書評シリーズ第3弾『神々の発見−超歴史学ノート−』

 

『神々の発見−超歴史学ノート−』
斎藤守弘著 講談社文庫 1997年6月15日第1刷発行
全455ページ・小売価格=定価638円+消費税

腰巻コピー:世界と日本を結ぶ消えた超古代文明の謎
      ナスカ地上絵の解読、遮光器土偶の驚くべき意味、消えた先史女神など
      超古代解明の世界初理論の提案!

カバーコピー:三内丸山、吉野ケ里、さらには三九個の銅鐸が一括出土した「幻の出雲
       王国と、従来の歴史観を一変させる遺跡遺物が発掘された。古代史の世
       界はいま興味津々−。本書は、ナスカ地上絵や遮光器土偶など超古代文
       明の謎を、「古天皇、極孔神、盃状穴、蛇神文明圏」等の概念で解明す
       る、画期的パラダイムを提示。

 


 

 斎藤守弘・・・この名を目にする時、しばしの感慨のひたる方は少なくないだろう。特
に昭和30年代生まれの世代の中に−。斎藤氏は1960〜70年代にかけて、「前衛科
学評論家」を称し、怪奇実話の紹介者として活躍された人物である。

 その舞台は『エニグマ』『UFOと宇宙』といったオカルト誌はもちろん、科学誌にS
F誌、小学館や学研の学習雑誌、当時は科学記事を多くのせていた『少年マガジン』や今
は亡き『冒険王』といった漫画雑誌、さらには『歴史読本』などの歴史雑誌や大衆誌にい
たるまで多岐にわたっている。テレビやラジオにまでしばしば顔を出していたものだ。

 この時期の斎藤氏の文章は『世界の奇談』(68)『神秘の世界』(69)『ミステリ
の科学』(70)『奇現象の科学』(71)『四次元の科学』(71)『失われた科学』
(72)『日本列島の前衛科学』(72)『四次元の人間学』(74)『失われた世界の
謎』(74)『絶望の惑星』(75)などといった多くの著書にまとめられている(いず
れも大陸書房。この出版社も消えて久しい)。

 日本で怪奇実話の大家といえば、まず思い浮かぶのは黒沼健であろう。この偉大なる先
達の業績について、私は著書『怪獣のいる精神史』(風塵社)の中で論じたことがある。
、そして中岡俊哉氏、佐藤有文氏、ノストラダムスの大ヒットを生んだ五島勉氏といった
方々の名がそれに続くわけだが、彼らがいずれも文科系のセンスで話をまとめているのに
対し、斎藤氏は科学的(もしくは擬似科学的)な概念や用語をたくみに導入して解釈をつ
けており、いわば理工系のテイストをもっている点で特異な位置を占めていた。

 だが、1979年の『ムー』創刊を皮切りにオカルト誌が乱立するようになると、かえ
って斎藤氏の名を目にする機会は少なくなっていく。

 基本的に斎藤氏のスタンスは読者に考えるためのデータを提供するもので、一応、科学
(擬似科学)的な解釈を提示するにしても、その結論を断言するものではない。中には興
味深い謎を提示しながら、蜃気楼のいたずら、単なる見間違い、自称発明(発見)者のイ
ンチキといったオチをつけた例もある。

 ところが『ムー』以降、主流になったオカルト語りの手法は、いたずらに読者の好奇心
なり不安感、恐怖心をあおりたて、編集部で用意した結論に読者の思考を誘導するという
ものになっている。つまり、斎藤氏には怪奇譚の紹介を通して年少の読者の判断力、批判
力を養っていこうという姿勢があるといえよう。それは単に斎藤氏一人のものではなく、
『エニグマ』『UFOと宇宙』といったかつてのオカルト雑誌の編集方針にも見られたも
のであった。

 ところが、『ムー』以降のオカルト雑誌はそうした力を奪うことで読者をオカルト依存
症にし、売り上げを伸ばそうという根性が見え見えである。『UFOと宇宙』の休刊は「
悪貨が良貨を駆逐する」という見本のような事件だった。

 オウム真理教事件をはじめとするカルトの暴走、『脳内革命』『神々の指紋』やフナイ
関係書籍といった二流オカルト書籍のベストセラーの背景には、こうした『ムー』以降の
オカルト雑誌によるマインド・コントロールの積み重ねがあるように思えてならない。

 あるいは、斎藤氏がオカルト業界を遠ざかる遠因には、この姿勢の違いによる摩擦があ
ったのかも知れない。

 しかし、斎藤氏は80年代に入ってからも地道な活動を続けていた。『神々の発見』(
以下、本書)は、78年から96年にかけて各誌に発表した文章を収録した斎藤氏の久々
の著書なのである。

 

 

「本家」を超えた便乗本

 

 さて、本書はタイトルからもうかがえるように出版社の意図としては『神々の指紋』ブ
ームへの便乗本として企画されたものらしい。冒頭の章が「ピリ・レイス地図は全地球的
ネットワーク文明の存在を証明した」と題されているところからも、そのことはうかがえ
る。しかし、その中身はいずれも『神々の指紋』とは無関係に掻かれたものばかりであり
、斎藤氏のオリジナルな発想に満ちている。

 ちなみに『神々の指紋』で冒頭のツカミとなっているピリ・レイス地図の話のタネ本が
チャールズ・ハプグッドの『古代海王の地図』であることは有名だが、本書にも、そのハ
プグッドに関する言及がある。
「不幸にして、世界的ピリ・レイス地図研究の第一人者チャールズ・ハプグッド教授が1
982年12月20日、自動車事故で急逝した。筆者は当時ハプグッド教授と連絡。でき
るならば、拙宅に“日本のピリ・レイス地図”調査のため招聘、国際的な共同研究を行う
手はずを整えていたその矢先、突然の訃報であった。ここにあらためて哀悼の意を表した
い」(本書49頁)

 作家・高橋克彦氏は次のように述べる。
「あの『神々の指紋』を読んで、なにに一番驚いたかと言えば、訳者のあとがきだった。
ハンコックの説明しているピリ・レイスの地図のことに触れて、世の中にこんな不思議な
ものがあるとは知らなかった、と驚嘆し、それが翻訳の原動力になったと書かれてある。
どうしてもこの事実を日本の読者に広く伝えたかったのだと訴えている。私は限りなく悲
しかった。三十年も前から皆が大騒ぎしてきた地図なのに・・・それではハンコックの書
いている内容に驚愕するのも当たり前である。(中略)黒沼健さん以降の私たちはいった
いなにをしてきたのか、と大いなる疑問を覚えてしまった。大ベストセラーをやっかんで
こういう文章を書いていると思われるのは辛い。私はこの分野がもっと認知されている、
と思い込んでいたのである。荒唐無稽、と思われながらも、たくさんの読者が古代史の謎
解きを楽しんでいるものと考えていたのだ。だからこのあとがきにショックを感じた。た
とえばこれを通常の歴史に当て嵌めてみよう。もしモヘンジョ・ダロの遺跡についての本
が出版されて、その訳者あとがきに、はじめてモヘンジョ・ダロの遺跡の存在を知りまし
た、と書いてあったらどうだろう?まぁ、それは極端な比喩だが、私にとってそれと同等
に信じられない言葉だったのである。(中略)ハンコックとは違って、この本は遥かに興
奮を誘う新説で埋められている。しばらく超歴史学の世界から遠ざかっていた私だが、こ
の本を読むうち、ふたたびの挑戦意欲に駆られた。そこもハンコックとは違うところだ」
(本書「解説」)

 さて、ハンコックの『神々の指紋』が多くのタネ本に基づくパッチワークのようなシロ
モノなのはすでに知られたところだが、本書には高橋氏が指摘するように斎藤氏のオリジ
ナルなアイデアが溢れており、しかもそれを進んで体系化しようという意欲がある。

 実はこれは以前の斎藤氏の著書にはみられなかったものである。かつての斎藤氏の著書
は怪奇実話集の常として多くの単発のエピソードによって構成されており、その個々の事
例に付された解釈も思いつきの域を出ないものであった。偉大な先駆者・黒沼健氏の作っ
たパターンから、さしもの斎藤氏も抜け出していない感があった。

 日本の怪奇実話作家は主に洋書や海外の雑誌から怪奇実話を拾い集め、それを翻訳する
というコレクター兼紹介者にすぎなかった。数多くの「実話」を相互に関連つけて何らか
の世界観を構築する・・・チャールズ=フォートやジョン=キールのようなタイプの研究
者は日本ではついに現れなかった。

 黒沼の丸善通いは有名であった。また、斎藤氏にしても「いち早く海外の文献を読んで
、自分の意見のごとくに書いているのだろう」「情報がたくさん集まれば、だれだって新
しい見方ができるようになるさ」と陰口をたたかれたという(『失われた科学』あとがき
)。斎藤氏はその同じ文において「私の見方は海外の学者よりも早くこそあれ、そのひそ
かな輸入ではない」と反論しているが、そもそも、その「私の見方」を引き出す枕となる
「実話」は多く海外の文献に頼っていたのである。

 また、斎藤氏は一方で、アシモフのある短編をSFと承知の上で「実話」として紹介す
るような奇妙な振る舞いもしておられる(と学会著『トンデモ怪現象99の謎』洋泉社、
1997、参照)。ちなみにこのエピソード、斎藤氏は『奇談の世界』において「この特
ダネを発表したのは、ボストン大生化学大学教授アイザック・アシモフ博士で(後略)」
と、わかる人にだけわかるようなネタばらしをしていた。

 もっともこの種の冗談は斎藤氏の好むところのようだ。斎藤氏はある自らの仮説を世に
出すにあたって、次のような手を使ったという。
「この着想はつい十年ほど前まで、非常に革命的で一般に受入れにくかったので、私は一
策を案じた。有名なSF作家A.C.クラークの意見の引用という形にして、発表したの
である。はたせるかな、外人名に弱い日本人のつねで、クラークの著述のどこにもそんな
意見を発見できないにもかかわらず、クラークの意見としてあちこちに引用され、それを
主アイディアとしたSF小説も、いくつか発表されたが、おそらく、もしそれが、日本人
の私の意見であるとわかっていたら、それほどもてはやされ引用され、人々の頭に新しい
概念として浸透することもなかったにちがいない。(中略)ところで一言弁明しておくと
、外人の名を借りて自己の意見をとなえたのは、実は私がはじめてではない。先輩がいる
。ユニークな物理学者として知られた渡辺慧博士であり、日本の学者の外人名崇拝をヤユ
して、ギリシア名で自分の論文を発表した、その故事にならったのである」(『失われた
科学』)

 どうも斎藤氏が書いた大量の「実話」の中には、海外の小説ばかりでなく、斎藤氏自身
の創作も混ざっている可能性がありそうだ。しかし本書は斎藤氏自身の調査によって集め
た事実が骨子となっており、過去の斎藤氏の著作とは一線を画する出来となっている。

 もっとも、その「事実」の中には、古代豪族・物部氏の子孫がアフリカや両米大陸まで
描かれた古代地図を持っているなどという、出所不明の怪しげな情報まで含まれてはいる
のだが(本書48ページ、先の引用における“日本のピリ・レイス地図”のこと)。

 また、ハンコックのような露骨な詭弁こそ用いてはいないが、斎藤氏の論の進め方にも
いささか怪しい展開がないわけではない。しかし、本書で示される仮説は、一万二千年前
まで南極に氷がなかったなどというヨタ話よりもはるかに読者の視野を広げる可能性を秘
めたものである。

 高橋克彦氏は解説の中で「この本は名著である。文庫オリジナルとして出版されながら
、この時点で必読の古典の高みに達した」と宣言されたが、本書は80年代以来の斎藤氏
の沈黙が決して無駄ではなかったということをわからせてくれる。
 本書が『神々の指紋』の便乗本だとしても、それはまさに「本家」を超えた出来になっ
ているのである。

 さて、前置きが長くなりすぎて申し訳ないが、ここから本書の各章別に、その内容の紹
介へと移らせていただこう。

「ピリ・レイス地図は全地球的ネットワーク文明の存在を証明した」(1983年11月初出)
 ピリ・レイス地図に関する書誌学的な説明と、その作図法の解説から約6000年前に
栄えた太古文明ネットワークの可能性に説き及ぶものである。地図の作成年代が16世紀
であること、複数の地図を組み合わせたものであることなど、基本的な情報はきちんと紹
介されている。

 斎藤氏は、地図から割り出される地球の大きさが実際よりも4・5パーセント大きいこ
と、その誤差が無意味なものではなく古代ギリシアのエラトステネスが行った有名な地球
計測の算定値と一致することを指摘した上で次のように論じる。
「ピリ・レイス地図では、経度の驚くべき正確さにくらべ、緯度の誤差は北に向かって増
加し、また赤道から南へ向かって増加する。ところがこれにエラトステネスの算定値を当
てはめ補正すると、その誤差を大きく減少させることができる。(中略)太古の原地図製
作者は、それとは別個に地球の円周を算出した。エラトステネスの犯した誤差によらず、
いまのわれわれとまさしく同じ正確な地球円周値を知っていた!そう考えるほかにない」
(本書39ページ)

 しかし、考えてみれば、この問題はギリシア文明の遺産と十七世紀のイスラム文明の知
識が共にピリ・レイス地図に生かされているとするだけで解けるものであり、何も「太古
の原地図製作者」を持ち出す必要がない。また斎藤氏は「ピリ・レイス地図では、南極大
陸はやや北すぎる。そのため南米南端のホーン岬から地続きで南極海岸線が長く伸びてい
る。つまり緯度にして25度の誤差となる」と指摘しながら、緯度を補正すれば誤差を5
パーセント以内に抑えられるとしている(本書44ページ)。だが、その一見、南極大陸
に見えるものを南米大陸の海岸線として見直せば、大幅な補正を加えるまでもなくリアル
な地図になってしまうのだ。斎藤氏はピリ・レイス地図に南極大陸が描かれているという
ハプグッドの解釈に引きずられたようである。

 しかし、斎藤氏は「ロス海のコア・サンプリング(海底をボーリングして堆積者の粒状
資料を採集する)によると、ここ何十万年かの間、南極大陸には四回の温暖期があり、そ
の前後の寒冷な氷河期堆積物と互層している」として、その最後の温暖期、今から600
0年前に南極を開拓した人々がピリ・レイス地図の原地図を残したのだろうとしている(
本書44〜45ページ)。

 それだけでも南極の氷がほんの一万二千年ほど前に一気にできたなどというハプグッド
=ハンコック流の説に斎藤氏が組していないのは明らかである。

 斎藤氏はピリ・レイス地図の「南極」に大蛇が描かれていることから、その開拓者は同
時代の日本の縄文土器に蛇の装飾モチーフを残したのと同じ蛇トーテム族であろうとする
(本書48ページ)。しかし、ピリ・レイス地図の「南極」が南米大陸の一部だとすれば
、そこに大蛇が描かれることは必ずしも不思議ではない(もっとも問題の「南極」は南米
大陸南端に近く、そこには現在、大蛇はいないという疑問はある)。

 紀元前4000年の温暖期、ピリ・レイス地図の「南極」(南米大陸南端)から日本列
島までかけめぐった蛇トーテム族という仮説は魅力的である。斎藤氏には、こうして批判
を踏まえた上でぜひその仮説を発展させるようにお願いする次第である。

「超古代のスーパー・テクノロジーか」(1983年9月初出)
“オーパーツとスーパー・テクノロジー”
 オーパーツとはOut of Place Artifacts、「場違いな加工出土
品」の略、斎藤氏はそのオーパーツの代表として、古代メキシコのブルトーザー型遺物、
南米先史文明の純金製ジェット機型ペンダント、エーゲ海発見の歯車式コンピューター、
バグダッド出土の紀元前の電池、旧石器時代の骨製カレンダーなどをあげている。

 斎藤氏は次のように述べる。
「それらの遺跡・出土品(オーパーツ)を正当に評価する限り、人類は紀元前数千年にさ
かのぼる最初期より、早くも七つの海を乗り回す渡洋大型船を建造し、地球の隅ずみまで
到達していた。この見方は当然、西欧中心の大航海史観の拒絶反応をひき起こす。(中略
)従来考えられてきた文明の三大発祥地とは、ほかでもない、この忘れられた最初期統一
連合に起きた動乱と崩壊の結果、生じたものである。だが、にもかかわらず極東の島国倭
ではその後も長く初期統一連合の栄光の記憶をとどめるばかりか、今日なお絶大な影響力
を及ぼすことになるのである」(本書52〜53ページ)

“太古日本のピラミッド”
 エジプトの大ピラミッドはほぼ北緯30度の位置にあるが、斎藤氏はそこから地球を北
緯30〜50度の「大ピラミッド・ベルト」が廻り、そこに世界のほとんどすべてのピラ
ミッド遺跡がある(本書65ページ)として、日本列島もベルト内に収まる以上、そこに
ピラミッドが見つかる可能性が高い(本書66ページ)と説き進み、日本各地のピラミッ
ドの噂がある山々を紹介するものである(広島県のうが高原・葦嶽山、秋田県黒又山、岐
阜県位山、徳島県剣山、奈良県三輪山など)。

 もっとも北緯30〜50度といえば、東は日本・朝鮮・中国、西はヨーロッパ・地中海
周辺とユーラシアにおける国家・都市・文明の興亡がもっともさかんだった地域であり、
別にピラミッドばかりがあるというわけではない(北半球で50度以北の人々は雪や氷、
30度以南の人々は砂漠化や熱帯雨林との闘いを強いられる)。それに斎藤氏が本書66
ページであげた世界のピラミッド遺跡の中には、ユカタン半島のパレンケ遺跡やポナペ島
の石造物のように「大ピラミッド・ベルト」に入っていないものがあるのはご愛嬌だろう
。ピラミッドの話を枕にして斎藤氏が本当に言いたいのは次のことだろう。
「従来、三輪山の主祭神大物主神を太陽神であると考えてきたが、実はそうではなく、新
たに得られた証拠から、文明の最初期統一連合の流れを汲む月神であったと思う。(以下
、三輪山からの出土物と地中海周辺の出土物との比較)まさしく文明の最初期統一連合の
、活力あふれる地球規模の広がりを暗示している」(本書78ページ)

“伝説につつまれた国々”
『旧約聖書』にソロモン王の船団が目指したとある黄金の国オフルを南米ペルーに求めて
紀元前の第一期大航海時代を語り(本書82〜83ページ)、ギリシャ神話の女戦士国ア
マゾンと古代日本、卑弥呼の女王国の関連を示唆する(本書87ページ)。

「謎の日本オーパーツ文明」(1985年3月初出)
 初出当時のトピックスだった石川県真脇遺跡のウッドサークル、島根県岡田山古墳出土
鉄刀の装飾、山梨県丸山塚古墳の装飾、島根県神庭荒神谷遺跡出土銅剣の「X」マークな
どを古代エジプト、地中海、ヨーロッパの出土物と比較し、共通のシンボル体系があると
した上で「これほど先史の聖シンボル、あるいは聖記号がおびただしく重畳集積する地は
、地球上、ちょっと他に例がない。日本列島は先史世界の人びとにとって、聖なる天体崇
拝の最重要地点、かけがえのない選ばれた聖所(月出現、日出現の地)だったのではなか
ろうか」(本書109ページ)と結論付けるものである。

「世界蛇文明の遺跡・遺物」(1983年9月初出)
 古代のギリシャ、北米大陸、イギリス本土を「世界三大蛇文明地」としてその相互の交
流関係を説き、奈良県三輪山や岡山県楯築遺跡(弥生中期)の出土物にもその蛇文明の影
響が見られるとした上で、その伝統は数十万年前、ネアンデルタール人の時代にまで遡り
うると結論付けるものである。著者による「ワールドワイド・アーケオロジー(汎世界考
古学)、もしくはグローバル・アーケオロジー(地球考古学)」(本書113〜114ペ
ージ)の提唱には興味深いものがある。

 ただし、「『契丹古伝』その他の文献によると、太古日本に繁栄した人類は“竜族”の
呼称があった」(本書113ページ、ほぼ同様の内容の記述が本書220ページにもある
)とあるが、実際の『契丹古伝』にはそのような記述がなく、斎藤氏が何を出典にされた
のか、わからない点が惜しまれる。

「古代人のメッセージ地上絵・壁画・遺物は何を意味するか」(1981年9月初出)
“地上絵・壁画”
 南米ナスカ高原・イギリス本土・北米五大湖周辺・日本列島を四大地上絵地帯とみなし
、これらの地域の地上絵や遺跡の壁画に古代世界共通のシンボリズムと天文知識の痕跡が
みられることから、太古、その四つの地域を往来した“地球測量船団”があったとするも
のである。

“遺物”
 ペルー、アンデス山中の巨大な人面像、コスタリカの巨大石球群、グァテマラの巨大石
頭像、五世紀の北部九州の流行した石人石馬などに古代エジプト文明の影響をみとめ、「
紀元前4000年代、人類初の哲学ともいえる熱烈な月辰信仰のもとに七つの海を測量し
てまわり、各地に“大地上絵文明”の伝統を移植したアルファ民族(おそらくエジプト、
シュメールに分裂する以前の原民族)にひき続き、こんどは紀元前3000年をやや下る
頃、はやくも地上最初の国家を誕生させて、その躍進する国力を背景に、太陽神信仰を中
心とする、新たなエジプトの国立探検船団が地球一周の壮途につく」(本書158ページ
)というモデルを示した上で、日本古代史の謎・筑紫国造磐井の反乱の真相へと推理を進
めるものである。

「日本の遺跡・遺物に秘められた宇宙観」(1984年8月初出)
 先史の月神文明の遺産という立場から遮光器土偶、日本のピラミッド、ストーンサーク
ルについて考察を加えるものである。ただし、すでに現代人の創作であることが明らかな
『東日流外三郡誌』に依拠して遮光器土偶が江戸期までイシカホノリと呼ばれていた、と
するのは惜しまれる(本書179ページ、なお同ページには『東日流外三郡誌』について
「偽書との批判もある」とし、本書324ページにも「偽書との謗りがあるにしても、本
書では論じない」と一応は偽書説についても触れている)。江戸期の信頼のおける資料で
は、遮光器土偶をイシカホノリと呼んだなどという例はなく、単に「土偶人」などと記さ
れている。現代人の創作を古伝承扱いして論に取り入れてしまっては、せっかくの優れた
着想も台無しというものだろう。

 なお、『東日流外三郡誌』問題については拙著『幻想の津軽王国』(批評社)、共著の
『東日流外三郡誌「偽書」の証明』(廣済堂)、『歴史を変えた偽書』(ジャパンミック
ス)などを参照されたい。

 また、日本列島と匹敵するストーンサークル集中地はイギリス本土しかないと指摘した
上で「広大なユーラシア大陸をへだてた東端と西端の島に、なぜかくもストーンサークル
の遺跡が集中しているのか。しかも両者は、同一の規格・物指しにしたがって設計、プラ
ンされているように見える。とすれば、紀元前数千年にさかのぼる謎の大航海者アルファ
民族の南方ルートと、その忘れられた宗教上の東西祭祀センターを考えぬかぎり、説明不
可能のように思われる」(本書199ページ)とあるが、そこまで言われるのなら、スト
ーンサークルと共に東北地方の縄文文化を特徴付ける指標の一つ、円筒土器とほぼ同時代
のブリテン島から出土するビーカー型土器の類似についても指摘してほしかったところで
ある。さらに進んで斎藤氏に円筒土器とビーカー型土器の共通の用法まで考察していただ
ければありがたいところなのだが・・・

「太古コンピューター文明があった」(1982年11月初出)
 斎藤氏自身によるテーマの要約「はるか紀元前4000年にさかのぼる頃、いち早く全
世界にのびる進歩した技術社会と、その中枢をなす高度天文計算のコンピューター文明が
あった。それはもはや失われて久しい遠古の記憶なのだが、いまや失われた記憶はようや
く甦ろうとしている」(本書210ページ)

 斎藤氏によると、大和三輪山周辺はアルファ民族の中継ステーションであり(本書21
8〜219ページ)、大和三山は天体観測用の超々大型コンピューターの一部を成してい
た(本書229〜230ページ)という。

 なお、「そんな太古の時代に進歩した技術社会があるとしたら、それはもう他の星の世
界からやって来た高度文明の宇宙人のおかげか、あるいは失われたという伝説の大陸アト
ランチスやムー大陸の子孫の移住によるしかないと思うかもしれぬが、ここではそのどち
らの共同幻想をもとらない」(本書210ページ)とした上で、アルファ民族の正体につ
いて「まだ民族のできる前の段階であり、のちの黒人、アジア人、ヨーロッパ人を含む、
いくつかの人類の種族の集合混成体」(本書211ページ)として、「欧米の学者はこの
(アルファ文明に対する西欧文明の)後進性に耐えられないのか、うすうすアルファ民族
の存在に気づきながら、それを認めたがらず、例の失われた大陸アトランチスの共同幻想
に逃げ場を求める」(211ページ)と述べておられるのは、欧米の古代宇宙飛行士論者
、「失われた大陸」論者にしばしばみられる白人優位主義への斎藤氏なりの批判といえよ
う(この種の人種的偏見はグラハム・ハンコックにも顕著である)。

「環太平洋の謎の聖サーペント文明」(1984年4月初出)
 古墳から出土する代表的な鏡であり、卑弥呼が中国・魏朝から下賜された舶載鏡か、国
産鏡かをめぐって議論の絶えない三角縁神獣鏡。斎藤氏は三角縁神獣鏡国産説に与し、そ
の紋様を北米五大湖地方の古代のマウンド(墳丘)の形状、岡山県男女山遺跡(弥生終末
期)の溝状遺構の形状、フランスのプチ・ド・ラーセから出土した三十万年前の雄牛の肋
骨の線刻などと比較し、三角縁神獣鏡は「人類最古の紋章の集大成」で、その製作に関わ
って卑弥呼こそ「伝統を誇る環太平洋古文明圏の最高位蛇巫」(本書250ページ)であ
ったと論じておられる。

「多頭竜蛇神と土蜘蛛の時代」(1989年10月初出)
 初出当時のトピックス、奈良県斑鳩・藤の木古墳出土の鞍金具に彫られた精緻な装飾か
ら、その意匠と共通のシンボルが長野県戸隠山周辺の社寺にそろっていることから説き起
こし、戸隠の九頭竜、出雲のヤマタノオロチ、三浦半島逗子市池子の七頭竜などの多頭竜
伝説について考察を加える。斎藤氏によると、多頭竜伝説の起源は天上の蛇である北斗へ
の信仰にあり、その担い手は大和朝廷に降伏するまでは土蜘蛛と呼ばれた人々であった。
そして、大北斗蛇信仰は法隆寺にもその影を落としているというのである。

「謎の盃状穴と神社の聖方位」(1996年1月初出)
「まず、盃状穴とはいかなる形のものか、から始めよう。まだ発見されて間もなく、専門
的な学者のみならず、ほとんどの人が耳なれない言葉なのは当然。知らなくてあたり前な
のである。一言でいえば、硬い石にわざわざ人工的に彫りこんだ盃形の穴である」(本書
280ページ)

 斎藤氏は盃状穴が日本のみならずユーラシア大陸各地、さらにはイギリス諸島にまで分
布することを指摘し(本書282〜283ページ)、そのモデルは天の北極付近、見掛け
状の天の運動中心に現れる「天の盃状穴」であろうとして(298ページ)、それは「天
空太女神」あるいは「極孔神」ともいうべき女神のシンボルであったとする。そして、世
界で唯一、極孔神の記憶が残っているのは日本だと結論付けるのである(『古事記』の天
之御中主神のこと、本書303ページ)。

 なお、盃状穴研究の古典であるSiegfried Giedion;The Ete
rnal Present The Beginning of Artが観光されたの
は1962年(邦訳は江上波夫・木村重信訳『永遠の現在 美術の起源』,1968)で
あり、国分直一氏が本州西部・北部九州における盃状穴の事例を『えのとす』15号に発
表したのは1981年だから、特に「発見されて間もない」というわけではないようだ(
斎藤氏も本書291ページにおいて日本における盃状穴の最初の確認が1980年5月で
あると述べている)。

 むしろ斎藤氏が本書のこの章において、まず盃状穴とは何か、から書き出さなければな
らないほど、一般に知られていないことが不思議といえよう。

 日本国内での盃状穴の事例と海外での研究状況については、国分直一監修『盃状穴考』
(慶友社・考古民俗叢書、1990)が参考になる。

「仁徳朝の異形賊 両面宿儺の実像」(1996年1月初出)
『日本書紀』で仁徳天皇65年、飛騨で討伐されたとある二面四手の怪人・両面宿儺。本
章では宿儺の正体が縄文神学の伝統を伝える巫女養成機関「縄文アカデミー」の校長であ
り、天皇家以前の原天皇ともいうべき存在であったことを考証する。なお、斎藤氏は触れ
ていないが、両面宿儺の伝承を根拠に飛騨に天皇家以前の王権があったことを唱えた先達
としては、作家の坂口安吾があることを指摘しておきたい(「飛騨・高山の抹殺」『安吾
新日本地理』所収)。

「抹殺された神津軽の至高神アラハバキ」(1986年8月初出)
『東日流外三郡誌』に古代東北の至高神として語られるアラハバキが古代エジプトの鷲神
(ホルス)と蛇神(ウラヌス)の合体であり、古代中国の北方の神・玄武神でもあること
を考証する。もっとも『東日流外三郡誌』そのものが現代人の創作であることが判明した
現在では、この章は色褪せて見えることは否めない。遮光器土偶がアラハバキの像だ(本
書326ページ)などという話も『東日流外三郡誌』など和田家文書にのみ見られるもの
である。斎藤氏にはぜひ『東日流外三郡誌』に依拠しない独自のアラハバキ論を展開して
いただきたいものである。

「日本列島の謎の巨石と祭神」(1996年8月初出)
 和歌山県・三重県・香川県・岩手県・青森県・山梨県・京都府・奈良県にある巨石信仰
の跡とゆかりの神社およびその御祭神を紹介する。ただし、青森県市浦村の荒磯崎神社に
ついて、御祭神をアラハバキとしている(本書367ページ)のはいただけない。

 この神社にアラハバキが祭られているというのは、例によって『東日流外三郡誌』のみ
の主張である。この神社は江戸時代まで薬師堂であり、明治に神社になってからはスクナ
ヒコナを祭神としている。小館衷三氏によると「薬師如来は比叡山延暦寺の本尊で『十三
往来』でも十三の明神の本地仏は薬師如来と述べている」という(『東日流外三郡誌の旅
』北方新社、1989、荒磯崎神社は十三湖に近く、中世のこの地方では比叡山系の天台
宗が広まっていた)。小館氏はスクナヒコナは酒神であり、アラハバキも酒神の松尾神と
関連あることから附会されたのではないかとするが、それよりは『東日流外三郡誌』作者
が神社内の「アラ」という音からアラハバキ祭神説をでっちあげたと考える方が妥当であ
る。

「大実験・ピラミッドの地下トンネルを探る」(1978年12月初出)
 大ピラミッドの地下に眠るという大トンネルの位置を探るべくダウジング・ロッド(水
脈占い棒)を駆使しての実験の記録。むろん発掘調査を伴うものではない。

 ダウジング・ロッドがいかなるものかについてはマーティン・ガードナー『奇妙な論理
II』(教養文庫)41〜69ページおよびテレンス・ハインズ『ハインズ博士「超科学」
をきる』(化学同人)355〜361ページを参照されたい(二十年ほど前、日本の地方
自治体でも埋設水道管を探すためにダウジング・ロッドの研究をしていたところがあった
が、今頃どうなっているだろう?)

「パルテノン神殿は見えないピラミッドか」(1977年4月初出)
 ギリシア、アテネのパルテノン神殿の柱には微妙な傾斜角があり、その延長線が上空で
交わる所を図式化すると高さ訳2000メートルもの見えないピラミッドが現れる。これ
こそパウル・シュリーマンのアトランチス発見記録(1912)に現れる「透明宮の神殿
」のなごりだという。私はこの初出誌(今は亡き『UFOと宇宙』)を読んで、そのイメ
ージの美しさと壮大さに圧倒されたものである。もっとも、現在、パウル・シュリーマン
の記録は偽造ということで評価が定まっており(『歴史を変えた偽書』ジャパンミックス
編・刊)、その点を考慮に入れた上で本章の内容も再検討される必要があるだろう。

「神武天皇の紀伊半島横断作戦」(1996年11月初出)
 記紀の神武東征譚を紀伊半島の神社伝承や考古学的資料を参考にしつつ解読、弥生前期
以来、銅鐸を祭ってきた出雲王国を大和朝廷が閉廷するための呪術・祭祀の跡を読み取る

 以上、いずれの章にもそれぞれ私としては承服しかねるところはあるが、それを補って
余りあるイメージの輝きに満ちた一冊である。慎んで一読を勧める次第だ。

 

 

 

                        97年7月19日  原田 実