『東日流外三郡誌』裁判・判決とその問題点

 

 


 

 

『東日流外三郡誌』裁判

 

 平成四年十月二十一日、大分県在住の野村孝彦氏は、写真盗用および論文剽窃の件で、 青森地裁に損害賠償請求の民事訴訟を起こした。被告は『東日流外三郡誌』の偽作者・和 田喜八郎氏ならびに、その著書『知られざる東日流日下王国』(昭和六二年刊)の版元と なった八幡書店(同社は『東日流外三郡誌』のテキストも刊行している)である。

 以前から、野村氏は奈良県生駒市や和歌山県新宮市那智勝浦町の「猪垣」といわれる古 い石垣に関心を持ち、それが古代の遺跡である可能性をも考慮して、本格的調査が必要だ と唱えていた。野村氏は自ら山中を探索し、その暫定的報告を昭和五十年五月十四日付の 日本経済新聞に「謎の猪垣熊野に眠る」との見出しで発表している。

 昭和五一年頃、市浦村版『東日流外三郡誌』のことを知った野村氏は「所蔵者」たる和 田氏に、所有する文書の中に猪垣関連の記述がないか、書簡と電話で問い合わせた。和田 氏は当初、関連する記述はないと返答していたが、その際、野村氏に猪垣の写真の提供を 求め、野村氏はそれに応じて、猪垣の写真六枚と日本経済新聞掲載論文を送った。

 ところが、昭和五八年から刊行が始まった北方新社版『東日流外三郡誌』で新たに増補 された文書の中に明らかに野村氏の写真および論文に基づいて書かれた記述や図版が収め られていたのである。

 それらは野村氏の調査をはるかに遡る江戸時代の寛政年間に書かれたということになっ ていた。

 しかも、それは野村氏が苦心して調査した熊野・大和の猪垣に関してではなく、津軽山 中の「耶馬台城」なるものの描写に翻案されていたのである。

 また、名実ともに和田氏自身の著書である『知られざる東日流日下王国』にも「耶馬台 城」に関する記述があり、そこでは野村氏が提供した写真そのものが盗用されていた。

 野村氏はこの事実を知って以来、数ケ月にわたって和田氏に事実をただしたが埒が明か ず、平成四年、写真盗用と論文剽窃の著作権侵害について民事訴訟を起こしたのだ。

 野村氏は当初、事実関係がはっきりしている以上、この裁判はすみやかに決着がつくも のと考えていた。

 青森地裁提出の訴状に曰く、「被告の勝手な創作には驚愕するしかないが、右各記載の 本件写真が熊野地方、大和地方のもので、現実に存在するのであるから、全くのデッチあ げであることは明白である」「原告は被告の依頼に応じて本件写真を被告に善意から送付 したものであるが、被告は自ら虚構した偽書が真実のものであるかのごとく世間に証明す るため、原告の撮影した本件写真を、事実を偽って使用している。原告がかかる事実を知 りながら、手をこまねいていると、多くの人々から、被告の行為に原告が協力しているか のような誤解を受けかねない」

 また、『東日流外三郡誌』偽書説に立つ研究者・斎藤隆一氏も野村氏に訴訟の理由につ いて問い合わせたところ、次の回答を得たという。
「私の撮った熊野の石垣の写真を、熊野のものとして引用されていたなら、私も告訴はし ませんでした。それを津軽の深山の城跡の石垣として紹介されていたので、説明を求めた のですが、何も回答がなく、訂正する気もないようなので、誤った歴史観が形成されてゆ くのを、知って知らぬふりができずに止むなく訴えたのです」(斎藤「『東日流誌』につ いての総合的批判そのII」『季刊邪馬台国』五三号、所収)

 事実関係はあまりにも明白なように思われた。『東日流外三郡誌』をはじめとする和田 家文書には、「民活」「北方領土」「闘魂」「仕掛人」など現代の語彙が含まれ、「ふる さとには歌がある」というかつての人気テレビ番組のナレーションがそのまま引用されて いたり、ムー大陸やアトランティス、富士王朝、マヤ文明、古史古伝、戸来村のキリスト の墓に、一九九九年人類滅亡予言(ノストラダムスの大予言!)といった現代のオカルト 雑誌などからひきうつしたとしか思えない記述がある。

 また、「天は人の上に人を作らず」という福沢諭吉の言葉や岩波文庫『ギリシャローマ 神話』(野上弥生子訳)所収の詩の剽窃まである。それを江戸時代の古文献だなどと言い 張るのだから、その真作を主張する論者こそ立証責任を負ってしかるべきである。

 また、すでに和田家文書の筆跡や誤字当て字の傾向が和田氏の原稿と一致することも考 証されており、事実関係はすでに明白になっているかに見えた。

 私も『東日流外三郡誌』の「耶馬台城」に関する記述が二次資料からではなく、野村氏 の論文に直接依拠していることを考証し、法廷に陳述した。ちなみにその考証要旨につい ては裁判終結後に刊行された拙著『幻想の荒覇吐秘史』(批評社)を参照されたい。

 ところが、古田武彦昭和薬科大学教授(当時)とその支援組織が和田氏側についたこと から事態は混迷し始めた。古田氏には邪馬台国論争関係のベストセラーがあり、かつては マスコミにも影響力があった人物である。

 古田氏は「現在、伝承者のある文書を偽作呼ばわりするのは、唾するに等しい行為だ、 関係者への配慮なども含めて、その判断には極めて慎重でなければならない」として、支 援組織の機関誌で野村氏と偽作説論者に対する中傷罵詈雑言を並べたてたのだ。

 現存の伝承者が管理する文書の扱いは確かに慎重であるに越したことはない。なぜなら 、そうした文書の場合、「伝承者」がリアルタイムで「作成」している可能性もあるから だ。古田氏はその慎重であるべき方向を見誤り、暴走してしまったのである。

 古田氏らはマスコミ相手に幾度も『東日流外三郡誌』に関する「新発見」を提供すると いう形で情報操作を試み、不発に終わった時には「この発見を報道しないのは国民の“知 る権利”への侵害だ」と騒ぎたてた(マスコミ各社にだって報道する前に裏をとる義務は ある)。

 また、彼らは「死人に口なし」をいいことに、福沢諭吉や野上弥生子ら多くの先学に偽 作者・盗作者のレッテルをはることさえ行った(つまり和田氏が先学の業績を盗んだので はなく、諸先学こそ和田家文書に依拠しつつその出典を隠していたというわけだ)。

 この古田氏の「参戦」によって、『東日流外三郡誌』の真贋を巡る議論は混線させられ 、その混乱は裁判にも反映された。

 古田氏らは民事裁判の被告側には立証責任を求められないのをいいことに少し調査すれ ば虚偽とわかるような「証拠」を次々と法廷に提出した。

 そして、野村氏側はそれを一つ一つ否定するために、思わぬ消耗を強いられることにな ったのである。もっともこの膨大な「証拠」とその反証は、結果として『東日流外三郡誌 』偽作を解明するための資料となった。

 この古田氏の「参戦」に加えて、さらに厄介なことに朝日新聞までが、裁判の最中と裁 判終結直後、和田氏側に有利な虚報を流した。

 ちなみに古田氏のベストセラーは朝日新聞社を版元としており、今も朝日文庫から刊行 されている。また、『東日流外三郡誌』には一見、反中央・反皇室・反体制・反権威的に 見える記述が含まれているため、それが朝日新聞記者にしばしば見られる思想的傾向にマ ッチしたということも、虚報発生の要因になったのかも知れない。

 

 

青森地裁判決

 

 平成七年二月二一日、青森地裁の判決では、写真盗用については著作財産権侵害および 著作者人格権侵害を認め、和田氏に慰謝料二十万円の支払いを命じた。この点において、 青森地裁は和田氏が虚偽を行う者であることを認めたことになる。しかし、青森地裁は判 決文において、『東日流外三郡誌』真贋問題については、「これを偽書とする古代史家も 存在する」と言及するにとどめ、以下の理由から論文盗用による著作権侵害の主張を斥け た。
「原告が剽窃の根拠として指摘する前記各書籍中の各記載部分は、いずれも本件新聞記事 中の記載と内容的には一部似通っている点があると評価できなくはないが、文体、表現方 法、使用語句などはかなり異なっている。また、前記のとおり『東日流外三郡誌』は長大 な史書の体裁をとっているのに対して、本件新聞記事は別紙(五)のとおり熊野地方の本 件石垣についての調査報告を記載した手記のようなものであり、両者は本質的に全く異な るものである。したがって、前記各書籍中の一部に本件新聞記事に一部似通った記述が存 在するとしても、これをもって前記各書籍が、原告の本件新聞記事を複製または翻案して 作成されたものであるとは到底認めることが困難である」

 まず、「文体、表現方法、使用語句などはかなり異なっている」という点について、昭 和の文章を江戸時代に仮託しようとするのだから、文体や語句を変えるのは当然である。
そもそも同じ内容の文章の文体や語句を変えることを「翻案」というのだ。

 文体や語句を変えれば同内容でも、複製・翻案といえないというのなら、たとえば別人 が標準語で書いた文章をそのまま関西弁に書き替えて発表しても盗作とはいえないという ことになる。この青森地裁の判断は著作権について判断したというよりも、著作権という 概念そのものを破壊するものといえよう。

 また、『東日流外三郡誌』が「長大な史書の体裁」というのも実状とは異なっている。
『東日流外三郡誌』はむしろ短い文章の集積であり、内容も体系付けられたものではない 。たとえば八幡書店版『東日流外三郡誌』第一巻は口絵、目次、凡例までふくめて八六六 ページだが、その中には、三六一もの表題の文章・絵図が収められている。つまり平均す ると一つの表題につき三ページにも満たないのである。

 つまり、青森地裁の判断は、ある単行本ショートショート集の中の一篇について、盗作 疑惑が生じた際、単行本全体が盗作とはいえないから、著作権侵害は生じていないという ものであった。これでは世間の常識と乖離すること甚だしいではないか。

 また、和田家文書は一見膨大なようだが、『東日流外三郡誌』だけを例にとれば、文庫 本にして二十冊もない程度であり、流行作家のペースを考えれば、驚くほどの量でもない 。『東日流外三郡誌』のように膨大な文書が一人に書けるはずはないなどといえば、和田 家文書既刊行分全体をはるかに凌ぐ量の著書があり、しかも作品の高い水準を維持し続け ている栗本薫氏や赤川次郎氏らに失礼だろう。半村良氏は月産最高一三七〇枚を記録した ことがあるというが、これは八幡書店版『東日流外三郡誌』のほぼ一巻分に相当する。
『東日流外三郡誌』は内容の重複や前後の矛盾、誤字、当て字などを気にせずに書きとば した文体であり、酒を飲んで酔った勢いで書きなぐったのではないかとする論者さえある ほどだ(『幻想の荒覇吐秘史』参照)。

 いかな濫作の流行作家でも推敲はしているだろうから、和田氏の方がはるかに気楽に〔 創作〕していたことになる(この場合の〔創作〕は翻案・盗作・偽作を含む)。

 話を論文盗作問題に戻せば、野村氏が貴重な時間、労力、資材を費やしてやっとまとめ た論文を、和田氏は自らが筆の勢いで書きとばしただけの文章に埋もれさせたわけだから 、『東日流外三郡誌』がいかに膨大に見えるものにしろ、否、膨大に見えるものだからこ そ、その罪はかえって重いとさえいえるのだ。

 当然ながら野村氏は論文盗用による著作権侵害の主張を斥けた青森地裁の判断には納得 できず、さらに仙台高裁へと上告することになるのである。

 ちなみに、故・松田弘洲はこの青森地裁判決を次のように評した。
「現行法には“偽作”を取り締まる法律がなく、出版物の“危機管理”がなされていない 。いくら“出版・言論の自由”でも、古文書でもないものを“古文書”だと称し、活字本 に仕立てあげるのは、出版文化の秩序を乱している。古文書でない“古文書”を元にして 書かれた活字本は、図書館でも購入しており、永久に原告の著作権は侵害され続けるわけ で、それは法の不備ではないか。また、著作権の侵害があると認められても損害賠償額が “二十万円”では、今後、著作権の侵害があっても費用が何倍もかかり、訴える人がいな くなるのを大いに恐れる」(松田「出版物の危機管理を望む」『季刊邪馬台国』五六号)

 

 

朝日新聞の虚報

 

 さて、『東日流外三郡誌』の「伝承」として従来、注目されていたものに「興国の大津 波」の話がある。青森県北津軽郡の十三湖は中世、安東水軍の本拠地「十三湊」として栄 えていた。ところが興国元年(南朝年号。一三四〇)もしくは興国二年に十三湊を地震に よる大津波が襲い、壊滅してしまったというものだ。

 しかし、安東水軍の実在性については従来、地方史家の間からも疑問の声が上がってい た(松田弘洲『東日流外三郡誌の謎』参照)。また、興国元年に大海嘯があったと記す文 献は和田家文書以外にもあるが、いずれも十九世紀以降の成立であり、十八世紀まではそ もそも十三湊を大波が襲ったという伝説そのものがまだ形成されていなかった可能性が高 いともいう(長谷川成一「津軽十三津波伝承の成立とその性格」『季刊邪馬台国』五三号 所収)。ちなみに、海嘯とは河口・湾での干満差によって起こる高波であり、厳密には津 波とは異なる現象である。

 つまり、寛政年間以前から「興国の大津波」の伝承があったと記す『東日流外三郡誌』 はそれだけでもマユツバモノだということだ。また、興国二年にも大津波があったという 話は和田家文書だけに見られるものであり、和田氏の〔創作〕らしい。

 さて、平成三年から平成五年にかけて行われた十三湊遺跡の総合調査の結果は、「興国 の大津波」の実在を否定するものだった。平成五年八月十三日付の朝日新聞の東京版(夕 刊)は「津軽の中世都市発掘」「畑の下、町並み跡−青森県・十三湊」「“博多なみ港町 ”裏付け」の見出しでこれを報じている。

 その一節に曰く、「中世の十三湊は、海の豪族“安藤氏(安東氏とも書く)”の本拠と して栄え、一三四〇年(興国元年)の大津波で滅んだと伝えられている。だが、今回の調 査では安藤氏と直接結びつく出土品などはなかった。また、遺構には津波に襲われた痕跡 はなく、他の豪族との戦いで滅んだ可能性が強まったという」

 まず、『東日流外三郡誌』によって広められた俗説「安東水軍」と「興国の大津波」に ついて記し、次いでそれを否定する。この文面は、暗に『東日流外三郡誌』の史実性を否 定するものとみてよいだろう。

 ところが、その翌日、平成五年八月十四日付の朝日新聞青森版(朝刊)は「歴史の“闇 ”に光さす」「市浦・十三湊遺跡発掘調査」「“脱過疎”にも朗報」「大部分が私有地 保存・継続調査に難題」の見出しでこれを報じながら、その調査により、安東(安藤)水 軍と「興国の大津波」の実在が否定されたことには言及していない。それどころか、その 記事には次のような文面さえ見られたのである。
「安藤(安東)氏と、その拠点・十三湊の歴史の大部分は、これまで中央の“正史”には 残っていない。地方に埋もれた“外史”として伝承され、数多くの人たちの心をつかんで きた。だが、県内で発見された一部の古文書を“史実かどうか疑わしい”と見ている学者 も多く、これまで長い論争が続いてきた。そのため、同村では“ついに動かない『証拠』 が出てきた。村が中世の歴史解明の研究拠点となれば・・・”と今後の調査に強い関心を 抱いている」(文中「同村」とは市浦村のこと)

 さて、「数多くの人たちの心をつかんできた」古文書で、その扱いについて「長い論争 が続いてきた」ものといえば、まず連想されるのは『東日流外三郡誌』のことであろう。 この時期、少なくとも青森県内では、『東日流外三郡誌』の真贋論争の話題は盛り上がっ ていた。

 また、「証拠」が出てきた、と喜んでいるという市浦村にはそもそも村史資料編として 『東日流外三郡誌』を世に出し、その後も村興しに利用してきたという経緯がある。

 なるほど、この文中には『東日流外三郡誌』という固有名詞は出てきていない。したが ってこの「一部の古文書」は『東日流外三郡誌』のことではない、と弁解することもでき るだろう。しかし、問題は一般の読者がその記事をどう読むか、である。読者を「誤読」 へとわざわざ導くような記事を書く記者は、よほど無能か、それとも大衆煽動の下心があ るかのどちらかだ。

 つまり、全国版が『東日流外三郡誌』の史実性を否定する事実の発見を報じているとい うのに、青森版ではそのことを秘し、『東日流外三郡誌』を支援する記事を掲載していた ということである。

 その後も朝日新聞青森版ではこの虚報に対して一切フォローしていない。この記事は結 果として、『東日流外三郡誌』裁判における、和田氏側への援護射撃となった。大新聞が 不正な記事を捏造し、民事裁判に関与するという前代未聞の珍事件が発生したわけだ。

 この記事は一見、「中央の“正史”」よりも「地方に埋もれた“外史”」を重視しよう という反中央・反権威の意欲の現れとも受け取れるだろう。

 しかし、実際にこの記事を支えているのは、地方でなら中央での報道と異なる虚報をば らまいても問題にはならないとタカを括る大新聞の奢りである。反中央・反権威どころか 、青森支局が重要な情報を伏せた記事を書き、情報操作を図ろうとしたことこそ、本当の 意味で青森県民を愚弄する行為ではないか。

 そこには、井沢元彦氏のいう「虚報体質」、小林よしのり氏のいう「朝日新聞の正義」 、片岡正巳氏のいう「独り善がりのプライド」が如実に現れているのだ(井沢『虚報の構 造オオカミ少年の系譜』小学館、平成七年、井沢・小林『朝日新聞の正義』小学館、平成 九年、片岡『朝日新聞の「戦後」責任』展転社、平成十年、他)。

 しかも、朝日新聞青森版はこの件のみならず、『東日流外三郡誌』問題に関連してさら なる虚報を掲載したのである(この点、後述)。

 この虚報の後の平成五年十月二四日、青森市のホテル青森大ホールで行われた歴博フォ ーラム・市浦シンポジウム(主催・国立歴史民俗博物館、市浦村、(財)歴史民俗博物館 振興会)では、中世港湾都市としての十三湊の最盛期が十四世紀末から十五世紀前半にあ ったとの結論が出されている。

 それにより、「興国の大津波」で十三湊が滅びたという『東日流外三郡誌』の話の虚構 はよりいっそう明らかにされた。

 シンポジウムの内容を記録した『中世都市十三湊と安藤氏』(国立歴史民俗博物館編、 新人物往来社、平成六年)の本文には『東日流外三郡誌』に言及した箇所は一つもない。 ただ、その「あとがき」で、国立歴史民俗博物館の小島道裕氏は「(十三湊調査は)偽書 『東日流外三郡誌』が話題になっていたこともあり、マスコミからも意外なほど注目され る結果となった。もとより学術目的で調査を始めた我々にはとまどうことも多かった」と 記している。

 また、小島氏はその後も「信頼すべき同時代の史料があまりにも少なく、この地と北の 世界を支配していた“蝦夷官僚”安藤(安東)氏の歴史と共に、その実態は謎に包まれて いた。それが“地震と津波で消滅”などと記す偽書の跳梁を許す結果にもなっていた」と の見解を示した(小島「中世日本の北の玄関−ベール脱ぐ十三湊遺跡」平成八年四月九日 付読売新聞)。

 つまり、「学術目的」での十三湊調査の現場にたずさわっていた研究者の間では、『東 日流外三郡誌』が虚妄の書であることは自明とされていたようなのだ

 こうなると朝日新聞青森支局が研究者にきちんと取材した上で十三湊遺跡の記事を書い たかどうかさえ怪しくなるではないか。

 ちなみに朝日新聞では東京本社・大阪本社とも、『東日流外三郡誌』が偽書であること は十分に知悉している。なぜなら、平成の初め頃、朝日新聞の記者が和田氏から文献提供 の引き換えとして高額の金銭を求められ、その要求額を支払うべく社内で検討したことが あるからだ。

 その記者は古田氏と共に五所川原市の和田氏の家へと赴き、提供された文書の一部を社 に持ち帰ったが、大阪本社の編集委員で考古学・古代史に関する著書もある人物が「本物 の可能性は百パーセントない」と断言したため、朝日新聞社はその件から手を引くことに なったのである。しかし、その件の費用については未だに精算がなされていないとはいう 話もある。また、少なくとも大阪本社に関しては、その件以降、和田氏と朝日新聞記者を 仲介した古田武彦氏を遠ざける方針をとっている。

 なぜ、朝日新聞社は自社をもカモにしようとした和田氏の詐欺行為についてきちんと調 査し、その結果を公表しなかったのであろうか。早々に『東日流外三郡誌』問題への対策 を社内に徹底していれば、少なくとも、青森版の相次ぐ虚報は防げたはずだ。

 また、その件が公になっていれば、その後の和田氏の詐欺行為を掣肘することにもなっ ただろうし、野村氏は訴訟を起こすまでもなく、事実関係を公表するだけで事足りたはず である。報道機関には、不正の追及を通して、社会に貢献する意義があると思うのだが、 朝日新聞社は、自社の恥を隠すことを、その公的使命よりも優先したことになる。

 報道機関の責務として、同社に改めて、和田氏の詐欺行為に関する調査とその結果公表 を望むものである。

 

 

仙台高裁判決の矛盾

 

 平成九年一月三〇日付で出された仙台高裁判決は、写真盗用については、和田氏が、野 村氏が撮影した熊野地方等の写真であることを知りながら、故意に津軽にある耶馬台城跡 を写したものと偽って掲載したその悪質さを認定し、一審の慰謝料二十万円をさらに倍増 し、四〇万円というこの種の著作権侵害事件としては異例の高額を科すことになった。そ の点については野村氏の実質勝訴である。

 論文剽窃については、判決文に「偽書説の根拠として主張されている点と、これに対す る被控訴人和田の対応、反論とを対照して、本件各証拠上の裏付の有無を検討すると、右 偽書説にはそれなりの根拠が窺われる」として、『東日流外三郡誌』の真贋問題では偽書 説の方に分があること、和田氏の態度に問題があったこと(虚偽の陳述を繰り返した)が 指摘されている。

 しかし、その判決は写真盗用を認めるものの、論文盗用については「前者(『東日流外 三郡誌』)には後者(日本経済新聞掲載の野村氏の論文)の記述にヒントを得たと見られ る部分があるという程度に止まるというべきである」「したがって『東日流外三郡誌』等 の記述が本件論文の複製であることはもちろん、翻案であると認めることもできない」と して、野村氏側の請求を斥けるものであった。

 判決文では、「学問的な背景をもって見解の対立する論点に関して、訴訟手続において 提出された限られた資料から裁判所が判断するのは、それが争訟の裁判を判断する上で必 要な場合には当然行うべき筋合いではあるが、結論を導くのに不可欠とはいえない場合に は、これを差し控えるのが相当であると考えられる」として表面上、『東日流外三郡誌』 の真贋を断定するのを避けた。

 しかし、考えてみれば、『東日流外三郡誌』が本当に古文献ならば、論文盗用の問題は 最初から生じないはずである。真贋の断定は「結論を導くのに不可欠といえない」どころ か、それなしには審理が成り立たないはずのものなのである。

 その判決文の随所には「前記(『東日流外三郡誌』)の記述が本件論文(日本経済新聞 掲載の野村氏の論文)にヒントを得たという余地はある」「部分的な類似は否定できない 」という表現が繰り返されており、実際の審理が偽書説に基づいて行われたことがうかが える。

 そもそも『東日流外三郡誌』が偽書でなければ「ヒントを得たと見られる部分があると いう程度」のことさえありえないはずではないか。

 この点において、仙台高裁の判決文はすでに明らかに矛盾を抱えているのである。では 、仙台高裁が「翻案であると認めることもできない」とした具体的な根拠は何なのだろう か。判決文には、『東日流外三郡誌』、和田家文書の個々の文書について「翻案とまでは いえない」としてはいるが、その具体的根拠を見ていくといずれも怪しいものばかりであ る。以下にその引用とそれぞれの問題点を記しておきたい。

具体的根拠とその問題点

1,「山中の石垣という点において確かに本件論文の記述に類似しているといえるが、『 東日流外三郡誌』の記述は城跡に存する石垣であるのに対して、本件論文のそれは構築さ れた理由や過程の不明な謎の石垣であるというのであるから、前記の記述が本件論文にヒ ントを得たという余地はあるにしても、これを翻案したものであるとまで直ちにみとめる ことはできない」

 野村氏が猪垣の築造理由に対し断定を避けたのに対し、和田氏は発見された時代や場所 を改めたばかりか、築造理由まで〔創作〕してしまった。その際、新たに増補された箇所 があることをもって「翻案」とはいえないというのはおかしい。「翻案」とはむしろ、そ のような増補を伴う行為を指す語だからである。

2,「神武東征伝承に関わる類似点についても、右伝承は日本書紀の記述にあるもので、 本件論文における控訴人の創作にかかるものではないから、これが控訴人の著作権を侵害 するようなものであると解することはできない」

 ここでは野村氏の請求を斥ける根拠として『日本書紀』の名を持ち出しているが、実際 にその内容を検討したかは疑わしい。『日本書紀』の神武東征伝承には熊野猪垣は登場し ない。神武東征伝承と熊野猪垣が関係する可能性を示唆したのは、あくまで野村氏の創案 によるものなのである。それが『東日流外三郡誌』に無断で取り入れられているとすれば 、それだけでも著作先行権侵害の有無を検討しなければならないはずだ。

 もっとも戦後の教育を受けたとおぼしき裁判官に『日本書紀』についての知識を求める こと自体、無理なのかも知れない。

3,「情景描写の類似を指摘する点についても、これらの多くは山中の情景描写として特 異なものとは認め難いものであって、その全体を総合しても本件論文を翻案したものと認 めることはできない」

4,「土地の伝承を聞いたことから遺物を発見するに至るとの筋立てや、山中で日が暮れ るといった描写自体はありふれたものである」

 この二点について、実際には野村氏の論文と『東日流外三郡誌』は描写の細部まで類似 しており、とても「特異なものとは認めがたい」「ありふれたものである」として片づけ られる程度ではない。仙台高裁はどの程度まで類似してはじめて「翻案」といえるのか、 その具体的基準を示すべきだろう。

5,「控訴人は、東日流耶馬台城の石垣の現実性を高めるために“東日流及び紀州のみに 実在なして”との記述に及んだなどと指摘するが、熊野地方の山中に石垣が存在するとの 事実自体は控訴人の思想、感情の表現とはいえない」

 熊野猪垣そのものは野村氏が山中にわけいる以前からあっただろう。しかし、その存在 に注目し、貴重な時間、資金、労力を費やして調査し、さらにその歴史的意義について見 直すよう提議したのはあくまで野村氏である。和田氏はその結果を江戸時代の架空の人物 に仮託することにより、野村氏の著作先行権を侵したのだ。

 仙台高裁の論法が通用するなら、ニュートンが生まれる前から万有引力はあったのだか ら、ニュートンの万有引力発見には何らの意義もなかったということになる。思想・知見 の成立年代を不当に遡らせる偽書作成は、全人類の知的財産権である著作権を根こそぎ侵 害するきわめて悪質な行為なのだが、裁判所はそれに考えおよばなかったようである。

6,「挿絵に付された“熊野山中十五里之石垣”との記述については、本件論文の六〇キ ロメートルに及ぶ石垣という記述と、石垣の長さの点において、一里を三・九二七キロメ ートルとして換算すると約五八・九キロメートルとなり極めて類似するものということが できるが、熊野山中の長大な石垣の長さを江戸時代に書かれたとされる文献において表現 するとすれば、自ずと限られた範囲内での一定の数値を採用するほかないのであるから、 その中で一五里という数値が採られたからといって、これが控訴人の本件論文の記述に依 拠しているものと直ちに推認することは困難である」

 つまり、裁判所は一里は四キロメートルではなく三・九二七キロメートルであるという 、一見精密なようで単に教条主義的かつ無意味・非実用的な議論を持ち出してきたのであ る。

 さて、この場合、 野村氏の論文にあらわれる「六〇キロ」というのはあくまで新聞記 事執筆時点での野村氏独自の測量によって得られたものであり、猪垣全体から見れば一部 でしかない、そして新聞記事の中にしか存在しないはずの調査途中の数値である。

 それが偶然の一致で和田家文書に現れうる長さではないこと、和田家文書の「十五里」 を六〇キロの書き替えとみなすことに妥当性があることはすでに拙著『幻想の荒覇吐秘史 』で考証した。

 そもそも野村氏も和田氏も戦前の教育を受けた世代である。戦前、里・尺・貫という度 量衡が生活の中に生きていた頃には、それをメートル法に換算するにあたっては四キロメ ートルが一里、三尺三寸が一メートル、四貫が十五キロというように覚えやすい概数が用 いられていた。一里三・九二七キロメートルという、すぐに暗算もできないような数字を 玩ぶのは、生活の中で「里」という単位を用いたことのない戦後世代の感覚である。ここ には戦前世代と戦後世代の生活感の乖離をうかがうことさえできる。

 このような数字の遊びを判決にもりこむことが、公序良俗および市民の健全な生活を守 るべき法曹界で許されてよいのだろうか。

7,「『東日流外三郡誌』全体と本件論文とを対比して検討するとしても、前者は長大な 史書の体裁をなすものであるのに対して、後者は本件石垣の調査結果の報告論文である点 で全く異なる」

 この点は青森地裁判決文を受けるものであり、それ自体誤った判断である。この誤断に 対する反論はすでに述べた。

8,「前者が古代日本に存したとされる耶馬台国及び耶馬台城の石垣に関するいわば伝説 的な記述であるのに対し、後者は熊野地方に存する石垣の客観的な性状を探究してそれが 構築されるに至った理由、過程を学問的に探究しようとするものである点においても全く 異なる」

 野村氏が「学問的に探究しよう」として書いた文を和田氏が「伝説的な記述」に書き替 えたのである。これでは、何者かが他人の学説を自分の意見として発表する際、論文では なく小説仕立てにすれば、無断でも何ら問題はないということになってしまう。

 以上、仙台高裁が論文盗用を否定した根拠はことごとくあやふやなもの、もしくは矛盾 を内包するものであった。このような判例を作ったこと自体、後世に禍根を残すものとい えるだろう。

 野村氏はこの判決にも納得できず、最高裁に上告したが、平成九年十月十四日付で最高 裁はそれを棄却した。

 この審判は異例の早さであり、最高裁で十分な検討が行われた末のものか疑わしいが、 あるいは野村氏が写真盗用の件で実質勝訴したことを念頭においた上での判断だったのか も知れない。

 知的営為にたずさわるすべての人は心すべきであろう。貴重な資金と時間と労力をつぎ こみ、心血ふりそそいだ成果が、偽作者の一筆にあっさり奪われ、真に賞賛されるべき者 には不名誉な模倣者というレッテルがはられる。このような不当な行為を法的に保護する 判例がすでに最高裁により、出されてしまったのである。

 なおその直後、平成九年十月十七日付の朝日新聞青森版が「津軽地方史・著書は盗作で はない・最高裁、真偽論争に決着」として、例によって和田氏側弁護人の主張を全面的に 支持し、野村氏の人格を誹謗する虚報を流した。大新聞が詐欺師の肩を持ち、その非を糺 そうとする善意の市民に精神的苦痛を与えたのである。マスコミが自ら社会の不正を追及 することなく、むしろそれを行おうとする市民の人権を侵害する、このようなことが野放 しでは、現代社会そのものの崩壊を招きかねない。むろん、その前にマスコミ・ジャーナ リズムにとっての自殺行為といえよう。

 朝日新聞青森版の虚報は、ローカルな話ではあるが、ある意味では、昭和四七年の林彪 健在報道や、平成元年の沖縄サンゴ礁損傷事件にも匹敵する朝日の不祥事である。さすが に平成十年三月十日付の同紙はそれについての訂正記事を掲載するにいたったが、その経 緯については拙著『幻想の荒覇吐秘史』を参照されたい。

 それにしても、長く辛い裁判を戦い、『東日流外三郡誌』の偽書性を世に知らしめるに いたった野村氏の御苦労には頭が下がる。

 熊谷充夫氏のエッセイに、熊谷氏の友人で「学識経験の豊かな教養人」だという川口昭 一郎氏からの書簡が紹介されている。その一節をここに引用したい。
「和田の歴史贋造は厳しく断罪されるべきでしょう。それにしても和田喜八郎の詐欺師と しての才能は見上げたものです。これだけ長い間、大勢の人を騙し、振り回し続けてきた のですから。最近になって、安本美典氏を始め多くの史家によって『東日流外三郡誌』偽 書説がほぼ立証されたことに、一津軽人としていささかほっとした思いがいたします。特 に和田による熊野猪垣の写真盗用や論文剽窃への怒りもあったでしょうが、多額の私費を 投じて訴訟を起こしてまでも和田の歴史捏造追及の手を緩めぬ野村孝彦氏の姿勢には、学 徒としての情熱が横溢していて、清々しい思いがします」(熊谷「津軽安東紀行自費出版 記(十七)」『春秋東奥』平成十年十一月十二日号、所収)

 

 

詐欺行為に寛容な体質

 

 私は以前、『東日流外三郡誌』問題に刑法上の対応ができないかどうか、青森県警に問 い合わせたことがある。その際の返答によると、歴史的文書(と称するもの)の偽造は私 文書偽造罪の対象にはならないとのことであった。

 日本の学界・司法・ジャーナリズムには共通して詐欺行為に寛容な体質があるようだ。 以前、地元ともいうべき弘前大学の助教授(当時)が『東日流外三郡誌』問題について、 次のように言及したことがある。
「この手のものは黙殺するのが学界の常識であるし、自分たちの研究で一度もそれを史料 として利用しないことが、学者としての立場の表明になっている」

 つまり、沈黙それ自体が立場の表明だというわけである。しかし、それでは偽書の蔓延 に対して、学界は社会的責任を放棄することになってしまう。

 ちなみにこの助教授の別の発言が『東日流外三郡誌』の擁護者にくりかえし恣意的に利 用されたという事実もある(佐治芳彦『〔超真相〕東日流外三郡誌』徳間書店、平成八年 、同「超古代史・東日流外三郡誌」『白い国の詩』東北電力株式会社地域交流部、平成十 年十一月号所収、他)。

 むろん、その発言を悪用する『東日流外三郡誌』擁護者や自らの刊行物でそれを許す版 元にこそ問題があるわけだが、しかし、当の助教授は、自らの発言が詐欺行為の擁護に用 いられているのに対して、そしらぬ顔をしているわけで、これでは、もはやプロの研究者 としての責任さえ放棄したと言われても仕方ないだろう。
「“だまされるほうが悪い”とプロが高みの見物をし始めたとき、民主主義は死ぬ。もし も無視することが否定なのだとあらゆる分野の研究者が考えるようになったなら、この日 本での安全で安定した生活はおそらく維持できないであろう」(野々村一助「知の陥穽」 『季刊邪馬台国』五二号)

 もっともこうした傾向は日本の学界ばかりではないようだ。テレンス・ハインズ氏は擬 似科学(しばしば詐欺行為を伴う)に対する科学者、学者の一般的な態度を次のように批 判する。
「擬似科学に対する彼ら(学者や科学者)の反応は、決まってナンセンスだから相手にし ないというものである。とはいえ、そうしたお決まりの態度は不幸なものとしかいいよう がない」「間違いだったとしても、科学者たちは国民から多額の税金を払ってもらってい る手前、そのことを国民に知らせる義務がある。相手にせず調べないでいることは、結局 それを主張する側のいいたい放題になってしまう危険性があるし、国民が納得のゆく選択 をするための知識を教えないことになる」「擬似科学の学説を深く考えもせずに安易に受 け入れてしまうことは、現実的な危険をはらんでいる。信じる者はその信念に基づいて行 動するため、自分や他人に肉体的に危害を加えたり、ひどいときには死にいたらしめるこ とすらある」「擬似科学の主張を注意深く吟味して、その結果を大衆メディアを通じて公 表すること以外、無防備な人々を正しい知識によって守る手だてはないのである。もちろ ん、自分たちの商品を大衆に売りつけては、多額の利潤を得ている擬似科学や超常現象の 支持者が、カモである大衆に真実を伝えるはずなどない。だからこそ、科学者がそれを情 報として大衆に知らせる責任があるのだ」(『ハインズ博士「超科学」をきる』井山弘幸 訳、化学同人、平成七年、原著一九八八)
『東日流外三郡誌』についても、それを真実だと言いくるめることで多額の利潤を得てき た出版社や著者がいる。そもそも和田氏にとって『東日流外三郡誌』は何よりのメシのタ ネなのである。それは明らかに詐欺行為なのだ。それだからこそ、学界とジャーナリズム にはそれを追及する責任があったはずである。

 それでは現代日本のジャーナリズムの詐欺行為に対する態度はどうか。何度も引き合い に出して恐縮だが、朝日新聞は平成五年三月二三日付朝刊で「ユリ・ゲラーさんが名誉棄 損で一部勝訴」として、自称超能力者ユリ・ゲラー氏がその超能力を否定する発言を行っ たジェームズ・ランディ氏に損害賠償を求め、裁判所が五十万円の支払いを命じたことを 報じた。ちなみにゲラー氏は当時英国在住、ランディ氏はアメリカ人だったにも関わらず 、その訴訟は東京地裁で行われている。
「朝食のパンをかじりながら広げた朝刊の片隅にこの記事を見つけ、ドヒャーとたまげた 人も少なくなかったようだ。記事を素直に読むと“超能力”を否定する発言をすると、名 誉棄損になると読める。日本の裁判所は、超能力の存在を認め、ユリゲラーを真の超能力 者と承認したに違いない!この記事だけでは、そう受け取られても仕方なかった」(久保 田裕「東京地裁『超能力』裁判の顛末」『と学会連絡誌』第二号)

 もっとも判決そのものはゲラー氏の「超能力」を肯定するものではなく、ただランディ 氏がゲラー氏を「完全な人格異常、社会的病質者」と評したのを「侮辱行為」とみなし、 精神的苦痛に対する慰謝料を求めるものだったという。また、訴訟費用の九五パーセント はゲラー氏側持ちとなった。
「ある司法関係者によると、これは実質ゲラー側の敗訴と見るべき判決なのだそうだ。だ が、ゲラーは“ランディに勝った”と、欧州で大々的にプレスリリースを流している、と いう噂だ。実質敗訴で、金銭上は赤字であっても、詳しい内容を抜きにして“勝った、勝 った”というプレスリリースさえ流せれば、それはそれで、ゲラーに取ってこの裁判は、 採算の合うものだったのかも知れない」(久保田「東京地裁『超能力』裁判の顛末」) 「“大金持ち”(ユリゲラーはすでに富豪)である超能力者が、“貧乏人”である批判者 を訴えた場合、判決はどうあれ、訴訟費用の五%の負担でも批判者側が多大な損害を被る ことになってしまい、世の批判者の口を噤ませる結果になってしまうでしょう。このあた りを考えると私にはまだまだ前途暗澹たる判決という気がします」(久保田氏の記事に対 する『と学会連絡誌』編集・藤倉珊氏のコメント)

 実質敗訴でも「勝った、勝った」というプレスリリースを流すというのは、まさに朝日 新聞青森版で和田氏側が行ったことである。

 それはさておき、なぜ、ゲラー氏はランディ氏との対決の場に東京地裁を選んだのだろ うか(表向きの理由はランディ発言が掲載されたのが『DAYS JAPAN』だったか らということだが、ランディ氏の超能力批判は別にそれに始まったわけではない)。また 、なぜ朝日新聞はゲラー氏の「勝訴」を報じてしまったのだろうか。

 はっきり言おう。日本の司法とジャーナリズムはナメられているのだ。

 日本国内の会社ならばいつ摘発されてもおかしくないマルチ商法の外資系企業が、長野 冬期オリンピックの最中、朝日新聞に全面広告を出した例もある。

 日本のジャーナリズムを代表する朝日にしてこの有り様だから、海外のペテン師から見 て、日本のジャーナリズムは心強い味方にみえるだろう。ペテン師からなめられるだけの 司法と、自国民がカモにされるのを支援さえしかねないジャーナリズム。もはやこれは国 益の問題である。

 

 

反社会的カルトと詐欺行為

 

 さて、先述の通り、ハインズ氏は「信じる者はその信念に基づいて行動するため、自分 や他人に肉体的に危害を加えたり、ひどいときには死にいたらしめることすらある」と指 摘している。その問題と関連して、松田弘洲は生前、『東日流外三郡誌』を批判すること により、自らの身辺に危険が及ぶ可能性を憂えておられた。
「本書を三年前に出版した時、イヤガラセ電話や、名無しの抗議の葉書などが相次いだ。 不安になった家人が“もう、東日流誌の批判など止めてよ”と訴えた。私は論客である。 筆を折る位なら、死んだほうがマシだ」(松田『東日流外三郡誌の謎』第六刷、あすなろ 舎。文中「本書」とは『東日流外三郡誌の謎』第一刷のこと)。
「我が家は放火されていたかも知れないのです。いや、本当です。教祖様の説に異を唱え る者は、許しておけないと発狂する人はいるものです」(松田「やはり“古田史学”は崩 壊する」『季刊邪馬台国』五五号、なお、この文が発表されたのは地下鉄サリン事件の前 年である)。
『東日流外三郡誌』問題と反社会的カルトの関係については拙著『幻想の荒覇吐秘史』及 び拙稿「麻原・オウム・オカルトを結ぶ偽史運動の正体」(『ゼンボウ』平成八年一月号 )「偽史運動と『東日流外三郡誌』」(『ゼンボウ』平成八年九月号)を参照されたい。 最近でも『東日流外三郡誌』とオカルトを結びつけた新たな反社会的カルトを生み出そう とする気運がある。

 たとえば、最近、東京高検検事長の首をとって名を挙げた『噂の真相』誌の、一九九九 年四月号に「北海道・東北は日本から独立を」と題して、次のような投書が掲載されてい る。 「古史料によると東北地方には日高見という独立国が存在したという。また東日流外三郡 誌によるとアラハバキ連合という国も存在した。望龍術を修めた花谷幸比古氏によると、 アメリカから来た青龍が日本にいて平成維新(私に言わせれば縄文革命)を導いていると いう。青龍の頭部・胸部にあたる北海道・青森・岩手・宮城県から縄文革命の遂行者が出 現するのだそうだ。これは大和朝廷の軛から離脱する絶好のチャンスであり、縄文時代以 来再び東北人が文明の主導権を握ることになる。栗本慎一郎が言うように、縄文人の怨念 をたやすく埋葬されてはこまるのだ」

 この投書の主は北海道札幌市在住、三六歳の自営業だという。『東日流外三郡誌』信奉 者の中にはこうしたことを大真面目に考え、実現しようとする者も含まれているのだ。

 さて、オウム真理教事件を例にとっても、もたつく審理、一部幹部へのあまりにも軽す ぎる実刑判決、速やかな教団再建・活動再開と、現行法が反社会的カルトに対して無力で あることは明白である。すべての詐欺行為が反社会的カルトにつながるわけではないが、 詐欺行為を伴わない反社会的カルトはない。日本の学界・司法・ジャーナリズムが詐欺行 為に対してもっと厳格に対処することで、反社会的カルトの跳梁もある程度、阻止できる のではないだろうか。

 そうした見地からも『東日流外三郡誌』問題にあらためて各方面の関心を寄せていただ きたい次第である。

 

 

著作権と文化の保護

 

 さて、現行法では歴史的文書の偽作そのものを取り締まることはできないため、野村氏 としても著作権侵害に関する民事訴訟という形で『東日流外三郡誌』問題に挑むことにな った。

 しかし、民事訴訟の前提として、偽書である『東日流外三郡誌』も和田氏の論文と同様 、著作権法が適用される(したがって著作権保護の対象となる)べきか、また、適用され るとすればどのように適用されるのか、それは法の普遍的理念である公序良俗との合致、 著作権法の目的である文化の発展への寄与とどのような関係にあるのか、そうした問題を 司法は判断しなければならなかったはずである。
『東日流外三郡誌』は偽作の歴史的文書であり、その編者・著者は歴史上の人物や架空の 人物に仮託されている。そのため、一見、事実上の著者が著作権法による保護を放棄した 形にはなっている。しかし、著作権の自主的な放棄もまた、権利の行使の一つと考えうる のか、司法はその点にも明確な判断を示すべきであった。司法のこのような判断は、おそ らく前例がないものだけに慎重なものでなければならなかったはずだ。

 しかし、仙台高裁判決は表面上、『東日流外三郡誌』の真贋断定を避けるという形でそ れらの問題を回避し、実際の審理においては、『東日流外三郡誌』を著作権法で保護され る一般の著作物と同等に扱った。

 そもそも出版ということ自体が一つの社会的行為なのである。『東日流外三郡誌』など の和田家文書が刊行されたことにより、和田氏は自らの言説を世間に流布することができ た。しかも、歴史的文書を装うことにより、和田氏自身はその内容に責任を負わないとい う卑劣な立場をとったのである。

 また、和田喜八郎氏は印税や原稿料という形式はとらないにしても、「古文書」提供の 謝礼などの名目で十分に利益を得ており、また「古文書」の継承者を称することで著作隣 接権を専有的に行使している。
『季刊邪馬台国』五一号の特集記事は和田喜八郎氏の偽作の動機として「経済的動機」「 反体制史観」「創作欲」の三つを挙げた。

 現行の著作権法においては、責任の所在を明確にしている文書と、責任の所在をごまか している文書が同等の権利を行使していることになる。

 これは言うなれば、交通法規を守っているドライバーと飲酒運転のドライバーが同等に 公道を走るのを許すようなものだ。

 たとえば「南京大虐殺」や「従軍慰安婦の強制連行」について、その証拠文書を偽作す る者があったとしよう。たとえ、それが偽作であることが発覚したとしても、現行法では これを追及することはできず、著作権法上認められた権利を行使したにすぎないというこ とになってしまう。それどころか、偽作者がマスコミから英雄扱いされることさえありう る(朝日新聞青森版の虚報を見ると、これも杞憂とはいえない)。

 歴史的文書の偽作という形で、発言者が権利も責任も放棄するというのなら、それは著 作権法上の保護の対象にもすべきではない。歴史的文書の偽作は、その行為自体において 、すでに著作権法の精神を踏みにじっているとみなすべきである。

 歴史的文書の偽作は、その行為自体に、著作人格権の侵害、著作先行権の侵害、同一性 保持権の侵害を伴わずにはいられない。

 それは偽作者が現代の知識(仮託の対象からみれば後代の知識)に基づいて、歴史を仮 構しようとするものであり、そこには当然、仮託の対象の時代よりも、後になされた学術 上の発見、芸術的な創作などが反映するからである。

 野村氏の論文盗用の場合には、野村氏が苦心して熊野猪垣を調査した成果が、江戸時代 の架空の人物の業績にされてしまっている。

 また、先述した岩波文庫『ギリシャローマ神話』からの盗用についても、それは明らか に故・野上弥生子の著作人格権・著作先行権などを侵害している。だからこそ、古田氏ら は躍起になって野上弥生子の側に偽作者のレッテルをはろうとしたのである。

 すでに没後五十年を経て、表面上は著作権が消失した人物の業績(和田家文書の場合で いえば福沢諭吉など)の剽窃は、一見、著作権法上の問題は発生しないように見える。し かし、これは万人の財産であるべき古典について、自らの著作権を新たに設定しようとい う行為であり、文化そのものへの破壊という意味では、未だ著作権が生きている人物の場 合と同様、あるいはそれ以上に罪が深いといえるかも知れない。

 著作先行権の問題は、知的財産の保護の問題とも関わってくる。日本の司法に歴史的文 書の偽作という観点がないということは、知的財産の占有権をめぐる訴訟で、偽作された 歴史的文書を証拠として法廷に持ち出しても、そのこと自体で罰することはできないとい うことだ(歴史的文書は私文書偽造罪の対象にはならない)。

 現在、知的財産をめぐる国家間の競争は激化の一途をたどっている。自国民の知的財産 をきちんと保護できない国家は衰退するしかない。その意味では、著作先行権の問題もま た国益と密接に結びついているのである。

 青森地裁・仙台高裁ともその判決には、偽作文書を著作権法で保護することの是非とい う観点が抜け落ちている。本来、このような現行法の不備を問うような問題こそ、最高裁 で取り上げられるべきだったのだ。最高裁が野村氏の上告を却下したことが改めて惜しま れる次第である。

 なお、歴史的文書の偽作に対する現行法の不備は拙著『幻想の荒覇吐秘史』でもくりか えし論じたところであり、併読していただければ幸いである。

 

 

創作と盗作

 

 最後に一言、先に和田氏が野村氏の論文を翻案するにあたって自らの創作を交えたこと を指摘したが、そのことは決して和田氏による「盗作」を否定するものではない。

 ここで興味深い例となるのが一九九四年、ディズニー・カンパニーが製作したアニメ映 画『ライオン・キング』である。それが発表された時、日米双方のアニメ・マンガファン の間でそれが手塚治虫の『ジャングル大帝』の盗作であるという話題が盛り上がったのだ 。『ジャングル大帝』のテレビアニメは一九六六年から七〇年代にかけて、『キンバ・ザ ・ホワイトライオン』のタイトルでアメリカでも放映されている。
「たしかに、両者は非常によく似ている。『ライオン・キング』も『キンバ・ザ・ホワイ ト・ライオン』もともに、アフリカを舞台に、若いライオンが成長していく物語だ。『ラ イオン・キング』の主人公の名はシンバ、『ホワイト・ライオン』の主人公の名前はキン バ(ただし英語訳版のみ)でこれまた似ている。しかもともに、父親を殺されたあと、ラ イオンの世界の王位につくのだ。また、主人公を助けてメッセンジャーの役割を果たすの が、ヒステリックな道化役の鳥(『ライオン・キング』ではサイチョウ、『ホワイト・ラ イオン』ではオウム)であるのも同じだ。その他、主人公を助ける役として、年老いた賢 いヒヒが出てくるが、これまた同じである。そして、主人公に敵対する悪役ライオンの左 目には傷跡があること、その悪役を助けるのが道化役のハイエナであること。さらに突出 した岩山にライオンの群が立っているシーンが非常に似通っていること。そしてとどめと して、最も“剽窃”の疑いをもたれたのは、若いライオンが空を見上げ、そこに両親の姿 を見る、というシーン(かたや雲、かたや星座、という違いはあるにせよ)が、『ライオ ン・キング』にも『キンバ・ザ・ホワイト・ライオン』にも挿入されていた、という事実 だった」(フレデリック・L・ショット、樋口あやこ訳『ニッポンマンガ論』マール社、 一九九八年、原著一九九六年)

 ディズニー・カンパニーは一九九四年七月十四日付のサンフランシスコ・クロニクル紙 に「『ライオン・キング』はまったくのオリジナルである。製作スタッフは誰一人として 手塚治虫という人物の名さえ知らなかった」という現実離れしたコメントを出し、日米双 方の手塚ファンの怒りをかりたてた。

 なにしろ自社の著作権に対しては異常にうるさく、同人誌へのクレームをつけにコミケ にまで来るディズニーが、堂々と今は亡き巨匠の著作権を犯したのである。

 しかし、手塚プロでは、故・手塚治虫が大のディズニー・ファンであり、『ジャングル 大帝』のアイデアもディズニーの『バンビ』に学んだところがあるということで、結局は ディズニーを起訴することはなかった。
「“シンバ対キンバ論争”は、論争の決着に関する文化の違いを浮き彫りにした事件だっ た。日本では、法律に訴える解決法は好まれず、あくまでも最後の手段としてしか使われ ない。現在なお手塚プロダクションの中心である手塚治虫の遺族は、ディズニーを相手取 って訴えたり、対決したりという方法を好まなかった。・・・一方ディズニー・カンパニ ー側の回答は、まさしく現代米国の巨大産業の反応としては典型的なものだと言えよう。 自分に都合の悪いことはすべて否定し、相手方が訴訟を起こすのをなんとしてもくい止め るのだ」(ショット『ニッポンマンガ論』)

 誰が見ても『ライオン・キング』は『ジャングル大帝』の翻案であり、盗作とさえ言っ てよいシロモノである。『ジャングル大帝』が『バンビ』に学んだとはいっても、前者が 後者の翻案といえるほどの類似を示しているわけではない。

 もちろん『ライオン・キング』の中心的エピソードであるライオンの世界での王位争い はディズニーの「創作」であり、オリジナルな要素ということができる。しかし、ストー リー、主要人物のキャラクター、印象に残るシーンとこれだけ酷似していれば、ディズニ ーも自社のオリジナル作品と胸を張って言える立場ではないはずだ。
「創作」を交えていることを理由に「翻案」「盗作」を否定することはできない、『ライ オン・キング』はその典型的な事例である。

 さて、もしも手塚プロがディズニーに対する訴訟を起こしたとすればどうなっていただ ろう。それがアメリカの法廷であれば、ディズニー側の盗作を認め、すみやかに手塚プロ に対する賠償を命じたであろうこと想像に難くない。むろん、法廷がアメリカの国益を優 先し、ディズニー側を守ろうとすることも考えられるが、そのような近視眼的判断が結局 は法の公正を損ねるであろうことをアメリカの法曹界は知っている。

 では日本の法廷ではどうか。おそらく審理が長引いたあげく玉虫色の判決が下り、訴え ただけ損という結果になるのではないか。日本の法廷が著作権保護に対して消極的なこと は『東日流外三郡誌』裁判からもうかがえる。そもそも「日本では、法律に訴える解決法 は好まれず、あくまでも最後の手段としてしか使われない」というのは裁判所のそうした 体質とも関連している。

 かつて日本は海外の知的財産に学ぶ(あるいはそれを盗む)ことによって国力をつけて きた。日本の法廷が著作権保護を軽んじる体質もそれと関係あるのかも知れない。しかし 、今や日本はむしろ知的財産を盗まれる側にある。したがって法廷も含め、日本社会全体 に著作権保護に対する厳正な態度が求められているのである。手塚プロはやはりディズニ ーを訴えるべきだったろう。

 そして、国内における著作権保護の試金石となりうる判例の一つに『東日流外三郡誌』 裁判があったはずなのだ。青森地裁、仙台高裁、最高裁の判決はいずれもそうした広い視 野に立ったものではなかったことがあらためて惜しまれる。  

 

 

                      1999,6  原田 実