日本古代文字学の夜明け?

 

 


 

 

アッシリア学の夜明け

 

 古代文字研究史上、有名な事件の一つに「アッシリア学の夜明け」ともいうべきイベン トがある。1850年代、メソポタミアでそれまで発見されていたバビロニア、アッシリ アの楔形文字碑文は、アイルランドのヒンクス、イングランドのローリンソンらにより解 読がすすめられていたが、世間では、まだ、彼らが誰にも読めないのをいいことに、デタ ラメな解読を発表しているとの疑念もくすぶり続けていた。

 ローリンソンの友人トールボットは、王室アジア協会に、未公開の楔形碑文を複数の研 究者で翻訳し、その結果を比較すれば、その解読法が正当かどうか、証明できるはずだと 提案した。

 1855年、ローリンソンは発掘されたばかりのタブレット(解読の結果、アッシリア 王ティグラト・ピレセルの年代記と判明)の写しをトールボットに貸与したが、そのコピ ーはさらにヒンクスおよびフランスのオペールの下に送られた。そして、4人それぞれの 解読は密封されて王室アジア協会に委ねられたのである。

 協会の特別委員会は、その解読を比較検討し、1857年、その内容の一致を認める旨 の声明を出した。ジャーナリズムは、この解読コンテストで、どれほど食い違った珍解釈 がならぶか、楽しみにしていたわけだが、予想とは逆の結果に驚かされることになる。

 このときから、アッシリア学は学問としての厳正さを持つものと一般にも認められるよ うになった。

 さて、最近、日本でも超古代の岩刻碑文を発見したとか、古代の出土品に神代文字を発 見したという議論がさかんなわけだが、そうした論者は一世紀以上前のアッシリア学者が 示したような立証責任をわきまえているだろうか?

 

 

川崎真治氏の石鏡文字解読

 

 ここで、アッシリア学者にならって解読例の比較を行ってみよう。サンプルはいわゆる 神代文字に関心ある者の間では有名なもの、明治九年の大阪博覧会に出品されていたとい う石鏡の台座の字である。この石鏡は落合直澄の『日本古代文字考』(1888)にスケ ッチが載せられているのだが、その実物がどうなったのか、追跡調査が行われたという話 はついぞ聞かない。

 さて、石鏡は表裏にそれぞれ不思議な図形があり、その台座には3列各4個、計12個 の文字らしきものが刻まれているわけだが、この文字?について、落合は「読法及ビ文意 ハ詳ナラズ」「此器ハ琉球人ノ製ル所カ。字は琉球古体ノ字ナリ」とするのみで解読には いたっていない。

 さて、川崎真治氏といえば著書『日本最古の文字と女神画像』が『トンデモ本の逆襲』 にもとりあげられている古代文字の「大家」だが、その川崎氏は吾郷清彦氏への昭和55 年3月18日付の私信の中で、12字を次のように解読したという。

「r. d. b. l
 e. t. a. t
 n. h. s. g

 gashan   tate   lbu−dar
 ガシャン   タテ   ルブダル
 鳳凰神    奉    獅子神

 鳳凰(共工・東王父)と獅子神(魃)へ奉る−という献辞でありまして、古代アケメネ ス朝ペルシャにあった円筒印章の印文とか、朝鮮半島南端の南海島尚河里(郎河里)の岩 盤文字とも同じ内容のものでした」

 さて、このガシャン、ルブダルなどというのは、川崎氏によるとフェニキアから古代日 本に持ち込まれた神格らしい。この書簡と同年に徳間書店から発表した著書『日本語のル ーツが分かった!』の中で川崎氏は、静岡県水窪町で出土した縄文時代の線刻石や鳥取県 国府町今木神社の線刻石などを解読し、いずれもフェニキア文字で「ガシャンとバールに 奉る」の意味だと唱えていた。

 吾郷氏はこれらの解読について、「この川崎解読を検討し、精緻な考証と学術的検証に 敬服した。これは歴史言語学者であり、また古代オリエント文字に通暁する川崎氏にして はじめて狩野であったのだ」と絶賛している(以上、川崎書簡および吾郷氏の川崎氏への 評価は『九鬼神伝全書』新国民社、1983、192〜193ページより引用)。

 しかし、私はある時、吾郷氏と同席した際に、「川崎さんが読むと何でもタテ・ガシャ ン・バールになる」といぶかしがるのをうかがった記憶がある。川崎氏がこれらの解読の 参考としたのは、バリー・フェルによる伝北米ニューハンプシャー州ミステリーヒル出土 の碑文解読だが、その文面が実は「バール・バール・ガシャン・タテ」であった。

 バリー・フェルのミステリーヒル碑文解読そのものがうさんくさいものだが(カズー& スコットJr著、志水一夫訳『超古代史の真相』東京書籍、1987、66〜94ページ 参照)、川崎氏は古代文字解読にいどむ内にバリー・フェルの追体験をくりかえしてしま ったようである。

 とはいえ、この石鏡文字解読は川崎氏自身の著書には納められておらず、川崎氏として は自信がないものの一つだったのかも知れない。

 

 

高橋良典氏のティファナグ文字説

 

 高橋良典監修・日本探検協会編著『超図解・縄文日本の宇宙文字』(徳間書店、199 5)はこの石鏡を「奈良県・三輪神社の石鏡」とし、「石鏡の下の文字は、紀元前700 年頃の北アフリカで使われたティファナグ文字で“この島にゃ、いや続く花咲かせなば” と読める」とする。そして、この文字を記したのは日本に安住の地を求めた「イスラエル 最後の王ホセア」であり、しかも、このホセアこそ日本神話のオシホミミ、イザナギおよ び『創世記』のイサクと同一人物だったという(同書270〜271ページ)。

 まず、この石鏡は三輪神社に伝わったものではない。この鏡の表面に刻まれた文字?は 、平田篤胤『神字日文伝』疑字篇に「三輪ノ神社額字」として掲載されたものと酷似して いるが、この石鏡のいまや唯一の典拠ともいえる『日本古代文字考』には、この石鏡と三 輪神社の関係は言及されていないのである。

 また、例によって、高橋氏(および日本探検協会)は解読の根拠やその解読過程を明ら かにしていない。そもそもなぜ、イスラエルの王により、古代北アフリカの文字で書かれ た文が、現代日本語で読めるのだろうか。

 ジョルジュ・ジャン著、矢島文夫監修『文字の歴史』(創元社、1990)によると、 ティファナグ文字はサハラ砂漠のトゥアレグ族が現在も使っているものであり、その使用 が女性にのみ許されているところに特徴があるという。トゥアレグ族は母系性のため、権 力の象徴たる文字は女性が独占していたのである。この『文字の歴史』64ページには、 ティファナグ文字による書簡の写真が掲載されているが、石鏡文字とはあまり似ていない ようである。

 余談だが、高橋氏といえば、著書『謎の新撰姓氏録』(徳間書店、1990)以来、イ ンド、サーンチーの仏塔のレリーフの中に日本の神代文字で「ユニコウンカムイ」と書か れたものがあると、くりかえし述べておられる。写真でみると、そのレリーフにはうずく まる二頭の有角獣が彫られている。

 ところが、このレリーフの有角獣について、ペトログリフの探索で有名な鈴木旭氏は次 のように記す。
「レリーフを見れば、二つの耳の間に日本の角が生えている。それでも上に彫り込まれた 文字はユニコーンである。どうして二本の角でもユニコーンなのか。そのあたりは不明だ が、そう書いてあるのだから仕方がない。むしろ、ギリシア神話に詳しい人がいたら、是 非、その訳を教えていただきたいものである。筆者にはわからない」(鈴木旭『古代文字 が明かす超古代文明の秘密』日本文芸社、1994、88〜89ページ)。

 高橋氏もスカイパーフェクTV、チャンネルMONDO21の番組『プレアデスメッセ ージ』に出演された際、このレリーフについて「角は二本ありますが、一角獣のような獣 という意味で・・・」と苦しい言い訳をしていた。
そもそも、ユニコーン(Unicorn)とは、ラテン語で「一本の角」という意味の語 彙が英語化したものだ。角が二本のユニコーンとは形容矛盾である。問題のレリーフをよ くみると、有角獣の蹄は割れている。二本の角があって蹄が割れている獣といえば、今も インドで神聖視される牛とみるのが妥当だろう。

 鈴木氏が二本角のユニコーンに違和感を覚えたのは当然だ。疑うべきは、そのレリーフ に刻まれた文字が本当に「ユニコウンカムイ」と読めるのか、ということなのである。し かし、その違和感を一応は書いてしまうあたり、鈴木氏も正直である。

 高橋氏の主張を認めるなら、日本の神代文字が世界各地で使われていたというのに、日 本の石鏡に日本語の文を刻むのにわざわざ北アフリカの文字が用いられ、しかも海外の神 代文字碑文も、古代日本のティファナグ文字碑文も、ことごとく現代日本語で読めるとい うことになる。本当に頭が痛い話である。

 

 

十二支の異体字

 

 さて、先に落合直澄がこの12個の文字の解読を避けたことを記したが、実は落合はこ の文字とほぼ同様のものが僧・袋中の『琉球神道記』(1605年、刊行は1648年) にみられることを指摘している。それは占いに用いるため、天人が琉球にもたらしたとい う十二支の文字である。落合が石鏡の作者を琉球人としたのは、この文字が琉球に伝わっ たことを知っていたからだった。

 落合は『琉球神道記』の十二支文字について、「傍注ハ字形ノ十二支ニ似タルモノアル ヲ以テ後世附会セシナルベシ」として、それが十二支であることを否定しようとしたが、 そのためかえって、その正解はなにか示せなくなってしまったのである。

 1884年、清国の人・沈文榮は『日本神字考』を著し、日本の神代文字といわれるも のがことごとく漢字に起源することを考証した。

 落合は『日本古代文字考』の付録として「日本神字考辨妄略」なる文を草し、「沈氏ノ 解釈其粗漏大凡」なることを説いているが、その国粋的な立場からすれば、日本の神代文 字の中に中国の十二支があるなどと認めるわけにはいかなかったのだろう。
『琉球神道記』の十二支文字は日本の神道家・天文家の間で神代の文字として珍重され、 平田篤胤の『神字日文伝』疑字篇にも「十二支字」として収載されることになった。

 そのあたりの経過については拙稿「“神代文字”に未来はあるか?」(拙著『幻想の古 代王朝』収録)に記したので御一読いただければ幸いである。

 それにしても、吾郷清彦氏は著書『日本神代文字』(大陸書房、1975)において、 石鏡の台座の文字が平田の「十二支字」であることをすでに指摘しており、『超古代神字 ・太占総覧』(新人物往来社、1979)においても『琉球神道記』の十二支文字につい て論じているのに、なぜ川崎真治氏の「解読」をあれほど賞賛できたのか、理解に苦しむ ものがある。

 なお、竹内健氏は、問題の十二支文字が、実は十二支そのものではなく、十干十二支の 共通の起源である十二干が遺存したものだと主張している。竹内氏によると、十二干は、 古代中国でも殷(商)代初期に廃れたものだという(竹内健「阿比留字本源考−琉球古字 と十二干の謎」『迷宮』1〜3号連載、1979〜80)。

 しかし、竹内氏は「そもそも古代中国の最も古い文字資料たる殷代の卜辞に於いてさえ も、既に十二干の古暦は認められず、もっぱら我々の知る十干十二支が用いられているの であって、それ以後の暦史資料はすべてこの干支を踏襲し継承してきたのである」と述べ ている。最古の文字資料にさえ十二干がでてこないということは、言い換えると古代中国 に十二干があったという証拠は文献史学的にも考古学的にも存在しないということである 。これでは千言万語を費やした説といえども空中楼閣にすぎないだろう。
『琉球神道記』に現れ、石鏡の台座に刻みこまれた文字は、やはり呪術的、宗教的目的で 用いられた十二支の異体字とみなすのが妥当なところだろう。

 

 

石鏡の正体

 

 さて、それでは問題の石鏡の正体は何なのだろうか。この石鏡の表面の図形が「三輪神 社額字」として、台座の文字が「十二支字」として、それぞれ『神字日文伝』疑字篇に出 てくることはいままでみてきた通りである。そして、石鏡裏面の図形もまた『神字日文伝 』疑字篇に「下総国葛飾郡前林村東光寺所蔵文書所載」の「三才図」として掲載されたも のなのである。一つの器物に刻まれた三種類の文字・図形がすべてある文献に出てくる。
そして、その文献が語るそれぞれの文字・図形の由来には特に関連が認められない。

 ここから最も高い可能性で想定できる状況といえば次のようなものである。すなわち、 『神字日文伝』疑字篇が出た時期(文政年間)より後、『神字日文伝』疑字篇を資料とし て石鏡が造作された・・・さらにいえば、この石鏡は大阪博覧会に出品するために作られ たものなのかも知れない。

 日本では、江戸時代末から先史時代の遺物が数多く偽造されるようになり、明治時代に は、古美術品の贋造偽作を業とする商人が石器・土器の類をも手がけるようになっていた 。古典SFの世界にも大きな足跡を残した江見水蔭もそうした風潮を嘆いていたという( 玉利勲『墓盗人と贋物づくり』平凡社、1992)。神代文字を刻んだ石鏡を造ることな ど、そうした業者からすれば朝飯前だったことだろう。

 少なくとも、イスラエル最後の王ホセアが造ったものではないことは、まず間違いある まい(苦笑)。

 最近では、ようやく日本列島での文字使用が古墳時代前期から弥生時代終末期までさか のぼりうる可能性が考古学界でも取り沙汰されるようになってきた。今年(98)一月、 三重県安濃町の大城遺跡から出土した弥生式土器に文字らしき跡が認められたというニュ ースなどその典型である。今後は漢字以外の文字が用いられた可能性も含めて古代日本列 島における文字使用の問題が追求されるのが望ましい。古墳から出土する国産鏡の疑銘帯 など、そうした観点から取り上げられるべき研究対象はいくらでもある。

 しかし、そうした研究にはまだまだ多くの障害があることは認めざるをえない。そして 、学界の頑迷さ以上にまっとうな研究者の足をひっぱるものこそ、どりあえず何でも「ペ トログリフ」「神代文字」にしてしまう人々や、とりあえず何でも「解読」してしまう人 々の存在なのだ。

 本論考でとりあげたのは、対マスコミ的に日本古代文字研究の花形となっている方々だ が、石鏡文字をサンプルとしての彼らの発言をならべてみると、改めて暗澹たる思いにと らわれてくるのである。

 杉作、日本古代文字学の夜明けは・・・まだまだ遠いなァ。  

 

 

                       1998  原田 実