SFヒヨコマンジュウの島

    原案=松本賀久子     文=原田 実

エピローグ

 ブーン、ブーン、冷たい機械音が地中に響き渡る。その音源の動きは赤外線モニターカ
メラにより、地上のある建物へと送信されていた。

 ここは琵琶湖東岸にほど近い山中、複雑な配線や数多くの計器の並ぶ一室で白衣の男た
ちに囲まれ、二人の人物がモニターに見入っている。その一方、スポーティーな衣装に身
を包んだ美女がもう一人の男に話しかけた。
「ドクター、たしかに例の超エネルギー、これで掘り出すことができるんでしょうね。見
掛け倒しでなければいいけど」

 男は静かに頷く。しかし、ドクターと呼び掛けられる以上、この男も白衣を着ていてよ
さそうだが、その風体の奇怪さは何だろう。全身を極彩色に包み、頭には真っ赤な三角帽
子、その上、鼻の上には今時珍しいロイド眼鏡だ。しかし、この派手なスタイルもこの男
なりのダンディズムを表現したものらしい。
「もちろん、わしもドクター=クイダオレといわれた男だ。どうだね、見事な出来映えだ
ろう?マダム=ピロシキ」

 モニターに移ったそのシルエットは羽を持たない巨大な鳥のように見えた。その巨鳥が
鋭いクチバシで岩を砕き、二本の短い足を巧みに使って掘り進みつつ、さらに地底深くを
目指しているのだ。

 モニターのかたわらの計器の針が右に大きく振れ、ドクター=クイダオレの口許がニヤ
リとほころぶ。その時、モニター中の巨鳥の姿に異変が起こった。

 突然、鳥の前進が止まり、立ち止まったまま、大きく頭を上下させはじめたのだ。
「いったいどうしたの」
「超エネルギーの影響でメカヒヨコがマイド=オイデヤス=シンドロームに陥った。すぐ
に回収班を送り込むとしよう」

 赤外線の眼は巨鳥のオーバーヒートをしっかりと捕らえていた。やがて巨鳥は一切の動
きを止め、地中は静まりかえる。その激しいお辞儀の繰り返しに腰の関節可動部が焼き切
れてしまったのだ。
「本当に大丈夫なんでしょうね、こんなもので」
「心配するな、マダム=ピロシキ。メカヒヨコ1号の性能に限界があることは予想してい
たし、我々には予備のメカヒヨコ2号もある。そして何より、キングヒヨコの捕獲に成功
しさえすれば、超エネルギーはすべて私の、いや、我々のものだ。第一、今のメカヒヨコ
の動きで超エネルギーの凄さが証明されたようなものだろうが」

 マダム=ピロシキは息を呑んだ。たしかにこの超エネルギーがあれば彼女への依頼者、
世界を二分した軍事大国から一気に世界一の貧乏国となってしまった某国もかつての栄華
を取り戻すかも知れない。いや、このエネルギーを欲しがるのは某国だけではない。他の
買い手が現れれば、その値をいくらでも釣り上げることができる・・・

 マダム=ピロシキの思いを知ってか知らずか、ドクター=クイダオレはモニターの前で
つぶやいた。
「わしは必ず琵琶湖畔の地底に潜む超エネルギーをすべて手中にして見せる。あの世界最
弱の軍といわれた八連隊の出身者どもを経済戦争の覇者にのしあげた原動力、オウミショ
ウニンのエキスを・・・」

ヒヨコマンジュウの島

「先生、福岡タワーの復旧もずいぶん進みましたね」
「ああ、あの巨大結晶体の飛来からもうずいぶんたったからね。タワーが倒された直後に
はこんなに早く直るとは考えられなかった」

 博多湾岸に広がる埋め立て地の一角にランドクルーザーでやってきたのは若い女性と中
年に差し掛かった男の二人連れである。ハンドルを握る女はサファリスーツにパンツ姿と
余り色気のあるスタイルではない。それは男も似たようなもので地味なスーツに地味なネ
クタイ、くたびれた革カバンまで抱え込んで、後部座席にたたずんでいる。

 結晶体飛来の翌年、博多に上陸した巨大カメの爪跡を残す福岡ドームを左手に見て、幸
い無傷で残った福岡県立博物館の駐車場へと二人はのりつけた。彼らはそこの管長からあ
る人物を紹介されることになっていたのである。
「高島博士、こちらはアトランティス広告の伊香社長です。伊香社長、こちらが特異生物
学の権威の高島博士、福岡で連発した特異生物事件の調査のため、こらちにいらっしゃい
ました」

 高島は連れの女性を秘書の水野女史として紹介した。伊香社長は鼻の下にチョビ髭を蓄
えたユーモラスな風貌の人物である。だが、その顔には似合わず業界では遣り手として知
られており、今後、日本企業も大西洋を中心とする市場の開拓に力を入れるべきだとの信
念の下、ふだんはアメリカとEC諸国を往復する毎日を送っているはずである。社名にも
彼のその信念は現れていた(もっともこの社名、今にも沈没しそうだと陰口をたたかれる
タネにもなっているのだが)。この立志伝中の人物がなぜ、自分に会うためにわざわざ帰
国したのか、高島は怪訝に思った。
「高島先生、これは御存知ですね」

 そう言って伊香が出したのは一つの紙箱である。上蓋を開くと、その中にはつややかな
黄褐色のものがならんでいた。箱が伊香の手から高島の手に、そして水野の手に渡される
と彼女が声を挙げた。
「先生、これヒヨコ饅頭ですね。かわいい、私は大好きなんです」

 水野は当然、伊香がそれを勧めるかと思ってその顔を見ると、伊香はそれどころではな
い深刻そうな顔付きだ。高島もまた、眉間に皺をよせたまま黙り込む。

 やがて高島の法から切り出した。「伊香社長、見つけられたのですか、ヒヨコマンジュ
ウの島を」
「さすがは高島先生、そうまだはっきり見つけたとはいいきれませんが」

 高島がキョトンとしていた水野の方を向く。
「水野くん、君は本当のところ、これが何だか知っているかね」
「え、先生、これはお饅頭ではないのですか?中にアンコを入れて焼く」
「うむ、これの正体は福岡県の財界と学界の一部にしか知られていない。実はこれは家禽
なんだよ」
「家禽?それってニワトリやアヒルみたいな・・・」
「そう、実はこの地方で密かに飼われている鳥の一種を調理したものなんだ。その鳥を仮
にヒヨコマンジュウと呼ぼう。前肢、すなわち翼の部分が退化してまったくなくなってし
まった鳥としてはキウイが知られているね。ヒヨコマンジュウはさらに見てのとおり翼ば
かりか後肢、すなわち足までがなくなっている。だが、これは家禽化されたものだけの特
徴ではないかと私は思っている。今もこの地球上のどこかに足を残したままのヒヨコマン
ジュウが力強く生きているかもしれないのだ。伊香社長、いったいどうな手掛かりを得ら
れたのですか」
「実は十日前、我が社の社員が趣味のクルーザーで福岡県沖を航行中、漂流中のヨットを
助けたのです。そのヨットの乗員は男性一人だけ、しかも銃で撃たれた傷を負っており、
救出後間もなく息をひきとりました。すでに警察がその身元と射殺犯を捜索しています。
しかし、その部下は一つだけ警察に報告しなかったことがあります。男は死ぬ間際、一言
、ヒヨコの群れ・・・とつぶやいたというのですよ」
「なるほど、福岡県沖ですか。それなら私の想定した海域と一致するかも知れない」
「先生、福岡県沖といえば今は博多−釜山間フェリーの航路まであるんですよ。そこに未
発見の島なんかあたうるんですか」
「水野くん、君は元寇は知っているね。『元史』日本伝によると、元軍が撤退した時、取
り残されたモンゴル兵は八角島に立て籠もって日本軍に抵抗したとされている」
「八角島ですか?」
「そう、通説では八角島は博多ということになっているが、博多は島とは言いづらいし、
敗残兵が立て籠もる場所としても不向きだろう。おそらく福岡県沖のどこか、博多と紛ら
わしいところに八角島は未だ発見されないまま眠っているに違いない。そして、そこに野
性種のヒヨコマンジュウが残っている可能性もあるんだ」
「さすがは高島先生、私どもアトランティス広告としてはぜひ先生にそのヒヨコマンジュ
ウの島を発見、探検していただきたいのです。もちろん予算は全額、私どもで持ちますし
それ相応の謝礼を用意させていただきます」
「伊香社長、ぜひいかせていただきましょう。しかし謝礼よりも十分な装備の方を用意し
ていただきたいですな。そのヨットの男が銃で撃たれていたということは、いまヒヨコマ
ンジュウの島に何か物騒な連中が関わっているかも知れません。それにもう一つ・・・」
「もう一つ、何か危険でも?」
「ええ、中国側資料でも日本側資料でも八角島に立て籠もったモンゴル兵のその後はよく
わかりません。私は彼らの行方についてある仮説を持っています」
「と言われると?」
「つまりひょっとすると野性種のヒヨコマンジュウは凶暴な肉食鳥かも知れないというこ
とですよ」

白骨の怪

 漂流していたヨットの記録からヒヨコマンジュウの島の方向は大体割り出すことが可能
である。アトランティス広告の調査船は博多港を出て、一日も立たない内に問題の海域、
立ち込める深い霧の中へと入っていく。
 調査隊への同行を志願した伊香社長が甲板に出て感慨深げに言う。
「九州から目と鼻の先にこんな不思議なところがあろうとは、いや、この年になるまで知
りませんでした」

 高島博士が応える。「自然はまだまだ謎に満ちているということですよ」

 水野女史が駆け寄ってきた。「先生、レーダーが島の位置を確認しました。なぜこんな
ところの島が見つからないのか、船長も不思議がっていますわ」

 調査船が接岸すると、高島率いる上陸班がさっそく海岸に下り立った。水野が足元の落
ちていた白い物に驚く。
「先生、こ、これどうやら人間の骸骨みたいですけど・・・」
「みせたまえ、おお、これはモンゴル兵のものか、いや、もっと新しいものだ」

 その時、調査員の一人が高島らを呼んだ。
「高島博士、こいつは元寇の時代なんかよりもずっと新しいですよ。見て下さい」

  散らばった人骨の間には形を留めた衣服のきれっぱしがあり、惨劇がつい最近のこと
であることを示していた。そして、調査員が指さすところ、そこにはまだ錆び付いてもい
ない拳銃が落ちていたのだ。
「博士、こいつはトカレフだ。あのヨットの男を撃ったのは十中八九この銃か、そうでな
くともその骸骨の仲間の銃に違いありませんよ」
「ああ、しかしそれなら死後一月もたたないうちに犯人はこんな真っ白な骨だけにされた
ことになるね。私にはそのことの方が恐ろしいよ」

 その時、一行の目の前の森からキイキイと言うかん高い声が立ち、たちまち四方の茂み
からガサゴソという音が−

 高島は上陸班に声の主を追うことなく一箇所に固まるように命じた。

 声と物音の主はその姿を見せることなく、木々を揺すりつつ次第にその輪をせばめてく
る。水野女史をはじめとする調査員たちは高島博士をかばう形で一斉に猟銃を構え、次の
動きを待った。そして−

 茂みの中から突然、黄褐色の塊が飛び出し、調査員の一人に飛びかかってきた。火を吹
く猟銃、だが相手の動きも素早い。狙われた調査員は顔を押さえてうずくまる。そこに新
たに二つの塊が飛び出した。数丁の銃の引き金が一斉に引かれる。

 高島の決断は早かった。調査員をうながすと負傷者をかばい、上陸班は船に帰っていく
。高島は一人考える。
「どうやらこの島の先客は仲間を見捨てたらしいな。誰かが何らかの目的、おそらくはヒ
ヨコに関連しているのだろうが、この島に上陸し、そしてヒヨコどもに襲われた。偶然、
その場面を目撃したヨットマンが秘密を守るためにあの骸骨の仲間に撃たれた、とこうい
うことか」

 調査員の一人が何とか持ち帰った野性ヒヨコの死骸は伊香を狂喜させた。前肢がなく、
目も退化しているのは家禽種と同じだが、後肢は短いながらも力強く、そのクチバシは堅
い。大きさも全長四十センチほどで家禽種のものよりもはるかに大きかった。

美姫と野鳥

 高島は深い霧の中にいた。いつの間にこんな所に来たのか彼には覚えがない。さまよう
彼の前に一迅の風が吹き抜け、霧が晴れたところに美しい生き物がいた。その姿は野性ヒ
ヨコにそっくりだ。だが、野性ヒヨコと異なり、両目には、つぶらな大きい瞳が入ってい
た。また、額にはくるくると可愛い巻き毛がある。その姿に見惚れる高島の耳元に美しい
声が響く。
「私はこの島のすべてのヒヨコの母にして姉。この島は私の思いの力で人間の目から守っ
てきました。しかし、邪悪な何者かが私の思いを乱し、この島の姿を露にしてしまいまし
た。あなた方はすぐにこの島を去らなければなりません。そうでなければ、あなた方はこ
の島を狙う邪悪な者か、私たちのどちらかと争わなければならなくなるでしょう。すでに
私たちの中から犠牲者が出ました。私はこれからどちらの犠牲者が出ることも望まないの
です」

 やがてふたたび沸き上がる霧が美しい生き物を覆いかくす。
「この島を守る者は私だけではありません。荒ぶる者、大いなる者、キングヒヨコが一度
力を奮ったならば、あなた方などひとたまりもないのです」

 去っていくその影を追い掛けようとした時、高島は自分が調査船内の個室にしつらえた
ベットの上にいることに気づいた。

 翌朝、朝食のトーストに手を伸ばしつつ高島はその夢の話をした。すると、水野女史、
伊香社長、調査員一同、驚いた顔をする。なんとその船に乗っていた者は全員、同じ夢を
見ていたというのだ。

 船長は言った。「非科学的に思われるかも知れませんが、これは姫ヒヨコの警告ですな
。それに従って、すぐにこの島を去った方がよいでしょう」

 高島もそれに賛成した。生きた野性ヒヨコの生態が観察できないのは残念だが、すでに
標本はある。むしろそっとしてやった方がヒヨコのためにもよいのではないか。

 しかし、伊香社長だけは強気である。
「いや、この島にあんな美しいお姫様がいるとは思わなかったよ。しかもキングヒヨコな
んてのもいるとはね。美女と野獣、いや美姫と野鳥、彼女らと独占契約して我が社の広告
に出てもらえれば大儲け間違いなし!」

 一同のあきれ顔を前に伊香はこう続ける。
「我々が去ろうが去るまいがいずれにしても、この島は悪い奴に狙われているんだろ。じ
ゃ、その悪い奴らがこの島に来るのを見張って、追っ払うなり、知らせるなりした方がヒ
ヨコのためというものですぞ」

 だが、高島と伊香の議論はそう長くも続かなかった。その日にうちにヒヨコマンジュウ
の島をある異変が襲い、高島らもそれに巻き込まれていったからである。

キングヒヨコ登場

 双眼鏡で島を見張っていた調査員の一人があわてて高島と伊香のテーブルに駆け寄り、
急を告げた。
「社長、先生、ヒヨコどもが茂みから姿を現して海岸を逃げ回っています!」

 あわてて甲板に駆け寄り、双眼鏡を渡された高島はつぶやく。
「恐ろしい・・・地獄のようだ」

 海岸には無数のヒヨコたちが逃げ惑っていた。その後を追い掛けるのは巨大な怪物−両
端が紡錘形となった円筒状の胴体が多くの関節でつながり、器用にうねるようにしてヒヨ
コを追う。その頭部にいくつも開いた地獄の穴のような口から吐き出す黄色い液を浴びる
と、あれほど凶暴だったヒヨコがたちまち動かなくなる。

 ヒヨコマンジュウはたとえ野性種といえども海水には弱い。海岸まで追い詰められたヒ
ヨコにはもはや逃場がないのだ。
「あれはカラシレンコンだ。どうやらボツリヌス毒でヒヨコを殺しているらしい」
「カラシレンコン?高島先生、あれは穏和で無害なものだろう。それがなぜヒヨコを襲っ
たりするんだ」
「環境次第で無害なものを有毒にもできます。それにあの大きさ。どうやら例の悪い奴が
カラシレンコンに遺伝子操作か何かの細工を加えたらしい」

 その時、島の奥から一際高い声が響きわたった。何かが木々を倒し、海岸へと迫る物音
が沖合の船にまで聞こえてくる。

 やがてヒヨコを追うカラシレンコンの前に立ちはだかるようにして巨大な生き物が姿を
現した。高島は息を呑んだ。これほど巨大なヒヨコマンジュウが存在しようとは・・・
「やあ、あれがキングヒヨコ君かね?」伊香がうれしそうに言う。

 ヒヨコの喉元にカラシレンコンの頭部が叩きつけられる。のけぞるキングヒヨコの足を
カラシレンコンの尾が払う。だが、キングヒヨコはこの連続攻撃をかわすとカラシレンコ
ンの弱点、関節部にクチバシ攻撃を入れる!戦いは熾烈を究めた。

 キングヒヨコの猛攻にさしものカラシレンコンの頭も大地に沈む。キングヒヨコはカラ
シレンコンの多くの口に器用に足の爪をかけると、その頭部をたてにひきさいた。

 黄色い体液を撒き散らしつつ絶命するカラシレンコン!!
「おお、なみのヒヨコには致命的だったボツニヌス毒を浴びて微動だにしない、あの力強
さ、まさにキングヒヨコと呼ばれるにふさわしい」

 高島の感動もさめやらぬ内にキングヒヨコはいきなり島の東端の岬へとかけ出した。
「おお、船長、あれはボートじゃないか」
「ええ、何か籠のようなものを積んでいる」

 そちらに改めて双眼鏡を向けた高島が叫ぶ。
「あっ、あの籠の中身は姫ヒヨコだ!」

 突然、潜水艦が海上に姿を現す。姫ヒヨコの籠を積んだポートはその潜水艦を目指して
いるようだ。キングヒヨコも海に入り、ボートの後を追う。

 水野が声を挙げる。
「先生、ヒヨコが、ヒヨコが、泳いでいます!」
「ああ、キングヒヨコともなると海水も平気なのか。それに泳ぎが意外と早い。これなら
ボートにおいつけるぞ」

 その時、海上を行くキングヒヨコに赤い細長いものがからみついた。
「先生、あれは・・・」
「カラシメンタイコだ。やはり巨大化、凶暴化させられている」

 カラシメンタイコにまきつかれたキングヒヨコの姿が海上を見え隠れする。やがて引き
裂かれたカラシメンタイコのために海面が真っ赤に染まり、キングヒヨコがふたたび泳ぎ
始めた時、すでにボートも潜水艦も姿を消していた。
「伊香社長、私たちはこの島にこれ以上長居してもしようがないようだ。すぐに本土に帰
りましょう」
「高島先生、この際、キングヒヨコの映像だけでも撮っておきましょう」
「いや、伊香社長、私たちには日本でやらなければならないことがある。それにたぶんキ
ングヒヨコの映像はすぐに撮れますよ。あの潜水艦がどこの国籍のものにしろ、その根城
の一つが日本国内にある可能性は高いでしょう。ということは、姫ヒヨコを追って、キン
グヒヨコが日本に上陸する可能性も高いということです」

キングヒヨコ対メカヒヨコ

 高島や伊香の通報を受けても、警察や防衛庁のお偉方はただ笑いころげるだけだった。
彼らの嘲笑が引きつった声に変わるのは、姫ヒヨコがさらわれてから三日後の未明、敦賀
湾にキングヒヨコが上陸してからだ。キングヒヨコはいくつかの建物を蹴り壊しながら街
をかけぬけ、わずか一時間ほどで滋賀県の余呉湖まで南下、そのまま伊吹山系へと入って
いく。そのスピードに警察はなすすべがなく、自衛隊の出動など間に合うはずもなかった
。幸いだったのはまだ人気のない時間帯のため、人命の被害がなかったことだ。

 地下基地でドクター=クイダオレはほくそ笑む。
「キングヒヨコよ、早く来い。おまえの怪力があれば、必ずやあのエネルギーを掘り出す
ことができる・・・」

 クイダオレの頭上、基地の天井にはタテヨコ一メートルばかりの鉄の籠がぶらさげられ
ている。その中で震えるのはもちろん姫ヒヨコだ。彼女の力を奪ったシールドは切られて
いたが、だからといって逃げ出せるようなスキもない。シールドを切ったのはクイダオレ
の自信と余裕の現れであると共に、そのテレパシーでキングヒヨコを誘き寄せるという謀
略のためでもあった。

 山中を走りぬけるキングヒヨコが突然、立ち止まり、猛然と地中に掘り進みはじめる。
やがて彼はおおきな空洞に出た。そこで彼を出迎えたものは・・・・

 そのシルエットは野性ヒヨコに、そして何よりキングヒヨコ自身によく似ていた。しか
し、その表皮には自然界にない光沢があり、二つの目の位置には人工の光が宿っている。
キングヒヨコは感じた。こいつは敵だ!

 キングヒヨコの蹴りをかわしたそいつは、みずからもするどい蹴りを繰り出す。地底の
空洞は魔神と機械神の玉座をかけたコロシアムと化した。

 モニターで見つめるクイダオレはその凄まじい攻防に息を呑む。マダム=ピラニアは前
祝いとパーティー=ドレスをまとい、カクテルを片手にしていた。伊香社長がその場にい
れば「キングヒヨコ君、負けちゃいかーん」とでも声をかけるところだ。だが−

 戦いが長引くにつれて、次第にキングヒヨコの足元が怪しくなってきた。メカヒヨコは
キングヒヨコの攻撃をかわし、効果的に蹴りやクチバシでの攻撃を入れる。
「どうかね、マダム=ピロシキ。キングヒヨコとて生物だ。洞窟内に充満させた催眠ガス
には勝てそうもない。人類の勝利、科学の勝利だよ」

 クイダオレの脳裏に次成る皮算用が始まる。キングヒヨコを生け捕りにできれば、オウ
ミショウニンのエキスを掘り出せるだけではない。その巨大なパワーの秘密を完全に解明
できれば、最強の生物兵器が造れる。それに姫ヒヨコのテレパシーが加われば・・・

 だがその時、秘密基地内にエマージェンシーのサイレンが響きわたる。慌てるマダム=
ピロシキ。「何、何が起きたの」
「基地内に侵入者、現在、警備班と交戦中、警備班と交戦中・・・」

 キングヒヨコ捕獲作戦の緊張でマダム=ピロシキの部下たちは神経過敏になっていた。
彼らの一人がキングヒヨコを追跡してきた警察と自衛隊の一団に発砲したため、基地周辺
は混乱に陥ったのである。

 弾薬庫の爆発で洞窟の一角が崩れ、外気を吸ったキングヒヨコはたちまち元気を取り戻
す。その反撃にこらえきれず、コントロールを狂わされたメカヒヨコ2号はやみくもに地
上目指して進む。関西電力の送電線の土台を掘り崩しつつ地上に出た時、メカヒヨコ2号
は倒れてくる鉄塔の下敷きとなってあえない最期を遂げた。

 抵抗を続けたマダム=ピロシキの部下たちも対キングヒヨコ用に装備した自衛隊には勝
ち目はない。ついにそろって投降することになる。

 謎の武装集団に邪魔されて本来の作戦行動をとれず、いったんは進退を考えた自衛隊の
指揮官たちは、彼らの正体を知り、思わぬ手柄に驚くことになる。警察も自衛隊もその連
中をせいぜい過激派の残党かカルト集団くらいに考えていたのだ。

 だが、その混乱の最中、ドクター=クイダオレとマダム=ピロシキはもちろん、キング
ヒヨコまでがその場から姿を消してしまっていた・・・

決戦、通天閣!!

 ヤキトリ屋やクシカツ屋が夜の分の仕込みを終え、夕日が大阪のシンボル、高さ百メー
トルの通天閣を照らす時分、西成は新世界のド真ん中に大きなトレーラーと数台の車が乗
りつけた。
「なんや、なんや、えらい迷惑やなー」
「ほんまや、いったいどない思てんのやろ」

 おっちゃん、おばはんの当惑を余所にトレーラーからかつぎ出される大きな籠、一団の
男たちが突然、通天閣のエレベーター係のねえちゃんに銃をつきつけ、他の客を追い出し
た。
「わー、物騒なおっちゃんらやなー。そんなことせんでも、順番が来ればちゃんと乗れる
のに」

 銃をつきつけられても無駄口をたたけるのが新世界名物の根性である。

 さて、近所でこんな騒動が始まれば、巻き込まれないよう家に閉じ籠もって出てこない
のが普通の人情というものだろう。しかし、新世界の住人は違った。

 おっちゃん、おばはん、にいちゃん、ねえちゃん、じいちゃん、ばあちゃんまで、周辺
の住人は仕事も勉強も道楽もほっぽりだして通りに出てきたのである。

 小学生は塾をさぼり、中高生はクラブ活動を休み、会社務めのお父さんやパートのお母
さんも早引けし、映画館は目前のドキュメンタリー=ショーのおかげで仕事にならず、水
商売の方々は店に臨時休業の札をかけ、テキヤのにいちゃんは露店を出し、さらに皆、親
類縁者、学校の友達、会社の同僚、老人会のお仲間にまで連絡したおかげで通天閣の回り
は野次馬の人だかりとなった。皆、次に何が起きるか、かたずを呑んで見つめている。上
空には警察のものではないヘリコプターまで舞っていた。

 トレーラーを囲む車の一台の後部座席にはド派手な衣装の男とドレス姿の美女がいる。
言うまでもなくドクター=クイダオレとマダム=ピロシキである。どうやってその恰好で
検問を抜けたのか、それは永遠の謎だろう。
「ドクター=クイダオレ、こんなゴミゴミしたところでいったい何をしようというの」
「大阪は私の生まれた街だ。私は地の利をしっているところにキングヒヨコを誘き寄せた
いだけだよ」
「それにしても、決戦の場にはもっとふさわしいところがあるでしょうに」

 その時、クイダオレの目に異様な光が宿った。
「じゃかっしゃい!ワシは、このワシを犬ころみたいに追っぱらったこの街に仕返しした
るんじゃ!大阪のアホンダラ!ボケ!カス!スカタン!タコ!」

 クイダオレの罵倒が突然、途絶えた。しばらく肩で息をしたクイダオレはまたいつもの
冷静な表情と口調を取り戻す。
「マダム=ピロシキ、通天閣に上がって君の部下たちの指揮をとりたまえ。メカヒヨコ1
号も出すとしよう」

 ドクター=クイダオレの合図でトレーラーの上部が開き、恐るべきメカがその姿を現し
た。通天閣の職員を皆追い出すよう指示し、それと入れ代わりに部下の操作するエレベー
ターで上昇しつつ、マダム=ピロシキは思う。さっきクイダオレが興奮した時、なぜ彼は
「バカ」とだけ言わなかったのだろう。それはマダム=ピロシキの日本語の語彙知識では
決して解けない謎であった。

 マダム=ピロシキの秘密基地壊滅直後、東海道新幹線の米原駅に現れたキングヒヨコは
緊急停車中のひかり号をひっくり返し(高島の推測では始発の博多駅でおみやげとして持
ち込まれ、車内に置き忘れられたヒヨコ饅頭の匂いを姫ヒヨコのものと間違えたのではな
いかという)、ふたたび姿を消した。

 そして、その日の深夜、中ノ島方面に出現、新世界目指して走り出したのである(どう
やら琵琶湖、淀川を潜ったまま泳ぎきったらしい)。マダム=ピロシキによってシールド
が切られ、ふたたび姫ヒヨコのテレパシーがキングヒヨコを呼び寄せ始めたのである。人
間たちはこの自然の驚異にはなすすべもなく、ただ通り過ぎるのを待つしかなかった。

 通天閣下の広場に立つメカヒヨコの姿、それは前に倒されたメカヒヨコ2号より、さら
におぞましい特徴が加わっていた。なんとその頭部から左右に細長い二本の腕が突き出て
いたのだ。しかも、胴の左右に砲身まで付けられている。

 メカヒヨコの砲が火を吹く。かわすキングヒヨコ、舗装道路のアスファルトに着弾する
と、そこからあの催眠ガスが吹き出した。もしも直撃を食らえばキングヒヨコといえども
たちまち動けなくなるだろう。

 砲を警戒しつつ次第に間合いをつめるキングヒヨコ。その時、メカヒヨコはいきなり後
ろ向きに飛び上がると、その両腕で通天閣の鉄骨をつかみ、よじ登り始めた。まるで重さ
などないかのように軽々と・・・ドクター=クイダオレの技術力が重力をも制していたの
は明らかだった。そのままメカヒヨコは展望台上に陣取る。
「フフフ・・・キングヒヨコよ、さすがのおまえも塔を登るのは苦手だろう。スキだらけ
になったところを麻酔弾で仕留め、コンテナに詰め込んでやる」

 キングヒヨコはひときわ高い声をあげてさえずった。すぐそこに姫ヒヨコがいるという
のに、その前には強敵が立ちはだかっているのだ。

 展望台の中ではマダム=ピロシキが口許に笑みを浮かべ、ことの成り行きを見守ってい
る。琵琶湖畔の秘密基地が壊滅しても、まだ彼女の組織網は世界中にはりめぐらされてい
るし、オウミショウニンのエキスのデータもある。その上、キングヒヨコまで手に入れ、
そのパワーを彼女のお得意さん方に宣伝すれば、十分に再起は可能だ。

 その時、ガチャンという金属音と部下の悲鳴が続けざまに彼女に耳に届いた。振り替え
ると、そこにはこじ開けられた鉄の籠の残骸と、両手を血に濡らし、銃を取り落としたま
ま床で呻く彼女の部下たちがあった。非常ドアが破られ、その先の階段は一般の見物客の
入りえぬところ、展望台の屋上へと続いていた。

 マダム=ピロシキも部下たちもキングヒヨコに気をとられ、姫ヒヨコもまた野性ヒヨコ
の戦闘力を持っていることを忘れていたのだ。

 屋上にかけのぼるマダム=ピロシキ、塔上を吹き抜ける夜風に巻き毛をなびかせつつ姫
ヒヨコが座していた。その姿は神々しい威厳にあふれている。囚われの女神が今、その軛
を脱したのだ。

 いったん立ちすくんだマダム=ピロシキが、我に帰り、ストッキングのガーターからナ
イフを抜く。今まで彼女に敵対し、あるいは裏切った多くの男たちの血を吸ってきた業物
だ。つっ走るマダム=ピロシキ、姫ヒヨコを捕らえたと思った次の瞬間、彼女は自分の体
が完全に宙に浮いているのに気づいた。彼女は姫ヒヨコのテレパシーに惑わされ、虚像に
刃をつきたてようとしたのだ。
「あらー、あの別嬪さん、落ちてもうたで」
「通天閣で悪いことしようとしたさかい、ビリケンさんのバチがあたったんやわ」

 キングヒヨコのさえずりに塔の上から姫ヒヨコのさえずりが和す。その時、誰も予期せ
ぬことが起こった−

 キングヒヨコが塔の下から展望台のところまで一気にジャンプしたのだ!!

 ドクター=クイダオレの科学技術も、キングヒヨコと姫ヒヨコが起こした奇蹟の前には
無力だった。

 すれちがいざま、メカヒヨコの腰にキングヒヨコの蹴りが決まる。補強したばかりの関
節は脆く、メカヒヨコ1号の右足が宙を飛んで、ドクター=クイダオレの乗る車の上に落
ちていく。車ごとコントローラーをつぶされたメカヒヨコは両腕を通天閣から離した。

 空中で本来の重量を取り戻したメカヒヨコが大地に叩きつけられる!

 四方八方から手に手に工具や大工道具を持ったおっちゃん、おばはんが駆け寄り、舗装
された広場にめり込んだまま、動けなくなったメカヒヨコの外装を剥がしはじめた。ドク
ター=クイダオレ自慢の発明もこうなったらただのLSIと鉄クズの山である。解体され
た部品はいずれ安売りショップの店頭にならび、買い叩かれることになるのだろう。

 警察の本格的な捜査が始まるころにはメカヒヨコ1号は骨格だけになっていた。国際ス
パイ団の首領マダム=ピロシキの履歴とその最期については公安の指示により、マスコミ
各社に緘口令がしかれた。

 伊香社長は上機嫌だ。二度とヒヨコマンジュウの島に行けないとしても、通天閣での姫
ヒヨコとキングヒヨコの活躍はヘリコプターや地上撮影班の活躍でしっかりと映像におさ
めた。この事件が公式にはなかったことにされても、その映像をCFや映画に使って文句
を言われる筋合いはない。むしろそのような使い方こそ、事件を有耶無耶にしたい方々の
意向に沿うことを伊香は知っていた。

 高島と水野にしても、事件の真相を公にして、ヒヨコマンジュウの島の平和を乱すつも
りはない。怪獣出現の事実はこのようにして闇に葬られていくのである。

 メカヒヨコ1号の右足に潰された車の残骸からは、ひしゃげた三角帽子が出てきたが、
ついにドクター=クイダオレの遺体は発見できなかった。

エピローグ

 明け方の瀬戸内海、本四架橋を渡るドライバーたちは何か巨大な生き物が悠然と海を渡
り、橋の下をくぐっていくのを見た。その目撃者の中には、巨大な生き物の頭上に、それ
まで見たこともないほどの優美な生き物が乗っていたと語るものもあった。

 その日の午後、関門大橋でも同様のものを見たという人がいる。その噂は破壊された新
幹線や大阪での騒動の話と共に一時期、ワイドショーを賑わわせたが、すぐに世間から忘
れられていった。

 姫ヒヨコとキングヒヨコは今もヒヨコマンジュウの島で人知れず暮らしていることだろ
う。

                                 −FIN−

                         97年3月7日  原田 実