはいえ、この海外小説の翻案、少なくとも商業出版の水木しげる作品研究で取り上げ
られることなく、どうも公言をはばかる雰囲気があるように思われる。

 同様のことがもう一つの問題についても言える。前後のいきさつから言って水木氏が竹
内版『墓場鬼太郎』のことを嫌うのは当然だろうが、しかし、『墓場鬼太郎』がその作品
世界を広げるにあたって、竹内版のバトル感覚をとりいれ、それが後年の『ゲゲゲの鬼太
郎』大ヒットにつながっていった可能性をあらためて考察すべきなのではあるまいか。

 妖怪研究の大家にして、いまだ現役の漫画家として活躍中の水木氏を前にして研究者が
無意識の内に回避する問題があるとしてもおかしくはない。

 しかし、後世の研究者のためにも、水木氏御自身も含め、御存命の関係者もおられる今
のうちにこそ、調査できることはしておくことが肝要と、私には思われるのである。

 またもや京極氏の「予言する水木しげる」より引用させていただくが、「竹内版はそれ
なりに味わいのある作品世界を構築しているし、貸本漫画全般を視野に入れればそうレヴ
ェルの低い仕上がりでもないだろうが、画力、構成力、物語性、台詞、キャラクター、独
自性、どれを取っても水木版には遠く及ばない」という。

 アメコミのタッチや海外の怪奇小説のアイデアまでも独自の世界に取り込んでしまう水
木氏の努力と才能には、結局、貸本漫画の域を出なかった竹内氏の太刀打ちできるところ
ではなかった。

 これについて次のような指摘を成す論者がある。すなわち竹内版『墓場鬼太郎』の魅力
となっている編なパワーは「不遇な者の底力」である。しかし「水木しげるはもっと不遇
だった」というのである(香川真吾・赤田祐一「キョーフが笑ふ・・・」『宇宙船』19
85年4月号、朝日ソノラマ、所収)。けだし至言であろう。

 水木しげる研究の先達より、本稿について御意見、御批判等賜ることができれば幸いで
ある。

 

 

 

                       1997,8,20  原田 実